街道歩き

2017/10/04

東海道五十三次歩き(第10回) 金谷~掛川4

3より続き

ここまで結構ハイペースで歩いてきた。
というのも、掛川城を見学したかったから。城主はかなり変遷があるが、なんといっても山内一豊のイメージですね。

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10年ほど前に再建された大手門(確かに新しい!)をくぐった先に三光稲荷。

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四足門をくぐりいよいよ掛川城へ。このお城の天守閣も150年ぶりに平成6年再建されたもの。
上からの眺めは大変よいが、残念だったのは富士山が見えなかったこと。
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続いて掛川城御殿を見学(これらは共通券で見られる)。
この御殿は一回地震により壊れたものの、1861年には再建されている。約20部屋もある大きな御殿だ(天守閣から見ても大きかった)。
なぜか杉良太郎が寄贈したという甲冑もあったりしたが、大名行列の模型の方がおもしろかった。
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お土産やさんに寄ったあと、お城に急ぐため通り過ぎてきてしまった天然寺へと戻る。

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ここには、鎖国中の江戸時代(1790年)、オランダの貿易商ヘンミィの蒲鉾型のお墓がある。将軍家斉に謁見した帰り、長崎に戻る途中でこの地で亡くなった人とのことだ。

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この前で恒例、マンホールの蓋も撮影。掛川城ですね。

この街、金融機関の建物がスゴイ!

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掛川信金。

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そして清水銀行。レリーフは山内一豊夫妻である。

少々へばってきたので、コンビニで買ったたい焼きをほおばりつつ、圓満寺(掛川城の蕗の門が移築されている)を通り、西の番所跡を過ぎる。

成田山東光寺入り口脇に秋葉常夜燈。

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そこからちょっと入ったところに、十九首塚があった。
平将門ら19人の首実検が掛川で行われ埋葬されたとのことだが、この十九首塚はかなり新しい。移築されたものらしい。地名もこのあたりは十九首だったりする。

そろそろ暗くなったのでこの辺で駅へ向かうことにする。

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大正からやっているキネマ食堂では猫に遭遇(3匹目)。
その後も白黒猫に遭遇(この写真はボケボケなのでカット)。

十九首塚史跡公園にいらしたおばあさんが、椋鳥がこのあたりに集合して駅前に向かうのよと言っていたが・・・
ホントに駅前は怖かった、椋鳥だらけで。

駅に到着、浜松三ヶ日牛&遠州しらす弁当と出世法師直虎ちゃん弁当(これは今年いっぱいで販売終了らしい)を購入、6時過ぎの新幹線に乗る。

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静岡駅で席を移り、お弁当を食べる(ワタクシのは直虎ちゃん)。
井伊家の赤をイメージした鶏肉のパプリカ焼き、有頭海老、キャベツ餃子紅生姜天、パプリカ素揚げに、浜松っぽいみかんご飯(うなぎ佃煮がのってる)、しらすご飯、みかんわらび餅など。なかなかバラエティに富んだお弁当だった。もちろん!ビールも飲みましたけどね。
直虎と掛川って何の関係があるかと思ったら、許嫁の直親が掛川十九首で掛川城主の朝比奈泰朝(今川の重臣)に殺害された、ということらしいです・・・

帰宅は9時。早く帰ってきたのは、日の暮れるのが早くなったから。
これからさらに日暮れが早くなるので大変だなあ。
47000歩弱。よく歩きました。

次回は10月後半、掛川から見付宿(磐田)を予定しています。

(完)

2017/10/03

東海道五十三次歩き(第10回) 金谷~掛川3

2より続き

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問屋場跡、脇本陣黒田屋跡の先に藤文。
日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七邸である(日本最初の郵便局の一つと言われる郵便取扱所も開設)。中庭には白壁の土蔵がある。
休日は見学できるようだ。

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萬屋(庶民が泊まった旅籠)、川坂屋(上級旅籠で士分格の人泊まった)と続くがいずれも見学可能なのは休日のみ。残念だ。

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向かいの相伝寺(遠江三十三観音霊場の二十一番札所)に秋葉常夜燈(前述)。延命地蔵菩薩、馬頭観世音菩薩、六地蔵などもある。

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古宮橋のたもとに高札場(再現)。古い感じが昔からあったんじゃないかと思わせる。
逆川を渡る。この先、袋井まで東海道はこの川とつかず離れずいくらしい。

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そして3つめの秋葉常夜燈。
よし!全部撮影した(笑)。

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その先に事任本宮。
階段が271段もあり、これまでアップダウンが結構あった身にはちと辛い。

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降りた先に事任八幡宮。
願いが思いのままに叶うありがたい言霊社。枕草子にも書かれている。
大きなクスノキ、大杉もある。

ここからは県道を行く。
途中、道の駅掛川にて休憩。

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お昼が軽かったのでおでんを食べる。
さすが静岡、黒はんぺんもあったけれど、この辺はもう味噌なんですね。
この中にあったセブンイレブンでお茶を買おうと思ったら、日坂のお茶と掛川のお茶があり・・・結局日坂のお茶を購入。濃いお茶でとてもおいしい。

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バイパスをくぐった先に塩井神社。板を渡しただけの橋を渡っていく。
階段を上がるところで、ひええええ、小さい蛇を踏んでしまった・・・

その後旧道に入る。

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俳人伊藤嵐牛(知りませんでした)生誕の碑、太字で書かれた福天権現(願掛けに御利益あり)の碑、伊達方一里塚(本来はもっと西あったとのこと)、大頭龍神社(菊川の大物主命を祀る)、歌人石川依平(この方も知りませんでした)出生の碑と続く。

国道1号線に合流するがすぐにまた旧道へ。
先の尖った竹の囲いの諏訪神社、六地蔵を通り、再び国道に合流。しばらくは国道を行く。

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本村橋でまた逆川に接近、その後再び旧道へ。
その入り口に馬頭観音があった。ここの馬頭はちゃんと見えましたね。

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川崎湊(牧ノ原)へ続く川崎街道の起点となったところに、大頭龍大権現・福天権現の道標があり、馬喰橋(馬の顔をデザインをしたおもしろい欄干があったらしいのだが見損なう)の先に常夜燈と葛川一里塚。
その向かいにあるのが振袖餅で有名なもちやがあったがあいにくとお休み。
これ食べたかったのになあ。残念無念・・・

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そしてこの先はいよいよ東海道七曲。敵を容易に侵入させないための構造だ。
数えるとホントに七つあった!途中標識がなくてちょっとわかりづらいが・・・
途中、秋葉常夜燈や塩の道の分岐点もある。
終点には木戸と番所があったとのこと。

4へ続く

2017/10/02

東海道五十三次歩き(第10回) 金谷~掛川2

1より続き

四郡橋(4つの郡にまたがっているから、東海道がこの川を渡って直角に折れる横折れがなまったなどの説あり)を渡ると、青木坂がはじまる。
平均斜度18度、最大48.7度で長い長い坂だ。
あたり一面茶畑で、上にとりつけられた扇風機がうらやましい・・・
でもこの扇風機、暑さのためじゃなくて、防霜のためのものだとか。なるほど!

急坂をぐいぐい登っていたら暑くなって、半袖一枚に。
20分あまり登ってようやく頂上あたりかというところで、接待茶屋跡があり、すぐその先に久延寺が。
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山内一豊が家康をもてなした茶亭跡や、そのお礼で家康が植えたという五葉松があったりするが、なんといっても夜泣石伝説で有名だ。広重の絵にも描かれている。
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妊婦が賊に殺され、その魂がそばにあった丸石に乗り移り夜ごと泣いた。子供は助かってこのお寺の和尚に飴で育てられ、大人になって母の仇をうつ(超ダイジェスト版・・・笑)というお話。
その夜泣き石が境内に置かれているが、国道1号線トンネル脇にも石があり、そちらの方が本物ではないかという説が有力のようだ。
この日は猫を4匹見たが、1匹目がこの子。気持ちよさそう・・・
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今は休日しかやっていないようだが、子育飴(和尚がこの飴で育てたという)を売っている扇屋があった。

お寺の前あたりから、日坂宿手前まで、歌碑、句碑が次々と出てくる。
阿久尼句碑、西行歌碑、蓮生大師句碑、紀友則句碑、藤原家隆句碑、壬生忠岑句碑、芭蕉句碑・・・
これだけ、小夜の中山が詠まれているとは!
全部写真には撮ったのだけど、全部は載せられないので・・・
こちらは、阿久尼句碑。
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小夜の中山公園を過ぎると右手が開けており、栗が岳が見える。
おおっ、これか!「茶」という文字が見えますね。

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その先に小夜鹿一里塚。
猫もおまけに(笑)。

うっかり、鎧塚は通りすぎてしまったが・・・

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駿遠変電所の鉄塔群、馬頭観音、芭蕉が句を下で詠んだという涼み松にちなんだ広場があり、そして夜泣石跡。
明治元年、東京の博覧会に出品されるまではここに夜泣石があっということだ。広重の絵がはめこまれた石もおかれている。

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少し行くと沓掛稲荷神社があり、家を数軒過ぎると、下りの急坂となる。詠み人知らずの歌碑を過ぎると二の曲がり。急カーブが続く。
日坂バイパスを越えるといよいよ日坂の宿である。
各家には昔(天保11年当時)の屋号を書いた木札が下がっている。古いのもあればとても新しいのもあるが。

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日坂宿はしばしば火災にあったため、秋葉信仰が盛んだったということで、秋葉講を結成、分社や常夜燈を各所に作ったという。
日坂宿にも本陣入口、相伝寺境内、古宮公会堂脇にあったとのことだが、この本陣入口のものは老朽化し、平成10年に復元されたものだそうだ。

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本陣(屋号は泉屋)は非常に広かったようだが(昔の間取り図があった)、今は建物はなく広場となっている。
ここでちょっと休憩。
おにぎり、きゅうり、りんご、柿を食べる。
後ろをコミュニティバスが通っていったが、終点からは栗ヶ岳に行けるようだった。

3へ続く

2017/10/01

東海道五十三次歩き(第10回) 金谷~掛川1

前の週に引き続いて東海道歩き。
今回は小夜の中山峠を越えるので雨なら中止しようと思っていたが、なんとかこの日までは持ちそうなので決行。

いつもと同じ5時20分に起床し、出発。
東京駅に着いたところで、電車が人身事故でとまったというアナウンス。あと1本後のだったら危なかったな~
今回はいつものこだまではなく、1本後のひかりに乗る。
静岡から乗りかえるのでひかりの方が早く到着するのである。

朝食のパンを食べたあと寝ていく。どうやら、富士山は見えたらしい。

静岡駅で東海道線に乗りかえ前回のゴール金谷駅まで。
歩きはじめたのは9時少し前だった。

ほどなく金谷大橋跡(金谷宿の西入口)を通る。
不動橋をわたって右手に入る道は、小夜の中山の急坂を避けるために明治13年に作られた有料道路中山新道。この道は東海道線ができて利用者が激減し、有料道ではなくなったという。

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道祖神をすぎ、国道を越えるといよいよ旧東海道石畳入口だ。
1862年石畳が敷かれたものの、宿の廃止ではがされ、コンクリート舗装になってしまった。それを、平成3年町民によっって430メートルが復元されたもの。ところどころ苔が生えていて、確かに雨が降ったらすべりそうだ。

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鶏頭塚、庚申堂を過ぎると赤いのぼりが見えてくる。
すべらず地蔵尊である。ここの石は滑らないので受験や商売など願いが叶うとか・・・中のお地蔵さんはかわいらしい。
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このあと石畳は終わり、車道へと合流する。
芭蕉の句碑(「馬に寝て残夢月通し茶の畑」野ざらし紀行)を過ぎると、早速茶畑が見えてくる。
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すぐ先右手に入ったところに諏訪原城跡。
武田信玄が築いた金谷城を勝頼が臣下に命じ、拡大築城させた山城で、城内に諏訪大明神を祀ったことが名前の由来。堀などが残る。

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東海道に戻り、馬頭観音を見て県道を渡ると、菊川坂に入る。石畳を下っていく。
ここも、平成13年611メートルの石畳が復元されている。
その石畳が終わり、道路を横切ると江戸時代の石畳が160メートルのみ残る。だいぶ埋もれてしまっている感じだ。
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その先の集落のあたりは間の宿菊川。
金谷と日坂の間は短いが、急所難所が続くため間の宿が設けられた。
間の宿では宿泊のみならず、本格的な料理を出すことも禁じられていたとのことで、このあたりの名物は菜飯田楽だったらしい。

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菊川の里会館は残念ながら平日はやっていない。
その前に承久の変で捕らえられた藤原宗行卿の辞世の漢詩、また元弘の変で捕らわれた俊基の歌の碑、そして
菊花紋の石があった。

2に続く

2017/09/27

東海道五十三次歩き(第9回) 藤枝~金谷4

3より続き

川越遺跡に戻り、札場に続いて川会所へ。
靴を脱いで中に入り見始めたところで、どこからともなく案内人の方が登場(どこにいたの??)。説明を聞く。

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川の深さによってずいぶんと細かく値段が設定されていたんですね。
肩車よりは、連台に乗って渡りたいものだ。

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朝顔の松公園に寄る。
浄瑠璃で有名な朝顔日記に出てくる朝顔の松がある。
元の木は昭和10年代に枯れてしまったそうで、これは新しく植えられた松?

その公園の向かいにあるのが島田市博物館。
常設展示だけでも見たかったところだが・・・
ここからまだ金谷駅まで行かねばならず、陽も短くなってきているので残念ながら入るのは諦めることにした。

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島田大堤を歩いて大井川橋へと向かう。
桜並木で春はきれいでしょうね。
この日は各所で堤を見て、大井川ってホントに洪水が多かったんだなと思いましたね。

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いよいよ大井川を越える。
橋は1026.4メートルもあり、渡りきるのに15分近くかかった。
今は水量はそう多くはないみたいだが、昔はさぞ越えるのは大変だったことだろう。

川に沿って少し進み、旧道へと入っていく。
東町水神公園にあった像は中田源蔵という人の像。
この人は、川越制度が廃止され失業した人足のため、私財を投じて援助、政府に牧ノ原茶園の開墾を直訴して実施させた人だそうだ。

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その先に金谷川越し跡復元図解説があったが、今は残っていない。大水でほとんどが流れてしまったそうである。
旧家の加藤家も平成16年までは残っていたが、今はなく駒札があるのみ。

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少し通りすぎてしまったが、やっぱり駅舎を見たくなり、新金谷駅に寄ってみる。ちょっとレトロな雰囲気。ベンチには汽車の車輪がつけられていて、鉄道好きの人ならうれしい駅だ。

いよいよ金谷宿へと入ってきた。
山田屋本陣跡、佐塚屋本陣、柏屋本陣跡、脇本陣跡、七里役所跡・・
大火による焼失、その後の安政の大地震を経て、本陣は機能しなくなり、明治3年本陣はすべて廃止に。今は跡が残るのみだ。

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だいぶ暗くなってきたが、巌室神社に寄り、金谷宿案内絵図を見て、一里塚跡を曲がって、大井川鉄道と東海道線をくぐる。

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すぐそこにあるのが長光寺。階段を上がっていくと、芭蕉の句碑があった。
大井川を越えた芭蕉が馬上で詠んだ句である。

もう日暮れ、このあたりで終わりにすることにし、駅へと向かう。
切符を買い、6時1分の東海道線に乗り、静岡へ。
駅弁や、おみやげのお酒、新幹線の中で飲む缶ビールを買い、6時52分のこだまに乗る。

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今回のお弁当は、茶めし弁当。
抹茶で炊き込んだ茶めしにお茶っ葉ものっている。さすが、静岡だけあってわさび漬けも入っている。
静岡限定ビールもおいしい!

東京駅で乗りかえ、帰宅は9時半。
歩数は約47,500歩。まずまず歩きましたね。

次回はいよいよ東海道三大難所の一つ、小夜の中山峠越えです。
(完)

2017/09/26

東海道五十三次歩き(第9回) 藤枝~金谷3

2より続き

渡り終える頃には雨もやみ(なんで橋を渡ってる時に雨!)、再び東海道へと戻る。
その角にあったのが中村菓子舗。
島田は和菓子やさんがたくさんあるらしく、名物の小饅頭をあちらこちらで売っている。
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古くからある酒まんじゅうとのことで、一袋購入。早速1個味見。
それほど甘くなくてなかなかよろしい。

お店の斜め前に島田一里塚。
少し道を入って、お囲い土手。
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しばしば大井川の大洪水に見舞われた島田。徳川頼宣が駿府城主だった時代に、堺土手(お囲い土手、お囲い堤ともいう)を築いたが、その後大堤が設けられ、次第にこうした土手は消滅、今はこのあたりしか残っていないという。

そのすぐ傍に、立派な庚申堂がある須田神社、隣が林入寺。
郷土民話の老古木・薬梅なるものがあり、小さな梅の木だったのだが・・・
島田宿に流行病が出た際、このお寺の和尚さんの夢枕にご本尊が現れ、梅の花と葉をせんじて飲ませよと言った・・・和尚が病人たちにせんじたものを飲ませるとたちまち治った・・・という民話だという。

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昔、島田宿には刀鍛冶が多かったということで刀のレリーフがあった。

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そこを過ぎると本陣跡が続く。御陣屋(代官所)跡の先にあった御陣屋稲荷神社は通称悪口稲荷。だからなのか、悪口コンテストの入賞者?の作が書いてあった。

静岡銀行の前に塚本如舟屋敷跡の説明版と句碑。芭蕉が川留めでこの屋敷に泊まった際に詠んだ句が記されている。

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島田駅前には、栄西禅師の像。お茶を全国に広めた臨済宗の開祖だが、なんでか金の茶葉を持っている!

水曜日定休じゃないはずのたい焼きやさんがお休みだったのはショックだったが、水曜日不定休と聞いていたみのやは開いていた!
ここでプリンどら焼きを購入。冷凍なので20分から1時間たってから食べる・・・ということで持って歩く。

そしてまたまた酒蔵が現れた。
おんな泣かせを作っている大村屋酒造。ゴール近かったら買ったんだけどなあ・・・

右に折れてあるのが大井神社。島田宿を洪水から守る神として建立されたとのことで、とても立派かつ広い。天満宮、春日神社他多くの境内社がある。

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なんといっても目をひくのが、大奴・鹿島踊りのブロンズ像。
日本三大奇祭(別の祭りが入る場合もあり)の一つと言われる帯祭りの主役となる大名行列の大奴と鹿島踊りの三番叟である。
なんでも、島田では他所から嫁を迎えると晴れ着姿で町中を披露する習慣があったが、慣れない嫁に気の毒と、帯を代わりに披露したのが始まりという。大太刀帯をぶら下げて歩く・・・確かに変わったお祭りだ。

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マンホールの蓋にもあった。

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そしてもう一つ。こちらは大井川の絵だ。

この神社の前に桝形跡(宿西入口)があり、すぐ先に大善寺。
時の鐘(島田宿に時を告げた・・・川越しの開始終了の合図にもなった)として1784年に設置された梵鐘だが、戦争時に供出され、今ある鐘は昭和48年に再建されたものとのこと。

東海製紙の工場のあたりでやや細い道に入っていくと、いよいよ川越遺跡。
川会所(川越しの料金所)や、人足の待合所(番宿)等が続く遺跡だ。
六番、三番、十番と続く。

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中には川越人足の人形があったりするが、なんか妙にリアルで怖い(笑)
十番宿の前に座り少々休憩。

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プリンどら焼き!
これはおいしい!中心は少ししゃりっとして冷たく、ちょうどいい解凍具合だった。

荷縄屋、仲間の宿(年をとった人足たちが集った宿)などを見て、関川庵(八百屋お七の恋人吉三郎の墓)の標柱があったので右折してみたが・・・
あらら?どこだ?おばあさんに教えられて見つけたお墓は・・・

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とても小さなお墓だった。
庭の手入れ?をされていた方が「吉三地蔵物語」を持ってきて下さったのでありがたくいただいて失礼する。

4へ続く

2017/09/25

東海道五十三次歩き(第9回) 藤枝~金谷2

1より続き

またまた田中藩榜示石があり、このあたりも松並木が続く。

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喜久酔を醸す青島酒造があり、ゲットしたいのは山々だったのだが、まだまだ一日は長く、瓶を持って歩くのはしんどいのであきらめる。
酒造の横の道に入っていくと、岩田神社。
伊勢神宮参拝者が大井川で足止めされると、やむをえずこの神社で代参を済ませたという神社だ。

瀬戸橋を渡ったところに天皇御小休跡の蹟碑、秋葉神社の祠のあと、上青島一里塚。松並木もある。
一里塚踏切もあって、ここでも新幹線の速度実験が行われた関係で、線路が3本あり、その後撤去したので線路と線路の間隔が広くなっているとのこと。

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田んぼと彼岸花と東海道線、という構図がいい。
この日はずいぶんたくさんの彼岸花を見た。

いよいよ、藤枝市から島田市へと入る。
しばらく国道1号線を歩いていたが、六合駅近くでいったん旧道へと入る。旧道に入ると途端に静かになり、ゆったりと歩くことができてうれしい。

しかしわりとすぐにまた国道へ合流。
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そこにあったのは昭和天皇御巡察碑。明治天皇のはやたらとあるけれど、昭和天皇のを見たのははじめてだ。

大津谷川を渡り、はま寿司で昼食とする。
うに、いくら、さんま、はまち、あじ、焼きとろサーモン、炙りあなご、さばの押し寿司、生しらす、生えび、わさびなす。
結構おなかがいっぱいになって出発。

ほどなく、島田宿に入る。
アーケードがはじまってすぐ、桝形跡(宿東入口)の案内版があり、ここが島田宿のはじまりなのだけど、桝形自体は今は残っていない。

和菓子店の手前で左折、向かうのは蓬莱橋。ちょっと寄り道。

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ギネスブックに世界一長居木造の橋として登録されている橋で、全長897.4メートル。渡り賃は一人100円だ。
さて渡ろうかというところで雨がぱらぱらっと降ってきたのだが、風が強くとても傘はさせず・・・帽子をかぶってなんとかしのぐ。

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結構長いですねぇ。ちょうど真ん中地点に、ど真んなかと書いてあるのだが、来た道よりそれからの方が長く見える。途中で引き返そうかとも思ったが、せっかくなので向こう岸まで渡ることにした。
15年ほど前にLED照明が設置されたとのことで、夜はきれいなのかな?

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渡った先には蓬莱の島台があり、七福神、お地蔵さん、亀、鶴、長寿の鐘などいろいろとある。

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蓬莱橋も展望できる。
もっと時間があればハイキングしたいところだが、このあたりで引き返すことにした。

3へ続く

2017/09/24

東海道五十三次歩き(第9回) 藤枝~金谷1

東海道、8月に大森~神奈川宿を歩いたが、静岡は久々。

いつもと同じ時間に起床、6時56分のこだまに乗る。
静岡で乗りかえるので、ホントはこのあとのひかりに乗った方が早く着くのだけれど、9時開店の藤枝駅近くのお店に行くために調整したわけである。

朝食を済ませ、小田原のあたりで、おお!富士山が見える。曇りだったのでダメだと思っていたのだが。

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こちらは富士市のあたりで撮った写真。

静岡で東海道線に乗りかえ(3両編成)藤枝到着は8時50分。
55分に歩きはじめる。

戦国時代から現在の藤枝の茶屋で売られてきた瀬戸の染飯を食べてみたくて、再現して作っている貴久屋に寄ってみたのだが・・・
残念ながらお休み。
歩いた日は水曜日だったのだが、水曜日はいろいろなお店がお休みなのである。

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駅から1キロあまりの青木交差点から旧道へと入る。
古東海道の入り口あたりの庚申塔を撮影し、今回歩いたのは近世以降の東海道。
このあたりは松並木がある。田んぼも結構あって、そろそろ収穫の時期かなというところ。

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前回の歩きでも出てきたが、田中藩と掛川藩、横須賀藩領が入り組んでいるため、何回か従是田中量の榜示石跡があった。

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鏡池堂という地蔵堂には六地蔵があるそうだが、なんと!33年に一度しか開かないという。次はいつなんでしょうか・・・
代わりに、六地蔵が彫られた石を撮影。石仏も数体あったが、形もわからないくらいになってしまっていた。

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古東海道蹟碑(このあたりは昔瀬戸山があったが区画整理で切り崩されたとのこと)、東海道追分の碑を通り過ぎ、到着したのは無縁寺跡・延命地蔵。昔は大井川の河川敷が近かったとのことで、大井川から旅人の溺死体が漂着したという。

向かいの道を入っていたところに千貫堤・染飯伝承館がある。
誰もいなかったけれど、見学させてもらう(しばらくたってボランティアの方がやってきた)。ふーん、染飯、薄い小判型なんですね(三角もあったらしい)。今再現されて売っているのはもうちょっとふっくらしているようだけど、昔は携帯食だったので、くちなし(いろいろな薬効がある。足腰も強くなるらしい)で染めたおこわを伸ばして干し乾かしたものだったらしい。

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うーん、ホントに食べられなくて残念だったなあ。
そして、千貫堤というは、大井川の氾濫から守るために築かれた堤防なのだけど、今はこの伝承館の裏にわずかに残るばかりである。

再び東海道に戻ったところにあるのが染飯茶屋跡。
そして、明治初年の学校、育生舎跡を通り過ぎてすぐに瀬戸踏切。ここは1959年当時、世界最高速度が記録され、新幹線誕生を担った場所であるとのことだ。

2へ続く

2017/08/23

東海道五十三次歩き(第8回) 大森~神奈川宿4

(3より続き)

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子安通り交差点先の踏切を渡ると遍照院・・・のはずだったが、一つ手前の踏切を渡ってしまい、裏から入ることに。
山門を出たところに5体の青面金剛の庚申塔が。
よくよくみると、下には見ざる言わざる聞かざるがある。お猿さんがかわいい。
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このあたりに日本橋から6里目の子安一里塚があったそうだが、今はもうない。

すぐ先にトマトケチャップ発祥の地の碑があった。
子安は最初に西洋野菜(セロリ、カリフラワー、ビート、ラディッシュ、玉ねぎなど)を栽培し、トマトケチャップの製造をはじめた農村の一つとのことである。

時間がなかったらやめようと思っていたが、行けそうだったので、子安駅手前の京急の踏切を渡り(夕方だったこともあるだろうがなかなか渡れない)、JRを地下道で越えて、本照山蓮法寺に行ってみることに。
わりと急な階段を上がっていくと、浦島太郎の伝供養塔がある。亀さんがのっている。
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このあたりは、浦島町、亀住町、浦島丘などと、浦島伝説に因んだ地名も多い。
浦島太郎伝説は、きっと全国各地にあるんだと思うけれど・・・(未確認)。

再び第一京浜に戻り、神奈川新町駅の手前にある神奈川通東公園に到着。
昭和40年まで長延寺が存在した場所で、開港当時はオランダ領事館にあてられたところ(昭和40年国道拡幅にともなう区画整理でこのお寺は移転)。今は石碑があるのみ。
またこのあたりはかつて桝形があり・・・つまりここが神奈川宿の江戸方の入り口なのである。
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少し進んだ先にあるのが良泉寺(ほぼ6時だったので門は閉まっていたが)。
このお寺、開港当時、外国の領事館にあてられぬよう、本堂の屋根をはがして修理中との理由をつけ断ったという(笑)。やるなあ。

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京急の線路をくぐった先が笠䅣(かさのぎ)稲荷神社。
笠をかぶった人がこの前を通るとなぜか笠が脱げ落ちたからという。

能満寺(ここももう閉まっていた)を通り過ぎ、神奈川小学校へ。
ここの壁には、神奈川の地名の由来が書かれた説明版がある。
諸説あるらしいが、いつも涸れて少ししか流れておらず、水源地もわからないので上無川と呼ばれていたのが、かながわになったという。
この上無川はこの小学校の東脇にあったということだ(関東大震災後埋め立てられている)。

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また、東海道分間延絵図の神奈川宿の部分もあった。
この絵図、全部見てみたいものだ。

もう少し歩けそうではあったが、だいぶ日も暮れてきたことだし、お寺ももう閉まっているだろうということで、このあたりで終わることとした。
京急の仲木戸駅の方が近いが、JRの東神奈川駅から帰った方が便利なので(乗りかえ、料金とも)ほんのちょっとだけ余計に歩く。

乗り継ぎは順調で、最寄りの駅には8時前に到着。
やはり!庄やで乾杯。
ビール×2(お通しはきゅうりとくらげのあえもの)、泉州水茄子、う巻き玉子、大根酢醤油漬け、鮪アボカドロール。

ちょっと暑かったけれどがんばりました~
家を出てから帰るまで約38,000歩。最近の中では少なめでした(スタートが遅いから)。

次回は9月後半になる予定です。

(完)

2017/08/22

東海道五十三次歩き(第8回) 大森~神奈川宿3

(2より続き)

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庚申塔、子育地蔵、馬頭観音がある金剛寺を過ぎると、いよいよ鶴見川を渡る。鶴見川橋である。昔々は橋から富士山、大山、丹沢、箱根の山が見えたとのこと。今じゃ全然ですけど。

渡った先にあるのが鶴見橋関門旧跡。
生麦事件後、警備のために川崎宿から保土ケ谷宿の間に20箇所設けられた番所の一つという。

その先に鶴見神社。

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源頼朝が奉納したとされる富士塚は残念ながらフェンスの向こうにあって近づけなかった。残念。
ここには昔鶴見川橋付近にあったという寺尾稲荷道道標が保存されている。通りにもレプリカがあったけれど。

この参道の茶屋ではよねまんじゅうが売られていたとのこと。お江戸日本橋の歌にも歌われているお菓子。ただ、今はこのあたりに茶屋はない。
しかし、京急鶴見駅近くの清月という和菓子やさんで売っているとのことで、JRの駅ビルで少々休憩したあと行ってみた。
ちょうど6個入りがあったので購入。

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再び旧街道に戻って国道駅を横切る。
このガード下はほとんどお店はなくなってしまったようだが、まだ1,2軒は残っている模様。映画のロケにも使われたところで、レトロ。

このあとは、生麦魚河岸通りを進む。
全然お店が開いてないなあと思ったら、魚屋さんばかりで午前中で営業が終わってしまうため、午後はほぼ開いていないということだった。のんびりした雰囲気のところを進む。川崎では撮り忘れてしまったけれど、横浜のマンホールはベイブリッジのようだ。
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途中、海が見える?と思って脇に入ってみたら、それは鶴見川なのであった。

路地で猫を撮影したりして、正泉寺(入り口の石仏取り損なっちゃった、残念)をちらりと見て、道念稲荷神社へ。鳥居が連なる神社。
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蛇も蚊も祭りが今も行われているそうだが、これは大きな蛇を子供がかついで回るという祭りで、疫病がはやった際に蛇に悪霊を封じ込め海に流したのがはじまりという。
蛇はともかく、じゃあ蚊はなんだ?という話だけれど、それは蛇や蚊が出る季節になったから雨よ降れ!という雨乞いのかけ声だそう。

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少し歩いた民家の塀に生麦事件発生現場の案内版。

そして、生麦神明公園に到着。ここで休憩することとする。大蛇のオブジェがあったが、なんとなくグエル公園を連想した。
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鶴見駅近くで買ったよねまんじゅうを食べる。
現代風にアレンジしたものとのことだが、羽二重餅でこしあん、白あん、梅あんを包んだ3種類。
これ、好きなお菓子ですね~
餅が軟らかく、一つ一つがちっちゃいのもいい。
好みでいうと梅あんかな。
せっかくおいしくいただいたのに、蚊に刺されるという・・・
今の時期油断しちゃいけないなあ。

第一京浜との合流地点にかつては生麦事件の記念碑があったとのことだが、高速道路建設のため、手前に移動したとのことだったが、なんだか引っこ抜いて持ってきた感。もうちょっとちゃんとした方がいいんじゃないかしら(笑)。

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そしてこの合流地点に見えたきた建物は・・・
キリンのビール工場!向こうに見えるのはレンガ倉庫みたい?
どうやらブルワリーのようでパブみたいに飲めるところみたいで、大いに惹かれたのだけど・・・
ここで飲むと、歩く気力がなくなりそうだったので断念。ホント残念(笑)。
ここが終点だったら飲んだんだけどなあ←未練がましい(笑)

(4へ続く)

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