« 佐屋街道歩き4 | トップページ | キリン スプリングバレー ジャパンエール <香> »

2023/11/02

佐屋街道歩き5

(4より続き)

1_20231102004901
田んぼが続く。まだ刈り取られていない田が多いが、もう少しかな?

2_20231102004901

この日は24度を超えて結構暑く、コンビニでアイス休憩。しかも途中から半袖だった。

3_20231102004901

津島市のマンホールがあった。
津島市の花フジと、尾張津島天王祭のまきわら舟がデザインされている。

4_20231102004901

日光川を日光橋で渡る。
日光川は濃尾平野の北部に源を発し伊勢湾んい注ぐ。
かつては石炭、木材などを積んだ船で賑わったという。

しばらく歩いて旧道へ。

5_20231102004901

大地主神社。

6_20231102004901

ここには明治天皇御小休記念碑がある。

7_20231102004901

すぐ先に、明和二年(1765)再建の埋田の追分道標がある。
「左さやみち」「右つしま天王みち」「東あつた なごや道」と刻まれている。

8_20231102004901

かつてこの先に津島神社一ノ鳥居があったが、伊勢湾台風で根石のみとなってしまった。常夜燈の後ろに見えるのが根石ですね。

旧道が残っていない箇所もあったりするが、道は何度も折れたり、曲がったりと進んでいく。

9_20231102004901

日置(へき)八幡宮に寄ってみた。
養和元年(1181)源頼朝の勧請によるもので、日本最古の獅子頭が収められているとのこと。

10_20231102004901

ここにも蕃塀があり、狛犬が彫刻されている。

11_20231102005101

拝殿。

12_20231102005101

5時近づいてきてもうすぐ日の入り。
山並みも近づいてきた。むむ、どうも日の入りまでにはゴールできなさそうだ・・・

13_20231102005101

名鉄尾西線の踏切を渡る。
ちょうど両方から電車がすれ違うところだった。

14_20231102005101

旧道を通り、県道合流の手前に佐屋海道址碑。
往時の栄華を後世に語り継ぐため、昭和54年建てられたものとのことだ。

15_20231102005201

須依交差点を右に曲がりいよいよ佐屋宿に入ってきた。
佐屋宿は三里の渡しを控えて大いに賑わい、佐屋街道四宿中最大の規模だった。本陣二、脇本陣二、問屋二、旅籠三十一軒。

旧家がいくつかあったが、すでに日が暮れて暗く、本陣跡や脇本陣跡はどこだか残念ながらわからずじまい・・・

16_20231102005401

さや舟場道道標。佐屋湊への道を示すもの。
「左り さや舟場道」

17_20231102005601
向かいに佐屋代官所址碑。
承応二年(1653)船番所が置かれ、三里の渡しの取締りと運営を行っていたが、その後佐屋奉行が置かれ、船番所はその支配下に置かれた。享保十一年(1726)佐屋奉行は廃止され、天明元年(1781)佐屋代官所が設置されたとのことだ。

18_20231102005101
そして、公園内の「東海道佐屋路佐屋 三里之渡趾」。
かつてここから川舟で桑名へと渡っていたが、次第に土砂が堆積して廃川となった。
5時20分、佐屋街道ゴール!!
なんとか一日で歩ききりました。

ここから佐屋駅に向かう。駅到着5時32分。
ちょうど、35分の電車があって、須ヶ口で乗り換え、名鉄名古屋駅到着6時15分。

19_20231102005101

新幹線の時間まで1時間以上あるので、コンコースのきしめんやさんできしめんを食べる。きしめん、久々だ。

GRAND KIOSKでおみやげを買い、改札内KIOSKでビールをおつまみを買って、7時29分発ののぞみに乗り込む。

20_20231102005101

ビールタイム!

東京駅到着9時6分で、中央線が遅れてはいたが、帰宅は10時過ぎだった。

21_20231102005701

おみやげは不朽園の不朽最中、金鯱カップ酒、手羽煮。

約57000歩。今まで一番歩きました。
足の裏に水ぶくれが・・・

次回は中山道の続きを歩こうと思います。

(完)

マップはこちらを使用しました

« 佐屋街道歩き4 | トップページ | キリン スプリングバレー ジャパンエール <香> »

街道歩き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 佐屋街道歩き4 | トップページ | キリン スプリングバレー ジャパンエール <香> »

twitter

google


  • Google

    WWW
    ブログ内

amzon