佐屋街道歩き4
(3より続き)
右折して変則十字路で街道は左に曲がるが、そこに地蔵堂。
錫杖を持った石造地蔵菩薩立像が安置されている。頭巾と前掛けがスヌーピー!
地蔵堂の右奥に自性院。
塀はなまこ壁だ。
その隣に十二所神社があるのだが、時間の都合上パス。
十字路に戻るとそこに高札場跡の標柱がある。
先を進むとまたまた地蔵堂が。このあたりもお地蔵様が多いんですね。
石造地蔵菩薩坐像。
七所社神社にてプチ休憩。このあたりに千音寺一里塚があった。
拝殿と神殿が赤い橋でつながっており・・・
さらに神殿と本殿が木の橋でつながっている。
神社の斜め向かいに一里塚の標柱があった。
大治町のマスコットキャラクターはるちゃん。
特産品である赤しそをかぶっている・・・
続いてあま市に入る。
あま市は海部郡七宝町、美和町、甚目寺町の三つ町が合併してできた市である。
七宝町といえば七宝焼!
ということで、七宝焼原産地道標があった。
「Shippoyaki Toshima 七宝焼原産地 寶村ノ内遠島 従是六町」と刻まれていて、明治28年に建てられたものだが、この当時七宝焼の買付に来た外国人向けに設置された道しるべなのだそうだ。パリ万博で出品されて好評を博し輸出されるようになった。
蟹江川を歩行者専用の弓掛橋で渡る。
このあたりは濁った川が多い・・・
渡ったところに源義経弓掛の松と根方に伝説源義経弓掛松跡標石があったようなのだが見過ごす。
義経がここから試みに強弓を放つと矢が百町も飛んだとの伝説が残る。上洛の途中この地で軍勢を休ませ、その際に弓を立掛けた松が弓掛松だという。
津島市に入った。
神守の一里塚。
佐屋街道で唯一現存する一里塚(北塚のみ)である。ムクの木。そして、ここから神守宿に入る。
神守宿は万場宿と佐屋宿間が三里十八町(約13.7km)と長いために人馬の継立に難渋し、岩塚宿、万場宿、佐屋宿の請願により正保四年(1647)に新設された。本陣一、問屋二、旅籠十二軒。
山車庫のところで右折、突き当たりに神守の宿場跡標柱があるが、このあたりが本陣跡。
憶感神社。おくかんまたはおかんと読む。
ここにも蕃塀。
境内には神社の別当寺、吉祥寺がある。
これは文政三年(1820)建立の吉祥寺六角地蔵堂で、宝暦八年(1758)造立の延命地蔵菩薩が安置されている。佐屋街道を通行する旅人が立ち寄って道中の安全を祈願した。
連子格子の旧家などを見つつ進む。
穂歳神社。ほうとう、おおとし、ほうとしと読む。読みづらい神社が続くな・・・
雨乞いと豊作の守護神である大歳神を祀っている。
このあたり、山車庫が結構あるが、神守祭の山車は文化年間頃に始まったといわれ、三町の山車がそれぞれ憶感神社と穂歳神社に奉納されたのだそうだ。
(5へ続く)
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