キリン 一番搾り とれたてホップ生ビール
毎年楽しみにしているビール。
20年目なんですね。
注いでみると、若干薄めの色。
飲んでみると、やっぱりホップの香りがいいですね。
みずみずしいホップの香りと味。
苦みもしっかりあって、好きな味ですね。
来年も楽しみに待ちましょう。
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毎年楽しみにしているビール。
20年目なんですね。
注いでみると、若干薄めの色。
飲んでみると、やっぱりホップの香りがいいですね。
みずみずしいホップの香りと味。
苦みもしっかりあって、好きな味ですね。
来年も楽しみに待ちましょう。
アサヒ アサヒ ザ・ダブル
ファミマ限定ビール。
これも6年目なんですね。
注いでみると、かなり濃い色。
飲んでみると、ずっしりくるビールですね。アサヒにしては珍しいかも?
エールとピルスナーを混ぜたビールか・・・
こういうのあんまりないですよね。
毎年楽しみにしているボジョレー・ヌーヴォーだが、最近は値段が上がってしまい、たくさんは買えない・・・
今年は解禁日に買いそびれ、翌日いろいろまわったものの、これしか選択肢がなかった・・・もっと高価格帯のはいくつかあったけれど、ほどほどなのがもう残っていなかったのだ。
もしかして、輸入量も減っているのかも??
カリフォルニアやらオーストラリアやら日本のヌーヴォーは結構あったんだけれど、やっぱりボジョレーが欲しい!
今年は天候もよく、暑かったようなので濃いめな感じかも?と思っていたけれど・・・
注いでみると、きれいな紫色。
飲んでみると、まあフツーにヌーヴォー笑
フルーティでこれこそボジョレー・ヌーヴォーという感じで悪くはない。濃くはないけれど・・・
来年は2本は買いたいなあ。
木曜日、東京都美術館に出かけたのだが、きっとそうだろうなあと思っていたとおり、上野は混み混み。飲食店も長蛇の列で、これじゃあいつになったら食事にありつけるやら・・・
ということで地元に戻ってきてからの昼食。
ワタクシは海老雲呑麺。醤油か塩が選べたけれど、やっぱり海老なら塩でしょう!
雲呑好きなんですよね~
ついつい頼んじゃう。
同居人の五目麺。
何度か食べたことあるけれど、まあ安定したお味でしょう。
やはり、上野で食べることを早々とあきらめて正解でした。
東京都国分寺市本町4丁目1-18 柳屋ビル2F
art-28 【永遠の都ローマ展】 東京都美術館
東京都美術館で開催されている永遠の都ローマ展に行って参りました。
当初は2021年に開催予定だったのが、コロナで中止。ようやく開催された展覧会。
カピトリーノ美術館の所蔵品を中心とした展覧会である。
この広場までは行ったのだけど、中には入らなかったのが残念に思っていたので、うれしい。
この美術館は、1734年にローマ教皇クレメンス12世により一般公開の始まった美術館で、一般公開された最古の美術館の一つ。
1:ローマ建国神話の創造
「カピトリーノの牝狼(複製)」からスタート。ローマ建国といえばこれですね。ローマの創建者、双子のロムルスとレムスは、テヴェレ川に捨てられたが、牝狼により乳を与えられ育てられるという伝承である。硬貨にもあり、エッチングもあり、このエピソード満載。
「イリアスの石板」いやー細かいですね。拡大して見たかったな。
「ティベリウス・クラウディウス・ファウェンティヌスの祭壇、通称カザーリ家の祭壇(複製)」
ヴィーナスとマルスの密通、パリスの審判、トロイア戦争の戦闘場面、ヘクトルの遺体を見せしめにする勝者アキレス、ヘクトル葬列、双子ロムルスとレムスの誕生物語が4面に描かれる。ギリシャ神話が中心で、これまた細かい。
2:古代ローマ帝国の栄光
古代ローマの皇帝などの彫刻など。
ちょっとショックだったのは、カエサル。こんな人だったのかな、ホントは。猿みたい・・・
アウグストゥス帝やトラヤヌス帝は賢帝という雰囲気だけれど、カラカラ帝(これは前にも見たことがあるかな)は凶暴そうな面構え。
女性の像は髪型がおもしろくて、特に「女性の胸像」は頭が蜂の巣みたいという・・・
「老女像」は今まで巫女や泣き女、またトロイア王の妻と言われてきたのが、今では単なる老婆だとされているらしい。顔のしわや体の垂れ下がり具合、薄くなってしまった体といった表現がすごくリアルだ。
リアルといえば、女性像は髪がリアルで、後れ毛なんかまで再現されている。
そして、コンスタンティヌス帝の頭、手、足の大きいこと!大迫力である。権威を示したんだろうか。
顔を見ての素直な感想は、スタローンみたいということだったのだけど笑
今回の目玉、「カピトリーノのヴィーナス」。優美ですねぇ。ミロのヴィーナス(ルーヴル美術館)、メディチのヴィーナス(ウフィッツイ美術館)と並ぶ古代ヴィーナスなのだそう。
3:美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想
この広場はミケランジェロの設計だったとか。
ということでトスカーナの画家による「ミケランジェロ・ブオナローティの肖像画」もきていた。カピトリーノ美術館所蔵だったんですね。偏屈な人という雰囲気がよく出ていると思う。
モザイクが2点。いずれも目がぎょろっとしていることに注目してしまう。
「河神」神が持っているものはなんだろう?と思ったら、どうやらヘラクレスにおられた角で果物や財宝を無尽蔵に生み出すものらしい。
4:絵画館コレクション
おや、カラヴァッジョ?かなと思ったら、派の作品だったのが「メロンを持つ若者」。光の描写がカラヴァッジョですね。どうでもいいけれど、持ってるがメロンには見えない・・・
ティントレット「キリストの鞭打ち」ティントレットってドラマチックですねえ。
グイド・レーニ「ルクレティア」悲しげな表情、はかなげ。
ダルピーノ「狩人としての女神ディアナ」凜とした表情の女神。犬が気になる・・・
コルトーナ「教皇ウルバヌス8世の肖像」バルベリーニ宮殿の、教皇の栄光を称えた天井画、見てみたいなあ。
5:芸術の都ローマへの憧れ─空想と現実のあわい
トラヤヌス帝記念柱に関する展示。30メートルもあるはしらで、大きいなあとみるだけだったけれど、彫刻、結構細かいんですね。ピラネージのエッチング、じっくり見ていたら時間がかかりました・・・
石膏複製2つは唯一撮影可能。
コルヴィ「ロムルスとレムスの発見(ピーテル・パウル・ルーベンスに基づく)」この主題、この展覧会で多かったですね。寓意に満ちた作品。
カピトリーノ美術館所蔵の彫刻アモルとプシュケに基づく、マイセンの陶器がかわいい!
ローマの歴史が楽しめる展覧会。是非どうぞ。
金の網網がかかったスペインワイン。
ちょっと高級感があふれているけれど・・・
テンプラニーリョ100%で、これは期待できるかなと思ったのだけど・・・
2020年とそんなに時間がたっているわけではないのに、激しく劣化。個体が悪かったのかな・・・
コメントしようもないです。残念。
(4より続き)
参道途中で中山道に戻ることにする。
またまたあった庚申塔。邪鬼がかわいいなあ。宝暦10年(1760)建立。
大宮区役所兼図書館のガラス張りの建物の向かいにある山丸公園(ここにあった山丸製糸工場からのネーミング)には、蒸気機関車があった。横浜~旭川~釧路~川越線、大宮で使われたものだそう。
ん???このポストに乗っているのはどうやらさいたま市のPRキャラクター、つなが竜ヌゥらしい。見沼田んぼの主の子孫らしい。見沼=ヌゥなんですと。
中山道に戻る途中の小道に塩地蔵がある。
病に倒れた父親を二人の娘が、お地蔵様のお告げに従って塩断ちをしたところ、父の病が全快したところから、塩を供えて願をかけるようになった、ということで、塩が袋ごと置いてありましたね。
お隣には子育て地蔵。
街道沿いにはこんな説明板が。
この先で大宮宿を出る。
大宮宿は本陣1、脇本陣9、旅籠25であった。脇本陣の数が多かったんですね。
氷川神社一の鳥居。
武蔵国一宮と刻まれた社標がある。
このあたりにかつて一里塚があったようだが(7里目)、正確な位置はわからないようだ。この日はの一里塚は全滅。
広いショッピングモール、コクーンシティが見えてきた。
片倉製糸の工場跡ということでコクーンなんですね。かつて、大宮には多くの製糸工場があり、生糸の生産地として発展していったようだ。
さいたま新都心駅(このあたりはビルだらけですね)を通り過ぎた先にお女郎地蔵と火の玉不動があった。
美しい旅籠の女郎が材木屋の若旦那と恋仲になったが、悪漢が割って入り旅籠に火をつけると脅し、進退窮まった女郎はついに高台橋から身投げをしてしまう。これを哀れに思った町人が地蔵を建立した(右)。
高台橋のあたりを毎夜火の玉が飛んでいるので、ある男が火の玉に斬りつけてみると不動明王と名乗る男が「剣を斬り落とされた」と言い残して姿を消した(左)。
4時を過ぎて少しずつあたりは暗くなってきた。雲がきれいだ。
一本杉の仇討ち跡。
千葉周作の門弟宮本佐内は同門の河西祐之助の腕前を嫉妬し、徒党を組み勝負を挑むが討たれてしまい、佐内の子鹿太郎がここで文久4年(1864)正月父の仇を討った。これを最後に仇討ちは禁止となったのだそうだ。
これは当時の杉じゃないのかな?
正徳4年(1714)造立の青面金剛像庚申塔。いやはやこの日もたくさん庚申塔を見たなあ。
違ったデザインのマンホール。
デザインされたモチーフは同じかな。
こちらはサクラソウのみ。
最後に廓信寺に寄る。
参道口にはサツマイモの女王紅赤(通称金時)発祥の地の説明板がある。この地の農家の主婦山田いちさんが紅赤を発見したのだそうだ。
仁王門。
残念ながら時間が遅かったのか、中には入れず・・・
どうやらこの山門の脇に河西祐之助の墓があったようなのだが見逃してしまった。残念。
ゴールの北浦和駅へ向かう。
4時43分の京浜東北線に乗り、順調に乗り換えて地元駅到着5時半前。
駅ビルの鮨屋さんで乾杯!
寒ぶりの刺身、じゃこ天、揚げ茄子とトロロのネギ味噌焼き、あん肝ポン酢、握り寿司(いくら、甘エビ)
お酒は瓶ビール(キリン一番搾り)と白ワイン。
帰宅は7時過ぎだった。約35100歩。
おみやげは、お漬物2種と、(川越に行ったわけじゃないけど)くらづくり本舗の栗の菓(ロールケーキ)。
中山道はまた少しお休み。
もう少しで完歩です。
(完)
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(3より続き)
小動物園にも行ってみる。
兎さんがお出迎え。
リスザルは動きが激しくて撮りづらい。
ブラウンケナガテナガザル。
尻尾も長いんだな。
シロフクロウ。
アネハヅル。
ガン。
タンチョウヅル。
クビワベッカリーってイノシシみたいだ。
とっても人なつっこいブチハイエナ。
フラミンゴ。ずっと水を飲んでる。片足で。
ヤギさん、寝てるような笑っているような?
アナホリフクロウ。
無料なんだけれど結構充実してました。
神社に戻る。
さざれ石を見て・・・
三の鳥居を出る。
明治天皇と氷川神社御観察の絵巻。
行幸絵巻。
明治天皇はこの中かな。
参道はとても長い。2キロあまり。
二の鳥居は明治神宮から移設されたもの。狛犬はここにありました。
少し紅葉している。
(5へ続く)
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(2より続き)
向かいに宗像神社。
神橋が見える。
亀の置物がありますね。
フユザクラだろうか。
紅葉にはちょっと早いようだ。
奉納された酒樽の数々。
埼玉県のお酒もまだまだ飲んだことがないのがあるなあ・・・
お隣は額殿。
お、秩父の兎田ワイナリーの樽が奉納されていますね。
神楽殿。
夫婦楠、大きい。
神橋のむこうに楼門。
橋からは宗像神社が見える。
立派な楼門。
舞殿。
拝殿。
御嶽神社などの境内社を見てから、大宮公園へ。
せっかくなので行ってみようと。
大宮公園は明治18年、氷川公園の名称で誕生した県営公園の中では最も長い歴史を持つ公園。その後、日本の公園の父、林学博士の本多静六により整備され、漱石や子規なども訪れたという。
日本庭園がある。
ちょうどツワブキが満開。
鴨さんたちが歩いている。
ミニ滝もあり。
少し紅葉も。
(4へ続く)
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(1より続き)
加茂神社に寄る。鳥居が二つ。
加茂別雷神社(上加茂神社)を勧請した神社で、渓斎英泉の浮世絵、木曽街道上尾宿に幟が描かれている。
拝殿。
本殿。
競べ馬の彫刻がほどこされている。文政9年(1826)だそう。
民家の塀がひっこんだところに元禄3年(1690)の庚申塔。
宝暦9年(1759)建立の橋供養塔を見て、すぐ先のサイゼイヤに入る。
頼んだのはミートソースボロニア風。ミニサラダとコンソメスープ付き。結構おなかいっぱいになって出発。
すぐ先が加茂宮一里塚跡(8里目)らしいが、何もない・・・
東北新幹線とニューシャトルの高架をくぐった先に東大成の庚申塔がある。
二鶏も見えますね。
めずらしく馬頭観音もあった。享和2年(1802)建立。下鴨野宮村と印刻されている。
天保3年(1832)造立の供養塔。
「此方 せいふ四り半 きさい五り半」と刻まれる。菖蒲(せいふ)、騎西(きさい)方面への道標を兼ねている。
安永6年(1777)造立の南無三界萬霊塔。
ココスの駐車場にあったのは、安政7年(1860)建立の道標。「大山 御嶽山 よの 引又(ひきまた) かわ越道」と刻まれている。
大山までは結構遠そう・・・
氷川神社の社標のところで左折。中山道は直進だが、古中山道は左折して、神社の参道を通る。この後中山道を通っても遺構は何もないようなので、途中まで古中山道を行くことにした。
氷川神社を見学。
武蔵一宮で大いなる宮居として大宮という地名の由来にもなっている。ここ大宮氷川神社は200社以上ある氷川神社の総本山。
境内社がいろいろある。
稲荷神社。
狐さんたち。
意外ときらびやかだ。
(3へ続く)
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前週に続いての中山道歩き。
だいぶ江戸に近づいてきて、目的地への行き帰りが楽になり、またこの日の距離は少なめなので、少しゆっくり家を出ることにした。
8時25分、地元駅の電車に乗ったところ、さすが、ラッシュ時だけあって混み混み。しかし、武蔵野線は余裕で座れ、京浜東北線は少し混んでいたものの、高崎線はまた余裕で座っていくことができた。
上尾駅には9時36分到着。歩き始める。
改札を出ると、前回通った時は気づかなかったのだが、アッピーがいた。ゆみの木の実がモチーフの福島県本宮市のまゆみちゃんと二人の子どもあゆみちゃんも。そういうキャラ設定があったんですねぇ。
まずは氷川鍬神社に寄る。神社の前あたりが林本陣があったところのようだ。
氷川鍬神社は上尾宿の総鎮守。
桶川宿の方から童子らが櫃を台車に載せて上尾宿に引いてきて歌い踊り、江戸まで送ったが、上尾宿に戻され、本陣前で台車は動かなくなった。正月、櫃を空けると、中に御幣束と違う形に結びつけてある藁筒(稲穂十余茎が入っていた)と小鍬二挺が入っていたので、社を建立して小鍬二挺を祀り、稲穂を供えたのがはじまりとのことだ。
絵馬にこの様子が描かれている。
社殿の中をのぞいてみたが・・・(前回買ったお酒、文楽が見える)
鍬は見当たらず・・・
大きな願い石。
聖徳太子像碑。
浅間大神。富士塚に登ってみました・・・
上尾郷二賢堂跡碑。
天明8年(1788)、雲室上人がここに開いた郷学ともいえる 「聚正義塾」 の学舎の名称で、中国の南宋の大儒朱文公(朱子)と、わが国の学問の神様ともいわれる菅原道真の二人の賢人を祀る意味から、二賢堂と名付けたとのこと。
井上脇本陣跡には、家紋(井と上)がついた屋根瓦が飾られている。
その先の伊勢屋さんで鍾馗羊羹を買いたいなと思っていたのだが、残念、この日は定休日。そういえば、結局、宿内で屋根にのった鍾馗様を見ることができなかった。
このあたりが一里塚址とのことだったが、特に何もなし。
愛宕神社。
参道脇に享保7年(1722)の青面金剛庚申塔。この日もこのあとたくさんの庚申塔を見ることとなる。
その先で、上尾宿を出てひたすら歩く。
道標を兼ねた庚申塔があった。
ちょうど工事中でじっくり見られなかったのだが、「是より秋葉へ壱里十二町 ひご方へ壱里八丁 川越へ三里」 と刻まれているそうだ。寛政12年(1800)建立。
不動堂の中の陽刻された石造不動尊。
ここでさいたま市に入る。
河村屋さんで玉ねぎの漬物と金山寺味噌きゅうり漬を購入。玉ねぎの漬物は食べたことがないけれど、どんなだろう?
江戸時代後期の創業で元はお酒や醤油を扱うお店だったそうだ。
さいたま市のマンホール。
市の木ケヤキ、市の花サクラソウ、市の花木サクラのデザイン。
南方神社。鳥居が赤くて目立つ。
南方神社は、旧吉野村の鎮守で諏訪社とも呼ばれていたが、明治40年頃、近隣にあった雷電社、八雲社、稲荷社を合祀、諏訪神社の主祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)から取って南方神社となった。
拝殿。本殿が覆われている。
三原小学校の敷地内に大きなセンダンの木があった。樹齢100年。もう実は落ちたあと?今から?
(2へ続く)
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(6より続き)
武村旅館は嘉永5年(1852)の建築。国登録有形文化財。
現在は営業していないようだ。
まもなく木戸址で宿を出る。
ほどなく上尾市に入る。
上尾市のマスコットキャラクターはアッピー。Aの文字がモチーフとなっているんですね。あげおのア、上昇のアップ、ハッピーをあわせてアッピーだそうだ。
上尾市のマンホールは市民の木アオキのデザイン。
もう一つは、市の木カシの実と葉がデザインされている。
久保西交差点のところに黒塀で囲まれた大きな御屋敷がある。
紅花の仲買で財をなした豪商須田家の御屋敷だ。
これまた違うマンホール。
現在は行われていない、中山道あげお大綱引き祭りがモチーフでネズミ、牛、虎、うさぎ、猿などの動物が綱引きをしているデザインだ。
平成の道標があるところで上尾宿に入る。
案内板の屋根の上には鍾馗様!どうやら上尾では屋根の上に鍾馗様を乗せるらしい。上尾宿では昔大火が続き、町のほとんどが焼失したが、鍾馗様が屋根の上にあった家が火事を免れたため、火伏せとして鍾馗様を飾ることがはやったのだそうだ。
上尾宿は、後北条時代に宿駅として成立していたが、整備されたのは、慶長7年(1603)の伝馬制施行以降。早朝江戸をたった人が宿泊することが多く、小さな宿だが旅籠が多かった。飯盛り女の数も多かった。本陣1、脇本陣3、旅籠41。
北西酒造に寄る。ショップがモダンでおしゃれ。ということで、おしゃれな角瓶の文楽生貯蔵酒を購入。重い笑
上町庚申塔。
延享2年(1745)の青面金剛像で、二鶏・三猿も彫られている。鶏がいるのはめずらしいですかね。
最後に遍照院に寄る。
参道の地蔵菩薩、六地蔵。
山門。
山門脇にはやっぱり?の庚申塔。
本堂。
このお寺のお墓薄幸の孝女お玉の墓がるとのことだったが見つけられず。遊女だったお玉は前田侯の参勤通行の際、小姓に見染められ江戸に行くも病にかかり上尾に戻って25歳で亡くなる。大村楼の主人が憐れみ篤く弔ったとのことである。
駅前のAGeoタウンの中にあるあげおお土産観光センターにて、伊勢屋さんのゆず最中を買い、駅へ。
4時過ぎの電車に乗り、大宮、南浦和乗り換えで地元到着5時15分過ぎ。
いつものお店で飲んで帰る。
まずはサッポロラガービール。
お通しはあん肝ポン酢とツナマカロニサラダ。
つぶ貝の刺身、煮穴子のさっぱりあえ、鮎の塩焼き、肉厚椎茸の網焼き。
日本酒は大信州。
帰宅は7時10分。
おみやげは、川幅日本一せんべい(ねぎみそ)、おき川、ゆず最中、日本酒文楽。
約44700歩。思ったよりは歩数が多かったのは、それなりに寄り道があったからですね。
次回は北浦和まで行きます。
(完)
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(5より続き)
街道に戻る。
桶川のマスコットキャラクターはオケちゃん。紅花をかぶってるんですね。
ポケットパークのところにお茶博士辻村みちよ顕彰碑があった。
緑茶の中にカテキンが含まれることを世界で初めて発見した研究者で、日本初の女性農学博士となった人。桶川市生まれ。
その先に中山道宿場館があったので寄ってみる。
マンホールいろいろ。
オケちゃんのカラー版ももこの先あるみたい・・・
いろいろと資料をいただいて、先を進む。
本陣跡。
明治天皇桶川行在所跡碑もある。
たまに公開されるようだ。建坪207坪のうち、上段の間、次の間、湯殿が現在保存されているそう。埼玉県内で唯一残る遺構とのこと。
矢部家住宅。明治期の建物。穀物問屋を営んでいたお宅。
向かいに小林家住宅。江戸末期に建てられた元旅籠で、今はギャラリー兼カフェになっている。国登録有形文化財。
島村老茶舗。嘉永7年(1854)創業。建物は大正期のもの。
おもむきのある建物が残されていていいですね。
向かいにあるおき川で、その名もおき川というお菓子を購入。
桶川という地名は、沖側(広々とした田畑の側)とか起き川(川の水源)などからきたという説があるとのことだ。
あ、ありました。オケちゃんのマンホール。
オケちゃんが桶川宿を散策している様子を描いていて、 背景には桶川宿の街並みと市民の木イチョウが描かれる。
浄念寺に寄る。
朱塗りの仁王門は元禄14年(1701)に建てられた桶川最古の建物。
ここの仁王様は小さめ。
石仏石塔物。
板石塔婆。
本堂。
このお寺の猫さん。蝶を追いかけるのに夢中。
(7へ続く)
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(4より続き)
本宿交差点に北本宿碑がある。
鴻巣に移転するまでは宿場だったところ。以降は本宿と呼ばれ立場となった。
北本駅も元は北本宿駅だったらしい。
ちょうど昼時。
ということで、アンジェラプレイスカフェにて昼食。
前菜・ドリンクセット。
前菜はサラダや鴨のスモークなど。ドリンクはジンジャーエール。
ハーブチキンとルッコラのピザと厚切りナスをベーコンのトマトソーススパゲッティをシェア。
結構ボリューミーでおなかがいっぱいに・・・(その後ちょっと歩みがのろくなりました・・・)
北本市のマスコットキャラクターはとまちゃん。でもなかなか見られなくて、ようやく消火栓にデザインされているのを見つけた。
と思ったら、すぐに桶川市に入った。
木戸址の石柱。桶川宿に入る。
桶川宿もまた江戸からの旅人が最初に宿泊することが多いところで、紅花の産地として栄えた。戦災も免れたため、建築物も残っていて宿場の面影を残している。本陣1、脇本陣2、旅籠36。
桶川市のマンホールはべに花。
桶川の紅花栽培は天明・寛政年間に江戸商人がその種子をもたらしたことから始まり、「桶川臙脂(えんじ)」の名で全国に知られ、紅花宿とよばれるほどに栄えて、大きな富と文化をもたらしたとのこと。
この後にたまたま出会ったボランティアガイドの方に、桶川の方が暖かく、山形の紅花より一足早く収穫することができたため、紅花栽培が発展したとお聞きした。
桶川一里塚跡(10里目)を通り過ぎ、大雲寺に寄る。
ここには女郎買い地蔵がある。正徳3年(1713)造立。
飯盛り女の元に通う若い僧を和尚が地蔵にかえ、鎹をうち鎖でしばったとか・・・
確かに鎹が残ってますね。
六地蔵石幢。
たくさんの石仏。
本堂。
このお寺でボランティアガイドさんに出会い、いろいろ説明していただいて、元々パスしようと思っていた稲荷神社に日本一の力石があると聞いて行ってみた。
そんなに見た目大きそうではないし
重そうでもないのだけれど、なんと610キロもあるんですって!
江戸の力士三ノ宮卯之助が持ち上げたそうなのだけど、なるほど、足の上にのっけて持ち上げたのか・・・
欅稲荷大明神なるものもあった。
(6へ続く)
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(3より続き)
さて出発。
このあたりは人形町で、人形店がいくつか。
かつては58軒あった人形店も今は6軒。
こちらの太刀屋さんは天保5年(1834)創業とのことだ。
八幡神社の奥に富士塚があると聞いて行ってみたのだが・・・
えーと、これかな???たった6段の富士塚??
北本市に入った。
北本市のマンホールは市の木、桜。
北本市には国の天然記念物に指定され、源範頼の伝説にも名高い樹齢約800年の「石戸蒲ザクラ」、桜並木が見事な「城ヶ谷堤」や全国から30種約200本の桜を集めた「高尾さくら公園」などがあるとのこと。
一里塚を見るため、しばらく古中山道を歩くことにする。
第二中山道踏切を渡る。
ブロック塀に囲まれた馬頭観音。ちゃんとお馬さんが描かれていますね。
原馬室一里塚。11里目。
現在は西側の塚のみ残っている。東塚は明治16年、高崎線敷設の際取り壊された。
東間踏切を渡って、少し元に戻り、東間浅間神社へ。
江戸時代中期に築かれた富士塚(6メートル)の上に、社殿がある。
賽銭箱に富士山が描かれていますね。
かつては富士山が見えたようだが、今見えるのはマンション・・・
境内の庚申塔。
天神社の隣に多聞寺がある。
境内に大きなムクロジがあった。これが天然記念物!と思ったら・・・
それはこちらの木の方だった。樹高17メートル、樹齢約200年。
途中で折れてしまってるのかな?
実がなっているのを見たのははじめてかも?
中の黒い種は、羽根つきの玉ですね。
サルスベリの紅葉。
本堂。
文化12年(1815)の青面金剛庚申塔。
このお地蔵様はいいお洋服を着せてもらっている。
(5へ続く)
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ホントに歩く中山道第16集(2より続き)
本陣跡の標石などは見逃してしまい、勝願寺へ。
文永年間創建で、天正元年(1573)に現在の地に再興された。浄土宗関東18壇林の一つで、徳川家の庇護をうけて三つ葉葵の使用を許された。
この総門は、何度かの火災を免れ、江戸時代から残る唯一の建造物である。
丹後国田辺城主牧野家累代の墓。
仁王門。
仁王様は大きい。
本堂。
人形塚。もうすぐ人形供養があるらしい。
右から、小松姫の墓、真田信重の墓、信重の室の墓、仙石秀久(賤ヶ岳7本槍の一人)の墓。
小松姫ってこの地で亡くなっていたんですね。
たくさんの石仏石塔群。
やはり庚申塔多めである。
三面に猿がいるものはめずらしいかも?
本町南交差点で宿を出る。
おおとりというおせんべいのお店で川幅せんべいを購入。
川幅日本一(2537メートル)の荒川にちなんでのおせんべい。
そして、斜め向かい、ひなの里に寄る。
観光協会が運営する観光案内所で、老舗人形展吉見屋の雛蔵を市が買い取って使っている。
中にはひな人形の数々。
芥子雛。豪華なひな祭りを禁じで人形の大きさを制限した江戸幕府への反発から小さくても贅を尽くした人形を作った。
明治~昭和のひな人形。
御殿飾りのいいなあ。
天正年間(1573~92)に京伏見の人形師がこの地に住みつき土人形を作ったことが始りと言われる。雛人形作りが盛んになったのは江戸中期で、着付けは関東一といわれ、鴻巣の雛市は日本橋、岩槻と並んで関東三大雛市といわれたそうである。
中庭が素敵!しばし休憩。
蔵は明治31年築。
(4へ続く)
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ホントに歩く中山道第16集(1より続き)
加美の交差点あたりで、鴻巣宿に入ってきた。
中山道と日光裏街道、松山街道の追分になっており、江戸からの初日の泊まりが鴻巣だったことで宿場が発展した。元々は本宿(現北本市)に宿があったが、慶長7年(1602)、この地に移転した。本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠58軒。
鴻巣の地名は国府の洲や高洲そして鴻の宮(鴻神社)の鵠鳥(こうのとり)伝説に由来していると言われる。ということで、コウノトリのタイルがある。
そして、その鴻神社。
参道には明治天皇鴻巣町御晝(昼)食所阯碑がある。
中山道鴻巣今昔絵図がたのしい。
拝殿。
2本のイチョウは推定樹齢700年の夫婦イチョウだ。
狛犬ならぬ、狛コウノトリ。
御神卵。
鴻の宮。
昔ここに木の神といわれる大樹があって、コウノトリがここに巣を作り卵を生むと、大蛇がが現れ、卵を飲み込もうとしたがコウノトリが大蛇を突き殺した。それ以来、木の神が人々を害することがなくなったので、里人はこの木のそばに社を祀り、この社を鴻の宮と呼び、この地を鴻巣というようになった・・・との伝説がある。
拝殿内にもコウノトリと卵が。
法要寺。長禄元年(1457)建立。
本堂の屋根をズームすると・・・
加賀前田家の家紋、梅鉢がついている。
前田家が参勤交代の折、勝願寺に宿泊を断られ、ここに泊まらせてもらったお礼に使用を許されたという。
またまた庚申塔がいくつか。
左の邪鬼を踏みつけているものが寛政2年(1790)造立の青面金剛像庚申塔のようだ。
これはコウノトリの卵だろうか?
マンホールは市の花パンジーのデザイン。
コスモスのデザインのもあった。
(3へ続く)
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ホントに歩く中山道第16集5月以来の中山道歩き。
だんだん江戸に近づいてきてスタート地点まで時間がかからなくなってきてはいるのだが、ラッシュ時を避けようということで、前回と同じ電車に乗り、北鴻巣駅到着7時5分。10分すぎに歩き始める。
ほどなく前回ゴールの箕田追分に到着。
箕田源氏ゆかりの地の説明板を読む。
向かいに地蔵堂と庚申塔があった。
中のお地蔵様は大きい。いいお顔のお地蔵様だ。
中宿橋で武蔵水路を渡る。
東京オリンピックの頃の首都圏の水不足を補うため、利根川から荒川に引き入れた全長14.5kmの用水路である。
ちょっと寄り道。古墳を見にいくことに。
その手前、満願寺(源氏所縁の古刹)の前にあった寛政4年の庚申塔。この日はこのあとたくさんの庚申塔を見ることになる。
箕田二号墳。
上には氷川神社がある。
箕田には9基の古墳があって(1,3は消滅)、全部見てまわりたいところではあるが、時間の都合上カット。なんでもこの古墳群は6世紀初頭から7世紀中葉までの約150年間に築造されたものだそうだ。
氷川八幡神社。
氷川社は清和源氏の祖であり清和天皇の孫、源経基が勧請、八幡社は源任(源経基の臣下であり、嵯峨天皇の孫)が石清水八幡宮を勧請して創建、任の孫、渡辺綱により再興され、明治になって合祀された。
境内に箕田碑がある。
箕田が武蔵武士発祥の地であることが記されている。宝暦9年(1759)建立。
お隣にあるお寺は宝持寺。
渡辺綱が祖父と父のために建立したとのこと。
幟にある「渡辺綱公千年祭り」は再来年だそうだ。
十八羅漢があった。なんか楽しい。
箕田観音堂の灯籠には渡辺家の家紋、三つ星がある。
源経基が兜につけていた馬頭観音が本尊で、その流れでこの家紋があるのだろうということだ。
参道に、青面金剛庚申塔などがあった。
白山神社。
拝殿には火灯窓がある。
石尊大権現、妙義大権現、日本大小神社と彫られた常夜燈がある。
石尊権現は大山の山岳信仰と修験道的な信仰が融合した神仏習合の神、とのことで、このあたりから大山詣でにも出かける人がいたということなんですね。妙義の方が近い?
御神木がなかなか立派だ。
第3中山道踏切を渡る。
このあたりにかつて一里塚があった。
(2へ続く)
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ホントに歩く中山道第16集新潟みやげにいただいたお酒。
新潟県内限定発売のお酒とのこと。
飲んでみると、香りがよいですね。
そして、じわりと甘みがくる。
なんかしみじみ飲めるお酒。
和食にあいます。
佐野市の酒造さんのお酒。
でもこれ、買ったの那須塩原駅なんですね・・・
まあ、とちまるくんだからかな、売ってたのは?
とちまるくんは栃木県のマスコットキャラクター。なんでも栃木県庁前のトチノキで生まれたんだとか・・・
うーん、しかしちょっと出来がね・・・ごめん。
さて、飲んでみると、軽いお酒ですね。度数低めだし。
さらっとしていて、やや辛口かな。
クセのないお酒でした。
萩原朔太郎の妻、美津子の生家の酒蔵のお酒。
先月、奥州街道歩きで白河宿を訪れた際に買ってきたお酒。
白河の太陽のように明るく世の中を照らしつづけるお酒・・・ということらしい。
飲んでみると、意外と酸味を感じる。その後ろからじわりと甘みが。
といってもべたつく甘さではなくて、辛口の範疇かな。
なかなかよろしいです。
先日、別のものをセブンイレブンに探しにいって、ついつい買っちゃったビール。セブン限定ビール。
缶のデザイン、こういう色、秋っぽいっですね。
飲んでみると、はじめに感じるのは渋み。のち苦み。
国産ホップ100%というけれど、しっかりしたホップなのかな。
秋らしく、どっしり深いビールで、ゆっくり飲むのがよろしいです。
近代美術館に行ったあとの昼食。
いつも休日に行くので、パレスサイドビルはあいていないのだけど、土曜日だとお店も5つほどはあいていました。
久々に入ったのは赤坂飯店。
ワタクシが頼んだのは、豚肉と野沢菜のスープそば。
高菜じゃなくて野沢菜でもいいですね。
同居人の担々麺。
味見させてもらったけれど、ごまの味もするけれど、結構辛みも強かったです。
鶏そばとかもちょっと気になりましたね。
東京都千代田区一ツ橋1-1-1 パレスサイドビル B1F
art-27【2023-2 所蔵作品展 MOMATコレクション】東京国立近代美術館
棟方志功展を見た後は常設展示へ。
今回気に入った5点。
萬鉄五郎「もたれて立つ人」
岸田劉生「B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)」
竹内栖鳳「海幸」
東山魁夷「秋翳」
奥村土牛「閑日」
art-26 【生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ】 東京国立近代美術館
近代美術館で開催中の棟方志功展に行って参りました。
棟方志功に大きな影響を与えた三カ所、青森、東京、富山をたどる大規模な回顧展である。
プロローグ:出発地・青森
八甲田山山麓図からスタート。
ゴッホを目指した志功だが、これはかなりセザンヌ風だ。
第1章:東京の青森人
志功は油彩画家を志し、上京するが、ほどなく木版画をはじめる。
「星座の花嫁」。川上澄生風とあったが、常設展で作品を見たら、本当にそうだった。ちょっと洋風な感じで、まだまだ作風が固まっていない。
「大和し美し」の連作。その後の志功を決定づけたとも言える作品だろうか。絵と文字のコラボレーション。この作品が柳宗悦の目にとまり、民藝運動との関わりができる。
「華厳譜」がおもしろい。風神雷神、不動明王他、なんかとてもユーモラスだ。
「東北経鬼門譜」は10メートル近い屏風版画で百二十枚もの版木をつかって制作されているとのこと。なかなかダイナミックなのだが、ちょっとずれが気になる・・・
「善知鳥版画巻」は能の演目を題材としたものだが、黒が印象的だ。
しかし、なんといってもハイライトは「二菩薩釈迦十大弟子」。これは大好きな作品。いろいろな表情の弟子たち、何回見ても飽きない。
「門舞男女神人頌」は古事記に登場する神々を描く。これもよい。
「幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風」。60年ぶりの公開とか。縦型の屏風というのがおもしろい。まったく十二使徒に見えないというのもおもしろい。
「基督の柵」もうーん、これイエス?さすが志功である。
第2章:暮らし・信仰・風土ー富山・福光
「華厳松」は疎開先、福光の躅飛山光徳寺の襖絵。いやはやダイナミックすぎて、松というのがわからないくらい。
裏を見てびっくり!!幾何学的なイナズマとちょっとかわいらしい花が描かれている。このギャップ!
「女人観世音版画柵」は岡本かの子の詩に絵をつけたものだが、雰囲気によくあっていると思う。
「鐘溪頌」はこれぞ志功という感じ。くねった体と、刺青のような模様。
「運命頌」「歓喜頌」はベートーベンをテーマとしているが、すごいな。
第3章:東京/青森の国際人
これもお気に入りの「いろはに版画柵」。民藝っぽい。
「流離抄」。短歌を題材としているが、裏彩色がきれいだ。
「鍵版画柵」は谷崎潤一郎の小説『鍵』の挿絵だが、志功と谷崎は親和性がありますね。
「弁財天妃の柵」。切手、持ってた!
青森県庁に飾られていた「花矢の柵」。渋谷駅の岡本太郎的な感じだろうか。公共施設に飾るのにぴったりな気がする。
知事室に飾られていたという「鷺畷の柵」は地味だけだけれど、全体的に青森を感じるることができる絵なのだろう。
東海道棟方版画が楽しかった。現代の東海道ですね。
ゴッホになりたかった志功はゴッホの墓を訪れている。そして、ゴッホのひまわり風な花も描いているのだった。
棟方志功のデザイン
本の挿絵、表紙絵をたくさん手がけている他、お店の包み紙なども多く手がけている。
残念!十万石まんじゅうの包装紙はなかった・・・
ショップでは亀井堂本家の瓦煎餅を売っていて、結構買っている人がいましたね。
第4章:生き続けるムナカタ・イメージ
棟方志功のイメージというと、分厚い瓶底丸眼鏡をかけて、顔を版木にぎりぎりまで近づけて一心不乱に彫る姿・・・
自画像を結構描いていて、版画も味があってよいけれど、油絵の作品がとても雰囲気が出ているなと。
見応えのある展覧会でした。
是非どうぞ。
本日の映画
movie-4 「コーヒーがさめないうちに」 2018年日
DIR:塚原あゆ子
CAST:有村架純、伊藤健太郎、波留、林遣都、深水元基、松本若菜、薬師丸ひろ子、吉田羊、松重豊、石田ゆり子
STORY:喫茶店フニクリフニクラにはある席に座ってコーヒーを頼むとのぞんだ時に戻ることができるという伝説があり、それをめがけていろいろな人が訪れていた。その席にはいつも謎の女性が座っていつのだが・・・
☆☆☆ファンタジー。
タイムマシーンもののオムニバス。
過去に戻りたいという人が集う喫茶店。
その気持ちはわからないくはないですね。あのときああしてたら変わっただろうなと。
しかし、このお話では、いくら過去に戻っても現実は変わらないのである。
たいてい、タイムマシーンものというと過去が変わってしまったりするので、これは新鮮。
幼なじみとけんか別れしてしまった女性。
若年性アルツハイマーになってしまった女性とその夫。
妹を失った姉。
いろいろな話が展開する中で、アルツハイマーの女性を巡るお話が泣ける・・・松重豊と薬師丸ひろ子がうまいしね。
それと主人公の物語もとっても切ない。
いつも席に座っているなぞの女性が絡むのだけれど、なるほどそういうことだったのかと。
でも結末はちょっと???なんとなくすっきりしないなあ。
スプリングバレーの新しいのが出たので買ってみた。
缶の色がきれいだな。
注いでみると、やや薄めの色。
飲んでみると、 <香>とあるだけにホップの香りがいいですね~
そしてしっかり苦みがあって、なかなかよいです。
じっくり飲むべきビール。
クラフトビールって銘打ってるのはちょっと違う気もするけども・・・
(4より続き)
田んぼが続く。まだ刈り取られていない田が多いが、もう少しかな?
この日は24度を超えて結構暑く、コンビニでアイス休憩。しかも途中から半袖だった。
津島市のマンホールがあった。
津島市の花フジと、尾張津島天王祭のまきわら舟がデザインされている。
日光川を日光橋で渡る。
日光川は濃尾平野の北部に源を発し伊勢湾んい注ぐ。
かつては石炭、木材などを積んだ船で賑わったという。
しばらく歩いて旧道へ。
大地主神社。
ここには明治天皇御小休記念碑がある。
すぐ先に、明和二年(1765)再建の埋田の追分道標がある。
「左さやみち」「右つしま天王みち」「東あつた なごや道」と刻まれている。
かつてこの先に津島神社一ノ鳥居があったが、伊勢湾台風で根石のみとなってしまった。常夜燈の後ろに見えるのが根石ですね。
旧道が残っていない箇所もあったりするが、道は何度も折れたり、曲がったりと進んでいく。
日置(へき)八幡宮に寄ってみた。
養和元年(1181)源頼朝の勧請によるもので、日本最古の獅子頭が収められているとのこと。
ここにも蕃塀があり、狛犬が彫刻されている。
拝殿。
5時近づいてきてもうすぐ日の入り。
山並みも近づいてきた。むむ、どうも日の入りまでにはゴールできなさそうだ・・・
名鉄尾西線の踏切を渡る。
ちょうど両方から電車がすれ違うところだった。
旧道を通り、県道合流の手前に佐屋海道址碑。
往時の栄華を後世に語り継ぐため、昭和54年建てられたものとのことだ。
須依交差点を右に曲がりいよいよ佐屋宿に入ってきた。
佐屋宿は三里の渡しを控えて大いに賑わい、佐屋街道四宿中最大の規模だった。本陣二、脇本陣二、問屋二、旅籠三十一軒。
旧家がいくつかあったが、すでに日が暮れて暗く、本陣跡や脇本陣跡はどこだか残念ながらわからずじまい・・・
さや舟場道道標。佐屋湊への道を示すもの。
「左り さや舟場道」
向かいに佐屋代官所址碑。
承応二年(1653)船番所が置かれ、三里の渡しの取締りと運営を行っていたが、その後佐屋奉行が置かれ、船番所はその支配下に置かれた。享保十一年(1726)佐屋奉行は廃止され、天明元年(1781)佐屋代官所が設置されたとのことだ。
そして、公園内の「東海道佐屋路佐屋 三里之渡趾」。
かつてここから川舟で桑名へと渡っていたが、次第に土砂が堆積して廃川となった。
5時20分、佐屋街道ゴール!!
なんとか一日で歩ききりました。
ここから佐屋駅に向かう。駅到着5時32分。
ちょうど、35分の電車があって、須ヶ口で乗り換え、名鉄名古屋駅到着6時15分。
新幹線の時間まで1時間以上あるので、コンコースのきしめんやさんできしめんを食べる。きしめん、久々だ。
GRAND KIOSKでおみやげを買い、改札内KIOSKでビールをおつまみを買って、7時29分発ののぞみに乗り込む。
ビールタイム!
東京駅到着9時6分で、中央線が遅れてはいたが、帰宅は10時過ぎだった。
おみやげは不朽園の不朽最中、金鯱カップ酒、手羽煮。
約57000歩。今まで一番歩きました。
足の裏に水ぶくれが・・・
次回は中山道の続きを歩こうと思います。
(完)
マップはこちらを使用しました
(3より続き)
右折して変則十字路で街道は左に曲がるが、そこに地蔵堂。
錫杖を持った石造地蔵菩薩立像が安置されている。頭巾と前掛けがスヌーピー!
地蔵堂の右奥に自性院。
塀はなまこ壁だ。
その隣に十二所神社があるのだが、時間の都合上パス。
十字路に戻るとそこに高札場跡の標柱がある。
先を進むとまたまた地蔵堂が。このあたりもお地蔵様が多いんですね。
石造地蔵菩薩坐像。
七所社神社にてプチ休憩。このあたりに千音寺一里塚があった。
拝殿と神殿が赤い橋でつながっており・・・
さらに神殿と本殿が木の橋でつながっている。
神社の斜め向かいに一里塚の標柱があった。
大治町のマスコットキャラクターはるちゃん。
特産品である赤しそをかぶっている・・・
続いてあま市に入る。
あま市は海部郡七宝町、美和町、甚目寺町の三つ町が合併してできた市である。
七宝町といえば七宝焼!
ということで、七宝焼原産地道標があった。
「Shippoyaki Toshima 七宝焼原産地 寶村ノ内遠島 従是六町」と刻まれていて、明治28年に建てられたものだが、この当時七宝焼の買付に来た外国人向けに設置された道しるべなのだそうだ。パリ万博で出品されて好評を博し輸出されるようになった。
蟹江川を歩行者専用の弓掛橋で渡る。
このあたりは濁った川が多い・・・
渡ったところに源義経弓掛の松と根方に伝説源義経弓掛松跡標石があったようなのだが見過ごす。
義経がここから試みに強弓を放つと矢が百町も飛んだとの伝説が残る。上洛の途中この地で軍勢を休ませ、その際に弓を立掛けた松が弓掛松だという。
津島市に入った。
神守の一里塚。
佐屋街道で唯一現存する一里塚(北塚のみ)である。ムクの木。そして、ここから神守宿に入る。
神守宿は万場宿と佐屋宿間が三里十八町(約13.7km)と長いために人馬の継立に難渋し、岩塚宿、万場宿、佐屋宿の請願により正保四年(1647)に新設された。本陣一、問屋二、旅籠十二軒。
山車庫のところで右折、突き当たりに神守の宿場跡標柱があるが、このあたりが本陣跡。
憶感神社。おくかんまたはおかんと読む。
ここにも蕃塀。
境内には神社の別当寺、吉祥寺がある。
これは文政三年(1820)建立の吉祥寺六角地蔵堂で、宝暦八年(1758)造立の延命地蔵菩薩が安置されている。佐屋街道を通行する旅人が立ち寄って道中の安全を祈願した。
連子格子の旧家などを見つつ進む。
穂歳神社。ほうとう、おおとし、ほうとしと読む。読みづらい神社が続くな・・・
雨乞いと豊作の守護神である大歳神を祀っている。
このあたり、山車庫が結構あるが、神守祭の山車は文化年間頃に始まったといわれ、三町の山車がそれぞれ憶感神社と穂歳神社に奉納されたのだそうだ。
(5へ続く)
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