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2024/05/01

中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋3

(2より続き)

少し進むと戸田市に入った。

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戸田市のマンホール。
上に市の木のモクセイ、下に市の花サクラソウ、真ん中には戸田漕艇場のレガッタの風景が描かれている。

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これは戸田の渡しの風景かな。

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タイルもある。

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菖蒲川を川岸橋で渡る。欄干にとだばしの花火(板橋区と戸田市の同時開催の花火大会)がデザインされている。

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川の風景。

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コミュニティバスの停留所があったが、この女の子は??
どうやら、tocoちゃんというらしい。戸田市コミュニティばすの戸とコをあわせた名前なのだそうだ。

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水神社にお詣りしてから、戸田橋へと向かう。

江戸時代は、防衛のため荒川に橋を架けることができず、渡し船で渡った。明治8年、戸田橋が架けられると渡しは廃止。現在の橋は4代目だ。

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橋を渡っている途中で、とうとう、東京都に入った!板橋区である。

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続いて新河岸川を志村橋で渡る。

しばらく国道17号を歩いてきたが、旧道に入って緑道でプチ休憩。
朝食は5時過ぎだったし、歩きはじめて4時間以上たっておなかもちょっと減ってきたので、コンビニでたけのこの里を買って食べる。

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国道を渡った先はまた旧道で、清水坂にさしかかる。
日本橋から出発して、最初の難所だったそうだがそんなに大変ではない。
坂の途中には間の宿があり、名主屋敷や立場茶屋があり、戸田の渡しが増水で利用できない時の待機場所ともなった。

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再び国道に合流した先に、志村の一里塚がある(3里目)。

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両塚残っている。
都内で両塚残るのは、ここと西ヶ原(日光御成道)だけだそう。

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南蔵院。
八代将軍吉宗が荒川で鷹狩をした際に、御善所になったところ。

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菊桃がちょうど満開だ。

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お地蔵様。

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こちらは承応2年(1653)建立の庚申地蔵。

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本堂。まだ、しだれ桜が少し残っている。

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縁切り榎。
男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う際に、この榎の樹皮を削ぎ取り煎じ、ひそかに飲ませるとその願いが成就するとされ、庶民の信仰を集めた。自販機で絵馬?を売っていて、書き込んでいる人たちがいたけれど、何の縁切りをしたいのだろう・・・

(4へ続く)

※マップは、風人社さんの「ホントに歩く中山道」を使用しました。

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