街道歩き

2025/06/19

鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡5

(4より続き)

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先に進むと、日吉神社が見えてきた。
平良文が延長年間(923~940に京都より日吉山王大権現を勧請し宅内守護神としたのが始まりという。

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階段の下には石仏石塔が。

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一番左の庚申塔は道標を兼ねており、「左かま具ら道 右 観世音道」と刻まれている。

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双体道祖神もあった。このあたりも多いのだろうか。

ここで左折、県道に合流する。

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最後に寄ったのが慈眼寺。
1533(天文2)年、玉縄城の三代城主であった北条左衛門大夫綱成の創建。

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不動明王。

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小僧さんたち。

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四脚門。彫刻が素晴らしい。

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平氏満のお墓。武士かと思いきや、旅籠の隠居で遊行上人に和歌集を献上した人物だそう。

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入ると寄り木があった。
モチノキ4株、タブノキ3株、スダジイ1株の3種類が根本でくっついて成長した寄り木で、樹齢は300年以上なのだそう。複雑に絡み合っている。

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大きい!

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本堂。

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内部。

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梵鐘は吊り下げられていなかった。

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少し歩いたところにバス停があって、ここで歩き終了。
藤沢駅までバスに乗り、東海道線、中央線を乗り継いで地元駅へ。

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ワインで乾杯!

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おみやげは鳩サブレーでした。

約29600歩。
鎌倉街道もなかなかおもしろそうです。

2025/06/18

鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡4

(3より続き)

街道に戻る。日野俊基の墓の脇を下って行く。
うっかりS字坂の方に行ってしまって慌てて戻る。

さらに下って行き、大慶寺へ。
弘安年間(1278~87)創建で、関東十刹に列せられる大寺院である。

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山門は茅葺きだ。

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本堂。

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ロウバイの実があった。

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すぐ先でモノレールをくぐる。
右に少し行くと州崎古戦場跡碑があるらしかったが、カット。新田義貞軍と北条軍が激しい戦を行った場所だ。

先に進んで、右手の坂道へ。登り切ると下り坂に。

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途中の双体道祖神。

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やがて泉光院の門前に出た。1639(寛永16)年創建。

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本堂。

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いぼとり地蔵がある。左右は弘法大師さま。

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馬頭観音など。

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六地蔵。

神鋼橋で柏尾川を渡ると藤沢市に入った。

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藤沢市のマンホール。藤の花のデザイン。

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クロマツのデザインのもの。

神戸製鋼の工場のフェンスに沿って歩くと、兜松の案内板が。

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後三年の役に参戦、活躍した鎌倉権五郎景正が戦勝のお礼参りの記念に岩山の松の根元に兜を埋め、のちに人々が兜松と呼ぶようになった。
事前予約すれば、中に入って見学できるらしい。

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鎌倉古道(上の道)の石柱を左手に見て直進、少し上がっていくと、古道が残っている。

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気持ちのよい道だ。
が、蚊に刺された・・・

東海道線の線路脇に出た。

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大船方面に少し歩くと地下道があり、線路の向こう側にでる。

湘南ヘルスイノベーションパークiPark(旧武田薬品工業湘南研究所)沿いに進み、右折、坂道を上がっていく。
このあたりはかつて海で、どこを彫っても貝殻が出てくるため貝殻坂と呼ばれているどうだ。

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村岡城址公園でプチ休憩。
坂東八平氏の祖、平良文(平将門の叔父)の居城だったところだ。地名をとって村岡五郎とも名乗った。

(5へ続く)

2025/06/17

鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡3

(2より続き)

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ちょっと寄り道。
銭洗弁財天宇賀福神社へ。子供の頃来て以来だ。

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トンネルをくぐっていく。

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今回は銭洗いはパス。

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七福神社。

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下之水神宮。

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上之水神宮。

元来た道を戻るが、帰りは上り坂。

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途中にタブノキ。

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スダジイ。

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海が見える。ヨットも。

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東屋でお昼を。
おにぎりと、豊島屋で買った栗まんじゅう。

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源氏山公園もあじさいがたくさん。

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日野俊基の墓。

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後醍醐天皇の倒幕計画に加担、1度目は許されたが、2度目はここで斬首された。

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葛原岡神社に寄る。
日野俊基最期の地である葛原岡に俊基卿を祭神として祀り、明治20年に創建。

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あやめがちょっとだけ咲いている。

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ハスの花は一つ。

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本殿。
右に昇運の神龍が見える。

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ここもにまたあじさいが。

(4へ続く)

2025/06/16

鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡2

(1より続き)

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庚申塔などを見て寿福寺へ。
寿福寺は源頼朝が没した翌年、北条政子が建立した寺院で鎌倉幕府三代将軍の源実朝も再三参詣していた鎌倉五山第三位の寺である。

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総門。

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中門までの参道が美しい。

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秋なんかもいいかもしれないですね。

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中門。

ぐるっと回ってお墓へ。

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高浜虚子のお墓。

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北条政子の墓。

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源実朝の墓。

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街道に戻り、少し進んだところにあるのが英勝寺。太田道灌の屋敷跡で、子孫で家康に仕えたお梶の方(英勝院)が建立。この日はお休みだった。

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さらに進んだ崖下にあるのが阿仏尼のお墓。
十六夜日記の著者として有名だが、所領を巡る争いで京都から鎌倉にやってきた阿仏尼は鎌倉でなくなっている。

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隠里稲荷。
頼朝が伊豆で病の床についたとき、三晩続けて白髭の老人の夢を見、言うとおりに薬を飲んだところ病が治った、その老人が隠里稲荷の化身だったという。

横須賀線のガードをくぐりちょいと寄り道。

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岩船地蔵堂である。
頼朝の娘大姫は木曽義仲の子義高と婚約したが、義高は頼朝に討たれ、悲しみのうちに亡くなったという。大姫を供養するためのお堂とのことだ。

化粧坂へと向かう。

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景清土牢跡。
平家の家人である平景清が鎌倉に潜入、頼朝の暗殺を企てたが捕えられ、この土牢に押し込められ絶命したのだという。

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坂に向かう道は今、あじさいが満開だ。

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いよいよ化粧坂(けわいざか)切通。
平家の武将の首を化粧して首実検したからとか、この辺りに遊女屋があった、けわしい坂が転じたなど名前の由来には諸説ある。
前日に雨が降ったため濡れているので、滑らないよう慎重に登る。

登り切った先は源氏山公園。
後三年の役で八幡太郎義家が出陣するときに、この山上に源氏の白旗を立てて戦勝を祈願したところから「源氏山」とか「旗立山」といわれるようになったという。

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源頼朝像のまわりでは小学生の遠足なのか皆お弁当を食べていた。

(3へ続く)

2025/06/15

鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡1

先日、青梅街道を歩き終えて、さて次はどこを歩くか?と考えた時に、そういえば前に40代からの街道歩き〈鎌倉街道編〉という本を買ったなあということを思いだし、鎌倉スタートで歩いてみることにした。

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中央線、南武線、横須賀線を乗り継ぎ、鎌倉駅到着は10時少し前。早速歩き始める。駅のあたりも観光客でいっぱいだ。

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鶴岡八幡宮二の鳥居近くのファミリーマートでお昼のおにぎりを購入、続いて豊島屋本店にて鳩サブレーなどを購入。子供の頃から鳩サブレーは大好きだ。
本当は紅屋でクルミッ子を買いたかったのだけど、長蛇の列だったのであっさりあきらめる。

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二の鳥居。

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参道。一段高くなった段葛。

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三の鳥居。

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源氏池。ハスで覆い尽くされている。

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反対側の平家池。こちらもハス、ハス、ハス。
向こうに見える建物は、鎌倉文華館鶴岡ミュージアム。

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石灯籠は1862(文久2)年のもの。
左側は江戸の砂糖問屋が砂糖船の航海の安全を祈願して奉納。

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右側は東京の砂糖問屋が寄進したものだそう。

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舞殿。

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後ろ側から。

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酒樽。意外と遠方のものもある。

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大石段。

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狛犬は1668(寛文8)年のもの。

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楼門(随身門)。八の字が鳩になってますね。
これから先は撮影不可。鎌倉街道歩きの無事を祈願する。

西の鳥居から出て小町通りへ。

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入口にあるのが鉄(くろがね)の井。
扇ケ谷にあった新清水寺の鉄観音像の頭部がこの井戸から掘り出されたことによりこの名がついたという。

すぐに横大路へと入っていく。

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奥に岩窟不動尊。鎌倉で一番古い不動尊で吾妻鏡にも記述があるという。

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横須賀線の線路を渡る。

(2へ続く)

2025/06/03

青梅街道歩き(第9回) 古里~奥多摩3

(2より続き)

さて出発。

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白丸ダムにやってきた。

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水がきれいですね。

国道に戻るしばらく歩道がない。ちょっと怖い。

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瀧之澤橋の上の鉄橋。
その先で旧道へ。

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白丸駅はかわいらしい。

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ちょうど電車もやってきた。

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このあたりは川合玉堂の散歩道だったという。
「前方に見える尖った山(天地山) 名に負える天地岳は人知らず 奥多摩槍といはば知らまく」という立て札があった。

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これか!確かに槍だ!

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前回の歩きもあったのだが、石垣にサボテンがあるのである。
ビャクダンらしい。

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線路を越えたところに十一面観音堂があったが、お祭りの時しか公開されないとのこと。見たかったな。

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ミヤママタタビ。葉の表面が白くなるのがおもしろい。

国道を少し進んで再び旧道へ。

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数馬の切り通し。

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しばらく国道を歩き、旧道に入ると日向の馬頭さまがある。
文化11年(1811)建立。三面六臂。

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もえぎの湯を通り過ぎ、トンネルの手前に馬頭観音。宝暦4年(1754)建立。

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ほどなくして奥多摩駅到着。

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ここにもツバメの巣が!よくこんなところに作ったなあ。

2階のお店で、おみやげを買い、帰る。
地元に戻ってワインで完歩い。

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おみやげは奥多摩のクラフトビール工房バテレのミルタス(サワーエール)とツキノワバウム。

約18800歩。

青梅街道はこの先、山梨県に続いていますが、これで完歩としたいと思います。

次からは鎌倉街道を歩きます。

(完)

2025/06/02

青梅街道歩き(第9回) 古里~奥多摩2

(1より続き)

街道に戻る。

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細い道を歩いていくとえぼ地蔵があった。いぼとり地蔵の一種らしい。いぼとり地蔵を巡る本もあるみたいですね。マニアック!

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崖道から舗装道路に出るところに馬頭観音。

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乗妙典日本廻國供養塔、祠の中の馬頭観音と6基の石柱。石柱は新しい感じ。

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道を下っていくと馬頭観音がまた。
青梅街道は馬頭観音が多いですね。

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さらに下ったところになるお地蔵様。おもしろいお顔。

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後ろにあるのが庚申塔と馬頭観音。

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線路を渡る。鳩ノ巣駅のホーム。

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駅は趣あり。

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再び旧道に入ったところのカフェで食事。KIKORI CAFE TOKYOである。

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インテリアがいいですね。

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懐かしいものが並ぶ。

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奥にはブックカフェ「おくたま文庫」も。

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頼んだのは、アボカド&クリームチーズサンドイッチとBLTサンドイッチ。おいしい!

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窓の向こうにカフェを再現した餌台があって、じょうびたきがきていた。ピンボケだけど。

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こちらはよく撮れました。


(3へ続く)

2025/06/01

青梅街道歩き(第9回) 古里~奥多摩1

先々週に続いての青梅街道歩き。
気温は低めで快適そうだけれど、雨が降らないかちょっと心配・・・と思って出かけましたが、結局降られずにすみました。

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前と同じ電車に乗り、古里駅到着は9時57分。

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ちょいぶれてるけれど、ツバメはちゃんといました。

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少し歩いて、古里郵便局の前の地蔵尊。

その後、旧道に入る。

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旧道口の馬頭観音。字だけの馬頭観音はちょっと残念な気持ちになるけれど。

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給食センター前のお地蔵様はそれなりに古いのだろうか。

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少し進んで石垣の上に(前回からずっと石垣を見ている・・・)弘化3年(1846)の聖徳太子像とその隣に常夜燈があった。
常夜燈には、「秋葉山大権現 愛宕山大権現 榛名山大権現」と刻まれている。
この3つが刻まれているということは、榛名山大権現も火除けなんでしょうかね。

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これは六地蔵石幢と言ってよいのだろうか?
四面しかないけれど、お地蔵様は6体いるし・・・

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国道に合流、しばらく歩くと旧道の入口がある。
将門神社もこちらだ。
これ、将門の家紋かと思ったら違うんですね。なぜこの家紋?

旧道はぐいぐい上がっていく。

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将門公一族の供養塔があった。

ここでちょっと寄り道。

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将門神社に行ってみる。平将門没後、その子・良門が亡き父の像を刻んで祀ったことに始まるという。

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狛犬が2種類見える?

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拝殿。

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その前の狛犬は、陶器製なんですかね。

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唐風だ。

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絵馬がなかなかよい。文字は将門を祀る「神田神社」宮司の揮毫とのこと。

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御幸姫観音があった。将門の妃か愛姫だという。

(2へ続く)

2025/05/22

青梅街道歩き(第8回) 石神前~古里4

(3より続き)

街道に戻る。

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茅葺き屋根のそば屋さん玉川屋の横を通って行く。屋根に黄色い花が見える。高水三山を登ったあとに食べたお店だ。

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その先で線路を渡ると慈恩寺がある。高水三山から下山した際にも寄ったお寺。

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庚申塔(文化11年(1814))、千部供養塔。

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六地蔵石幢。

旧道を進む。

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マス釣り場が見える。

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あいそのいい黒猫さん。

その後、旧道は国道へ合流。しばらく国道を歩くことになるのだが、歩道がないところもあり、歩きづらい。御嶽から川井までは距離がある。

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川井駅手前に大正橋がある。
川井村の名主中村庄蔵氏が私財を投じて江戸時代後期、文化11年に橋を完成、大橋もしくは川井之橋と呼ばれていた。その当時の橋の構造は猿橋に似たものであったという。

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橋の袂に文化11年(1814)の大橋供養塔と庚申塔。

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奥多摩大橋。

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ここで、休憩。澤乃井の買った酒まんじゅうをいただく。酒粕の香りがしますね。

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川井橋と八雲橋の遺構。

この先で再び旧道へ。

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お地蔵様。

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川井八雲神社。

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階段を上がっていくと、2階建ての舞台が見える。

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しかし、上がって見ると平屋。石垣に接した懸造りであることからこう見えるのだという。この舞台は門としての役割もある。

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さらに先には石崖桟敷がある。

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拝殿。

ここからゴールの古里駅まではあと少し。

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奥多摩町のマンホール。町の木スギ、町の花ミツバツツジ、町の鳥ヤマドリのデザイン。

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古里駅到着。

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つばめがいくつか巣を作っている。

まだ時間があったので、駅前のコンビニで雪見だいふくを買って食べる。

帰宅は5時前だった。

約25780歩。
あと一回で奥多摩駅到着の予定。ここを青梅街道のゴールとしたいと思います。

(完)

2025/05/21

青梅街道歩き(第8回) 石神前~古里3

(2より続き)

御嶽駅近くでちょっと寄り道。河鹿園である。
元々割烹旅館だった建物(国登録有形文化財)を利用した美術館。
ちょうど今開館時期で見ることができてうれしい。

お部屋もそれぞれ趣が異なってよいのだけど、所蔵されている書画がまた素敵なので。お部屋の雰囲気ともよくあっている。

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円山応挙。

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長沢蘆雪。

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12ヶ月のお茶碗。

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向こうに見えるのは玉堂美術館だ。

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ここは食堂がわりに使われていたのかな?

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伊藤若冲の文鳥図。

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速水御舟。

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苔玉の展示もあり。

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円窓のあるお部屋。

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酒井抱一。

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向こうに竹が見えるお部屋に竹図!いいですね。

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もっとも川に近いお部屋からの眺め。
スタンドアップパドルボードを楽しむ人もいた。

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富士山!このお部屋もいいなあ。

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大広間は俳人歌人の書画展をやっていた。

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与謝蕪村。

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酒井抱一。
また機会があったら行ってみたいですね。

(4へ続く)

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