街道歩き

2017/07/21

東海道五十三次歩き(第7回) 府中~藤枝4

(3より続き)

本陣の跡になっている公園を見て、問屋場跡、高札場跡を通り過ぎ、枡形跡を過ぎてしばらくいくと松並木が見えてくる。
なんだか松をよく見る気がする。「東海道岡部宿の松並木」という標柱があった。

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きのこみたいな形をした常夜灯を過ぎて、旧道に入る。
岩村藩領榜示杭がある。ここからは岩村藩の領である。

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横内村であるが、ここには職人がたくさんいて、この村の屋号札は当時の仕事を示したものであるという。大工のようなわかりやすいものもあるが、なんだかよくわからない職業もあるのだった。

慈眼寺にはいくつか地蔵があるようなのでちょっと見ていきたかったところだったが、お坊さんとその子供が出てきたのでパス。

横内橋を渡る。
ここには3箇所に川除地蔵がある。このあたりは水害が多かったという。

岩村藩領榜示杭を再び通り、国道1号線を歩道橋で越えるとまた旧道に入る。
すぐに出現したのが田中藩領榜示石。
3_4

再び国道1号線に出るが、すぐにまた旧道へ。
鬼島一里塚跡は、アパートの前にあり、ちょっと進んで八幡橋を渡ったところが御成街道との分岐点。
今回は時間がなかったので行かなかったが、田中城へと続く道だ。

地蔵、秋葉神社跡地と通り過ぎた先に青山八幡宮の鳥居。
ここもちょっと距離があるのでカット。
夕方に近づくにつれ、寄り道が少なくなる。

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すぐ先、須賀神社には大きな大楠があった。立派だ。

そしてしずてつストアに寄って飲み物を買う。もう3本目だ。何しろ暑いので、どんどん飲まないとやってられない・・・
ちょっと休憩してまた歩きはじめる。
このあたりは東海道が微妙に途切れてしまっていた。

国道1号線をまたまた越え、成田山(ここになぜ?)新護寺を見る。
その前に番所跡標柱があったらしいが見過ごしてしまった。藤枝宿の東木戸があった場所らしい。
いちいち入ってはいかなかったがその奥に左車神社。
嵯峨天皇の第一皇子が京から鎌倉に向かう途中、車輪が壊れ、この神社に破損した車輪が祀られているという。

藤枝静男生誕の地という碑があった。
書いたのは小川国夫。
二人とも藤枝の出身だったんですね。
藤枝静男という人は知らなかったが、眼科医兼作家で、この名はペンネームだったようだ。

眼医者といえば、小川眼科の前に白子由来碑がある。
信長が光秀に討たれた際、家康は伊賀越えをして白子(鈴鹿)から海路で岡崎城ににげようとし、白子の小川孫三に助けられ、逃れたという。
小川眼科はその子孫とのこと。このあたりの地名も白子である。

蓮生寺に寄ってみる。
市指定天然記念物であるイブキがあると書いてあったが、どこにあるかわからず・・・
この裏手にある蓮華寺池公園はいい感じの公園らしかったがパス。

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続いて寄ったのは、大慶寺。
久遠の松という、大きな松がある。ホント、この日は松だらけ!
樹齢700年、高さ25メートルもあるらしい。

今やサッカーの町である藤枝の宿はほとんど何も残っておらず、標柱などもあまりない。

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上伝馬問屋場跡は、交番横の江崎パーキングの看板があったのでわかったけれど。広重の藤枝宿の絵が描かれていた。

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正定寺にも有名な松がある。
延命の松。田中城主が植えたもの。整った美しい松だ。
このあたりが西木戸があったところらしい。

瀬戸川を勝草橋で渡った先に秋葉神社常夜灯とともに志太一里塚跡碑があり、その先に為善館跡(学校ですね)があり、さらにその先、稲川橋と青木橋を渡ったところに岡野繁蔵の碑がある。
裸一貫から南海のデパート王となった人物だそうだが、今まで知らなかった。

このあたりで東海道歩きは終了、藤枝駅へと向かう。結構距離があったが、最後の力を振り絞って?歩く。
当初は6時半すぎに到着できるかと思っていたが、途中休憩したこともあって、藤枝駅に着いたのは7時ちょっと前であった。

東海道本線で静岡に出て、駅構内でお弁当を買う。
確実に座るため、ひかりを見送り、こだまに乗り込む。
そして、お弁当タイム!

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富士山が見えなかったという反動ではないけれど、ついつい買ってしまった富士の味覚というお弁当。
茶飯(桜えびちらし)、豆腐ハンバーグ、蓮根はさみ揚げ、黒はんぺんのてんぷら、じゃこ入り卵焼き、煮物、茄子味噌炒め、ゼリーとなかなか豪華なお弁当だった。ワタクシは静岡限定数量限定の静岡麦酒もいただく。

東京駅に着いたのは9時半前。
家に到着したのは10時半近くだった。

この日の歩数は約54600歩。
今までで一番歩きましたね。

次回東海道歩きは9月下旬の予定です。

(完)

2017/07/20

東海道五十三次歩き(第7回) 府中~藤枝3

(2より続き)

続いて大正のトンネルと宇津ノ谷峠・明治のトンネルとの分岐があり、左へと行く。旧道らしい道で風情がある。
丸子宿でもそうだったが、ここ宇津ノ谷にも各家に屋号が残っていて、おもしろい。いったい何の商売なんだろうと思う屋号もある。
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ちょっと横道に入った慶龍寺には、十団子の句碑がある。
旅人を食べてしまう鬼と対決した地蔵菩薩が、小さな玉に変身した鬼を杖で砕き飲み込み、それ以降鬼の災いがなくなったことから、お団子を数珠のかたちにして十団子を作り魔除けとした、というもの。
それよりも、普通のお地蔵さんの他に、ミニミニなお地蔵さんがたくさんあったことの方がワタクシ的にはツボだった。
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秀吉から送られた羽織があるという御羽織屋は休業日だったのでとばし、石段を上がっていく。
上がって振り返ると宇津ノ谷の集落が見える。
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右に行くのが東海道だが、近いので明治時代のトンネルを見に左に曲がる。
トンネルに入ると、おおっ、ひんやり。なんと涼しいんでしょう!
昼くらいには曇るという予報だったのが、全然曇らず、予報より気温も上がってかなり暑かったので、ホッと一息である。
はるか遠くに出口も見えていたけれど、これ夜通ったら結構怖いだろうなあ。
このまま行けばショートカットにはなるけれど、きちんと東海道を行くべく、元に戻る。

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東海道宇津ノ谷峠越えの看板があるところから山道へと入っていく。
馬頭観音を見て進むと、竹林のいい感じの道だ。
展望台からは宇津ノ谷の集落が見える。

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雁山(俳人山口黒露)の墓(旅に出て音信不通となり、旅先で没したものと思われこの墓碑を建てたが生きていた・・・)を過ぎた先に峠の地蔵堂跡。石垣が残っている。地蔵自体は明治時代に慶龍寺に移されたとのこと。
そうか!あのお寺にたくさん地蔵があったのはそういうことなんですね。納得。
狩野探幽の絵にも描かれているとのことで、それ見てみたいなあ(東海道地取図巻)。

写真を撮っていると、何かが向かってくる!
蚊の大群だ。慌てて蚊除けスプレーをまいたものの、あっという間に刺されてしまった。蚊じゃない何かにも刺された・・・

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そして宇津ノ谷峠を越える(標高151メートル)。
向かって右が飯間山、左が満観峰と、プレートがかけられていた。

道を下っていく。
髭題目碑なるものがあり、髭?なんじゃそれ?と思ったら、髭のようにはねて書く書体で題目が刻まれているということなんですね。そういえば、今までも見たような・・・日蓮宗の盛んな県東部には多く見られるが、中部では非常に珍しいとのこと。

すっかり下ったところに坂下地蔵堂。
鼻取り地蔵があるとのことのことだが、ん?鼻取り?鼻が取れてる?
と思ったら、どうやらお地蔵様が牛や馬の鼻をとって農作業を手伝ったということらしい。

国道1号線をくぐった先に、岡部側の道の駅宇都ノ谷峠。
峠を越えてきてちょっと疲れたのと暑いので休憩することにする。
またまたクーリッシュ(冷やしパイン)を買い、クーラーが効いている中で食べる(飲む)。
と、坂下地蔵堂で出会った東海道歩き(同じ風人社の地図を持っていた)のご夫婦にまた遭遇する。

ゆっくり休んで復活!再び歩き開始。
岡部宿案内板が見えてくる。
いよいよ岡部の宿だ。

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十石坂観音堂に登っていくと、奥にたくさんの石碑が。
観音様なのだろうけれど、削れてあまり判別できない。

枡形跡を通り過ぎ、笠懸松を見にいくことにする。
もっと簡単に登れるかと思いきや、かなり登っていく。
松は立派だけれど、二代目らしい。
西行にまつわる悲しい物語の舞台だ。

9
やがて大旅籠柏屋(かしばやと読む)に到着。
建物の内部は有料なので、というわけではないがパスして中庭で休む。
ここでもまた東海道歩きのご夫婦に遭遇した。
ここで、このあとの計画を立てる。
元々、岡部で終了にして、バスで静岡に出ようと考えていたのだが、もしかして藤枝まで歩けるかもと思い始めていた。
まあそんなに無理しなくてもいいけれど、バス通りを結構通るので行けるところまで行こうということに・・・

(続く)

2017/07/19

東海道五十三次歩き(第7回) 府中~藤枝2

(1より続き)

やがて国道1号線に合流したのち、すぐに分岐。東海道は旧道へと入っていく。
地蔵堂の前の公民館のところに万葉歌碑。このあたりはさわたりと呼ばれていたが、丸子1丁目と町名が変わってしまったのを嘆き、建てられた碑だと言う。

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続いて見えてきたの名残の松。
今はそれほど残っていないが、昔は安倍川を渡ってすぐの手越から丸子宿入り口まで松並木が続いており、ちょうどこのあたりはおばけやおいはぎが出没するとウワサされるほど寂しい場所であったということだ。今は見通しはいいですけどね。
この松の下にはお茶を持った男の子のパネルがあるがこれはいったい??

そして丸子宿へと入る。
江戸見附を通り過ぎてすぐに水神社。
そこに流れる川は丸子川である。
神社の境内に大きな木があり、割れ目にでっかいきのこがあってびっくり!

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馬頭観音もあったが、めずらしく馬の顔(耳も!)がよくわかる。欠けてるものが多いので・・・

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問屋場跡、脇本陣跡、本陣跡、七里役所跡(紀州藩御用をつとめる機関)などが続く。
脇本陣跡のところに明治天皇小休所跡の石柱があったと思ったら、ほんのちょっと行った別の脇本陣跡にも小休所跡が・・・こんなにすぐに休み?と思ったら、上り下りで別のところで休まれたってことですね。

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すぐ先に、丁字屋。楽しみにしていたとろろ汁だ。
1596年創業というからなんと400年以上!広重の丸子の絵はまさにここだし。

昼を過ぎて混んでたらやだなあと思って、なるべく早く行こうと、多少脇道のスポットを飛ばしてきたかいあって、11時過ぎには到着。誰もいないんじゃと思って部屋に通されたところ、結構いますね~
結構暑くなってきていたので、クーラーが効いている部屋にホッとする。
どうやら広重さんの部屋というところだったらしく、大広間で80人収用可。ずらっと東海道五十三次の絵が飾られている。丸子なんてまだまだ序の口ですねぇ。これからどれだけかかることやら・・・

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注文したのはとろろ汁+麦めし、みそ汁、香物、薬味の「丸子」と、さらにむかごの揚げ団子、珍味2種(むかごの和え物、しらすのくぎ煮)、甘味もついた「本陣」。
とろろ汁は自然薯に特製味噌、削り節、卵が加えられており、麦めしにかけてザーザーと音を立てて流し込むように食べるとおいしい・・・ということだったけれど、音は立てずにいただきました(笑)
むかごの揚げ団子もとてもおいしく、みそ汁には大好きなたたみいわしが入っていたりして、大満足で、普段より多くご飯を食べてしまった。

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12時前には出発。また歩きはじめる。丸子橋を渡ってすぐのところに高札場。昔の高札を復元している。毒薬やにせ薬の売買の禁止などだが、中にはん?というものもある。

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観音堂を通り、地下道で国道1号線を渡ってちょっといった先にあるのが誓願寺。立派なお寺である。
ここには片桐且元夫妻の墓がある。且元は、大阪冬の陣のきっかけとなった国家安康の鐘事件の申し開きのため、この寺に滞在したそうだ。

再び東海道に戻り、先に進むと、丸子紅茶発祥の地という看板があり、紀樹天満宮には、日本紅茶の礎を気付いた多田元吉の碑があった。
隣の長源寺には耳地蔵なるものがあると書いてあったので、中に入ってみたかったのだが、いろいろと作業中なので入りづらく遠慮することにした。

名残の松を過ぎた先で国道1号線を歩道橋で渡ると、丸玄工芸の金ぴかの観音像が見える。目印になる。
東海道は、時々1号線に入ったりしながら進む。

元々、宇津ノ谷の道の駅で休憩しようと思っていたのだが、手前のコンビニで凍ったカルピスを買って首を冷やしたり、塩分チャージタブレットを食べたりしていたら復活したので、休まずに進む。

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昭和のトンネルと平成のトンネルを見て東海道は右に入る。

(続く)

2017/07/18

東海道五十三次歩き(第7回) 府中~藤枝1

梅雨の時期はお天気がギリギリまでわからず、行けるのかどうか最後まで決められず・・・
今回は雨も降るし暑そうだしでいったん中止としたのだけれど、雨マークが消え、曇りベースで思ったより暑くないに違いないと踏んで、前日午後3時に行くことに決定。
自分の中では、ほぼ中止と思っていたのであまり下調べをしておらず、前日夜慌てて勉強するはめに陥った。それでも勉強不足は否めず・・・

前回と同じ電車に乗り(切符は前日購入)、いつもと同じこだま(6時56分)に乗る。
安倍川餅のお店があいていたら食べようと思っていたので、パン1個で軽く朝食を済ませる。
いつもなら、新幹線の中からちょくちょく富士山が見えるのだが、この日は暑い雲に覆われ、一瞬裾野が見えただけだった。

静岡駅には8時24分に到着、8時半に歩きはじめる。
まずは前回のゴールだった江川南の交差点へと出る。
すでに暑い気配がしていてちょっとイヤな予感・・・

2
呉服町も右折し、伊勢丹のところで左折。
ちょうど伊勢丹の前に札之辻跡があった。

1
マンホールがカラフルだ。

少し中に入ると銀座跡(銀座は昔駿府にあってその後江戸に移された)や十返舎一九生家跡があるようだったがパス。
いつも、歩き始めは結構脇道にもそれていろいろと行くのだけれど、この日はある使命があったので・・・
しかし、十返舎一九って静岡の生まれだったんですね。やっぱり東海道中膝栗毛読んでみないといけないかなあ。

七間町を通り抜け右折すると急に静かな道となる。
そして津島神社を左折、この通りは新通りである。
新通りからもチラチラ見える本通りが元々の東海道であったところ、家康が府中の街を整備した際、新通りを作った。新通りからは駿府城天守閣と富士山が一直線に見えたらしいのだが、現在ではお城はないし、富士山もビルがあって見えない・・・のかこの日、雲がかかっていて見えなかったのか・・・

わさび漬の有名店田尻屋やたい焼きやさん(さすがにまだ営業時間外)を通りすぎてしばらくいくと安倍川の川会所跡(西見附は標柱がないためいつの間にかとおりすぎていた)。
大井川などとともに架橋が禁じられていた安倍川は川越人夫に川を渡してもらわなければならなかったのだが、この人夫を監督する所が川会所だった。

3
隣の弥勒緑地には、安倍川架橋の碑、明治天皇小休所跡の碑、そして由比正雪の墓跡もあった。由比で生家とされる正雪紺屋を見て、そしてお墓の跡である。

正直な川越人夫(財布を拾って持ち主に私、どうしても礼金を受け取らなかった)の顕彰碑である、安倍川の義夫の碑を見て、安倍川餅のお店2軒が見えてきた!

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創業210年の石部屋はガイドブックによれば10時開店とあったので、まだ9時半前、絶対無理だなと思っていた
のだが、なんともう開いていて先客あり!
ということで、入店。
甘いのならあべ川もち、辛いのならからみもちと説明され、やっぱりここは安倍川餅だよねということで注文。

5
注文してから作ってくれるので、柔らかい!
元々は安倍川餅はきなこのお餅だったらしいけれど、あんこ5個、きなこ砂糖5個で出てくる。どちらもおいしいですねぇ。
今までおみやげとして売っている安倍川餅しか食べたことなかったけれど、全然違いますね。
開いていてラッキー!
お茶もついて、600円でした。
からみ餅はわさび醤油でいただくらしく、こちらもおいしそうだけれど、さすがにお餅はおなかいっぱいになるので食べられず。残念!

川を渡る前に、首地蔵を見に行く。
首というからまさか首しかないんじゃ?と思っていたが、フツーのお地蔵さん。
なんでも今は弥勒緑地になっている正念寺にあって、処刑場だったのでこの名前だそうである。
その裏には水神社。
大きな川の傍には必ずといっていいほどありますね。

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そして安倍川を渡る。大きな川だ。
振り返ると富士山が見えるはずだった・・・が、あいにくと富士山方面は曇っており(晴れているのに)見えなかった。残念!

山門に武田菱がある高林寺。
ゆっくり見たいところだが、写経会なるものが行われていて、じっくり見る雰囲気ではなく、子育地蔵尊の写真だけ撮って退散。
白い馬が置かれた木馬堂も見たかったが、どこにあるかわからず。

怖いいわれのある地蔵尊を見て(殿様不在の時に奥方が妊娠し、召使いが「奥方を守るため寝ている時も腹に手を当てていただけ」と言ったが、生まれてきたのは手だけだった。殿様はそれを捨てて供養のために地蔵を建てた)、君盃酒造(街道沿いによく酒蔵があるのだが、まだまだ歩くとあっては買うわけにいかず、残念)を通り過ぎてしばらくいくと松が見えてくる。そこそこ大きな松だ。
7

(続く)

2017/07/13

東海道五十三次歩き(第6回) 江尻~府中4

(3より続き)

だいぶ疲れてきたこともあって、予定通り、MARK ISで休憩することにする。
ここはちょっとした思い出?の場所。
2014年2月にいちご狩りに行った際、最後の最後に寄ったところ。翌日雪の予報で、同居人が雪靴をこの中のABCマートで買ったのである(笑)。
その頃はまだ全部はお店が入っていなかった気もする・・・
上の方の階のフードコートで一休み。なぜか、クレープやさんにいろいろな種類のタピオカドリンクを売っていたので、ワタクシはピーチオレンジ、母親はマンゴーオレンジのを飲む。いやー冷たくておいしい!だいぶへばっていたのが、一気に蘇った感じ。
外を眺めると山がいくつか見えたので、もしや富士山も?と思ったら方角的に難しかったのだった。

再び歩き始める。
柚木駅の手前で新幹線と東海道線をくぐり、旧道を行く。
ちょっと脇にそれて寄り道。
法蔵寺の隣に軍神社。入るとなぜか豊田交通観音が。
日本武尊が戦勝祈願をしてという伝説のある神社で、砲弾型の忠魂碑があったりするが、なんといっても印象に残るのはクスノキ。神社中、立派なクスノキが植えられているのである。
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曲金観音堂から右手に入り、再び線路をくぐる。

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国道1号線とちょうどまじわるあたりに府中宿東見附の説明版が。
いよいよ府中宿だ。
この宿は最大規模の宿場で西見附までは3.6キロ。旅籠は43軒もあったという。
城下町でもあり、江戸八百八町に対して、駿府九十六町。町名一つどとに標柱があり、バシバシ撮っていたのだが、ありすぎて途中でどうでも良くなってしまった(笑)。

だんだんと街も賑やかになってきた。
つつじ通りを渡ったところに久能山道標。
久能道は久能海岸の塩や海産物を駿府に運ぶ道であったという。そして、家康が祀られた久能山東照宮にお参りする大名たちが歩いた道でもあったようだ。

この道標の向かいの道を入っていった先に華陽院がある。
家康の祖母源応尼、家康の娘市姫、側室のお久の方などの墓があるとのことで、ちょっと探してみたが見つからず。というか、時間もおしてきていてそう真剣には探さなかったのである。
家康お手植えの松があるというのでそれだけでもと思ったのだが、見つかったのはお手植えのみかん。そのとなりにあった松がそうだったんだろうか?
3_4

貫目改所跡(先日、品川宿でも見た。西の方には草津にあるとのこと)を通り、西郷・山岡会見之史跡碑を見る。江戸無血開城が話し合われた地(松崎源兵衛宅)である。

今回の東海道歩きはここでやめることとし、最後に駿府城跡の駿府公園に寄って帰ることにした。

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時間は5時半をだいぶ過ぎており、まだ開いているか心配だったが、結構遅くまであいてるんですね。
東御門から入ってみると、いや~広い。くまなく歩くのはもう無理だったので、とりあえず家康公お手植えみかん(ここにも!笑)をめざすことにした。

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本丸堀などを見学しつつ、ようやく家康公像に到着。そして、その隣にお手植えみかん!静岡のみかんは家康によって広められたのか・・・
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というところで引き返し、静岡駅へと向かう。
6時20分発のこだまに乗る。三島から乗るよりは席の確保が楽だ。

はじめは、3席並びの方に座っていたのだが、2席の窓側に座っている人がしきりとスマホで撮影している・・・
と思ったら、なんと富士山が見えているではありませんか。
慌ててデッキに出て写真を撮る。午前中も見えていたらなあ。残念。
しかしあっという間に富士山はまた雲の中に隠れてしまい、三島で2席の方に移ったものの、もう見えることはなかった。
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9時前に最寄り駅に到着。
定番化している庄やにて乾杯。途中から同居人も合流し、炙り穴子、漬け物、のり塩れんこんチップ、明太北あかりチヂミ+生ビール2杯。

ちょうど飲んでいる間に雨が激しく降っていたらしいのだが、少し収まったところで帰宅。
歩数、約43000歩。今回もよく歩きました!

いよいよ次は丸子(のとろろ飯)です。

(完)

2017/07/12

東海道五十三次歩き(第6回) 江尻~府中3

(2より続き)

追分の踏切で東海道を越え、緩やかな坂を上がっていくと、久能寺観音道の道標が。
久能寺は元々久能山にあった寺だが、武田氏が城を築くために移転したものの、明治時代に廃寺に。山岡鉄舟が惜しんで再興、鉄舟寺に改称したとのことで、ちょっと行ってみたい気持ちはあったのだが、東海道からはちと遠い。時間的余裕もなく、暑いしでカット。

そしてイオン(以前はここに遊園地があったとのこと)で待望の休憩タイム。
昼食を食べ終わって2時間弱がたっていた。
イオンの中で少々涼み、カルピスクーリッシュを食べて(飲んで)体の中から冷やす。
英気を養ったところで出発。

家康が武田勝頼を攻める前に穴山梅雪と会見した場所という上原延命子安地蔵(明治24年に焼失し、昭和に入って立て替えられている)、十七夜宮のお堂と千手寺はいずれも入り口から写真を撮っただけで通り過ぎ、緩やかに登ったところで振り返ると富士山が・・・見えるはずだったがやはり無理。

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この先で国道1号線と合流する。
そして、草薙一里塚の標柱が。43番目の一里塚である。

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草薙川を柳橋で渡った先に大鳥居。
確かに大きな鳥居で、通りの向かい側からでないと写真に収まりきれない。
残念ながら、ここから草薙神社まで1.2キロとのことで、時間的に余裕がないので行くのは断念。

すぐに右折して旧道に入る。
この道は植木やさんだらけ。なんでこのあたりに集中してるんでしょう???

しずてつの県立美術館前駅から続く大きな通りを横切る。
いつもこの美術館には車で来ているが、歩きだと結構坂がきついかも?
やぶきた原樹がこのあたりにあるとのこと。やぶきたブレンドのあれだ!

その先は閻魔坂。傾斜が急で馬から落ちてけがをする人が多く(馬に乗ったまま通り過ぎるのは閻魔大王に対し礼を失したたたりとか)、東海道の難所と言われたそうだが、現在通って見ると、それほど急ではなく、緩やかな坂といったところである。

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おや?おもしろい像が?
と思ったら、東名寺の葦葉達磨大師像だった。立ち姿の達磨さんである。

吉田川を東橋で渡り、東名高速をくぐる。
草薙総合運動場にぶちあたって、道は右折。その先で、東海道はJRの線路で分断されている。ここに旧東海道祈念碑が建っている。
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手前の地下道で線路をくぐるが、この地下道狭い上に天井が低く、車が来るとちょっと怖い(通った時は1台しかこなかったけれど)。
操車場沿いをちょっと歩くと、右に東海道は続いている。
清水のあたりのマンホールはサッカーの模様だったが、葵区に入ると、たちあおいなのであった。
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そして再び国道1号線に合流。
6_3
合流地点には駿河三大名物の1つという(あと2つは何?)兎餅跡地があった。
今は別のお店が作っているらしいのだけど、きっとワタクシ好みのお菓子なんじゃないかなあ。食べられないのが残念だ。

すぐにまた静かな道へと入る。
やはりこういう道の方がほっとする。

7_3
久應院というお寺があったが、山門もお寺自体もピカピカ。
しずてつの長沼駅を通った先にはバンダイの工場が見える。
バンダイといえばガンダム。ガンダムファンとしてはなんかうれしくなる。

(続く)

2017/07/11

東海道五十三次歩き(第6回) 江尻~府中2

(1より続き)

もうすぐ11時半。ちょっと早めではあるが、ここを出ると昼食場所を見つけるのは難しそうなので、駅近くで昼食にすることにする。
アーケードの途中にあるおにぎり屋さんのイートインにて。アーケードは七夕祭りの準備中。ここのイートインも翌日からその準備のため利用できなくなるところだった。ぎりぎりセーフ!

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おでんコーナーから自分でおでんを入れ物にいれ、青のり、だし粉をかけ(味噌はパス)、おにぎりを選んでいただきまーす!しぞーかおでんとおにぎりの昼食。
おでんは、大根、卵、なると、牛すじ、黒はんぺん、じゃがいも。
おにぎりは、ワタクシがたぬき、しらす、母親が梅じゃこと鳥飯。
おでんももちろんおいしいけれど(じゃがいもがgood)、おにぎりもおいしいし、リーズナブル。たぬきおにぎりが意外なおいしさで今度家でやってみよう!

さて、いよいよ東海道歩き再開。前回のゴールからスタートである。
まず現れたのは、江浄寺。
信長が家康を試して自害させた信康の墓があるお寺であるが、なぜか入り口が閉まっていて入れない。

少し進んだ角あたりが脇本陣跡で、鉤型に右折。ここからが江尻宿の中心だが、今は静かな商店街。
途中左に曲がって橋を渡るのだが、ちょっと寄り道。
直進すると魚町稲荷神社がある。
武田信玄の過信でのちに家康に仕えることになった穴山梅雪が造った神社だら、なんといっても石で造られたサッカーボールが目立つ。
2_2
日本少年サッカー発祥の碑だそうで、サッカー神社と言われているらしい。
お隣の小学校が江尻城跡だ。

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元の道に戻り、巴川を稚児橋で渡る。四隅にはかっぱの像があり、そのうちの一つはきゅうりを持ってる!かっぱはキュウリがすきですもんね。
川の渡り初めに、河童が渡ってさっていったという伝説があるらしい。

橋を渡って、右側に船高札の説明版が、左側の料亭の前にかっぱの腰かけ石がある。
久能道との分岐を右に行くのが東海道。

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すぐ先に法岸寺があり、ここには浄瑠璃「朝顔日記」深雪のモデルと言われた人の墓がある。

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向かい側の東明院の山門は立派。
江尻城が廃城になる際、家康から裏門を下賜されたものだが、火事で焼け、1831年に再建されたもの。
そのすぐ先の慈雲寺は芋和尚で有名とのこと。白隠に学んだ長泉和尚が、やせ地で困窮していた三保の農民に甘藷の栽培を広めたことからその呼び名がついたらしい。

ここで江尻宿を出る。
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有名な羊羹のお店、追分羊羹のすぐ手前に「是より志三づ道」と書かれた道標があり、清水港へと至る道が分岐している。
一口羊羹でも買って帰りたいところだったが、この日は結構暑くずっと持って歩くのはなんなので諦めた。

1時を過ぎてかなり暑くなってきており、延寿院で少々休憩しつつ、Tシャツ1枚になる。休憩ポイントまであと少し!

清水といえば、ちびまるこちゃんにサッカーにそして清水の次郎長。
ここに、森の石松を殺害した都田吉兵衛を次郎長一家が仇討ちした供養塔があった。あいにくと、次郎長についてはあまりよく知らないのだけど・・・

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金谷橋を渡ってすぐのところに姥ヶ池と弁財天が。
昔々、ひどい咳が止まらない子の姥が子供の代わりに池に入水し、これによって病気が治った・・・その後子供の親である長者が社を建て、ひどい咳に苦しむ子供がお祈りするとたちまち治ると言い伝えられているところ、だそうである(ただし、東海道名所図会には別の説が書いてあるとのこと)。
(続く)

2017/07/10

東海道五十三次歩き(第6回) 江尻~府中1

東海道歩き、前回は雨のため、日本橋から歩いたのだが、今回もギリギリまでどうするか決まらなかった。台風のせいで。
前日ちょうど台風がきていて、でも思ったより早く台風が去ったので江尻(清水)から歩くこと決定!

いつもの新幹線(7時前のこだま)に乗ることにしたのだが、最寄り駅からの電車は1本早くしてみた。結果的にはこの電車の方がすいているし、東京駅で余裕が出る。今度からはこの電車にしよう。

新幹線の中で朝食を済ませる。空には黒い雲もあったけれど、途中うっすらと富士山も見えた。なんとか晴れてほしい・・・
ちょっと寄り道、三保の松原に行く予定だったので。

1時間弱で三島に到着、東海道線に乗りかえ50分ちょっとで前回のゴール、清水駅に到着。9時ちょうどのバスに乗って三保の松原を目指す。
途中清水エスパルスプラザ(ここはよく行くところ)、フェルケール博物館を通る。
フェルケールといえば、前々回東海道歩きで行った興津の水口ギャラリーはここの別館でした。

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25分ほどで三保の松原入り口に到着。
御穂神社が帰りに寄ることにして、神の道を行く。約500メートル、松並木が続く木道である。
数年前に三保の松原にはきているのだけれど、そのときは車だったのでここは通っていない。
三保の松原に関する歌や小説を書いた案内板がたくさんあって楽しめる。

そして海岸へ到着。
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羽衣の松、大きいなあ。2代目の松が枯れてしまい、平成22年に3代目となっている。2代目は数メートル幹を残して伐採されているが、これも見ることができる(歯車神社の隣)。この神社、願い事を書いた石を納める風習があるとのことでいくつか置いてあった。
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前回きたときの記憶がないのだけれど、エレーヌの碑なるものもある。
能「羽衣」に魅せられて三保の松原を訪れたいと希望していたものん、35歳の若さでなくなったエレーヌ・ジュグラリスを記念した碑で、遺言どおり遺髪が埋納されているらしい。

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そしてそして、富士山は見えるのか?
いや、ほぼダメだろうなと思っていたけれど、あーあ、やっぱり見えなかった・・・前回来た時もまったく見えなかったので、今回は是非と思っていたのだが・・・
遊歩道を少し歩いて絶景ポイントにも行ってみたけれど、富士山は雲の中。
また行ってみるしかないですね。次回に期待!
見える時はこんな感じらしいですね。
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御穂神社に寄り、バスを少々待って(とはいっても10分おきにくるので便利)駅へと向かう。
途中、ふと海の方を見ると、上の方だけとはいえ、なんと富士山が見えるじゃないですか!
駅について、富士山が見えないかとあちこち移動してみたのだが見えず・・・ほんの10分足らずでまた雲の中に入ってしまったようだった。

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行きはバスの時間の関係でゆっくり写真が撮れなかったので、あらためて駅の階段に描かれたさくらももこの絵を撮影。そう、清水といえばちびまるこちゃん!
さくらももこの絵ではないけれど、階段の絵も楽しい。
7

(続く)

2017/07/05

東海道五十三次歩き(第5回) 日本橋~大森4

(3から続き)

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その先で運河に出てみる。
ちょうど犬の散歩の時間らしく、たくさんの犬が。水辺に出るとちょっと気持ちいい。

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ちっちゃな公園の中に浜川砲台の大砲があり(土佐藩が鮫洲に屋敷を持っていたので砲台をここに造った)、仲町稲荷神社の隣の公園には若き日の竜馬像が建てられている。
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ここからすぐの所に浜川橋。別名涙橋という。鈴ヶ森刑場へ行く罪人との別れの場所だったところからこの名前に。

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天祖諏訪神社、浜川神社をすぎ、第一京浜に合流するすぐ手前にあるのが、鈴ヶ森刑場跡である。
火あぶりの鉄柱、磔の木柱台石がそのまま残されている。
八百屋お七や天一坊が処刑された刑場だ。

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しながわ水族館のそばに、利田神社前の公園にあった鯨の頭のオブジェの対になったしっぽのオブジェがあると聞いたので撮影しようと思ったのだが、はじめどこだかわからず、しながわ区民公園をうろうろ。
ここがとっても立派な公園!猫もいたし。思わず写真をパチパチと撮ってしまう。
で、ようやく見つけました。ホントに水族館の前でしたね。
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だいぶ時間も遅くなり、どこまで行くか?
平和島駅の近くに、大黒屋という和菓子やさんがあり、のり大福が名物と聞いて食べたいな~でもこの時間じゃあいてないかも~でも一応チャレンジしよう!
ということでもうちょっと歩くことにする。
第一京浜からまた細い道にはいる。
大きな通りじゃないとホントほっとしますね。

このあたり、大森に入ってきて、海苔やさんがたくさん。さすがである。
しかし、大黒屋はあいていなかった・・・
しかもこの日(水曜)は定休日!あーあ。かなりがっかりしたが、ならばいっそ、もうちょっと稼いでおこう・・・
ということでもう一駅だけ歩くことにした。

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内川橋で内川を渡るところにするがや通りという案内板が。
この通りはかつての羽田道で、川崎大師や穴守稲荷に行く道として利用されたそうである。

再び道は第一京浜に合流するが、その手前に一里塚の案内板があるはず・・・
だったが見当たらず。もうだいぶ疲れてきていて熱心に探す気力はなく、大森町駅に到着。

品川まで出て、JRに乗りかえ東京駅へ、そして最寄りの駅まで戻ってきた。

この日はまたまた庄やにて食事を。
生ビール2杯、冷やしトマト、炙りあなご、いわしの刺身。
歩いたあとのビールはおいしいなあ!

歩いた歩数約43000歩でした。

次回は晴れるといいのですが・・・

(完)

2017/07/04

東海道五十三次歩き(第5回) 日本橋~大森3

(2から続き)

続いてちょっと寄り道。
泉岳寺である。ワタクシははじめて。
血染めの梅(うわっ)、血染めの石(うわうわっ)、そして、首洗い井戸。なんだか生臭い感じがしてしまったりする。
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ここの見どころはなんといっても、赤穂浪士のお墓。ワタクシはそんなに詳しくはないので、数人しかわからないのだけど、大ファンの人にとっては聖地なんでしょうね。お線香がたくさん手向けられていた。

再び東海道に戻り、高輪海岸の石垣石を撮影(交差点の角にある)、イギリス公使館がかつておかれていたという東禅寺は今回はパス。

やがて品川駅に到着。駅前には品川駅創業記念碑がある。
新橋・品川間の工事が遅れたため、新橋から開業した5ヶ月ほど前に品川・横浜
間で鉄道が走ることとなり、よって品川駅が一番古い駅、ということになるらしい。へー。

すぐ先で八ツ山橋交差点を左にまがってさあ、ようやく品川宿。
に入ったはずが、ちょっと手前で踏み切りを越えてしまい、慌てて戻る。
第一京浜を離れ、旧東海道っぽい道になってほっとする。

鯨塚が見たかったので、ちょっと道をはずれて利田神社へ。
とそこにいた猫。眠り猫みたい!一瞬後ろを向いてまた振り返ると向きが変わっているという(笑)
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猫の撮影に忙しくて、うっかり鯨塚の撮影を忘れるところだった・・・
そして、猫の撮影をしてるうちに、蚊に刺されるという・・・

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寛政10年に品川に迷い込んだ鯨の供養碑なのだけれど、この神社の前の公園にはくじらの頭のオブジェがあった。

東海道に戻り、お寺を次々通り過ぎ、聖蹟公園へ。ここが本陣跡である。

ここでまたちょっと寄り道。品川神社へ。
が、この頃には暑くてへばりはじめていたので、手前のコンビニでアイス休憩を。そして復活!やはり暑い日はアイスが必要ですね。

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品川神社、まずは鳥居がすごい!
石造りで両サイドに龍の彫刻がほどこされている。龍が巻き付いている感じ。
横には大黒天が。東海七福神の一つ。

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階段を途中まであがって左に曲がるとそこは富士塚。
ちゃんと1合目から9合目まであって、あっという間に頂上。簡単だな(笑)。
上からの眺めはまあビルばかりだけれど、すぐそこに京急の線路が見える。

稲荷神社もあったりするが、裏手には板垣退助のお墓も。
なぜここに?と思ったが、この場所は元は東海寺の寺院があったところで生前、板垣がここに墓を作ってほしいと希望したという。

再び東海道に戻り、品川宿交流館を一瞬除いてみたもものここは駄菓子や?という雰囲気でパス、その先が品川橋。この橋で北宿と南宿がわかれる。

街道松の広場には整った松が。この宿内には他にも松があるのだが、全部は見つけられなかった。

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問屋場、貫目改所跡地を通り過ぎ、青物横丁駅近くにある品川寺には、でっかい地蔵が。江戸六地蔵の1つとのことだが、なんと座高が2.75メートル。いや~とても地蔵には見えません・・・

庚申塔、大きな銀杏の木などを撮影、そして・・・
おや?七福神がいる?
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寿老人、弁財天、毘沙門天、恵比寿、布袋、大黒天。
ここまではわかったのだが、福禄寿がいないぞ?金生七福神って書いてあるのが福禄寿ってことでいいのかな?まあいいってことにして先に進むことにした。

お隣のお寺、海雲寺にあった地蔵は平蔵地蔵。平蔵という乞食が財布を拾って届け出、謝礼も断って帰ったところ、仲間の乞食たちが怒って平蔵を小屋から追い出したため、凍死。哀れに思った落とし主が平蔵を弔ったというもの。
(続く)

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