街道歩き

2018/08/04

東海道歩き(番外編) ~はまぐり時雨煮&なが餅~

昨日、猛暑の中岐阜へ。
その帰り、名古屋駅に出て、新幹線までの時間が結構あったので夕食前にいろいろとお土産屋さんをのぞいた。
エスカのお土産屋さんに行ってみると・・・

6月に桑名宿を歩いた際に買いそびれてしまった蛤と、7月に四日市宿を歩いた際に買いそびれてしまったなが餅を発見!
ウキウキ購入。
いずれも暑くて買ったらヤバそうだったので残念だったけれど買わずに帰ってきたのだった。
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笹屋のなが餅。11個入り。我が家ではとうてい食べられないので、実家におすそわけ。
ワタクシ的なイメージでは、太宰府の梅が枝餅をすごーくのばした感じ。おいしい!
戦国時代からあるお菓子らしい。

そして、蛤の時雨煮。
桑名に行った際、お店の前を通ったりもしたのだが、暑かったというのもあるし、蛤は高いのでひるんで買わなかったのだ。が、やっぱり一度は食べたかったなと思い、今回たまたま見つけたので、清水の舞台から飛び降りるつもりで購入(←大げさ・・・笑)。
まだ食べていないのだけど、やっぱり出し惜しみしちゃうかもしれません(笑)

2018/07/19

東海道五十三次歩き(第26回) 益生~四日市宿~南日永4

(3より続き)

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三滝川を渡った先に、笹井屋本店。1550年創業という。
四日市駅で歩くのを終了するならば買ってもよかったのだが、結局さらに先まで歩くことにしたので、なが餅は買えず。ホントに残念だ。冬だったら買えたのにねぇ・・・

そしてこのあたりから四日市宿に入る。
東海道で5番目に大きな宿だったそうだが、今はほとんど面影は残っていない。
標柱や解説もなし。
陣屋跡(四日市は天領だったので陣屋があった)のみ小学校のところに解説板があったようだが、うっかりとばしてしまった。残念。

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新しいマンホール発見。
上には四日市港の石油コンビナートと姉妹都市ロングビーチ(アメリカ)のスプルース・グース・ドーム、下には姉妹都市シドニーのコアラと天津のパンダが描かれている。

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その先に「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」と書かれた道標があった。
しかし・・・これは裏面も撮影すべきだったのだ!
指のマークで方向をしめしているらしい。
ということは事前に読んでいたもののうっかり忘れる。残念。これもすべて暑さのせい・・・ということにしておこう(笑)。

従来の道はここで途切れてしまっているので、少々迂回。国道1号線を渡った先でまたつながる。

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そこにあるのが諏訪神社。信州の諏訪神社から勧請されたが、空襲で焼け再建されたそうだ。
鳥居は青銅製だ。

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新しい御神馬。

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諏訪神社を出るとアーケードに入る。
東海道がアーケードというのは、はじめてかな。そしてここだけなんだろうか。
ちょうど、七夕の飾りつけがされていた。

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アーケードの中の消火栓。これも広重の絵ですね。

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モザイクもあった。

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そして、サルビアのマンホールも。
サルビアは四日市市の花だそうだ。昭和47年に市民アンケートによって選ばれた花だそう。

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そして、大入道がおいてある。
うーん、なんか怖いな、かわいくないな(笑)
その前にあった四日市のマスコットキャラ、こにゅうどうくんの方がかわいい。

アーケードを抜けると直進はできないので、いったん国道1号線に出て渡る。

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と、こにゅうどうくんの自販機が!うん、やっぱりこにゅうどうくんの方がかわいいな。

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旧道に入ってすぐのところに、崇顕寺。
ここは作家丹羽文雄の生家とのことで、誕生地之碑があった。

当初の予定ではこの近くのミニストップで休憩しようと思っていたのだが、夕方近くなってかなり楽になってきたので、そのまま進む。
とはいっても、暑いことには変わりなく、ちょっと遠い寄り道はパスすることにして、鵜森神社には行かないことにした。

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このあたりは古い街並みが残っていて、連子格子の家も発見。

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近鉄の線路を越え、あすなろう鉄道赤堀駅を過ぎ、鹿化川を渡る。
山並みがいい。

渡った先が立場で、そもそもなが餅はこのあたりで売られていたらしい。

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大宮神明社。6月30日に行われる茅の輪くぐりが有名とのことだが、今は静かだ。

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水沢道標。今から約200年ほど前に大坂の古銭収集家の河村羽積という人が東海道から水沢道が分かれる角に立てたのがこの道標とのことだ。

そろそろ帰らねばということで、あすなろう鉄道の時刻表を確認。もう少し先に行けそうだということでさらに進む。

このあたりは日永地区で、団扇や足袋が有名らしい。間の宿だったようだ。

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大聖院、興正寺などを通り過ぎて、両聖寺。日永つんつく踊りで有名とのこと。
滝川一益(急にこの名前を見ることが多くなった)が水害に苦しむ農民のために堤防を築いた、その地固めの歌という説があるらしい。

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最後に寄ったのが日永神社。

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拝殿右に建つ道標は、元々は追分の神宮遙拝鳥居のところにあったそうで、東海道最古の道標とのこと。文字は判別しにくい。

ここで時間切れ。
南日永駅に向かう。

ここは無人駅。四日市までの切符(200円)を買う。

ちょうど、この先にある日永郷土資料館におつとめという男性に出会い、いろいろとお話を伺う。次回、この資料館に寄りたいところだが、平日は水曜日しかあいていないようで無理だなあ。残念。

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そうこうしているうちに電車が到着し、乗り込む。
この電車、是非乗ってみたかったんですね。日本に3つしかないナローゲージ鉄道の一つ。黒部鉄道も乗ったし、これにも乗ったし、あとはこの日通り過ぎてきた三岐鉄道も是非制覇したい。

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乗ってみると、やはり狭いですね。座席が左右1つずつしかないのだ。

四日市に出て、近鉄に乗り換え名古屋へ。
約40分後くらいの新幹線の並びの切符がとれたので、今回は駅弁にすることにした。お土産も買い、新幹線に乗り込む。

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駅弁はなごや満載。
名古屋コーチンの鶏飯、天むす、あんかけパスタ、みそかつ、エビフライなど名物がたくさん入っている(あんかけパスタはちょい微妙・・・)。
そして、ビールがおいしいこと!暑かったから。

東京駅には8時半頃到着、帰宅は9時半すぎだった。

暑い中よく歩きました!
約43500歩。

このあと少しお休みして、次回は9月の予定です。
(完)


マップはこちらを使っています。
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ホントに歩く東海道 第12集 桑名~庄野(井田川)(ウォークマップ)

2018/07/18

東海道五十三次歩き(第26回) 益生~四日市宿~南日永3

(2より続き)

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1839年の常夜燈を過ぎ、薬師寺を通り過ぎる。
このお寺の仏は弘法大師が彫った薬師如来とのことだが、秘仏で公開されていない。

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常照寺で見るべきものは鐘楼の鐘。
昭和27年、四日市大博覧会で平和の鐘として展示されたものとのことだ。

お寺を出るとおや?

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また力石が見える。
120キロのものと19キロのものと。19キロのは子供用?これならまあ持ち上がりますね。
新設用水道碑もあった。

ここでちょっと寄り道。

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たくさんの灯籠(時代もいろいろ)のある茂福(もぶく)神社。

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さらに先に茂福城址。
こんもりとした小さな山が。城郭の一部と思われる。

最後の城主茂福掃部輔盈豊は、信長の武将滝川一益に誘い出され殺され、城も攻め落とされたという。

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近鉄の線路のすぐ脇にあって、ちょうど電車が通っていった。

東海道に戻る。
まだまだ太陽がギラギラしていて暑い。凍った飲み物を買うべく、国道沿いのローソンに行ってみたのだが、なんと売っていない!仕方なくもう少し先のセブンイレブンに期待することにしてトボトボ進む。

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八幡常夜燈。
三重県に入ってから、大きな常夜燈をよく見る。

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少し先にかわらずの松。
昔のまま姿がかわらない・・・というのではなくて、このあたりの地域が川原須(かわらず)と呼ばれていたから、らしい。
四日市で松が残っているのは、ここと日永地区だけとのことだ(次回歩くことになりますね)。

この松のところを右折、セブンイレブンに寄る。
おお!ここには凍らせた飲み物が売っていた!
椅子もあったので、少々休憩。ただ、飲み物はなかなか溶けず、全然クールダウンできないのでアイス最中(濃い抹茶もなか)も買って食べる。
やはり、暑い日はしばしばクールダウンしないと危険だ。

再び歩き始める。

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志氐神社の社標が見えてきた。

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常夜燈の脇に大きな石があるが・・・

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これは向かいにある石で一対となっている。妋石(夫婦石)である。
志氐神社にはイザナギ・イザナミの夫婦の神様が祀られていて、縁結び・夫婦円満のご神徳があり、東海道を行き交う旅人はこの一対の石をなでて願いを込めたそうだ。
ちなみに、志氐とは御弊(お祓いのための道具)とのこと。街道からはちょっと距離があるので今回はカットした。

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このあたり古い家がところどころ残る。

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光明寺。

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山門前には八十宮御遺蹟の碑がある。
霊元上皇の第14皇女八十宮吉子内親王は第7代将軍家継に嫁いだが、家継死後仏門に入り、その宮付に光明寺第5世俊応の妹つねが召された、とのことだ。

ということで、この塀は五本線の筋塀なのかな?

やがて東海道は国道1号線に合流する。毎回、どこかで国道に合流しちゃうんですよね・・・途端にテンションが下がるが、今回は距離が短くてうれしい。

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「右 四日市 左 桑名」と書かれた道標を通り過ぎた先に、四日市のマンホール。
広重の四日市宿のデザインだ。

なが餅で有名な笹井屋の支店をうらしめしい目で見ながら(笑)、通り過ぎる。
さすがにこの暑さ(最高気温は33度を超えていた)では持って歩けない。

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三元大師の道標、多度神社を通り、三ツ谷一里塚跡に到着。99里目だ。
昭和20年代海蔵川の拡幅でなくなってしまったらしい。

公園になっていたので、一休みすることにする。

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試しにもってきたヒヤロンを使おうとしたのだが・・・
なぜかなかなか冷たくならない。もしかして、不良品だったのかな~
今度また試してみねば!

しかし、ゆっくり休んでいるうちに、日が陰り、だいぶ涼しくなってきて(それでも暑いが)やっと歩くのが楽になってきた。途端に元気がでる。

旧道は川で途切れてしまっているので、いったん国道1号線に出て渡る。
渡って左折、再び旧道へ。

四日市はさすが萬古焼のふるさと、陶器工場が多い。

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このかけらは、どうなるのかな?

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宝来軒というお菓子やさんの店先に首の長いおばけ?の看板が。
この先の諏訪神社の例大祭に登場する日本一大きなからくり人形である大入道らしい。町に出没するタヌキの悪事に困りはてた人びとが、すごみのきく大きな大入道を作り、タヌキを退散させたとも言われている。

三滝川を三滝橋で渡る。
広重の四日市の画には「三重川」が描かれているが、これは三滝川のことらしい。

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今は河口にはコンビナートが見える。

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逆方向にカメラを向けると山並みが。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています。
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ホントに歩く東海道 第12集 桑名~庄野(井田川)(ウォークマップ)

2018/07/17

東海道五十三次歩き(第26回) 益生~四日市宿~南日永2

(1より続き)

西光寺の先で東海道は左→右と曲がる。
このあたりはタオル工場が多い。

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とともに、田んぼが続いている。鷺が見えた。

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桜並木も続く。春はきれいでしょうね。

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桜並木を抜けたところで、大きな常夜燈が見えてきた。
多賀神社常夜燈である。1864年のもの。
昭和46年に街道からちょっと入った場所に移されたという。
多賀神社とは滋賀県の多賀町にある長寿と厄除け、縁結びの神社で、昔はこの神社にお参りする人も多かったらしい。

伊勢湾岸自動車道の高架をくぐって朝明川を渡ると、いよいよ四日市市に入ってきた(朝日町の区間は短かった)。

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渡った先のポケットパークにはひまわりが。
ふーん、もう満開なんですね。

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力石もあった。この後も力石は見ることになる・・・
ここの力石は、茶店の主が残したものとのことだ。

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四日市市に入ると、このような看板が随所にあり・・・

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民家の塀にもたくさん道標があって、これなら絶対に迷いませんね。
四日市は親切だなあ。

立場跡はうっかり通り過ぎてしまい、蓮證寺に到着してしまった。
いつもなら戻ったかもしれないけれど、この日は暑く戻る気力がない(笑)。

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梵鐘と山門が立派だったが、わりと最近再建されたもののようだ。

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長明寺。このお寺の山門も桑名城から移築されたものとのこと。
蒔田相模守宗勝が居城した蒔田城址と言われるが、確かに築塀とお堀があるんですね。

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そして、鯉が泳いでいる!

このあたりは、麺工場も並んでいるのだが、手延べそうめんの産地とのことである。
鈴鹿おろしが麺を乾燥させるのによいし、ミネラル豊富な朝明川の水もよいらしい。。

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三岐鉄道三岐線とJR関西本線をくぐった先に、冨田の一里塚址。
98里目。

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八幡神社。
元々あった八幡神社が明治42年鳥出神社(今回は行かなかった)に合祀されて八幡神社址の石碑が建立されたとのこと。その後現在の社殿が再建された。

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ここにも力石が。ポケットパークにあったのと同じく100キログラムあるようだ。

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すぐ先に行啓記念道路碑がある。
と聞くとまた明治天皇かなどと思ってしまうが(笑)、これは大正天皇のもの。
大正天皇が皇太子時代に現四日市高校に立ち寄られて授業参観されたことを記念した碑だそうだ。

そろそろお昼。
JRの富田駅の北口のイオン(イオンって元々四日市が発祥だったんですね。知らなかった)に向かったのだが、どうやって北口に行くんだ?

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と思ったら、駅が無人駅なので、そのまま通れるということだった(人に聞いてわかった)。

はじめは曇っていてまだよかったのだが、昼に近づいた頃には太陽がギラギラと照りつけていて、アチアチ。
イオンに着いた時には顔が真っ赤っかに。
もうちょっと頻繁にシャツクールとひんやりUVガードをかければよかったかも・・・

昼食はイオンモールの中の柿安ミートエクスプレスの四日市名物とんてき丼(ご飯少なめ)。
できあがるまでに水を立て続けに3杯も飲んでしまう。とにかくクールダウンしないと!

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とんてき丼は、薄めのお肉で食べやすいタイプ。丼にするなら分厚くないほうがいいかも?
キャベツと卵ものっている。

結局、水は5杯も飲んでしまったが、これでようやく顔が赤いのもフツーに戻ったのだった。
ゆっくり休んだところで(やはり暑い時は休養をたくさんとらないとダメですね)、出発。

東海道に戻り、道は直角に曲がる。

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背の低い道標があり、「大矢治・・・なんとか」と書いてある。これは服部泰次郎という人が建てたものとのこと。米穀商として成功したこの人、若い頃行商をしていて道がわからず苦労したことから千基以上もこうした道標を建てたとのことだ。

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道路元標を通り過ぎ、富田小学校の校庭にある明治天皇御駐輦跡碑を見る。4回もこのあたりで休まれたらしい。
近衛文麿の筆によるものとのこと。

十四川を渡る。

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この堤の両岸1.2キロにわたってソメイヨシノが約800本植えられているそうで、きっと見事でしょうね。

(3へ続く)

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ホントに歩く東海道 第12集 桑名~庄野(井田川)(ウォークマップ)

2018/07/16

東海道五十三次歩き(第26回) 益生~四日市宿~南日永1

前の週も歩くことを予定していたのだが、雨のため中止。
しかし、今度は東海地方も梅雨明けし暑そう・・・
前日までかなり悩んだのだが、途中まで歩いて暑くて無理そうになったら、名古屋まで戻って名古屋城の本丸御殿を見にいこうということになり、予定通り出かけることになった。

家を出る30分くらい前までは豪雨だったが、出る頃には小降りに。
天気予報通り。

今回も前回に引き続き6時43分ののぞみに乗ることにしたのだが(今回は自由席で)、中央線が途中で止まってしまい、一瞬あせる。線路へ人が落ちたとのことだったが、幸い5分くらいで動きセーフ。

無事予定ののぞみに乗ることができ、8時23分名古屋駅到着。近鉄名古屋駅に移動、おや?乗る予定より一本前の準急が出るところだった。滑り込みセーフで乗り込み、当初の予定より10分ほど早く到着。9時過ぎに歩き始める。

前回のゴール、矢田立場跡より東海道歩き再開である。

歩き始めてすぐに和菓子屋さんのつたやが見えてきた。
生姜味の七里焼きが食べたかったところだが小売りがなく・・・
桑名藩どら焼きを購入。

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すぐ斜め前のお寺が了順寺。
山門は、桑名城の門を移築したものとのこと。

日立金属の工場のフェンス沿いに「江場松原跡」の説明板があった。
昔、このあたりは松並木で、西には鈴鹿山脈が、東には伊勢の海が見えたとのことだが、今は一本も松は残っていない。

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その先に城南神社。
古代に垂仁天皇の皇女倭姫命が皇祖神天照大神の鎮座地を求めて大和から近江、美濃を通り伊勢へ巡行の折り、この地に休息したとの言い伝えがある神社だが、伊勢神宮の式年遷宮の際、皇大神宮の一の鳥居が下賜され建て替えられているそうだ。

ここで早くも休憩。
セミが大合唱している。クマゼミかな?

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どら焼きをいただく。桑名城主本多忠勝のコミカルな絵が描かれているが、おいしいどら焼きだ。
しかし、蚊に刺されてしまった・・・

クールタオルを水に濡らし、首にかける。これは一日とても役にたった。暑い日の街道歩きには是非!である。

プチ休憩を終えて歩き出す。

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前回最後に飛び出し坊やを見たが、この日もいろいろなバージョンを見た。
ついついおもしろくて写真に撮ってしまう。

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晴雲寺。
江戸に向かう西国大名はここに立ち寄って衣服を改めてから桑名城下に入ったという。

国道258号線を地下道で渡った先は、安永の立場で、昔は多くの茶店があってにぎわったという。安永餅(前回桑名でお店があったが暑くて買えず)ってこのあたりで元々売られてたものなんですね。

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員弁川のすぐ手前に伊勢両宮常夜燈。東海道の灯標として伊勢神宮への祈願を込めて1818年建てられたもの。
手前には石造里程標がある。

員弁川を渡る。
昔は常夜燈を進んだ先が橋だったようだが、今はないので国道1号線にかかる橋を渡る。
渡ると、三重郡朝日町に入る。

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この町のマンホールは、町の木のシラウメだ。

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工場も結構多かったが(大きいところでは東芝など)、田んぼも多い町だ。

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真光寺には松平家の家紋、梅鉢紋が彫られた手水鉢がある。
第6代桑名藩主松平定良が有馬温泉からの帰りに病死した際、町屋川(員弁川)の洪水で川止めとなり3日間遺体を安置して手厚く葬ったお礼として、7代藩主定重が寄進したものという。

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うっかり通り過ぎそうになったのが、山口誓子の句碑。
山口誓子の筆跡で句が書いてあるのだが、読むのは大変だ。

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その先に一里塚の標柱。
縄生一里塚で97里目。

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さて、安達本家酒造に到着。
ここで是非お酒を買いたいと思い、わざわざ保冷袋持参できたのだ(笑)。

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一合瓶を2本無事お買い上げ。荷物は重くなるが、お酒だもの、平気(笑)。

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近鉄の線路を越えると左手に東海道ポケットパークがある。
なぜか?瓦に東海道についての説明が書いてあるが、読めず・・・
隣に解説板があるんですけどね。

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すぐ先に大きな榎が。
樹齢300年とのことだ。ここも瓦に解説が書いてあるのだが読めず、やはり金属の解説板を読むこととなった。

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小向(おぶけ)神社の標柱(下に飛び出し坊や!)。
この神社ははだか祭りが有名という。
とともにこの道を行くと萬古焼を発展させた森有節の墓もあるのだが、ちょっと遠いのでカット(この日はとにかく暑くて、ちょっと距離のある寄り道はカットした)。

道を反対に行くと、朝日町資料館があるのだが、残念ながら水曜と土曜しか開館しておらず・・・

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その先にあるのが、橘守部生誕地跡である。
ほとんど独学で国学を学んだという人で、独自の説を展開した天保の国学四大家の一人だそうだ。

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浄泉坊。

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山門の瓦に三つ葉葵。
徳川家に由緒ある桑名藩の奥方の菩提寺であったことからのようだ。

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旧本堂の鬼瓦にも。

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現在の本堂にも。
参勤交代でここを通る大名は籠から降りて一礼していったという。

ここで、ちょっと休憩。サークルKでヨーグルトドリンクを飲んで涼む。

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その先の西光寺の松は、松並木の面影を残している。

(2へ続く)

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ホントに歩く東海道 第12集 桑名~庄野(井田川)(ウォークマップ)

2018/06/27

東海道五十三次歩き(第25回) 鳴海宿~桑名宿4

(3より続き)

東海道に戻り、春日神社に寄る。

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鳥居は青銅製で7代目桑名藩主によって1667年に建てられたもの。それ以前は木製の鳥居だったそうだ。

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藤の紋がある。

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その下にはしるべいしがある。
しるべいしは迷い児石をも言われ、人が大勢集まるところに立てられたもの。
左側の面の「たづぬるかた」に子どもの特徴を書いた紙を貼り、右側の面の「おしゆるかた」に心当たりのある人が子どものいた場所などを書いて貼るものという。

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楼門。ここにも藤の紋。
左右には左大臣と右大臣がいた。

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拝殿の紋は三種類。
「大」、「大三」、「三」とあるが、合社でそれぞれ中臣神社、桑名宗社、桑名神社である。

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道に戻ったところでとびだし注意の看板があったが、さすが!蛤である。

ここから歴史を語る公園がはじまる。

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向こうに見えるのは、桑名城の城壁だ。

公園は東海道53次を模していて、日本橋~富士山~三条大橋まで。

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なんか楽しいですね。

桑名宿は七曲がりがあるのだが、ここで1つめの角を曲がる。

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その先に石取会館。
日本一やかましい祭りという石取祭を紹介する施設なのだが、残念!もう4時半を過ぎていて閉館してしまっていた。元々は四日市銀行桑名支店として建てられた建物とのことだ。

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向かいのマルマンで名物のアイス饅頭(薪で焚いた上質の大粒あずきとミルクのキャンディーとあった)を購入。
早速いただく。アイス必須な天気だったのでおいしい!

食べている途中で店主さんが出てきてシャッターをおろしていたから(5時になった)、ぎりぎりだった。食べられてよかった!

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その先の十字路左の桑名市博物館の前にたっている道標(右:京いせ道 左:江戸道と書かれており、東海道筋にあったものを移設したとのこと)を撮影、通りを渡り少し先で2番めの曲がりである。ここが京町見附のあったところだという。

どうやら桑名市博物館前の道標のレプリカ?の道標を通りすぎ、交差点を渡ったところでおや?それまで色のついていた道路がフツーの道路に変わってしまった。途端に迷う(笑)。ここで3回曲がるのだけれど難しい。

ちょうど4曲がり目の角に貝増本店があり(それまで貝新は何店舗か見ていた)、蛤のしぐれ煮でも買いたかったところだが、夕方になっても暑くて断念(結局買うことが出来ず残念)。

6曲がりのあとは、しばらくまっすぐな道。お寺が続く。

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と、光明寺の前でこの日、4匹目の猫に遭遇!
このお寺には1790年七里の渡しの船が遭難して溺死した人々の供養碑があるとのことだったが、どれがそれなのかわからずじまい。

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お隣にあるのが泡洲埼八幡社。

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境内に天保13(1841)年の「左 ふなばみち 右 きょういせみち」と書かれた道標が保存されている。

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十念寺には森陳明(戊辰戦争で新政府軍と戦い、降伏後、桑名藩の全責任を負い、切腹した人物)の墓があると聞いて必死に探したのだが・・・

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全然見つからない!とあきらめかけたところで、お寺の裏門を出た先の墓所の入口にあるのをようやく発見(その間に蚊に刺された・・・)。

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寿量寺にあるのは、狩野光信(永徳の長男の絵師)の墓。
小さな五輪塔だ。
江戸からの帰り、桑名で病死し、このお寺に葬られたとのことである。

七曲見附跡で曲がる。
桑名城下には4つの見附(門)があり、東海道沿いには3つあるのだった。

曲がった先に大きなお屋敷がある!
と思ったら、そこがシーボルトも見学したという広瀬鋳物工場跡なのだった。本多忠勝が城の建設のため鋳物師を招きここに工場を造ったとのこと。

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すぐ先の天武天皇社は壬申の乱の際に大海人皇子(のちの天武天皇)が桑名に泊まったとのにちなんで建立された神社で、天武天皇を祭祀する唯一の神社とのことだ。

このあたりですでに時間は5時45分すぎ。
いいかげん疲れてきていて、寄ろうと思っていた本願寺を通り過ぎてしまったが、戻らずにパス。

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続いては一目連神社。
この神社の祭神は天目一箇命(あめのまひとつのみこと)。この神様は雨乞いの神で、火を扱う鋳物師によって信仰され、金属工業の神として知られたそうである。

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鐘楼が立派な善西寺。

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実際の立場はこのあたりだったそうで、隣の家にある馬つなぎの輪は立場の名残だそうだ。

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そしてその先の角が矢田立場跡である。
火の見櫓がたっている(これは平成3年再建)。

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あ!飛び出し坊やだ!
日本各地にあるというけれど、見たのははじめて。近畿地方に多いというからこれからちょくちょく見ることになるのかもしれない。

ここでこの日の歩きは終了。
益生駅まで歩き、各駅→急行と近鉄を乗り継いで名古屋駅へ。

並びで新幹線の切符がとれたのが、1時間弱あとので駅弁買おうか食事を済ませるか一瞬悩んだのだが、目の前にきしめんやさんが見えたので食事をすることに。

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オーソドックスなきしめんを頼み(出汁は関東風だった)、ギフトキヨスクでおみやげを買う。

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岡崎を訪れた際、買い損なった淡雪を発見!名古屋のおみやげではないけれど購入(まだ食べていない)。

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ビールとおつまみ(なんと世界の山ちゃんのてばさきいか・・・ホントにあの手羽先っぽい味がした!)を買って7時42分ののぞみに乗り込む。

東京駅で中央線に乗り換え、帰宅は11時前だった。

約48600歩。暑い中よく歩きました。

(完)

マップはこちらを使っています。
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ホントに歩く東海道 第11集 岡崎(新安城)~桑名 (ウォークマップ)

2018/06/26

東海道五十三次歩き(第25回) 鳴海宿~桑名宿3

(2より続き)

七里の渡しは今はないから(あっても船は無理だ)、鉄道で桑名に向かうしかない。
名古屋で近鉄に乗り換えて30分。桑名駅に到着。再び歩き始める。

桑名宿はマンホールが楽しい。

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七里の渡し。

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蛤。

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桑名の千羽鶴。1枚の紙に切り込みをいれて最大97羽!の鶴を折るという。
桑名市博物館に展示があるとのことだったが、残念ながら博物館に到着した頃にはもうしまっていたのだった・・・

マンホールを撮影しながら通りを行くと海蔵寺がある。

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河岸工事は難事業で、外様大名だった薩摩藩が工事を命じられたが難航し、実に51名もが割腹自殺をしたという。ここには24名の墓がある。

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真ん中のお墓が工事奉行平田靭負のお墓である。
理不尽な幕府の命令に少ない予算での過酷を極めた工事で多数の犠牲者を出した責任をとってのことだという。

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ここには治水観音なるものもあった。
伊勢湾台風の犠牲者の冥福を祈るものとのことだ。

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通り井の説明板があった。桑名は木曽川の土砂が堆積してできたところで水質が悪く、住民たちは飲み水の確保に苦労した。桑名藩の4代目藩主が水路を造り、各所に井戸を設けて用水にしたという。

三崎見附跡(美濃国への出入り口)、石取蔵(蔵前祭車庫)を通り、向かったのは六華苑(ちょうど公園整備中でちょっと遠回り)。

六華苑は山林王と呼ばれた桑名の実業家二代目諸戸清六の邸宅。
洋館部分はジョサイア・コンドルの設計だ。なんと18000平方メートルもの敷地があるそう。

4月に見た「黒井戸殺し」というクリスティ原作のミステリの日本ドラマのロケ地に使われていたので是非訪れたいと思っていた場所。

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洋館は水色の壁で美しい。

中も素敵だ。
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お屋敷からの庭の眺めもすばらしい。

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洋館には和館がくっついていて、蔵や離れもあった。
いや~素晴らしいお屋敷でしたね。

六華苑を出て、川伝いに進み、住吉神社に寄る。

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そこから蟠龍櫓も見えるし、長良川の河口堰も見えた。

七里の渡しへ向かう途中、大塚本陣跡がある。今は船津屋という旅館になっており、本当は撮影したかったところだが、ちょうどバスが到着したところだったので断念。

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歌行燈句碑は撮影した。
泉鏡花の小説「歌行燈」(読んだがすっかり忘れている)を戯曲化した久保田万太郎が船津屋主人に求められて詠んだ句だそうだ。文字はほぼ読めなくなっていたが。

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お隣の山月は脇本陣跡で、そのすぐ先が七里の渡しだ。

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伊勢国一の鳥居。

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蟠龍櫓もすぐそこに見える。
広重の東海道五十三次にも描かれているが、蟠龍とは天に昇る前のうずくまった龍のことで、中国で水を司る聖獣とされており、航海の守護神としてここに造られてものと考えられているとのことだ。これは復元されたものだが。

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川の風景がよい。向こうに見える山はなんだろう?

さて、ここからは東海道復活!
桑名の東海道は道に色がついていてわかりやすい。
桑名宿の脇本陣数は小田原と並んで1位、人口は4位、旅籠の数は宮に続いて2位とのことだ。

舟会所跡、問屋場跡、通り井跡を通り過ぎる。
さすが桑名!このあたりは蛤料理やさんが多い。ちょうどお昼時にこのあたりを通ったら絶対蛤料理ですね。

ここでまた寄り道。九華公園で、桑名城跡である。
桑名城はその形から扇城と呼ばれていて、くわなと読ませた九華と中国の九華扇をかけて付けられた公園名とのことだ。

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お堀がきれいだ。

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天守台跡地には戊辰殉難招魂碑がたっているのだが、石段が崩れやすいということで登るのは禁止されていた。

ここでなんと!3匹の猫に遭遇。

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いずれもなかなかの面構え(笑)。

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柿安(ってここが本店だったんですね)の駐車場から出ると、向かいに本多忠勝の像があった。
徳川四天王の一人で、桑名に入封した際に街造りを行い、川の流れを変えたという。
大きな像だ。

(4へ続く)

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2018/06/25

東海道五十三次歩き(第25回) 鳴海宿~桑名宿2

(1より続き)

名鉄の本笠寺駅近くの踏切を渡って、寄り道し、戸部新左衛門の碑を見ようと行ったのだが見つからずあきらめる。残念!
戸部新左衛門とは、戦国時代の戸部城主で、信長の策略にかかり今川義元に処刑された人物だ。

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塩付街道(星崎塩田の塩を信州に運んだ道)の標柱を左に曲がると富部神社がある。
お隣の長楽寺に、家康の四男松平忠吉が病気の平癒祈願をし、無事回復したので、そのお礼に建てた神社という。

その長楽寺は、弘法大師が夢のお告げで呼続の浜に七堂伽藍を創建したのがはじまりで、その後今川氏が再建した。現在では動物寺として有名らしい。

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入口にあった動物観音。

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中には盲導犬サーブのお墓(盲導犬の碑)もあった。
ご主人を交通事故から守って片足の亡くした盲導犬である。

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目守弘法大師。
目に御利益があるんでしょうね。

東海道に戻り先を進む。

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鎌倉街道を右折すると地蔵院があり、湯浴地蔵が安置されている。
人々が湯を浴びせて祈願したことから湯浴み地蔵と呼ばれているそう。
戦災及び伊勢湾台風の被害にあい、仏頭と両掌のみが原型をとどめているそうだが、大きなお地蔵様だ。

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鎌倉街道を左折すると白毫寺があり、年魚市潟(あゆちがた)勝景碑が建てられている。
年魚市潟は鳴海から熱田にかけての海辺の湾入した遠浅の地形をさし、これがあいちに転じで愛知の語源になったという。
この地はかつて年魚市潟を一望できる場所だったそうだが、今は面影がない。

この先は、坂を下る(いつこんなに登ったんだっけ?)。山崎の長坂という。

山崎川を山崎橋で渡り、道は左に折れる。
秋葉神社を通り過ぎ、久々に国道1号線に合流。
すぐに側道に入り、東海道線のを東海道踏切で越える。

新堀川を熱田橋で渡った右に神明社。

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「右知多郡新道」の道標があった。名古屋と知多半島を結ぶ道だ。

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名鉄の線路をくぐると一里塚か?
と思うと、これは明らかに再現されたもの。
一里塚跡(89里目)であった。

すぐ先に姥堂がある。
姥は奪衣婆という説や日本武尊の母などという説もあるらしい。
太平洋戦争で焼失したものを再建したものだそうだ。

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その前には裁断橋址があり、橋のミニチュアもある。
裁断橋とは、かつての姥堂のそばの精進川に架けられた橋だったようだ。この川自体は大正時代に埋め立てられている。

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都々逸発祥の地の碑なるものもあった。
へえ、どどいつってこのあたりが発祥だったんですね。

さてそろそろお昼。
ここで昼食とすることにした。国道1号線沿いにあるあんかけスパゲティのお店、パプリカである。
あんかけスパゲティは昔名古屋に行ったときに買って帰ったことがあるけれど、お店で食べるのははじめて。

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やはり、ここはミラカンでしょうということで注文。
ミラカンとはミラネーゼ(赤ウィンナー、ベーコン、ハム)とカントリー(玉ねぎ、ピーマン、トマト、マッシュルーム)をミックスした具のあんかけスパゲティ。
一瞬量が多いかなと思ったけれど、ぺろりと食べられた。胡椒はわりと穏やかな方。
おいしゅうございました。

スープも水も飲み干したところで出発、東海道に戻る。

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姥堂のすぐ先にある神社は鈴之御前社。
熱田神宮に参拝する前に、ここで鈴のお祓いを受け身を清めたという。
この裏に、家康の幽居地の跡があるとのことだったが、見つからなかった。家康は今川氏に人質に出されたものの、織田方に送られてしまい、ここ熱田で2年の間幽居されたという。

その先東海道は県道にぶちあたるのだが、横断歩道も歩道橋もなくいったん伝馬町の交差点に迂回して渡る。

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突き当たり手前には道標。
さやつしま、江戸かいとう、京いせ七里の渡しなどと書かれている。佐屋街道との分岐点なんですね。いつか歩いてみたいな、佐屋街道。

そのさらに手前に白本陣跡があったらしいが、特に案内板はなかった・・・と思う。

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道標の向かいにはほうろく地蔵があった。
ほうろく(素焼きの小鍋)売りが荷物のバランスをとるため、拾った地蔵を片方に入れてきたが、ほうろくを売ったあとで捨てた。地元の人が安置しようとしたところ動かず、下を掘ったところ台座石が出てきてその上に祀ったという。
ここにはかつて源太夫社(上知我麻神社)があったそうだが、今は熱田神宮内に移されている。

その先で国道247号線を歩道橋で渡るのだが・・・
渡る前からいいにおい。
と思ったら、渡った先にひつまぶしで有名な蓬莱軒があったのだった。
平日というのにかなり人が並んでいる。
当初はここで食事と思っていたのだが、そうしなくて正解。相当時間がかかってしまっただろうから。

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その駐車場に赤本陣跡の説明板があった。
宮には本陣が2つあって、赤と白というふうに区別していたらしい。赤本陣は236坪もあったということだ。

隣には宝勝院があり、熱田湊の常夜灯を管理していたとのこと。

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さらに進むと七里の渡し公園がある。

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熱田湊常夜灯。

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時の鐘。江戸時代には熱田神宮前の蔵福寺にあって時を知らせていたという。戦災で焼けてしまい(鐘は残されている)、こちらは昭和58年に建てられたもの。

芭蕉もしばしば熱田を訪れたこと、シーボルトもここに寄ったことが説明されていた。

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公園の前にある古い建物は熱田荘。明治時代に建てられた建物で、今はデイケアの建物として利用されている。

そこから来た道を戻り、蔵福寺前を通り(その前には蓬莱軒の分店が。やはり行列ができている)、いよいよ熱田神宮へ。

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一の鳥居、二の鳥居をくぐって、まずは移されたという上知我麻神社へ。

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そのあと、日本酒が奉納されているところを通ったら、なんと鶏が自由に歩いているではないですか。

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神鶏なのか?
勝手に住みついたとか、かつて奉納された鶏の子孫だとか、飼いきれない鶏が持ち込まれたとかいろいろな説があるようだ。
名古屋コーチンらしいですね。

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大楠。

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そして、拝殿。

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信長塀も見所の一つだ。
今川義元の侵攻に対して、熱田神宮に戦勝祈願し、見事勝利をおさめた。そのお礼として築地塀を寄進したという。

ここで一休み。

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きよめ茶屋にて、抹茶ときよめ餅のセット。
柔らかくておいしい餅菓子。ほどよい甘さ。
暑くて少々バテ気味だったが、ここで英気を養い再び出発。

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またまた鶏たちがいる中、目指すのは名鉄の神宮前駅である。

(3へ続く)

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2018/06/24

東海道五十三次歩き(第25回) 鳴海宿~桑名宿1

先週とうってかわって当日はいいお天気。暑くなる予報で、晴れたのはうれしいけれど、もう少し涼しければなと思いつつ・・・

今回のスタート地点は前回のゴール鳴海から。
なるべく早く歩きはじめた方がいいだろうと、6時40分過ぎののぞみに乗ることにして、念のため指定をとっておいた(が、ちょっと早く行けば自由席でも大丈夫そうなことがわかったので次回はとらないで行こう)。

いつものように新幹線の中で朝食をとり、うつらうつらしながら名古屋に到着したのは8時20分過ぎ。名鉄に乗り換えて、特急、急行と乗り継いで、鳴海へ。歩きはじめは9時ちょっと過ぎ。

前回は菊屋茂富という和菓子やさん(1857年創業とか!)のところで曲がって駅に行ったのでそこからのスタートだ。
前回は気づいていなかったが、曲尺手になっており、斜め向かいの緑生涯学習センターが東の問屋場跡とのことだ(鳴海宿はほとんど遺構が残っていない)。
本陣跡は次の交差点のところだったらしいが、案内板は見逃してしまったようだ。とても広い敷地だったという。

1
次の交差点を右折すると、三菱UFJ銀行の前に高札場が再現されていた(本来の高札場は交差点の角)。実物は名古屋市博物館にあるとのこと。

2
その先の天神社は鳴海城趾である。
今川方の猛将岡部元信が、義元が討たれたあとも最後まで立てこもって奮戦したという。

3
斜め向かいにあるお寺は圓道寺。

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山門の上の扁額には見ざる言わざる聞かざるが。

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そして本堂の屋根の上には三猿がのっている。

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ご本尊は青面金剛明王(庚申さま)なので、その使わしめの三猿がいるということらしい。

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絵馬も三猿だ。

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弘法堂の中には聖観世音菩薩と弘法大師などが。

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お隣の誓願寺には芭蕉最古の供養塔があった。
このお寺は芭蕉の弟子、下里知足の菩提寺。芭蕉が亡くなった翌月に如意寺に建てられた供養塔がここに移されたという。

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その如意寺はすぐ近くにある。
蛤地蔵尊というらしい(看板あり)。
昔このあたりでは蛤がよくとれたそうで、正月にはその供養として漁師が蛤を山のように投げ、放生する風習があったとのこと。

少し先のところを右折すると東福院がある。

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山門は廃城になった鳴海城の廃材で寛永年間(1624~1644)に再建された当時のもの。

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脇の観音堂には三十三観世音菩薩がおかれており、中央が子宝観音である。

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丹下常夜灯を過ぎる。ここが鳴海宿の西端。鳴海は常夜灯ではじまり常夜灯で終わるのですね。
秋葉大権現」、右に 「寛政4年11」、左に 「新馬中」、裏には 「願主重因」 と刻まれているとあったが、裏はちょっと読めなかった。

鉾ノ木貝塚を通り過ぎ、稲荷神社の標柱のところを右折するつもりが通り過ぎてしまい・・・
貝塚まだ戻り、ようやく細い道発見!標柱が草に隠れて見えなかったのだった。

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急な坂を上がっていくとあるのが千鳥塚。
芭蕉存命中に建てられた唯一の翁塚だそうで、この文字は芭蕉の筆とのことだ。

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この千句塚公園の奥にあるのが緒畑稲荷神社。
白い狐が住みつき神社を守っているのだそう。

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脇には弘法さまと不動明王もあった。

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洪水がおこる度に流路を変えたという天白川を渡り、知多郡道道標を過ぎた先にいぼ地蔵。
左手のいぼ状の隆起に触れていぼ取りを祈願するという。

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すぐに見えてくるのが笠寺一里塚(88里目)。
名古屋市に現存している唯一の一里塚。
なかなかに大きいが、残っているのは片側だけである。

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泉増院には玉照姫が祀られている。

この後に行った笠寺観音(笠覆寺)は当初は小松寺といい、呼続の浜の流木に刻まれた十一観音があったが、堂が荒れ、観音像が雨ざらしになっていた。
鳴海長者の家に仕えていた美しい娘が、観音様を気の毒に思って自分の笠をかぶせた。後日、長者の家に泊まった藤原兼平が娘を見初め、妻とし、それから玉照姫と呼ばれるようになったという。

ということで、泉増院の絵馬には、玉照姫が観音様に笠をかぶせる様子が描かれていた。

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笠寺観音の放生池(亀がたくさんいました)にかかる太鼓橋を渡ると立派な山門が。

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左右には仁王像。

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玉照堂。

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芭蕉の千鳥塚と宮本武蔵之碑。
今回行かなかったが、近くの東光院に武蔵が滞在したことがあるという。

(2へ続く)

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2018/06/20

東海道五十三次歩き(第24回) 新安城~知立宿~鳴海宿4

(3より続き)

有松宿に到着。
有松絞りで知られる間の宿である。

1_4
有松の東海道沿いには7つの歌碑があるが、一つ目は鈴木朖(本居宣長に学んだ国学者)の碑。

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すぐ先に地蔵堂があり、のぞき込むと・・・
丸く平らな石が。これが世界地蔵だそうだ。

その先には・・・

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静かな風情のある街並みが現れた。

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各家には「ありまつ」の絞り染めののれんがかかっている。

5_4
おや?屋根の上には何かがのっている。おもしろい。

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別バージョンの名古屋のマンホールはアメンボだ。

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そしてこれは有松絞をあらわしてるものなんでしょうね。

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有松山車会館。
有松には3台山車があり、交互に1台ずつ展示しているそうだが、土日祝日しか開館していないということで残念。

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絞会館を通り過ぎ、その先にあった信用金庫も有松らしい!

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服部家は立派。
蔵は塗籠造りでなまこ壁があり、木造切妻二階建桟瓦葺。
住宅の方はなんと11棟からなるという。絞り問屋の屋敷の典型だそうだ。

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うだつも上がっている。

12_4
おお!ここでこの日最初で最後の猫に遭遇。
雨ベースなので会えないかと思っていたのだが・・・

13_4
交差点を渡った先に唐子車の山車庫。
そのまま格納するので高い建物になっているんですね。昔はいちいち解体していたそうなのだが。

14_4
斜め向かいに中舛竹田荘。
有松絞りの開祖、竹田庄九郎ゆかりの建物と言われるが、現在はデイサービスの建物として使われている。

15_4
お隣の竹田家住宅の屋根の上には明治時代のガス灯の名残のランプが置かれている。
連子格子、虫籠窓、塗籠造、なまこ壁も揃っている。

16_4
岡家住宅の二階窓は縦格子で美しい。

17_4

18_4
小塚家住宅は立派なうだつが。
塗籠造のうち最も古いものの一つと言われる。

このあたりで美しい街並みは終わり。

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右折して、天満社へ。有松の氏神だそうだ。

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本殿前には伏せ牛が。

21_4
筆塚もあった。

22_4
街道に戻り、祇園寺を過ぎた先に有松一里塚。が、これは復元されたもの(いかにも!)。
大正時代に払い下げられなくなってしまったが、地元の要望により、数年前に復元されたものだ(87里目)。

鎌研橋(怖い名前だ)を渡り(雨が降ってきた)、先を進む。

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名残松を通り過ぎ、平部北交差点を渡ったところにあるのが永代常夜灯。ここが鳴海宿の入口である。立派な常夜灯。

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その先に、クロマツと旅姿碑があった。女性と手代の旅姿のようだ。

25_3
扇川を中島橋で渡る手前で左折、ちょっと迷ったが見つけたのは民家の中の中島砦跡。
織田信長が義元の侵攻に備えて築いた砦で、桶狭間の合戦では重要な砦だったという。

26_3
橋を渡ると立派な山門が見えた。瑞泉寺の山門である。宇治の万福寺の総門を模したもので宝暦5年(1755年)のもの。中華風の山門だ。

というところでこの日の街道歩きは終わり。
鳴海駅に向かい、急行に乗って約15分で名鉄名古屋駅に到着。

新幹線の切符を買おうとしたのだが、さすが金曜日。並びの席がなかなか見つからず、結局1時間先の7時過ぎのをようやく買うことができた。

まだ時間があるということで、夕食を先に食べることにし、山本屋本店へ。

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味噌煮込みうどんを注文したのだが、サービスで漬け物盛り合わせが出てきた。
早速生ビールでいただく。いやはや歩いたあとのビールのおいしいこと!
そして、昼はまったく野菜がなかったので、野菜もまたおいしいこと。

久々に食べた山本屋本店の味噌煮込みうどんもおいしくいただき、駅へ。

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きしめんをおみやげに買い、新幹線に乗り込む。
今後は名古屋を起点としてしばらくは歩くことになるのだ。

9時前に東京に到着、中央線に乗り換え、到着は10時すぎだった。

雨が心配されたけれど、それほど降らず、行って本当によかったなと。

約49000歩。
次回は宮宿へ。

(完)

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