中山道六十九次歩き(第33回) 上尾宿~大宮宿~北浦和5
(4より続き)
参道途中で中山道に戻ることにする。
またまたあった庚申塔。邪鬼がかわいいなあ。宝暦10年(1760)建立。
大宮区役所兼図書館のガラス張りの建物の向かいにある山丸公園(ここにあった山丸製糸工場からのネーミング)には、蒸気機関車があった。横浜~旭川~釧路~川越線、大宮で使われたものだそう。
ん???このポストに乗っているのはどうやらさいたま市のPRキャラクター、つなが竜ヌゥらしい。見沼田んぼの主の子孫らしい。見沼=ヌゥなんですと。
中山道に戻る途中の小道に塩地蔵がある。
病に倒れた父親を二人の娘が、お地蔵様のお告げに従って塩断ちをしたところ、父の病が全快したところから、塩を供えて願をかけるようになった、ということで、塩が袋ごと置いてありましたね。
お隣には子育て地蔵。
街道沿いにはこんな説明板が。
この先で大宮宿を出る。
大宮宿は本陣1、脇本陣9、旅籠25であった。脇本陣の数が多かったんですね。
氷川神社一の鳥居。
武蔵国一宮と刻まれた社標がある。
このあたりにかつて一里塚があったようだが(7里目)、正確な位置はわからないようだ。この日はの一里塚は全滅。
広いショッピングモール、コクーンシティが見えてきた。
片倉製糸の工場跡ということでコクーンなんですね。かつて、大宮には多くの製糸工場があり、生糸の生産地として発展していったようだ。
さいたま新都心駅(このあたりはビルだらけですね)を通り過ぎた先にお女郎地蔵と火の玉不動があった。
美しい旅籠の女郎が材木屋の若旦那と恋仲になったが、悪漢が割って入り旅籠に火をつけると脅し、進退窮まった女郎はついに高台橋から身投げをしてしまう。これを哀れに思った町人が地蔵を建立した(右)。
高台橋のあたりを毎夜火の玉が飛んでいるので、ある男が火の玉に斬りつけてみると不動明王と名乗る男が「剣を斬り落とされた」と言い残して姿を消した(左)。
4時を過ぎて少しずつあたりは暗くなってきた。雲がきれいだ。
一本杉の仇討ち跡。
千葉周作の門弟宮本佐内は同門の河西祐之助の腕前を嫉妬し、徒党を組み勝負を挑むが討たれてしまい、佐内の子鹿太郎がここで文久4年(1864)正月父の仇を討った。これを最後に仇討ちは禁止となったのだそうだ。
これは当時の杉じゃないのかな?
正徳4年(1714)造立の青面金剛像庚申塔。いやはやこの日もたくさん庚申塔を見たなあ。
違ったデザインのマンホール。
デザインされたモチーフは同じかな。
こちらはサクラソウのみ。
最後に廓信寺に寄る。
参道口にはサツマイモの女王紅赤(通称金時)発祥の地の説明板がある。この地の農家の主婦山田いちさんが紅赤を発見したのだそうだ。
仁王門。
残念ながら時間が遅かったのか、中には入れず・・・
どうやらこの山門の脇に河西祐之助の墓があったようなのだが見逃してしまった。残念。
ゴールの北浦和駅へ向かう。
4時43分の京浜東北線に乗り、順調に乗り換えて地元駅到着5時半前。
駅ビルの鮨屋さんで乾杯!
寒ぶりの刺身、じゃこ天、揚げ茄子とトロロのネギ味噌焼き、あん肝ポン酢、握り寿司(いくら、甘エビ)
お酒は瓶ビール(キリン一番搾り)と白ワイン。
帰宅は7時過ぎだった。約35100歩。
おみやげは、お漬物2種と、(川越に行ったわけじゃないけど)くらづくり本舗の栗の菓(ロールケーキ)。
中山道はまた少しお休み。
もう少しで完歩です。
(完)
マップはこちらを使っています
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