街道歩き

2025/03/10

青梅街道歩き(第7回)東青梅~青梅宿~石神前6

(5より続き)

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続いて明白院へ。
松が立派だ。

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山門は木造茅葺の四脚門。

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ここのしだれ梅はほぼ満開だ。

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俵を担いだタヌキがたくさんあるとのことだったが、一つしか見つからず・・・

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本堂。

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福禄寿の御堂。ここも青梅七福神の一つだが、見られず・・・

再び旧道に戻り先に進む。

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日向和田駅に到着した時点でまだ時間は早かったので、もう一駅先まで行くことにする。

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へそまん総本舗でへそまんを購入。

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サービスで暖かいおまんじゅうをいただき食べる。おいしい!

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へそのを観音。

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この看板いいですね。

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残念ながら閉店してしまった奥多摩釜めし愉宇の斜め前にあるのが、馬頭観音や庚申塔。
真ん中の石柱は文政6年(1823)のもの、左隣の馬頭観音は嘉永5年(1852)のもの。

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その先に、軍馬北望之碑。
昭和初期にこの地で滑落して亡くなった軍馬、北望を供養するための碑だ。

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最後に石神社に寄る。

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幹回り640㎝の大イチョウ。

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太いですねぇ。

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御神水。水は冷たかった。

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石神前駅が近づいてきた。
山も近づいてきている。

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駅はかわいらしいサイズ。
でも、結構乗る人はいた。

乗り込むと、山帰りの人が多い。
青梅で電車を乗り換える。またまたグリーン車でゆったり。これでグリーン車に乗るのも最後だな・・

6時前帰宅。
20996歩。

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おみやげのへそまんじゅうと澤乃井・東京アドベンチャーラインカップ。

この先、今までより電車の便が悪くなりますが、ゆっくりすすみたいと思います。

(完)

2025/03/09

青梅街道歩き(第7回)東青梅~青梅宿~石神前5

(4より続き)

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金剛寺に行ってみる。

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表門は17世紀前半頃の建立。天保12年(1831)の火災で堂宇の大半が焼失してしまったが唯一残ったのがこの門だった。

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青梅。
平将門が梅の一枝をさしたところ、大きく育ち梅が実ったが、秋になっても青かったことから青梅と言われ、これが青梅の地名の由来となったと(諸説あるらしいけれど)。

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梅の根元に福寿草。今年初めて見たな。

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街道に戻り、道がカーブするところに熊野神社がある。

家康が関東に入国して間もなく、八王子に設けた代官所の出張所として大久保長安が築いたとされる陣屋跡。延享元年(1744)に廃止された。

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左右の木は陣屋が置かれた際に植えられたシラカシ。

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しばらく歩くと七兵衛公園がある。

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入口に石仏などいろいろ。
左から庚申塔(宝永元年(1704)、馬頭観音(文久3年(1863))、庚申塔(文化2年(1805))、地蔵2体。

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裏宿七兵衛供養塔。

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この公園で、住吉神社鳥居前にある和菓子屋さんで買ったどら焼きを食べて休憩。

公園の先で道は少し下り、旧道へと入る。新明橋通りである。

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新明橋を渡ると今度は道は上り坂となる。

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国道にいったん出て和田乃神社に寄る。

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当初和田明神と言っていたが、明治になりこの名となった。

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境内には昭和天皇お手植えの枝垂糸杉がある。大正2年、宮ノ平の石灰石採掘場を見学された際に寄られたそうだ。

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拝殿。

(6へ続く)

2025/03/08

青梅街道歩き(第7回)東青梅~青梅宿~石神前4

(3より続き)

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街道に戻る。前は古い映画看板があったけれど、最近はそれが猫看板になっている。電話ボックスも古い感じだ。

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これいいな。ニャディ・フォスター笑

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ニャーン笑 カムバック、ニャーン!

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風と共に去りぬに・・・

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タマ!!

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駅隣のまちの駅青梅でカップ酒を購入後、ちょっと寄り道、常保寺へ。室町時代の創建。
石灯籠は増上寺から譲り受けたもの。

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白瀧不動尊。

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ご本尊は倶利伽羅竜王。不動明王の化身黒龍が剣に巻き付き、剣を飲み込もうとしている様子を表しているそうだ。

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招き猫地蔵。裏宿街のお堂の境内にあったものを廃寺に伴い引き取ったもの、とのことだ。

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戻って先に進むと古い建物が見えてきた。柳屋米店で、江戸時代から続くお店。建物は明治初期のものだそう。

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旧稲葉家住宅に寄る。
江戸時代後期の土蔵造り2階建ての店舗建住宅で都の有形民俗文化財。青梅でも有数の豪商で町年寄りも務めた家だった。

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御嶽神社御神木杉。

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ちょうどお雛様の展示もあった。

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土蔵が大きい。明治19年頃の建築とのこと。

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おかざき商店の横に馬車鉄道駅跡碑があった。
道路の反対側に中武馬車鉄道の始発駅があったのだそう。

(5へ続く)

2025/03/07

青梅街道歩き(第7回)東青梅~青梅宿~石神前3

(2より続き)

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お寺の斜め前に津雲邸があった。
昭和初期に衆議院議員津雲國利氏の自宅として建てられた数寄屋風木造2階建入母屋造りの建物。平日は公開されていない。

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青梅は猫の街。いろいろなところに猫がいる・・・

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街道に戻ると通りの向こうに鳥居があるが、これが住吉神社。旧青梅村の総鎮守である。ちはやふるのロケ地にもなったんだとか。

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階段は長い。

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ここにも猫が!大黒猫。

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恵比須猫。

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上から見た青梅の街。

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拝殿。文政7年(1824)から天保6年(1835)頃建立されたもの。

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本殿は正徳6年(1716)の建立。

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小林天淵の筆塚なるものがあった。青梅出身の画家・書家だそう。

脇から下って行くと、石猫がたくさん!

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青梅宿アートフェスティバルの企画だそうで、さまざまな猫が。

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こちらから降りてきてよかった。楽しいものが見られました・・・

(4へ続く)

2025/03/06

青梅街道歩き(第7回)東青梅~青梅宿~石神前2

(1より続き)

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脇の階段をかなり登っていくと西分神社があるが、パス。
このあたりの地名が西分なんですね。

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街道に戻り、住江町交差点を左折、宗建寺に寄る。

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本堂の前にカエルがいた。
むかえる(六蛙)だそう。
若返る、栄える、甦る、福に変える、無事変える、良く考えるなんだとか・・・

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背中に5匹のってますね。

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本堂。

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中には毘沙門天が。青梅七福神の一つのようだ。

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三重塔。

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水子地蔵。

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弁財天堂の前にあるのはちょっと変わった庚申塔だ。
石台に三猿(烏帽子をかぶったりちゃんちゃんこを着ていたりいるらしい!)がいたみたいなのだが、撮り損ねてしまった・・・残念。

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弁財天。

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墓地に、裏宿七兵衛のお墓があった。
七兵衛は昼は百姓、夜は盗賊として金持ちから金品を奪い貧しい人々に分け与えた義賊で(大菩薩峠にも登場するらしい)、元文4年(1739)にさらし首となり、首が沢を流れて、このお寺近くに流れ着いたのを哀れに思った住職が手厚く葬ったとのことである。

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江戸時代後期に青梅で生まれた国学者・詩人の根岸典則のお墓もあった。

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古いお地蔵様など。

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裏から出て街道に戻る途中に石橋供養塔がある。
ここを流れていた水路に石橋が架けられたのが安政2年(1855)で、そのとき建てられた供養塔だそうだ。

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その先に延命寺。

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如意輪観音、お地蔵様など。

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木組み工法でくみ上げられた五重塔は、昭和のはじめに、愛息の死を悼んで作られたものだそうだ。

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ここの梅も満開。

青梅七福神の一つ、大黒天があるのだが、残念ながら見られず・・・

(3へ続く)

青梅街道歩き(第7回)東青梅~青梅宿~石神前3

(2より続き)

2025/03/05

青梅街道歩き(第7回)東青梅~青梅宿~石神前1

青梅街道歩き(第7回)東青梅~青梅宿~石神前1

前週に続いての青梅街道歩き。
青梅まではあとちょっとだったのだが、前週は東青梅で終了。せっかくなので、奥多摩までは歩いてみようということになった。

東青梅駅を12時40分すぎ出発。
街道に出てほどなく青梅線の踏切を渡る。
ここで青梅宿に入る。

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ぶらり青梅宿という看板が下がっている。

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少し進むんで右折すると踏切の向こうにお寺の山門が見える。

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勝沼山乗願寺である。三界萬霊塔に立つお地蔵様がいらっしゃる。
正安2年(1300)開山。天正18年(1596)に前田利家らの軍勢により師岡城とともに焼き討ちにあって焼失し、。慶長年間(1596~1615)に再建された。

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左側には庚申塔とお地蔵様。

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ちょうど青梅線がやってきた。

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本堂。

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続いて勝沼神社。乗願寺と同様、正安3年(1301)勝沼城主三田下総守長綱が創建。

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拝殿。

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拝殿脇のたくさんの鳥居。

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その先には太田稲荷社がある。

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右から、靖国社、熊野御嶽神社、勝沼天満宮。

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脇の鳥居。本殿がちらりと見えている。

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続いて宗徳寺に寄る。室町初期開山。

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本堂。

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梅が満開だ。

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紅白の梅。

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ただ、しだれ梅はまだまだだった。

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お堂の中のお地蔵様。

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お堂の前にあるのは獅子みたい?

(2へ続く)

2025/02/26

青梅街道歩き(第6回)箱根ヶ崎宿~東青梅3

(2より続き)

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街道に戻り、旧吉野家住宅に寄る。

江戸時代初期に新町村を開拓し、代々名主を務めた吉野家の旧宅。現在の住宅は江戸時代末期に建てられた物で、整形六間形(せいけいむつまがた)なんだそう。

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井戸は慶長16年(1611)に掘り始めて18年に完成した慶長の井戸。

中を見学。靴を脱いで上がることができる。

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座敷。

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式台、玄関。

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奥座敷。

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この時期、ひな人形が飾られている。

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お膳。

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納戸。

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お勝手(ピンボケ)。

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土間。

街道を歩いて行くと、井戸跡の碑がいくつか出てくる。
中井戸跡、嶋田屋敷井戸跡。

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そして鈴法寺井戸跡。

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ということで鈴法寺跡に寄る。
川越から吉野織部之介の寄進によりこの地に移転してきた、虚無僧で有名な普化宗の本寺の一つだったが、明治になり廃宗となった。

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明治28年火災によって堂宇は焼失し、現在は冷気大住持の墓が残るのみである。

この先、野上交差点から旧道に入る。

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この唯一出会った猫さん。

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またまた茶畑。狭山茶買えばよかったかなあ・・・

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山もさらに近づいてきた。

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さらに進むとY字路に南無阿弥陀仏碑があった。
「右 江戸道(青梅街道) 左 はんのふ(飯能)加王こゑミち(川越道)」と刻まれている。天明6年(1786)に建立され、諸岡の追分道標と言われる。

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青梅六万薬師堂。
天正18年(1596)、師岡城落城後に疫病がはやったことから天寧寺の和尚が法華経六万部を読誦・書写し一宇を建立したと伝えられているそうだ。

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お薬師様。

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このあと、和菓子屋さんに寄っておみやげを買い、東青梅駅へ。

グリーン車に乗って地元駅まで。
帰宅は5時すぎだった。

約21000歩。

青梅まではあと少しなのだけれど、奥多摩まで歩いてみようかなと思っています。

(完)

2025/02/25

青梅街道歩き(第6回)箱根ヶ崎宿~東青梅2

(1より続き)

少し進むと東禅寺がある。
元和16年(1616)、新町村を開いた吉野織部之介が建長寺覚海を勧請して開山したもの。
吉野織部之助は忍城城主成田氏の家臣だったが、主人の滅亡後、この地に定着し、名主となった人物だ。

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山門。

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山門脇の六地蔵と庚申塔。

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布袋様。

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小さいお地蔵様がそこかしこに。

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本堂。
常夜燈は宝暦11年(1761)のもの。

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ここのお寺にも、梅が咲いている。やはり満開ではないけれど。今年は遅いですね。

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元禄17年(1704)に掘られた井戸がある(修復されきれいに保存されている)。

大井戸公園に寄ってみる。

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ここには青梅新町の大井戸がある。

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すり鉢状に深さ7mまで堀り下げて、筒井戸を掘ったもので、江戸時代以前に道行く人馬の飲み水を供給する場所として掘られたと思われるとのことだ。

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羽村のまいまいず井戸を思い出しますね。

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公園を抜けると御嶽神社がある。
吉野織部之介が新町村開拓完成(元和2年(1616))と同時に大和国金峯山権現を勧請して創建した。

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本殿。
御祭神は、広国押武金日命、日本武命、木花咲耶姫命。

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塩竈神社。
御祭神は、塩土老翁神、神攻皇后。

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新町天神社。
御祭神は、菅原道真公。

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新町水神社。
御祭神は、水波能売神、各井戸之水神。

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ここの梅。

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やはり3~5分咲きだろうか。

(3へ続く)

2025/02/24

青梅街道歩き(第6回)箱根ヶ崎宿~東青梅1

三週間ぶりの青梅街道歩き。
箱根ヶ崎駅スタートである。

前回、電車に駆け込んだので気づいていなかったのだが、駅構内に名産品を並べたコーナーがあった。

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東京だるま。鼻がちょっと高いんですね。瑞穂町、青梅市、立川市などで生産されている。

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狭山茶。

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村山大島紬。このあたりにも大島紬があったんですね。

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駅前に馬の水飲みのオブジェがあった。
箱根ヶ崎は青梅街道と千人同心街道が交差し、人や荷物が行き交っていたが、輸送の中心を担った馬のために水飲み場が備え付けられていたことにちなんでのモニュメントらしい。

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あるきはじめてわりとすぐに茶畑があった。向こうにニトリが見えるおもしろい風景である。

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これまた茶畑。

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瑞穂松原交差点で新青梅街道の合流、少し進むと東善院がある。

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しだれ梅。

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5分咲きくらいだろうか。

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本堂。

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地蔵堂(旧本堂)。

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北向地蔵尊。

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地蔵堂の前には勝軍地蔵。軍帽をかぶって馬にまたがったおもしろいお地蔵様だ。

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こちらの梅はまだ3分咲き程度だろうか。

青梅市に入る。

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マンホールは、市の花の梅と市の鳥うぐいすのデザイン。

前回の歩きよりさらに山が近づいてきている。

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大岳。

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新町桜株交差点のところにあるのが、馬頭観音(脇に「左ハ川越道」と刻まれているらしいが読めない・・・)と

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文化14年(1817)建立の庚申塔。
これはなんとなく「右ハ江戸道」と刻まれているのが見える。

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桜株井戸跡碑もあった。
新田開拓時に多くの井戸が掘られたものの、青梅街道拡幅で埋められてしまったものが多い。

(2へ続く)

2025/02/02

青梅街道歩き(第5回)桜街道~箱根ヶ崎宿

前週に続いて青梅街道歩き。
今回は見所はあまりないので、さくさく歩きました。

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玉川上水駅から一駅歩いて桜街道まできてスタート。12時40分過ぎ。

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桜街道なので桜が多いのだが、こんな街路樹も。

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くろがねもちの実。

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だんだん山が近くなってきて、大岳山が正面に見える。
このあたりからは江戸街道との表示がある。

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榎交差点で細い道に入り、やがてイオンモールむさし村山が見てきた。頻繁に横田基地の飛行機が通る。

歩きはじめてまだ1時間もたっていないが、ここで休憩。

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お茶屋さんでおみやげを買い、サーティワンでアイスを。大好きなラムレーズン。

もうちょっとモールをぶらぶらしたかったところだが出発。

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残堀川を上砂橋で渡る。

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おお、富士山が見えた!

グリーンタウン南交差点で左折し、少し進むとこの日はじめての街道らしい?見所が。

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馬頭観音である。明治4年建立。
道標をかねていて、右側に「明治四年未年四月吉日 右青梅道」、左側に「武州多摩郡岸村 左羽村道」と書かれているとのこと。

いつの間にか、武蔵村山市から瑞穂町へと入ってきていた。

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マンホールは、オオタカが町の木松の枝にとまっていてまわりに町の花、茶の花が描かれている。

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ジョイフル本田の角に一本榎がある。手前に庚申塔。文化10年(1813)建立。江戸街道とある。
江戸街道は、青梅の成木から石灰を運ぶために整備された道だった。

新青梅街道を横切り、旧道は細い道を行く。

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千人同心道(日光街道)と合流する角にあるのが旧旅籠の関屋家。蔵がある。
江戸時代の御嶽神社参詣案内書「御嶽菅笠」に旅籠関屋として紹介されているそうだ。

千人同心街道と青梅街道が交わる箱根ヶ崎は交通の要衝として大変な賑わったの宿場で、江戸時代後半になると日光参拝や、富士講、御嶽講など観光目的の旅人でも賑わったという。
明治時代に入ると千人同心の日光勤番が廃止されたことや輸送形態が変わったことなどにより旅籠の数も減ってしまい、現在は静かな街並みである。

150メートルほど青梅街道は千人同心道を行くが、漢方の會田商店のあるところを左折して千人同心道とはわかれる。

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このお店は創業明治5年。

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しばらく行くと圓福寺がある。この日唯一のお寺。

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仁王門。
木彫りの仁王様だ。

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阿形。

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吽形。

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観音堂。残念ながら如意輪観音は見られず・・・

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本堂。

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六地蔵。

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その後ろに庚申塔があるが、道標になっているとのこと。台座に「左みたけ道」と刻まれているらしいが、読めない。

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鐘楼。

ここで終わりとして、箱根ヶ崎駅より帰る。
八高線はあまり本数がなく、ありゃ行ったばかりだとがっくりしていたら、たまたま遅れていて乗ることができた(が、富士山見るひまがなかった)。しかし遅れていたが故に、拝島では青梅線に乗り遅れ少々待つことに・・・

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それでも5時前に地元駅に到着できたので、あんみつを食べ、買い物をして6時前帰宅。

約21000歩。

だいぶ青梅に近づいてきました。

(完)

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