街道歩き

2017/12/06

東海道五十三次歩き(第13回) 神奈川~戸塚4

3より続き

一瞬迷いそうになったが、ここから焼餅坂を下っていく。
この坂にあった茶屋で焼き餅が売られていたことからついた名前で、別名牡丹餅坂というらしい。

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9番目の一里塚が現れた。品濃一里塚である。
両側ともほぼ昔の形のままに残っている一里塚は神奈川県内でもここだけということだが、静岡にもあったかな~まだこんな完全な形で現存している一里塚には出会ってなかった気がする。
右側の塚は一里塚公園となっており、庚申塔もあった。
1_3

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ほどなく、東戸塚駅前のオーロラシティに到着。久々に休憩する。
静岡の手前で入ったお店と同じかな~イオン系だし・・・タピオカスイーツのお店でタピオカドリンクを飲む。
マンゴーカルピスと抹茶ミルク。
のどがからからに渇いていたので一気に飲んだ・・・と言いたいところだけれど、タピオカが残っちゃって最後吸うのが大変だった(笑)

もう4時すぎ。
4時半には日暮れでもうだいぶ暗くなってきていたのでどうしようか迷ったが、がんばって戸塚駅まで歩くことにする。今回は前回の反省を踏まえてちゃんとミニライトももってきたことだし。

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果樹園を横目に見つつ進むと、おお!またまた富士山と大山が。夕日がきれいだ。

歩道橋で環状2号線を渡り、旧道を進む。

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国道1号線を渡って細い道に入ると、今度は富士山が真正面に・・そして、一瞬ではあるが、左富士が見えたのだった。左富士、ここでも見えるのか!という発見。

ここからは国道1号線にくっついたり離れたり。
道路沿いには山崎パン、森紙業(暗い中でマップみて森永製菓かと思ったら違った(笑))、ポーラと大きな工場が続く。

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これでもかと、ポーラの工場の脇に最後の富士山が見えたのだった。

王子神社に行ってみることにした。
しかし、道にほとんど電灯もなく暗い。境内はもっと暗い。

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撮影してみたら、ぼんやり。なんか怖いなあ。ホントは明るい時に来たかったところだがやむをえない。
この神社の本殿には護良親王(建武の新政を成功させたが足利尊氏と対立し直義に殺害された)の首が葬られていると伝えられている。

その後、東海道は不動坂の交差点から旧道へと入っていくのだが・・・
うーん、暗くて益田家のモチノキあお見逃してしまった。残念。

横道に入ったところに、護良親王の首を洗ったという首洗い井戸があるとのことで、行きかけたのだけど、道がわからず断念。

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戻ってすぐのところにレンガ造りの土蔵が。
ハム製造を行ったイギリス人カーティスの使用人だった斎藤角次が日本人初のハム製造を始め、鎌倉ハムと言われた。ここがその倉庫だそうである。

その先でやや迷いかけたが、再び国道1号線に合流、やっと明るくなってほっとする。暗くなるとこういう道の方が安心ですね。ホントは国道を歩くのはうれしくないのだけど。

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フォルクスの前に江戸方見附跡の石碑があり、続いて吉田一里塚跡。
暗いと撮影するのも大変だ。
ちなみに、戸塚区のマンホールは昔の風景の中を駅伝選手が走っていておもしろい。
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吉田大橋の欄干には広重の絵があり、片側の2枚のみ撮影。
この橋の手前が鎌倉道で東海道との分岐点だったという。

いよいよ戸塚駅到着。
かつては開かずの踏切だったが、数年前にできたという大踏切デッキをわたって西口までいって終了。午後6時。

東海道線、中央線を乗り継ぎ、地元に戻っていつものように庄やで乾杯!
生ビール2杯。お通しはは肉豆腐。その他、砂丘らっきょう、鮪とアボカドのわさび醤油、かにつめクリームフライ、鶏だんご鍋。おなかいっぱいになりました。

約39200歩。スタートが遅かったわりにはまずまず歩きました。

次回は、1月新居まで行く予定です。

(完)


2017/12/05

東海道五十三次歩き(第13回) 神奈川~戸塚3

2より続き

いよいよ保土ヶ谷宿の中心へ。
そのまま道なりに進めばよかったのが、うっかり保土ケ谷駅の方へと入り込んでしまい、東海道に戻った時には、うっかり助郷会所跡と問屋場跡を通り過ぎてしまい・・・
出たところは高札場跡だったが、戻るのめんどくさいし、まいっかとなった。
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写真を撮っていると前のお店の方が声をかけて下さり、保土ケ谷宿のマップをいただく。

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保土ヶ谷宿お休み処(この日はお休みのようだった)の前に4基の道標がある。
円海之道、かなさわ・かまくら道、杉田道、富岡山芋大明神社の道の道標である。

JRの踏切を渡ると国道1号線にぶつかる。

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正面の家が保土ヶ谷宿本陣だったところだ。現在も子孫の方がすんでいて、塀の中に通用門が残っている。
この先800メートル近くは今井川に沿う形で国道を進む。

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脇本陣跡、旅籠屋(本金子屋)跡、茶屋本陣跡と続き、8番目の一里塚跡と上方見附跡がある。松並木も続く。これらは再現されたもの。
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7_2
その先に外川神社があり、ここは羽黒山の外川仙人大権現の分霊を祀るところだそうだ。

今出川にはコガモの群れがいた。
その先で再び国道へ合流し、また離れる。正直国道を離れるとほっとしますね。

樹源寺というお寺があった。
上がっていくと、紅葉が美しいこと!ちょうど見頃である。
お庭はよく手入れされていて、すばらしかった。思わずたくさん写真を撮ってしまう。
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さらに進むと旧元町橋跡。
今井川にかかっていた橋だが、鉄道工事で流れが変えられたという(少し先に現在の橋があった)。

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手前にちょっと入ったところに帝釈天があり、手水鉢に三猿が!
ちょっと見えにくくはなっているが、左から見ざる言わざる聞かざるである。

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おいなりさんを通り過ぎ、いよいよ権太坂へとさしかかる。
江戸から西へと向かう旅人がはじめて経験するきつい上り坂で、それなりに長い。
この坂の名前の由来は諸説あるらしいけれど、旅人が道ばたのおじいさんにこの坂の名前を聞いたところ、自分の名前を聞かれたと勘違いし、権太を答えたからという説がおもしろくていいですね。

上がりきったところで、おお!
富士山と大山が見えた。うっすらとではあるけれど。やっぱり富士山が見えるとうれしいものですね。

下ってきて栗山というお菓子やさんへ入る(水曜だけど定休じゃなかった!)。

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購入したのはおじぞうさん最中。小倉と白あんを買って後日食べたが、餅入りで好きなタイプ。おじぞうさんもかわいい。

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その後ちょっと寄り道して投込塚の碑を見学。
権太坂では行き倒れる旅人や馬がいて、投げ込まれた死体が1961年の宅地造成で発掘され、改葬の上、ここに供養碑が建てられたという。京都から江戸へ向かう旅人や馬が行き倒れたのだろうか。

東海道に戻って境木立場跡。

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その先に境木地蔵尊があった(これが最中になったわけですね)。
鎌倉、腰越に打ち上げられた地蔵が、牛車で江戸に運ばれる途中ここで動かなくなり、近隣の人が祀った。それ以来、参詣人が増えて賑わったという。
ここはまたちょうど武蔵国と相模国の国境でもあり、境内にあったケヤキの木が目印となって境木という地名になったということだ。

4へ続く

2017/12/04

東海道五十三次歩き(第13回) 神奈川~戸塚2

1より続き

旧道に入るところにトンネルがあった。かつての東急東横線のトンネルで、今は地下化されたたため緑道になっているということである。

ここから神奈川台の坂を上がっていく。

すぐのところに大綱金刀比羅神社。かつてこの神社の前には7つ目の一里塚が置かれていた。

1
境内にはなぜか大きな天狗の木彫りの顔が。
ちょっと調べてみたら、以前天狗の腰掛け松を言われた松のご神木があったが、大きくなりすぎたため伐採して天狗の彫刻をしたとのこと。この場所、天狗伝説のあったところなのですね。

2
さらに坂を上がっていくと、料亭の田中家が見えてきた。
広重の絵に描かれている旅籠さくらやを引き継いで1863年創業した料亭で、坂本龍馬の妻、おりょうが仲居として働いていたという。おりょう、英語が話せたのだそうだ。
このあたりはかつて見晴らしがよく、たくさんの茶屋があったとのことである。

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さらに上がったところに、神奈川台関門跡。
鶴見橋にもあった関門跡は、外国人が殺傷される事件が続いたたための対策として作られた関門の跡である。

この先で坂は下りはじめ、高速道路が見えるあたりで道は2手に分かれるが我々は静かな方の道を選択して進む。
合流したすぐ先に浅間神社。
一瞬入り口がわからなかったが、アパートの脇の細い道を上がっていくのだった。
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本殿のある丘は袖すり山と呼ばれたという。すぐそばに海が迫ってすれ違うのに袖がふれあうほとだったことにちなむという。遠くにランドマークが見える。
境内西側の崖には富士山に通じていると伝えられる富士の人穴が昔はあったというが、今は見られない。

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八王子道との追分を過ぎた先に商店街が見えてきた。

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有名な洪福寺松原商店街である。平日なのでさすがに超混み混みというわけではなかったが、そこまで静かな道だったのが、急に人がたくさんいてびっくりである。
食品をいろいろと売るお店で、ルヴァンのチーズサンドをじーっと見ていたら、母親が買ってくれた(笑)。すみませんねぇ。おつまみに食べます、今度。

時刻は12時半。そろそろお昼にしたい時間。この商店街にはあまり食べるところはなく、目をつけていたお寿司やさんは激混みでなくなくあきらめ、もう少し進んだ先のファミレスまでいくことにした。

松原商店街を抜けた先はシルクロード天王町商店街。ぐんと人が減って静かになる。
ここにあるのが保土ケ谷宿江戸方見附跡である。

すぐ先に橘樹神社。もとは牛頭天王と呼ばれていた神社で、このあたりの天王町という町名はここに由来するとのことだ。
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境内には神田不動尊と呼ばれる不動明王や古い庚申塔があった。

この神社の脇から出るとそこにジョナサンが!
本当は別のファミレスにと思っていたのだけど、ちょうどいいやということでここでお昼にすることとした。

注文したのはランチセレクトコース。
スープ、ドリンクバーつきでおかわり自由と言うことで、ワタクシはジンジャーエールと、掛川茶を(掛川は最近いったばかりだし)。
ワタクシは一日分の緑黄色野菜が摂れるドリアと、母親は水牛モッツァレラのマルゲリータを。サラダつき。
デザートはアサイーヨーグウトボウルをチョイスした。

わりとお料理がゆっくりめに出てきたため、ここで1時間くらいたってしまい、少々あせる。
しかし、ゆっくり休んだことにより、その後2時間以上休みなしで歩くことができたので結果的にはよかったのかもしれない。

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帷子橋を渡り、相鉄線の天王寺駅をくぐった先の広場に復元された帷子橋跡があった。
かつてはこの場所を帷子川が流れていたが、暴れ川であったこの川は暴れ川でたびたび水害をおこしていたので、市が川をまっすぐにしたのだという。

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少し進んだ先に香象院。
なぜか門前に大きな釜が!?
これは元々本堂に置かれていた天水桶(屋根に降った雨をためておいて火事の時に使う)で、戦時中も火事や炊き出しに使えると供出を免れ、本堂の再建にあたって門前に移動したとのことである。いや~目立ちます。

3へ続く

2017/12/03

東海道五十三次歩き(第13回) 神奈川~戸塚1

約一ヶ月ぶりの東海道歩き。
新居まで歩く予定だったのだが・・・
諸々事情があり、近場を歩くことになった。
8月に大森から東神奈川まで歩いたので、その続きである。

ゆっくり出発、東神奈川の駅から歩き始めたのは10時20分。
まだ少々寒い。

1
はじめに立ち寄ったのは金蔵院。平安末期に創られたという古いお寺。
家康御手折の梅がある。

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すぐ裏手に熊野神社があるが、道沿いには松並木が続いていて街道らしい雰囲気だ。
これって再現したものなんでしょうか?

熊野神社は元々金蔵院の境内にあったのが、神仏分離で分かれたものという。
ここでびっくりだったのは、狛犬が大きいこと!こんなに大きいのは初めて見たかも?
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ご神木の銀杏は樹齢400年とかで大きかったが、上の方はまるで雷に打たれたみたいに割れていた。季節柄、ぎんなんが落ちて臭い(笑)。

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神奈川地区センターの前には高札場が再現されている。

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センターの中にはワタクシの大好きなジオラマがあった。神奈川宿を再現したものだが、街道の横はすぐ海。
広重の絵でもすぐそこは海ですもんね。今は全然海は見えないけれど。

センターの前でツアーの東海道歩きの人たちが(すごい大人数)説明を聞いているのを尻目にこちらはどんどん進む。

センターの斜め前のお寺は成佛寺。
アメリカ人宣教師の宿舎となったところで、ヘボン(ローマ字で有名な)もここに滞在していたという。

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滝の川にぶつかったところで右に折れ、京急をくぐったところにあるのが慶運寺。フランス領事館だったところだ。
浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったという観音像があるお寺ということで、亀さんが随所にいる。浦島伝説って各地にあるんだなあ。別名浦島寺と呼ばれるお寺であった。

本来の東海道へと戻る。国道15号線である。角に本陣跡があった。
滝の川を渡って、再び右へ。川にはオオバンやキンクロハジロが。
浄龍寺はイギリス領事館があったところ、そして宗興寺はヘボンが診療所を開いたところで、記念碑があった。
8
このあたり、西に向かって上り坂になっているが、権現山と言われていたところ。
毎時にかけて削り取られ、埋め立てに使われたそう。

国道に戻り、すぐに宮前商店街へと入っていく。静かな商店街である。
州崎大神は高台にある。源頼朝が安房国一宮安房神社の霊を移して祀ったことに始まるという。江戸名所図会を見てわかるように、すぐ下は海で船着き場があったのである。

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普門寺へ向かう道でこの日最初で最後の猫に出会う。
なかなかにふてぶてしいお顔(笑)。近づいてもまったく動じなかった。

さて普門寺はイギリス士官の宿舎にあてられたところ、すぐそばの甚行寺はフランス公使館にあてられたところ。
甚行寺は新しいお寺だった。関東大震災で倒壊焼失、昭和20年の横浜大空襲で再び全焼、この建物は昭和46年のものとのこと。銀杏の木は立派だった。これは残ったものなのだろう。
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青木橋で京急、JRを越える。
すぐそばに横浜駅のあたりが見えた。だんだん気温が上がってきて、セーターを脱ぐ。

渡ってすぐ、高台に見えるのが本覚寺。
ハリスがアメリカ領事館にと決めたお寺だが、領事館時代に山門が白いペンキで塗られてしまったという。確かに少し白い部分が残っているような?
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なかなかに立派なお寺。
境内には塗装業者合同慰霊碑がある。白いペンキで塗ったというのが日本初のペンキ塗装なんですって。
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生麦事件で負傷したイギリス人が逃げ込み、ヘボンの手当を受けた場所でもある。

2へ続く

2017/12/02

東海道歩きグッズあれこれ

今週水曜日、東海道歩きをしてきたところですが・・・

前回、雨が結構降って足はぐしょぐしょ、マップはよれよれ、リュックもぬれぬれ・・・
という反省を踏まえ、かつこれから寒くなるということで、好日山荘に買い物に行った。

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まず購入したのは、ゴアッテクス使用の靴、冬用の暖かいズボン、マップケース。

1712022
そして、後日、前の買い物でもらった6000円の金券を使って、新しいリュックカバー(前のはボロボロ)、ネックウォーマー。

よし、これで万全!
と思ったら、当日はいいお天気で、季節はずれの暖かさ(笑)
歓迎すべきことなのだけど、買ったもので使ったのはネックウォーマーのみ。それも歩きはじめてすぐに暑くなりとってしまった。

まあ、今度活躍することでしょう!

2017/11/01

東海道五十三次歩き(第12回) 見付~浜松4

3より続き

外に出ると、このあたりもさすがに雨はやんだようである。
時刻は3時半。
できれば、浜松の次の駅高塚まで行っておきたいと思っていたが、時間はかなり微妙。
何せ、日の入りの時刻が早くなってきているので、高塚に着く頃には日は暮れてしまっているだろう。かといって、ここで終わらせるにはまだ早く中途半端だし・・・
迷ったが、次回を楽にするため、がんばって歩くことにした。

大手門跡まで戻ってきて直進する。
ここからは、6つの本陣跡、問屋場跡、高札場跡、中番所跡などが続くが、いずれも駒札があるのみ。このあたりは戦災で焼失してしまったらしい。
その中の佐藤本陣は、なんと225坪。大きいですねぇ。
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その向かいにある大きな鳥居は五社神社。
かつては国宝の社殿で立派だったらしいが、ここもまた戦災で焼失してしまっている。ということで鳥居のみ写真を撮って進む。

浜納豆のお店(これまた買いそびれた)のところを右折、ここに西番所跡があるはずなのだが見当たらず・・・
しかし、ここで浜松宿は終了である。

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少し進むと、子育て地蔵尊があった。
戦災で顔の一部が欠けてしまったことから首なし地蔵とも言われているらしい。

東海道は、ここから左の細い道に入るのだが・・・
うっかり直進してしまい、慌てて元に戻る。先を急いでる時に限って間違える、というのはよくあるパターンだ(笑)。まったくもう・・・

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小学校の隣に掘留ぽっぽ道があり、機関車があった。
かつて、JR浜松工場までの引き込み線として使っていたところで、この機関車は、大正7年に作られた軽便機関車。なるほど、それでちっちゃいわけだ!

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東海道線をくぐるとまっすぐな道が続く。
八丁畷である。
比叡山の僧兵たちが鴨江寺を襲撃した際、鴨江寺の僧が鎧を着て戦ったといういわれのある鎧橋を越えた先に、八丁畷の案内版があった。

若林一里塚跡を通りすぎ、八丁畷が終わったところで道は右に曲がる。
その角に道路にむかいあって建つのが二つ御堂である。
藤原秀衡が京で病気になったことを聞いた妾がこの地で秀衡の訃報を聞き、秀衡の菩提を弔ったが、自分もここで亡くなってしまった。しかし、秀衡は実際は病気から回復し、帰国途中に妾のためにお堂を建てた。

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南側のお堂が妾の建てた薬師堂で明治天皇野立所祈念碑がある。

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北側のお堂が秀衡の建てた阿弥陀堂で、高札場跡、馬頭観音がある。

この先、松並木があるが、やはり片側のみ。
次第に日も暮れてきた。

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ふと振り返ると美しい虹が!
しかも二重の虹が出ていた。

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そして、先に進むときれいな夕陽。
いやはや、この日は雨が降ってテンション下がり気味だったが、一気にテンションアップ!
この景色を見られただけでも歩いたかいがあったというものだ。

昭和22年まで人工の池があり水神を祀っていたというみたらし池跡を通り過ぎ、その先に明かりの灯った常夜灯が。

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秋葉常夜燈籠である。ちゃんと今でも照らしているのですね。暗くなってきたところだったので、これあってよかったかも~
ちなみにここの常夜灯は木造屋形の鞘堂である。

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GUの駐車場の角に領地境界の標柱があった。
浜松領と堀江領の境界である。
帰宅して気付いたのだが、ここを曲がったところにある餃子やさんで、以前浜松にきた際、浜松餃子を食べたのだった。おいしかったな~

少し進むと、堀江領境界石があり、さらに進むと高札場跡と秋葉燈籠跡が。
もうこの時間には日がとっぷりと暮れて、マップも明かりがないと見えない状態。冬はペンライトが必要ですね。今度から持っていこう。

そろそろ高塚駅が近いはずなのだが、どこを曲がればよいかわからない。
ようやくここじゃないかというところを曲がってみると・・・
ああ、よかった駅に向かう道だった。

駅で切符を買い、5時52分の東海道線に乗り、浜松駅へと戻る。
新幹線はちょうどひかりがあったのだが、もうあまり時間がない!
慌ててトイレに行き、お弁当とビールを買い、急いでホームへ。
ふー、ぎりぎりセーフ。

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とりあえず空いている席に座り、静岡駅で2席の席へと移って、お弁当(&ビール)タイム!
ホントは、家康くん弁当が欲しかったのだが売り切れで、今回は赤飯弁当。
おかずはまあフツーだけれど、お赤飯は大好きなのでうれしい。わさび漬けも入っている。
前回までは静岡限定ビールがあったのだが、浜松駅では見つけられなかった。もうここまでくるとないのか、もうちょっと探せばあったのか・・・
また、時間がなかったため、おみやげも買えなかったのも残念だ。次回は是非ゆっくり見よう。

東京駅には7時40分着、自宅に着いたのは9時ちょっと前だった。
約48000歩。

次回は11月末。
新居まで歩く予定です。

(完)

2017/10/31

東海道五十三次歩き(第12回) 見付~浜松3

2より続き

国道1号線を越えると松並木が現れるが、残念ながらそれほど残っておらず、片側に少々あるのみ。前回の松並木の方が立派でしたねぇ。

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八柱神社にはもちつきの松なるものがあった。なんでもちつきの松って言うんでしょう?
この神社には金原明善顕彰碑もあった。

題目碑を左に折れた先に妙恩寺。

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金原明善の菩提寺で、明善のお墓は立派。

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家康お手植えのつげの木もあった。家康が三方原の戦いに敗れ、このお寺に身を隠したという話もあるという。

六所神社にはお宮の松があると書いてあったので言ってみたのだが・・・
昭和54年の台風被害により伐採されたそう。残念。

浜松アリーナを通りすぎた先に小さな川(宮井戸川)があり、そこにかかっているこれまた小さな橋が娵ヶ橋。
姑にいじめられた嫁が家出、追いかけてきた夫の前で剃髪した場所とか、夫婦げんかで家出した母子が身投げした場所とか・・・

すぐ先に、しそ巻で有名な六軒京本舗があった。パッと見、この日は営業しているのかどうかわからなかったが・・・
きっと浜松駅でも売っているに違いないとお店に入るのはやめる(入っておけばよかったのだが)。
しそ巻はおつまみにもご飯の供にもよい。

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そのうち、鳥居が見えてきた。
案外地味な鳥居だが、これは蒲神明宮の鳥居。浜松で一番古い神社らしい。
東海道からは700メートル北にあるため、行くのは断念。

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龍梅寺には寄ってみる。
なぜかここにも二宮金次郎の像があったりしたが、有名なのは焼餅地蔵。

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お地蔵様が焼き餅を焼いた?
かと思ったら、焼いた餅を供えたということなんですね。

お寺を出てすぐのところに浜松酒造の蔵があった。
ちょっとのぞいてみると、小さな瓶も売っている模様。
ということで、おみやげに出世城の純米酒300ml×2本を購入。少々リュックが重くなったが、お酒のためならなんとやら(笑)。

馬込一里塚跡は駒札があるのみで(昔は両側に9メートルの土塁があった)、馬込橋を渡る直前に外木戸東門跡。いよいよ浜松宿に入る。
浜松宿は遠江・駿河を通じて最大の宿場で、箱根とともに本陣が6軒もあった。

宿に入ると浜松の中心街という感じで賑やかになってきた。

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夢告地蔵という地蔵が突如出現。
安政の頃大流行したコレラで亡くなった人たちを供養するため作られたという。

その先に三立製菓のビルがあったらしいのだが・・・
気付かず通り過ぎてしまった。
ワタクシ、源氏パイ、大好きなんですよねぇ。うなぎパイも好きだけれど。
浜松駅に源氏パイも売ってるんだろうか?

遠州鉄道の高架をくぐった先は上り坂となる。
交差点に浜松城大手門跡があり、東海道は左へと折れるのだが、せっかくなので浜松城に寄っていくことにする。

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区役所を曲がると大きく見えるお城。

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上がっていくと、本丸跡、一の丸跡があり、若き日の家康公の像もあった。

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石垣は当時のもので、野面積み。天守門の石垣は巨石が用いられている。

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天守門はいやにきれいだなあと思ったら平成26年に復元されたものとのこと。
天守閣は昭和33年、鉄筋コンクリート造りで再建されたもの。
そもそも天守閣が存在していたか・・・
広重の浜松宿の絵には描かれてるのだが。
家康後、豊臣の家臣であった堀尾吉春が築いたという記録はあるらしいが、その後なくなったということだろうか。
歴代城主が幕府の重臣へと出世したことから出世城と言われるお城である。

天守閣の入場料は200円。
中は資料館となっている。地下には井戸もあった。
3階は展望台になっており、北には三方原の古戦場(といってもどのあたりかわからず)、南には遠州灘、そして

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西には浜名湖が。天気がよくないのでどうかなと思っていたが湖が見えた!浜名湖の方はもうすっかり雨がやんでいるようだ。

4に続く

2017/10/30

東海道五十三次歩き(第12回) 見付~浜松2

1より続き

天竜川の土手が見えてきた。右に折れる直前に長森立場の看板がある。
間村の休憩所である。ここはまた長森こうやくというあかぎれや切り傷に効く薬が作られていたとのことだが、今はもうないそうだ。

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道を右に折れ少しいったところを左に入ったところに天竜橋跡碑があった。
天竜川は元々渡船で渡っていたのだが、明治9年木橋が架けられた。その跡である。昭和に入って鉄橋ができたためこの橋は廃止され取り除かれている。

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いよいよ天竜川を渡る。
以前は天竜川橋しかなく、しかしこの橋は歩道がなくて徒歩で渡るのは大変だったというが、新天竜川橋は広い歩道があり安全(正確には天竜橋の次に昭和40年完成したのが新天竜橋で今は下り専用の道路、平成20年にできたのが歩道のある新新天竜橋で上り専用)。
ちょうど雨が強くなり、川からの風も強く、ズボンも靴もビショビショ、最悪な気分の中、川を渡る。
ようやく渡りきると、浜松市に入った。

渡ってすぐのところにポケットパーク。中野町の案内版がある。
中野町は東海道の中間点にあって、それでなかのまちと名付けられたという。
それじゃあ袋井はどうなの?
いや、袋井はまん中の宿ってことですかね。
距離的になかのまちがまん中かどうかは・・・ちょっとわかりません。

そこから南へ進み、東海道はまた右に折れるのだが、その角に六所神社があった。

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明治天皇玉座碑があり、また舟橋・木橋跡もあった。
ちょうど向こう側にも橋の跡碑がありましたね。
明治元年、天皇御東幸の際、船を並べ板を強いた仮設の舟橋が2日間だけ架けられ、その後最初の橋が出来たものの舟橋は洪水により度々流されたので、明治9年木橋が作られたとのことだ。写真を見ると柵があるわけでもなく、ちょっと危なっかしい気もする。
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角を曲がると餃子のかめが見えた。浜松餃子にも惹かれるものがあったが、この日はうなぎを食べると決めていた。
すぐ先にある中川屋である。

11時15分過ぎだったが、すでに人がそれなりに入っている。
どれにしようか迷ったが、せっかくなのでこのお店の名物、うなぎとろろ茶漬けを注文。結構ボリューミーに見える。

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まず1杯目は、そのまま茶碗によそって食べる。
2杯目は、薬味をのせだし汁をかけて鰻茶漬けで。
3杯目はさらにとろろをかけて。
とろろというのが意外だが、ふわふわのとろろをかけるとさっぱりとするんですね。
脂ののったうなぎはおいしいけれど、最後はさっぱりというのもいいなと。
おなかいっぱいになったけれど、杏仁デザートもしっかりいただく。
いやはや、しばらくは動けないかもと思うほどだった。おいしい鰻で大満足。

重いお腹をさすりつつ出発。
雨も小降りになっていた。お店にいる間にズボンは乾いたようだが、靴下はまだ濡れたまま。

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鰻しか目に入っていなかったので気付いていなかったが、うなぎ屋さんのすぐ前に伊豆石の蔵があった。
江戸城の石垣にも使われたという伊豆石は耐火性にすぐれているらしい。

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この近くで浜松のマンホール発見。
なんの柄だろうと思ったら、浜松まつりの凧揚げ合戦の凧とのこと。
浜松市はもっといろいろなデザインのマンホールがあるらしいのだが、この日は他に見つけられず・・・残念。次回に期待したい。

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軽便鉄道軌道跡があった。
明治42年から昭和12年まで浜松から中野町を走っていたミニSL(のちにガソリンカーとなる)で、このあたりが終点。写真を見るとのどかな風景ですね。

そのすぐ先の松林寺は立派だった。庭も美しい。

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境内の薬師堂は、家光が浜松城主に命じて建立させたもので、寺自体は二度焼けているが、薬師堂は焼失をまぬがれたという。

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そして見えたきたのは金原明善の記念館と生家。このあたりでちょくちょく聞く名前だが、天竜川の治水事業に全財産を投じたという偉人である。その他にも植林事業、出獄人の保護なども行ったらしい。
記念館は残念ながら木~日が開館日ということで、この日(水曜)は見られなかった。

広い県道へ合流する手前に姫街道との分岐点があり、安間一里塚跡もあった。
姫街道は東海道を歩き終えたら是非歩いてみたい。その際、池田の渡し跡も見よう。

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安間川を渡り、国道1号線をくぐる手前の道を入ったところに、浜松領の榜示杭。ここから浜松藩領へと入る。

3へ続く

2017/10/29

東海道五十三次歩き(第12回) 見付~浜松1

前週に引き続いての東海道歩き。
この日行くかどうか、前の日ぎりぎりまで迷っていた。
元々雨がちの予報が出ていて、前日夕方の予報では昼近くまでは雨が少し降りそうだということで、それほど降らないならいいかと決行することに。
しかし、翌朝起きてみると、思ったより強い雨になりそうだし、3時くらいまで
やみそうもない・・・
まあしかし、もっと早くやむかも、と楽天的に考え、いつもの電車に乗ってお出かけ。

掛川から乗りかえるので、今回もこだまに乗る。

1
東海道線を待っていたところに、向こうのホームに入ってきたのは天竜浜名湖鉄道の車両。
前週、せっかく通ったのに見逃してしまったのを残念に思っていたが、よかった見られて。
しかも、期間限定で走っている直虎のラッピング列車である。

さて、磐田に降り立つと、雨は結構降っていた。途中静岡あたりではやんでいたのだが・・・

2
東海道は北口だが、まず南口に出る。駅前にある前島密像を見るため。
1円切手でおなじみの前島密の像がなぜここにあるのか?
それは、明治2年、中泉奉行(磐田駅も当初は中泉駅と言った)として前島密がこの地にやってきたから。
像の隣には、最初のポスト(書状集箱)を模して作られた郵便ポストが置かれている。あ、これ実際に使われてるものなんですね。

3
北口に移動、駅前にあるのが善導寺の大クス。
かつてこの場所にあった善導寺境内にあった樹齢700年のクスノキだが、善導寺自体は駅前の開発で移動している。

4
おや?クスノキの前にあるのは磐田市のイメージキャラクターのしっぺいですね。
しっぺいがあちこちにあって、なんだろう、このゆるキャラはって思っていたのだが、悉平太郎(怪物を退治した犬)だったんですね。

この広場は去年できたばかりとのことでキレイだった。

東海道歩きスタート。
さらに雨は強くなり寒い。

5
まず最初に寄り道は、お弘法さま、そして伏見稲荷神社。小さいが真っ赤でとても目立つ。

52
通りに戻ると、ジュビロくんが描かれたマンホールの蓋があった。

大乗院坂を下って県道に合流するすぐ手前に祠が。くろん坊(黒坊大権現)、咳や熱病の神様だ。昔、インド人の旅僧が強盗に襲われて亡くなり、この土地の人々が手厚く葬ったという。

ここからはしばらく県道を行く。

6
途中で、一里塚が。宮之一色一里塚で、63里目だ。この塚は昭和46年に復元されたもの。

7
その先に宮之一色秋葉山常夜燈。
1828年に建てられたもので、立派な竜の彫り物がある。
竜もアップで何枚か写真を撮ったのだけど、かなり雨が降っていて水滴がついてボケてしまった。残念。
この頃には靴の中も水がしみてきて、撥水性のあるズボンも徐々に濡れつつあった。
マップもビショビショで悲惨な状態になり、ビニールに包んだが、広げて見られないので大変だ。

8
長い参道が雨でぐちゃぐちゃだったが、若宮八幡宮に行ってみる。
なぜか土俵があったのだが、奉納相撲が有名だそうだ。

2に続く

2017/10/25

東海道五十三次歩き(第11回) 掛川~見付4

3より続き

すぐ先に裸祭りで有名な矢奈比売神社(見付天神社)の参道がある。

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上がっていくと待望の猫発見!この日、ようやく遭遇した猫たちは、にらみあって動かない。こちらには愛想はよ
かったけれど。

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赤い鳥居のところに精悍な犬の銅像がある。
しっぺい太郎だ。
昔々白羽の矢が刺さった家の娘を生け贄としてささげる風習があり、その怪物を退治したのがしっぺい太郎(信州からつれてきた犬)だということだ。
街中にいくにつれ、なんかゆるキャラがいる、犬かな?と思っていたのだが、この犬だったんですね。しっぺいというキャラと、後から知った。銅像とはだいぶ違うけど(笑)。

先を急ぐのでお参りはせず、通りへと戻る。
しっぺい太郎やあわ餅(この日、粟餅のお店井口製菓は休業日)、裸祭りなどのタイルが歩道に埋め込まれている。
予備校まで昔の建物風でおもしろい。

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静岡銀行前の問屋場跡を過ぎ、到着したのは見付学校。ここが4時半で終わってしまうので急いでいたのだ。

見付学校は明治8年に開校した、現存する日本で一番古い小学校。
木造の洋風建築で下の石垣は遠州横須賀城のもので、3階+2層=5階建てで、美しい建物だ。
受付でどこからきたかを書いて入場(無料)。スリッパに履き替える。

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中は昔の教室が再現されていたり、教科書の変遷、遊び道具、民俗資料、郷土資料などが置かれる資料館になっている。教室の人形が妙にリアル(笑)。

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伝酒井之太鼓もあった。三方原の戦いの際、家臣の酒井忠次が太鼓を打ち、武田軍は家康の策と思い攻撃を断念したというもの。
4階、5階からは外の景色が見える。上がる階段が急でスリッパが脱げてしまったが・・・靴下で歩いた方が安全じゃないのかなあ。

お隣にあるのが淡海国玉神社。

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祀られているのは大国主命。というわけで、狛犬ならぬ狛うさぎがいるのだった。右のうさぎは鞠、左のうさぎは子ウサギを持っている。

見付学校のためにちょっととばしてしまったところに戻る。
大見寺である。日本ではじめて空を飛んだ岡山出身の表具師、鳥人幸吉の墓があるとのことだったが、結局どこかわからなかった。岡山を所払いとなり、最後に見付に住んだという。

脇本陣の切妻屋根ののった門を撮影、マックスバリュでお茶を買い、おみやげに又一庵できんつば(普通のと芋と)を購入。1個は歩きながら食べようと思ったのだが、その後雨が降ってきたので断念・・・残念。
すぐ先左を入ると、日本左衛門の墓と伝わる墓石があるという見性寺があるようだったが、これまた断念。いつものことながら最後の方はカットが多くなってしまう。

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交差点を渡ると姫街道の道標。
そのまま細い道を直進すると姫街道だが、いずれこれはまた歩くことになるだろう。

左に折れたところに西木戸跡。見付宿を出る。

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その先を右に入ったところが西光寺。
山門は、家康が別荘として築かせた中泉御殿の門を移築したもの。
お寺は恋愛成就のパワースポット?らしいが、大楠が見事だった。この日はずいぶんと大きな木を見てきた。

次第に小雨が本降りに近くなってきて傘を取り出す。
ゴールまでもうちょっとというところでよかったと思う。

だいぶ日の入りも近づき暗くなってきたが、最後に府八幡宮に寄る。
ホントはもうちょっと明るい時間に見たかったところだけれど。

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楼門は1635年に建立され、数年前に大規模な修復工事を行ったもので、大変立派。
中門は1800年代に入って再建されたもの、本殿は1617年に建立されたものだそうである。

そして磐田駅へと向かう。

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駅近くにジュビロのマスコット、ジュビロくん(静岡の県鳥サンコウチョウがモチーフになってるらしい)があったが、しっぺいもあったようだった。暗かったので次回のスタート時に撮影しよう。

磐田から掛川まで戻り、駅弁を買う。
前回の新幹線にはちょっと間に合わず6時半過ぎのに乗った。わりと空いている。

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早速駅弁(&ビール)タイム!
今回は浜の釜めしである。うなぎがちょっぴりのっているのがうれしい。
ワタクシ的には結構なご飯の量だったが、よく歩いたので完食。歩いたあとのビールがおいしい。

東京駅で乗りかえ、帰宅は9時半だった。
帰宅まで46000歩ちょっと。今回もまずまず歩きました。
次は浜松へ!

(完)


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