奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分5)
(4より続き)
観音寺に寄る。白坂家の菩提寺。
本堂。
六地蔵。
観音堂(夕日堂)。
金売吉次がここを訪れた際、盗賊に襲われ命を落とす間際に「朝日さす夕日さすからすの横はえすずめちょんちょん三つ葉うつぎの下にある」との遺言を残して落命。その「夕日」が「夕日堂」を指していると伝えられているそうだ。
大平八郎の墓もある。
白河口の戦いで会津藩が敗れたのは白坂宿の大平八郎が新政府軍の道案内をしたのが原因と思い込み、旅籠鶴屋に呼び出して斬殺、自身は自害したのだという。
先を進む。
上り坂の途中で、大きなケヤキがあるのだが、その間に木製の鳥居がある。登ってはみなかったが上には石の祠があるらしい。
文久元年(1861)の馬頭観世音大菩薩、昭和57年(1982)の牛頭観世音を通り過ぎ、道は下っていく。
皮籠集落に入ってきた。金売吉次が砂金を入れた 「皮籠」が地名の由来で、白坂宿の加宿で立場があった。
吉次八幡。
源義経は平泉に下る手引きをした金売吉次への恩から盗賊どもを討ち果たし、吉次兄弟の霊を弔い合祀した。
前には大正5年(1916)の金売吉次兄弟古墳碑、弘化4年(1847)の十九夜塔、文久2年(1862)の十九夜塔などが並ぶ。
白河市のマンホール発見。
白河市の木アカマツ、市の花梅、市の鳥ホオジロがデザインされている。
ここでちょっと寄り道。
金売吉次兄弟の墓。
元治元年(1864)に施設された石囲いの中にある。
左から吉内、吉次、吉六の墓。
街道に戻り進むと、享保18年(1733)の地蔵菩薩坐像があった。ホント、地蔵の多い道である。
下り坂の途中に題目碑がある。寛政5年(1793)の南無妙法蓮華経題目碑である。
皮籠刑場跡といわれる。
1時半近く、ようやくお昼の場所、朝日屋食堂に到着。
白河ラーメンのお店で、いつも行列していると聞いていたのですぐ入れるか心配だったのだが、さすがにこの時間だったので、すんなり入ることができた。
頼んだのは醤油ラーメン。
手打ち麺は縮れ麺で食感がおもしろい。シンプルだけどおいしいラーメンだった。白河ラーメン久々に食べたなあ。
出発。
2種類の別のマンホール発見。
南湖公園の千世の堤からの眺望を背景に、小峰城の三重櫓(やぐら)をデザインしたもの。
市の花、梅のデザイン。
(6へ続く)
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