中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋3
(2より続き)
少し進むと戸田市に入った。
戸田市のマンホール。
上に市の木のモクセイ、下に市の花サクラソウ、真ん中には戸田漕艇場のレガッタの風景が描かれている。
これは戸田の渡しの風景かな。
タイルもある。
菖蒲川を川岸橋で渡る。欄干にとだばしの花火(板橋区と戸田市の同時開催の花火大会)がデザインされている。
川の風景。
コミュニティバスの停留所があったが、この女の子は??
どうやら、tocoちゃんというらしい。戸田市コミュニティばすの戸とコをあわせた名前なのだそうだ。
水神社にお詣りしてから、戸田橋へと向かう。
江戸時代は、防衛のため荒川に橋を架けることができず、渡し船で渡った。明治8年、戸田橋が架けられると渡しは廃止。現在の橋は4代目だ。
橋を渡っている途中で、とうとう、東京都に入った!板橋区である。
続いて新河岸川を志村橋で渡る。
しばらく国道17号を歩いてきたが、旧道に入って緑道でプチ休憩。
朝食は5時過ぎだったし、歩きはじめて4時間以上たっておなかもちょっと減ってきたので、コンビニでたけのこの里を買って食べる。
国道を渡った先はまた旧道で、清水坂にさしかかる。
日本橋から出発して、最初の難所だったそうだがそんなに大変ではない。
坂の途中には間の宿があり、名主屋敷や立場茶屋があり、戸田の渡しが増水で利用できない時の待機場所ともなった。
再び国道に合流した先に、志村の一里塚がある(3里目)。
両塚残っている。
都内で両塚残るのは、ここと西ヶ原(日光御成道)だけだそう。
南蔵院。
八代将軍吉宗が荒川で鷹狩をした際に、御善所になったところ。
菊桃がちょうど満開だ。
お地蔵様。
こちらは承応2年(1653)建立の庚申地蔵。
本堂。まだ、しだれ桜が少し残っている。
縁切り榎。
男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う際に、この榎の樹皮を削ぎ取り煎じ、ひそかに飲ませるとその願いが成就するとされ、庶民の信仰を集めた。自販機で絵馬?を売っていて、書き込んでいる人たちがいたけれど、何の縁切りをしたいのだろう・・・
(4へ続く)
※マップは、風人社さんの「ホントに歩く中山道」を使用しました。
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