中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋2
(1より続き)
神社を出てすぐのところに、日蓮聖人駒つなぎの欅なるものがあった(現在は切り株のみが残る)。
日蓮上人が佐渡に流される途中、この地でケヤキに馬をつなぎ難産の女性の安産祈祷したという。
関元屋。
材木商、よろず商いとして、近年は米穀商を営んだ。現在の建物は大正5年頃の建築だそう。
こちらの井戸は「お助け井戸」と呼ばれ、関東大震災、東京大空襲で逃げてきた人々の喉を潤したそうである。
すぐ先に、馬!
と思ったらさすがに本物じゃありませんでした笑
焼米坂を下る。
江戸時代、名物やき米・・・炒った米を中山道を通る旅人に売る茶店が数件あり、この名がついた。
国道17号を渡り、外環自動車道をくぐった先に一里塚の碑がある(5里目)。隣には弁財天が祀られている。このあたりは湿地が多く、村人たちは大変難儀をしたため、弁財天を安置して守り神とし旅人の安泰も願った。
見沼用水分流の笹目用水を栄橋(境橋)で渡って蕨市に入る。
蕨市は日本でもっとも面積が小さい市だが、日本でもっとも人口密度が高いとのこと。
蕨市のマンホール。市の花、サツキのデザイン。
国道17号の向こうに冠木門風のモニュメントが見えてきた。蕨宿である。道路は舗装されている。
蕨宿は、京都から江戸に入る場合に戸田の渡しの手前にり、川が増水すると川止めとなり、この宿に逗留せざるをえなかったため比較的大きな宿場だったそう。本陣2、脇本陣1、旅篭23。
すぐそばにふれあい広場があり、冠木門が。上木戸跡。
壁画。
半鐘櫓のモニュメント。
宿内には古い建物も多い。
中山道の浮世絵が描かれたタイルが道に埋め込まれている。
あれ?なんか一つ飛ばし?と思ったら、道の向こう側に半分あるのだった。さすがに全部は撮影できないので半分だけ。
これまで歩いてきた宿が思い出され、感慨深い。
こんなマンホールも。
市のマスコットキャラクター、わらじろうが描かれている。鳩らしい。
本陣跡。
和宮や明治天皇の休息場所となった。
現在、ここには歴史民俗資料館があるが、残念ながら開館前。
分館も開館前・・・お庭が素敵そうだたのだけど。
タイルをひたすら撮影して進む。
通ってきた浦和宿。
次は板橋宿だった・・・
ということで、向こう側に渡って蕨宿を撮る。
そして日本橋!
と見てきたところで、また冠木門風モニュメントが。ここが江戸方の木戸跡だ。
(3へ続く)
※マップは、風人社さんの「ホントに歩く中山道」を使用しました。
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