街道歩き

2023/11/23

中山道六十九次歩き(第33回) 上尾宿~大宮宿~北浦和5

(4より続き)

参道途中で中山道に戻ることにする。

1_20231123173501

またまたあった庚申塔。邪鬼がかわいいなあ。宝暦10年(1760)建立。

2_20231123173501

大宮区役所兼図書館のガラス張りの建物の向かいにある山丸公園(ここにあった山丸製糸工場からのネーミング)には、蒸気機関車があった。横浜~旭川~釧路~川越線、大宮で使われたものだそう。

3_20231123173501

ん???このポストに乗っているのはどうやらさいたま市のPRキャラクター、つなが竜ヌゥらしい。見沼田んぼの主の子孫らしい。見沼=ヌゥなんですと。

4_20231123173501

中山道に戻る途中の小道に塩地蔵がある。
病に倒れた父親を二人の娘が、お地蔵様のお告げに従って塩断ちをしたところ、父の病が全快したところから、塩を供えて願をかけるようになった、ということで、塩が袋ごと置いてありましたね。

5_20231123173501

お隣には子育て地蔵。

6_20231123173501
街道沿いにはこんな説明板が。

この先で大宮宿を出る。
大宮宿は本陣1、脇本陣9、旅籠25であった。脇本陣の数が多かったんですね。

7_20231123173501

氷川神社一の鳥居。

8_20231123173501

武蔵国一宮と刻まれた社標がある。
このあたりにかつて一里塚があったようだが(7里目)、正確な位置はわからないようだ。この日はの一里塚は全滅。

広いショッピングモール、コクーンシティが見えてきた。
片倉製糸の工場跡ということでコクーンなんですね。かつて、大宮には多くの製糸工場があり、生糸の生産地として発展していったようだ。

9_20231123173501

さいたま新都心駅(このあたりはビルだらけですね)を通り過ぎた先にお女郎地蔵と火の玉不動があった。
美しい旅籠の女郎が材木屋の若旦那と恋仲になったが、悪漢が割って入り旅籠に火をつけると脅し、進退窮まった女郎はついに高台橋から身投げをしてしまう。これを哀れに思った町人が地蔵を建立した(右)。
高台橋のあたりを毎夜火の玉が飛んでいるので、ある男が火の玉に斬りつけてみると不動明王と名乗る男が「剣を斬り落とされた」と言い残して姿を消した(左)。

10_20231123173501

4時を過ぎて少しずつあたりは暗くなってきた。雲がきれいだ。

11_20231123173801

一本杉の仇討ち跡。
千葉周作の門弟宮本佐内は同門の河西祐之助の腕前を嫉妬し、徒党を組み勝負を挑むが討たれてしまい、佐内の子鹿太郎がここで文久4年(1864)正月父の仇を討った。これを最後に仇討ちは禁止となったのだそうだ。

12_20231123174001

これは当時の杉じゃないのかな?

13_20231123173801

正徳4年(1714)造立の青面金剛像庚申塔。いやはやこの日もたくさん庚申塔を見たなあ。

14_20231123173801

違ったデザインのマンホール。
デザインされたモチーフは同じかな。

15_20231123173801

こちらはサクラソウのみ。

16_20231123173801

最後に廓信寺に寄る。

21_20231123174301

参道口にはサツマイモの女王紅赤(通称金時)発祥の地の説明板がある。この地の農家の主婦山田いちさんが紅赤を発見したのだそうだ。

17_20231123173801

仁王門。

18_20231123173801

残念ながら時間が遅かったのか、中には入れず・・・
どうやらこの山門の脇に河西祐之助の墓があったようなのだが見逃してしまった。残念。

ゴールの北浦和駅へ向かう。
4時43分の京浜東北線に乗り、順調に乗り換えて地元駅到着5時半前。

駅ビルの鮨屋さんで乾杯!

19_20231123173801

寒ぶりの刺身、じゃこ天、揚げ茄子とトロロのネギ味噌焼き、あん肝ポン酢、握り寿司(いくら、甘エビ)
お酒は瓶ビール(キリン一番搾り)と白ワイン。

帰宅は7時過ぎだった。約35100歩。

20_20231123173801

おみやげは、お漬物2種と、(川越に行ったわけじゃないけど)くらづくり本舗の栗の菓(ロールケーキ)。

中山道はまた少しお休み。
もう少しで完歩です。

(完)

マップはこちらを使っています

2023/11/22

中山道六十九次歩き(第33回) 上尾宿~大宮宿~北浦和4

(3より続き)

小動物園にも行ってみる。

1_20231122010601

兎さんがお出迎え。

2_20231122010601

リスザルは動きが激しくて撮りづらい。

3_20231122010601

ブラウンケナガテナガザル。
尻尾も長いんだな。

4_20231122010601

シロフクロウ。

5_20231122010601

アネハヅル。

6_20231122010601

ガン。

7_20231122010601

タンチョウヅル。

8_20231122010601

クビワベッカリーってイノシシみたいだ。

9_20231122010601

とっても人なつっこいブチハイエナ。

10_20231122010601

フラミンゴ。ずっと水を飲んでる。片足で。

11_20231122010801

ヤギさん、寝てるような笑っているような?

12_20231122010801

アナホリフクロウ。

無料なんだけれど結構充実してました。

神社に戻る。

13_20231122010801

さざれ石を見て・・・

14_20231122010901

三の鳥居を出る。

15_20231122010801

明治天皇と氷川神社御観察の絵巻。

16_20231122010801

行幸絵巻。

17_20231122010801

明治天皇はこの中かな。

18_20231122010801

参道はとても長い。2キロあまり。

19_20231122010801

二の鳥居は明治神宮から移設されたもの。狛犬はここにありました。

20_20231122010801

少し紅葉している。

(5へ続く)

マップはこちらを使っています

2023/11/21

中山道六十九次歩き(第33回) 上尾宿~大宮宿~北浦和3

(2より続き)

1_20231121192201

向かいに宗像神社。

2_20231121192201

神橋が見える。

3_20231121192201

亀の置物がありますね。

4_20231121192201

フユザクラだろうか。

5_20231121192201

紅葉にはちょっと早いようだ。

6_20231121192201

奉納された酒樽の数々。
埼玉県のお酒もまだまだ飲んだことがないのがあるなあ・・・

7_20231121192201

お隣は額殿。
お、秩父の兎田ワイナリーの樽が奉納されていますね。

8_20231121192201

神楽殿。

9_20231121192201

夫婦楠、大きい。

10_20231121192201

神橋のむこうに楼門。

11_20231121192701

橋からは宗像神社が見える。

12_20231121192701

立派な楼門。

13_20231121192701

舞殿。

14_20231121192701

拝殿。

15_20231121192701

御嶽神社などの境内社を見てから、大宮公園へ。
せっかくなので行ってみようと。
大宮公園は明治18年、氷川公園の名称で誕生した県営公園の中では最も長い歴史を持つ公園。その後、日本の公園の父、林学博士の本多静六により整備され、漱石や子規なども訪れたという。

16_20231121192701

日本庭園がある。

17_20231121192701

ちょうどツワブキが満開。

18_20231121192701

鴨さんたちが歩いている。

19_20231121192701

ミニ滝もあり。

20_20231121192701

少し紅葉も。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています

2023/11/20

中山道六十九次歩き(第33回) 上尾宿~大宮宿~北浦和2

(1より続き)

1_20231120001301

加茂神社に寄る。鳥居が二つ。
加茂別雷神社(上加茂神社)を勧請した神社で、渓斎英泉の浮世絵、木曽街道上尾宿に幟が描かれている。

2_20231120001301

拝殿。

3_20231120001301

本殿。

4_20231120001301

5_20231120001301

6_20231120001401

競べ馬の彫刻がほどこされている。文政9年(1826)だそう。

7_20231120001301

民家の塀がひっこんだところに元禄3年(1690)の庚申塔。

8_20231120001301

宝暦9年(1759)建立の橋供養塔を見て、すぐ先のサイゼイヤに入る。

9_20231120001301

頼んだのはミートソースボロニア風。ミニサラダとコンソメスープ付き。結構おなかいっぱいになって出発。

すぐ先が加茂宮一里塚跡(8里目)らしいが、何もない・・・

10_20231120001301

東北新幹線とニューシャトルの高架をくぐった先に東大成の庚申塔がある。

11_20231120001501

二鶏も見えますね。

12_20231120001501

めずらしく馬頭観音もあった。享和2年(1802)建立。下鴨野宮村と印刻されている。

13_20231120001501

天保3年(1832)造立の供養塔。
「此方 せいふ四り半 きさい五り半」と刻まれる。菖蒲(せいふ)、騎西(きさい)方面への道標を兼ねている。

14_20231120001501

安永6年(1777)造立の南無三界萬霊塔。

15_20231120001501

ココスの駐車場にあったのは、安政7年(1860)建立の道標。「大山 御嶽山 よの 引又(ひきまた) かわ越道」と刻まれている。
大山までは結構遠そう・・・

16_20231120001501

氷川神社の社標のところで左折。中山道は直進だが、古中山道は左折して、神社の参道を通る。この後中山道を通っても遺構は何もないようなので、途中まで古中山道を行くことにした。

氷川神社を見学。
武蔵一宮で大いなる宮居として大宮という地名の由来にもなっている。ここ大宮氷川神社は200社以上ある氷川神社の総本山。

境内社がいろいろある。

17_20231120001501
稲荷神社。

18_20231120001501

狐さんたち。

19_20231120001501

意外ときらびやかだ。

(3へ続く)

マップはこちらを使っています

2023/11/19

中山道六十九次歩き(第33回) 上尾宿~大宮宿~北浦和1

前週に続いての中山道歩き。
だいぶ江戸に近づいてきて、目的地への行き帰りが楽になり、またこの日の距離は少なめなので、少しゆっくり家を出ることにした。

8時25分、地元駅の電車に乗ったところ、さすが、ラッシュ時だけあって混み混み。しかし、武蔵野線は余裕で座れ、京浜東北線は少し混んでいたものの、高崎線はまた余裕で座っていくことができた。
上尾駅には9時36分到着。歩き始める。

1_20231119172801

改札を出ると、前回通った時は気づかなかったのだが、アッピーがいた。ゆみの木の実がモチーフの福島県本宮市のまゆみちゃんと二人の子どもあゆみちゃんも。そういうキャラ設定があったんですねぇ。

まずは氷川鍬神社に寄る。神社の前あたりが林本陣があったところのようだ。

2_20231119172801

氷川鍬神社は上尾宿の総鎮守。
桶川宿の方から童子らが櫃を台車に載せて上尾宿に引いてきて歌い踊り、江戸まで送ったが、上尾宿に戻され、本陣前で台車は動かなくなった。正月、櫃を空けると、中に御幣束と違う形に結びつけてある藁筒(稲穂十余茎が入っていた)と小鍬二挺が入っていたので、社を建立して小鍬二挺を祀り、稲穂を供えたのがはじまりとのことだ。

3_20231119172801

絵馬にこの様子が描かれている。

4_20231119172801

社殿の中をのぞいてみたが・・・(前回買ったお酒、文楽が見える)

5_20231119172801

鍬は見当たらず・・・

6_20231119172801

大きな願い石。

7_20231119172801

聖徳太子像碑。

8_20231119172801

浅間大神。富士塚に登ってみました・・・

9_20231119172801

上尾郷二賢堂跡碑。
天明8年(1788)、雲室上人がここに開いた郷学ともいえる 「聚正義塾」 の学舎の名称で、中国の南宋の大儒朱文公(朱子)と、わが国の学問の神様ともいわれる菅原道真の二人の賢人を祀る意味から、二賢堂と名付けたとのこと。

10_20231119172801

井上脇本陣跡には、家紋(井と上)がついた屋根瓦が飾られている。

その先の伊勢屋さんで鍾馗羊羹を買いたいなと思っていたのだが、残念、この日は定休日。そういえば、結局、宿内で屋根にのった鍾馗様を見ることができなかった。

このあたりが一里塚址とのことだったが、特に何もなし。

11_20231119173101

愛宕神社。

12_20231119173101

参道脇に享保7年(1722)の青面金剛庚申塔。この日もこのあとたくさんの庚申塔を見ることとなる。

その先で、上尾宿を出てひたすら歩く。

13_20231119173101

道標を兼ねた庚申塔があった。
ちょうど工事中でじっくり見られなかったのだが、「是より秋葉へ壱里十二町 ひご方へ壱里八丁 川越へ三里」 と刻まれているそうだ。寛政12年(1800)建立。

14_20231119173101

不動堂の中の陽刻された石造不動尊。
ここでさいたま市に入る。

15_20231119173101

河村屋さんで玉ねぎの漬物と金山寺味噌きゅうり漬を購入。玉ねぎの漬物は食べたことがないけれど、どんなだろう?
江戸時代後期の創業で元はお酒や醤油を扱うお店だったそうだ。

16_20231119173101

さいたま市のマンホール。
市の木ケヤキ、市の花サクラソウ、市の花木サクラのデザイン。

17_20231119173101

南方神社。鳥居が赤くて目立つ。
南方神社は、旧吉野村の鎮守で諏訪社とも呼ばれていたが、明治40年頃、近隣にあった雷電社、八雲社、稲荷社を合祀、諏訪神社の主祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)から取って南方神社となった。

18_20231119173101

拝殿。本殿が覆われている。

19_20231119173101

三原小学校の敷地内に大きなセンダンの木があった。樹齢100年。もう実は落ちたあと?今から?

(2へ続く)

マップはこちらを使っています

2023/11/18

中山道六十九次歩き(第32回) 北鴻巣駅~鴻巣宿~桶川宿~上尾宿7

(6より続き)

1_20231117002501
武村旅館は嘉永5年(1852)の建築。国登録有形文化財。
現在は営業していないようだ。

2_20231117002501

まもなく木戸址で宿を出る。

3_20231117002501

ほどなく上尾市に入る。
上尾市のマスコットキャラクターはアッピー。Aの文字がモチーフとなっているんですね。あげおのア、上昇のアップ、ハッピーをあわせてアッピーだそうだ。

4_20231117002501

上尾市のマンホールは市民の木アオキのデザイン。

5_20231117002501

もう一つは、市の木カシの実と葉がデザインされている。

6_20231117002501

久保西交差点のところに黒塀で囲まれた大きな御屋敷がある。
紅花の仲買で財をなした豪商須田家の御屋敷だ。

7_20231117002501

これまた違うマンホール。
現在は行われていない、中山道あげお大綱引き祭りがモチーフでネズミ、牛、虎、うさぎ、猿などの動物が綱引きをしているデザインだ。

8_20231117002501

平成の道標があるところで上尾宿に入る。
案内板の屋根の上には鍾馗様!どうやら上尾では屋根の上に鍾馗様を乗せるらしい。上尾宿では昔大火が続き、町のほとんどが焼失したが、鍾馗様が屋根の上にあった家が火事を免れたため、火伏せとして鍾馗様を飾ることがはやったのだそうだ。
上尾宿は、後北条時代に宿駅として成立していたが、整備されたのは、慶長7年(1603)の伝馬制施行以降。早朝江戸をたった人が宿泊することが多く、小さな宿だが旅籠が多かった。飯盛り女の数も多かった。本陣1、脇本陣3、旅籠41。

北西酒造に寄る。ショップがモダンでおしゃれ。ということで、おしゃれな角瓶の文楽生貯蔵酒を購入。重い笑

9_20231117002501

上町庚申塔。
延享2年(1745)の青面金剛像で、二鶏・三猿も彫られている。鶏がいるのはめずらしいですかね。

最後に遍照院に寄る。

10_20231117002501

参道の地蔵菩薩、六地蔵。

11_20231117002601

山門。

12_20231117002601

山門脇にはやっぱり?の庚申塔。

13_20231117002601

本堂。
このお寺のお墓薄幸の孝女お玉の墓がるとのことだったが見つけられず。遊女だったお玉は前田侯の参勤通行の際、小姓に見染められ江戸に行くも病にかかり上尾に戻って25歳で亡くなる。大村楼の主人が憐れみ篤く弔ったとのことである。

駅前のAGeoタウンの中にあるあげおお土産観光センターにて、伊勢屋さんのゆず最中を買い、駅へ。
4時過ぎの電車に乗り、大宮、南浦和乗り換えで地元到着5時15分過ぎ。

いつものお店で飲んで帰る。

15_20231117002701

まずはサッポロラガービール。
お通しはあん肝ポン酢とツナマカロニサラダ。
つぶ貝の刺身、煮穴子のさっぱりあえ、鮎の塩焼き、肉厚椎茸の網焼き。
日本酒は大信州。

帰宅は7時10分。

16_20231117002601
おみやげは、川幅日本一せんべい(ねぎみそ)、おき川、ゆず最中、日本酒文楽。

約44700歩。思ったよりは歩数が多かったのは、それなりに寄り道があったからですね。

次回は北浦和まで行きます。

(完)

マップはこちらを使っています

2023/11/17

中山道六十九次歩き(第32回) 北鴻巣駅~鴻巣宿~桶川宿~上尾宿6

(5より続き)

街道に戻る。

1_20231116225901

桶川のマスコットキャラクターはオケちゃん。紅花をかぶってるんですね。

2_20231116225901

ポケットパークのところにお茶博士辻村みちよ顕彰碑があった。
緑茶の中にカテキンが含まれることを世界で初めて発見した研究者で、日本初の女性農学博士となった人。桶川市生まれ。

3_20231116225901

その先に中山道宿場館があったので寄ってみる。

4_20231116225901

マンホールいろいろ。

5_20231116225901

オケちゃんのカラー版ももこの先あるみたい・・・
いろいろと資料をいただいて、先を進む。

6_20231116225901

本陣跡。

7_20231116225901

明治天皇桶川行在所跡碑もある。
たまに公開されるようだ。建坪207坪のうち、上段の間、次の間、湯殿が現在保存されているそう。埼玉県内で唯一残る遺構とのこと。

8_20231116225901

矢部家住宅。明治期の建物。穀物問屋を営んでいたお宅。

9_20231116225901
向かいに小林家住宅。江戸末期に建てられた元旅籠で、今はギャラリー兼カフェになっている。国登録有形文化財。

10_20231116230701

島村老茶舗。嘉永7年(1854)創業。建物は大正期のもの。
おもむきのある建物が残されていていいですね。

向かいにあるおき川で、その名もおき川というお菓子を購入。
桶川という地名は、沖側(広々とした田畑の側)とか起き川(川の水源)などからきたという説があるとのことだ。

11_20231116230701

あ、ありました。オケちゃんのマンホール。
オケちゃんが桶川宿を散策している様子を描いていて、 背景には桶川宿の街並みと市民の木イチョウが描かれる。

浄念寺に寄る。

12_20231116230701

朱塗りの仁王門は元禄14年(1701)に建てられた桶川最古の建物。

14_20231116230701

13_20231116230701

ここの仁王様は小さめ。

15_20231116230701

石仏石塔物。

16_20231116230701

板石塔婆。

17_20231116230701

本堂。

18_20231116230701

このお寺の猫さん。蝶を追いかけるのに夢中。

(7へ続く)

マップはこちらを使っています

2023/11/16

中山道六十九次歩き(第32回) 北鴻巣駅~鴻巣宿~桶川宿~上尾宿5

(4より続き)

1_20231113011201

本宿交差点に北本宿碑がある。
鴻巣に移転するまでは宿場だったところ。以降は本宿と呼ばれ立場となった。
北本駅も元は北本宿駅だったらしい。

ちょうど昼時。

2_20231113011201

ということで、アンジェラプレイスカフェにて昼食。

3_20231113011201

前菜・ドリンクセット。
前菜はサラダや鴨のスモークなど。ドリンクはジンジャーエール。
ハーブチキンとルッコラのピザと厚切りナスをベーコンのトマトソーススパゲッティをシェア。

結構ボリューミーでおなかがいっぱいに・・・(その後ちょっと歩みがのろくなりました・・・)

4_20231113011201

北本市のマスコットキャラクターはとまちゃん。でもなかなか見られなくて、ようやく消火栓にデザインされているのを見つけた。

5_20231113011201

と思ったら、すぐに桶川市に入った。

6_20231113011201

木戸址の石柱。桶川宿に入る。
桶川宿もまた江戸からの旅人が最初に宿泊することが多いところで、紅花の産地として栄えた。戦災も免れたため、建築物も残っていて宿場の面影を残している。本陣1、脇本陣2、旅籠36。

7_20231113011201
桶川市のマンホールはべに花。
桶川の紅花栽培は天明・寛政年間に江戸商人がその種子をもたらしたことから始まり、「桶川臙脂(えんじ)」の名で全国に知られ、紅花宿とよばれるほどに栄えて、大きな富と文化をもたらしたとのこと。
この後にたまたま出会ったボランティアガイドの方に、桶川の方が暖かく、山形の紅花より一足早く収穫することができたため、紅花栽培が発展したとお聞きした。

8_20231113011201

桶川一里塚跡(10里目)を通り過ぎ、大雲寺に寄る。

9_20231113011201

ここには女郎買い地蔵がある。正徳3年(1713)造立。
飯盛り女の元に通う若い僧を和尚が地蔵にかえ、鎹をうち鎖でしばったとか・・・

10_20231113011201

確かに鎹が残ってますね。

11_20231113011301

六地蔵石幢。

12_20231113011301

たくさんの石仏。

13_20231113011401

本堂。

14_20231113011301

このお寺でボランティアガイドさんに出会い、いろいろ説明していただいて、元々パスしようと思っていた稲荷神社に日本一の力石があると聞いて行ってみた。

15_20231113011301

そんなに見た目大きそうではないし

16_20231113011301

重そうでもないのだけれど、なんと610キロもあるんですって!

17_20231113011301

江戸の力士三ノ宮卯之助が持ち上げたそうなのだけど、なるほど、足の上にのっけて持ち上げたのか・・・

18_20231113011301

欅稲荷大明神なるものもあった。

(6へ続く)

マップはこちらを使っています

2023/11/15

中山道六十九次歩き(第32回) 北鴻巣駅~鴻巣宿~桶川宿~上尾宿4

(3より続き)

さて出発。

1_20231113010601

このあたりは人形町で、人形店がいくつか。
かつては58軒あった人形店も今は6軒。

2_20231113010601

こちらの太刀屋さんは天保5年(1834)創業とのことだ。

八幡神社の奥に富士塚があると聞いて行ってみたのだが・・・

3_20231113010601

えーと、これかな???たった6段の富士塚??

4_20231113010701

北本市に入った。

5_20231113010701

北本市のマンホールは市の木、桜。
北本市には国の天然記念物に指定され、源範頼の伝説にも名高い樹齢約800年の「石戸蒲ザクラ」、桜並木が見事な「城ヶ谷堤」や全国から30種約200本の桜を集めた「高尾さくら公園」などがあるとのこと。

一里塚を見るため、しばらく古中山道を歩くことにする。

6_20231113010601

第二中山道踏切を渡る。

7_20231113010601

ブロック塀に囲まれた馬頭観音。ちゃんとお馬さんが描かれていますね。

8_20231113010601

原馬室一里塚。11里目。
現在は西側の塚のみ残っている。東塚は明治16年、高崎線敷設の際取り壊された。

9_20231113010601

東間踏切を渡って、少し元に戻り、東間浅間神社へ。
江戸時代中期に築かれた富士塚(6メートル)の上に、社殿がある。

10_20231113010601

賽銭箱に富士山が描かれていますね。
かつては富士山が見えたようだが、今見えるのはマンション・・・

11_20231113010801

境内の庚申塔。

12_20231113010801

天神社の隣に多聞寺がある。

13_20231113010801

境内に大きなムクロジがあった。これが天然記念物!と思ったら・・・

14_20231113010801

それはこちらの木の方だった。樹高17メートル、樹齢約200年。
途中で折れてしまってるのかな?

15_20231113010801

実がなっているのを見たのははじめてかも?

16_20231113010801

中の黒い種は、羽根つきの玉ですね。

17_20231113010801

サルスベリの紅葉。

18_20231113010801

本堂。

19_20231113010801

文化12年(1815)の青面金剛庚申塔。

20_20231113010801

このお地蔵様はいいお洋服を着せてもらっている。

(5へ続く)

マップはこちらを使っています

ホントに歩く中山道第16集

2023/11/14

中山道六十九次歩き(第32回) 北鴻巣駅~鴻巣宿~桶川宿~上尾宿3

(2より続き)

本陣跡の標石などは見逃してしまい、勝願寺へ。
文永年間創建で、天正元年(1573)に現在の地に再興された。浄土宗関東18壇林の一つで、徳川家の庇護をうけて三つ葉葵の使用を許された。

1_20231113000301

この総門は、何度かの火災を免れ、江戸時代から残る唯一の建造物である。

2_20231113000301

丹後国田辺城主牧野家累代の墓。

3_20231113000301

仁王門。

4_20231113000301

仁王様は大きい。

5_20231113000301

本堂。

6_20231113000301

人形塚。もうすぐ人形供養があるらしい。

7_20231113000301

右から、小松姫の墓、真田信重の墓、信重の室の墓、仙石秀久(賤ヶ岳7本槍の一人)の墓。
小松姫ってこの地で亡くなっていたんですね。

8_20231113000301

たくさんの石仏石塔群。

9_20231113000301

やはり庚申塔多めである。

10_20231113000301

三面に猿がいるものはめずらしいかも?

本町南交差点で宿を出る。

11_20231113000501

おおとりというおせんべいのお店で川幅せんべいを購入。
川幅日本一(2537メートル)の荒川にちなんでのおせんべい。

12_20231113000501

そして、斜め向かい、ひなの里に寄る。
観光協会が運営する観光案内所で、老舗人形展吉見屋の雛蔵を市が買い取って使っている。

13_20231113000501

中にはひな人形の数々。

14_20231113000501

芥子雛。豪華なひな祭りを禁じで人形の大きさを制限した江戸幕府への反発から小さくても贅を尽くした人形を作った。

15_20231113000501

明治~昭和のひな人形。

16_20231113000501

御殿飾りのいいなあ。

17_20231113000501

天正年間(1573~92)に京伏見の人形師がこの地に住みつき土人形を作ったことが始りと言われる。雛人形作りが盛んになったのは江戸中期で、着付けは関東一といわれ、鴻巣の雛市は日本橋、岩槻と並んで関東三大雛市といわれたそうである。

18_20231113000501

中庭が素敵!しばし休憩。
蔵は明治31年築。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています

ホントに歩く中山道第16集

より以前の記事一覧

twitter

google


  • Google

    WWW
    ブログ内

amzon