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2024/05/02

中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋4

(3より続き)

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さて、板橋宿に入ってきた。
板橋宿は上宿、板橋からを仲宿、平尾宿続く。本陣1、脇本陣3、旅籠54。飯盛旅籠でにぎわったという。

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石神井川にかかる板橋。地名の由来になった橋だが、現在はコンクリート造り。

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往時は太鼓橋だったとのこと。

仲宿に入って道は緩やかに上っていく。

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文殊院。
板橋宿本陣を勤めた飯田家の菩提寺で、ご本尊の文珠菩薩坐像は寛文年間作だそう(見ることはできない)。

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閻魔堂の閻魔様。

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子ノ権現は足腰の神様。木槌が置いてあるけれど、これでさするのかな?

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本陣跡の石柱。

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板五米店到着。大正3年に建てられた。道路側に下屋庇のある土蔵造りの町家で、煉瓦の袖卯建がある。
現在は、カフェを営んでおり、ここでお昼にすることにした。

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頼んだのは、平日限定の板五定食。
本日の主菜(銀鮭の西京焼き)、ぜんまいの煮物、味噌、お漬物、味噌汁、フルーツ豆かん、リンゴジュース。

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このうさぎはいったいなんだろう?
と思ったらラッピーというらしい。商店街のマスコットキャラクターかな?

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逆側にもいました・・・

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路地を少し入ったところに平尾脇本陣跡の石柱がある。
板橋宿の問屋、脇本陣、平尾の名主を務めたのが豊田家で、近藤勇は処刑されるまで、この家に幽閉されていた。

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観明寺。山門は加賀藩江戸下屋敷から移築されたもの。

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八重桜が満開だ。

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稲荷神社も加賀藩江戸下屋敷にあったもの。

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山門脇にある青面金剛庚申塔は、寛文元年(1661)建立。

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板橋駅東口前には近藤勇、土方歳三の墓がある。元隊士の永倉新八がこの供養塔を建てた(永倉の墓もここにあり)。

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近藤勇は、板橋で処刑後、首は京都に送られ、胴体は板橋に埋葬された。
このあたりに平尾一里塚があったようだが(2里目)、何もなかった。

(5へ続く)

※マップは、風人社さんの「ホントに歩く中山道」を使用しました。

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