中山道六十九次歩き(第33回) 上尾宿~大宮宿~北浦和1
前週に続いての中山道歩き。
だいぶ江戸に近づいてきて、目的地への行き帰りが楽になり、またこの日の距離は少なめなので、少しゆっくり家を出ることにした。
8時25分、地元駅の電車に乗ったところ、さすが、ラッシュ時だけあって混み混み。しかし、武蔵野線は余裕で座れ、京浜東北線は少し混んでいたものの、高崎線はまた余裕で座っていくことができた。
上尾駅には9時36分到着。歩き始める。
改札を出ると、前回通った時は気づかなかったのだが、アッピーがいた。ゆみの木の実がモチーフの福島県本宮市のまゆみちゃんと二人の子どもあゆみちゃんも。そういうキャラ設定があったんですねぇ。
まずは氷川鍬神社に寄る。神社の前あたりが林本陣があったところのようだ。
氷川鍬神社は上尾宿の総鎮守。
桶川宿の方から童子らが櫃を台車に載せて上尾宿に引いてきて歌い踊り、江戸まで送ったが、上尾宿に戻され、本陣前で台車は動かなくなった。正月、櫃を空けると、中に御幣束と違う形に結びつけてある藁筒(稲穂十余茎が入っていた)と小鍬二挺が入っていたので、社を建立して小鍬二挺を祀り、稲穂を供えたのがはじまりとのことだ。
絵馬にこの様子が描かれている。
社殿の中をのぞいてみたが・・・(前回買ったお酒、文楽が見える)
鍬は見当たらず・・・
大きな願い石。
聖徳太子像碑。
浅間大神。富士塚に登ってみました・・・
上尾郷二賢堂跡碑。
天明8年(1788)、雲室上人がここに開いた郷学ともいえる 「聚正義塾」 の学舎の名称で、中国の南宋の大儒朱文公(朱子)と、わが国の学問の神様ともいわれる菅原道真の二人の賢人を祀る意味から、二賢堂と名付けたとのこと。
井上脇本陣跡には、家紋(井と上)がついた屋根瓦が飾られている。
その先の伊勢屋さんで鍾馗羊羹を買いたいなと思っていたのだが、残念、この日は定休日。そういえば、結局、宿内で屋根にのった鍾馗様を見ることができなかった。
このあたりが一里塚址とのことだったが、特に何もなし。
愛宕神社。
参道脇に享保7年(1722)の青面金剛庚申塔。この日もこのあとたくさんの庚申塔を見ることとなる。
その先で、上尾宿を出てひたすら歩く。
道標を兼ねた庚申塔があった。
ちょうど工事中でじっくり見られなかったのだが、「是より秋葉へ壱里十二町 ひご方へ壱里八丁 川越へ三里」 と刻まれているそうだ。寛政12年(1800)建立。
不動堂の中の陽刻された石造不動尊。
ここでさいたま市に入る。
河村屋さんで玉ねぎの漬物と金山寺味噌きゅうり漬を購入。玉ねぎの漬物は食べたことがないけれど、どんなだろう?
江戸時代後期の創業で元はお酒や醤油を扱うお店だったそうだ。
さいたま市のマンホール。
市の木ケヤキ、市の花サクラソウ、市の花木サクラのデザイン。
南方神社。鳥居が赤くて目立つ。
南方神社は、旧吉野村の鎮守で諏訪社とも呼ばれていたが、明治40年頃、近隣にあった雷電社、八雲社、稲荷社を合祀、諏訪神社の主祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)から取って南方神社となった。
拝殿。本殿が覆われている。
三原小学校の敷地内に大きなセンダンの木があった。樹齢100年。もう実は落ちたあと?今から?
(2へ続く)
マップはこちらを使っています
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