佐屋街道歩き5
(4より続き)
田んぼが続く。まだ刈り取られていない田が多いが、もう少しかな?
この日は24度を超えて結構暑く、コンビニでアイス休憩。しかも途中から半袖だった。
津島市のマンホールがあった。
津島市の花フジと、尾張津島天王祭のまきわら舟がデザインされている。
日光川を日光橋で渡る。
日光川は濃尾平野の北部に源を発し伊勢湾んい注ぐ。
かつては石炭、木材などを積んだ船で賑わったという。
しばらく歩いて旧道へ。
大地主神社。
ここには明治天皇御小休記念碑がある。
すぐ先に、明和二年(1765)再建の埋田の追分道標がある。
「左さやみち」「右つしま天王みち」「東あつた なごや道」と刻まれている。
かつてこの先に津島神社一ノ鳥居があったが、伊勢湾台風で根石のみとなってしまった。常夜燈の後ろに見えるのが根石ですね。
旧道が残っていない箇所もあったりするが、道は何度も折れたり、曲がったりと進んでいく。
日置(へき)八幡宮に寄ってみた。
養和元年(1181)源頼朝の勧請によるもので、日本最古の獅子頭が収められているとのこと。
ここにも蕃塀があり、狛犬が彫刻されている。
拝殿。
5時近づいてきてもうすぐ日の入り。
山並みも近づいてきた。むむ、どうも日の入りまでにはゴールできなさそうだ・・・
名鉄尾西線の踏切を渡る。
ちょうど両方から電車がすれ違うところだった。
旧道を通り、県道合流の手前に佐屋海道址碑。
往時の栄華を後世に語り継ぐため、昭和54年建てられたものとのことだ。
須依交差点を右に曲がりいよいよ佐屋宿に入ってきた。
佐屋宿は三里の渡しを控えて大いに賑わい、佐屋街道四宿中最大の規模だった。本陣二、脇本陣二、問屋二、旅籠三十一軒。
旧家がいくつかあったが、すでに日が暮れて暗く、本陣跡や脇本陣跡はどこだか残念ながらわからずじまい・・・
さや舟場道道標。佐屋湊への道を示すもの。
「左り さや舟場道」
向かいに佐屋代官所址碑。
承応二年(1653)船番所が置かれ、三里の渡しの取締りと運営を行っていたが、その後佐屋奉行が置かれ、船番所はその支配下に置かれた。享保十一年(1726)佐屋奉行は廃止され、天明元年(1781)佐屋代官所が設置されたとのことだ。
そして、公園内の「東海道佐屋路佐屋 三里之渡趾」。
かつてここから川舟で桑名へと渡っていたが、次第に土砂が堆積して廃川となった。
5時20分、佐屋街道ゴール!!
なんとか一日で歩ききりました。
ここから佐屋駅に向かう。駅到着5時32分。
ちょうど、35分の電車があって、須ヶ口で乗り換え、名鉄名古屋駅到着6時15分。
新幹線の時間まで1時間以上あるので、コンコースのきしめんやさんできしめんを食べる。きしめん、久々だ。
GRAND KIOSKでおみやげを買い、改札内KIOSKでビールをおつまみを買って、7時29分発ののぞみに乗り込む。
ビールタイム!
東京駅到着9時6分で、中央線が遅れてはいたが、帰宅は10時過ぎだった。
おみやげは不朽園の不朽最中、金鯱カップ酒、手羽煮。
約57000歩。今まで一番歩きました。
足の裏に水ぶくれが・・・
次回は中山道の続きを歩こうと思います。
(完)
マップはこちらを使用しました
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