奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分1)
6月22日以来の奥州街道歩き。
7月に入ったら暑く、9月末に歩こうと思ったら体調不良・・・
ということでようやく街道歩きに出られるようになった。
いつもの大宮発6時45分のやまびこに乗り、那須塩原駅着7時31分。黒磯行きに乗り換え、黒磯で再び乗り換え黒田原駅到着8時3分。
前回天気に恵まれず、那須連山を見ることができなかったが、この日はお天気がよく、新幹線の中から釈迦ヶ岳を中心とした高原山が見えた。
黒田原駅前より8時10分のバスに乗り、前回のゴール芦野仲町バス停まで。
8時25分歩きスタート。
バス停の前は丁子屋さんである(旅籠跡で現在は鰻やさん)。
角に奥州街道道標と芦野町道路元標があるが、ここが番所跡。
斜め向かいのストーンプラザ(石の美術館)あたりが本陣跡である。
そうそうこの宿は、屋号が書かれた常夜燈があるのでした。
これはたまごや?たまこや?
建中寺。
本堂。
奥には芦野氏19代民部資俊から27までの当主と家族の墓である、芦野氏新墳墓がある。
享保2年(1717)の新町地蔵尊のところで芦野宿は終わり。
地蔵尊の隣には文化12年(1815)の二十三夜塔・文化元年(1804)の三界萬霊塔・大乗妙典一千部供養塔。
芦野宿は江戸口、白河口ともに大きなお地蔵さんがありました。
遊行柳に寄る。
時宗の宗祖一遍上人(遊行上人)が旅の途中、遊行上人が使っていた柳の杖が根付いて柳になったという伝説が残る場所で、西行、芭蕉、蕪村が訪れている。
芭蕉句碑。
「田一枚 植えて立ち去る 柳かな」
蕪村句碑。
「柳散 清水涸石 処々」(柳散り清水かれ石ところどころ)
西行歌碑。
「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」
両側の柳。
(2へ続く)
« サントリー パーフェクト サントリービール 黒 | トップページ | 奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分2) »
「街道歩き」カテゴリの記事
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋6(2024.05.04)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋5(2024.05.03)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋4(2024.05.02)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋3(2024.05.01)
- 中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋2(2024.04.29)
« サントリー パーフェクト サントリービール 黒 | トップページ | 奥州街道歩き第5回(芦野宿~白坂宿~白河宿~女石追分2) »
コメント