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2025/06/16

鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡2

(1より続き)

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庚申塔などを見て寿福寺へ。
寿福寺は源頼朝が没した翌年、北条政子が建立した寺院で鎌倉幕府三代将軍の源実朝も再三参詣していた鎌倉五山第三位の寺である。

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総門。

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中門までの参道が美しい。

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秋なんかもいいかもしれないですね。

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中門。

ぐるっと回ってお墓へ。

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高浜虚子のお墓。

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北条政子の墓。

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源実朝の墓。

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街道に戻り、少し進んだところにあるのが英勝寺。太田道灌の屋敷跡で、子孫で家康に仕えたお梶の方(英勝院)が建立。この日はお休みだった。

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さらに進んだ崖下にあるのが阿仏尼のお墓。
十六夜日記の著者として有名だが、所領を巡る争いで京都から鎌倉にやってきた阿仏尼は鎌倉でなくなっている。

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隠里稲荷。
頼朝が伊豆で病の床についたとき、三晩続けて白髭の老人の夢を見、言うとおりに薬を飲んだところ病が治った、その老人が隠里稲荷の化身だったという。

横須賀線のガードをくぐりちょいと寄り道。

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岩船地蔵堂である。
頼朝の娘大姫は木曽義仲の子義高と婚約したが、義高は頼朝に討たれ、悲しみのうちに亡くなったという。大姫を供養するためのお堂とのことだ。

化粧坂へと向かう。

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景清土牢跡。
平家の家人である平景清が鎌倉に潜入、頼朝の暗殺を企てたが捕えられ、この土牢に押し込められ絶命したのだという。

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坂に向かう道は今、あじさいが満開だ。

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いよいよ化粧坂(けわいざか)切通。
平家の武将の首を化粧して首実検したからとか、この辺りに遊女屋があった、けわしい坂が転じたなど名前の由来には諸説ある。
前日に雨が降ったため濡れているので、滑らないよう慎重に登る。

登り切った先は源氏山公園。
後三年の役で八幡太郎義家が出陣するときに、この山上に源氏の白旗を立てて戦勝を祈願したところから「源氏山」とか「旗立山」といわれるようになったという。

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源頼朝像のまわりでは小学生の遠足なのか皆お弁当を食べていた。

(3へ続く)

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