街道歩き

2017/05/24

東海道五十三次歩き(第3回) 蒲原~由比4

(3より続く)

地蔵堂を通り、由比川を渡って少し行くと、春埜製菓が見えてくる。
このお店には弥次さん喜多さんも食べたというさとう餅がたまご餅と名前を変えて発売されているというので、是非食べたいと思っていたのだが・・・
お店をのぞいてみると、バラ売りも箱売りも置いていない様子。午後だから売り切れてしまったのか、平日はあまり置いていないのか・・・
とても残念である。

Photo_31
ツナ缶で有名ないなば食品の前を通り、ちょっと右に折れて桃源寺へ。
山門脇に双体道祖神。富士川以西では珍しいという。
入ると、大いいちょうが。こちらは雌木。

Photo_32
境内には羅漢さまが点在しているが、奥には七体の石仏観音菩薩像がある。
左から、不空羂索、如意輪、准胝、十一面、馬頭、聖、千手。
いいですねぇ、こういうお寺。

その裏手にあるのが地持院。
代掻き地蔵なるものがあると聞いていたのだが、パッと目に入ったのは見守り地蔵とわらべ地蔵。
代掻き地蔵は探せどなく・・・
どうやら本堂にまつられている模様で、結局見ることができなかった。

Photo_34
お隣の豊積神社にもまた大いちょうが。こちらは雄木で、桃源寺の銀杏と夫婦とか。いずれにしても、大木で写真に撮るのが大変だ。

Photo_35
東海道に戻る道で、ついに猫の撮影に成功!
午前中一匹出会っていたのだが、逃げられてしまい・・・
しかし、この猫は堂々としてまったく逃げるそぶりもみせなかった。

由比漁協を過ぎたあたりで東海道は右折、階段を登る。
登った先に天満大自在天神(北野神社)があり、鳥居の前に常夜燈があった。
前回と違って、この日はそれほど、常夜燈に出会っていない。

Photo_36

そして、ここには白猫が。不敵な面構え!にゃん相が悪いぞ(笑)。
それとともにめずらしい鳥にも出会った。イソヒヨドリである。
綺麗な色!
Photo_37

見ざる言わざる聞かざるの庚申塔を見て、馬頭観音があるあたりがもう由比の駅の上。

時間はもうちょっと余裕がありそうだったので、もう少し先までいって引き返すことにした。

東海道から右へ入ってちょっと寄り道。
このあたりは、ミカン類とともに枇杷の木がたくさんあり、どうやら産地の模様。収穫まではもうちょっとだろうか。
そういえば、道々、いろいろな種類の柑橘類が売られており、すぐに帰るんだったらば買ったのだけど・・・さすがに荷物が重くなるので買えなかった。

宗像神社の境内には相撲場跡とあり、軍配の形をしたオブジェがあった。
先を進むと、由比地すべり管理センターがあり、そこからは薩埵峠が間近に見える。

Photo_38
ほどなく再び東海道に降りていくと、小池邸がある。
小池家は代々名主を務めていた家で、このお宅はなまこ壁、大戸、くぐり戸を残している。
ぎりぎり中も見学出来る時間だったので、ちょっとだけお邪魔し、庭も拝見。
Photo_39

というところで、そろそろ時間となったので、次回はここからスタートとし、由比駅へと引き返した。

切符を買っていると4時27分に間に合わないなあ、でも仕方ないか、待とうと思っていたのだが、な、なんと!駅には駅員さんがいなかった!
しょうがなくスイカで入ることにし、走って27分の電車に乗ることができた。座ってウトウトする。

三島ではいったん改札を出て、新幹線の切符を購入、再び走って5時20分のこだまにのることができた。前回、前々回より2台早いこだまである。
意外と混んでいて、席が離れてしまったが、熱海で隣の人が降りたので、並んで座る。

7時半前には最寄り駅に到着。
今回もまた庄やで乾杯!
生ビール×2、谷中生姜、静岡おでん、煮穴子の炙り焼き(お通しは生しらす)。

さてさて、次回は来月半ばですが、お天気がよければ薩埵峠を越え、江尻あたりまで行きたいと思っています。
晴れるといいなあ。

(完)

2017/05/23

東海道五十三次歩き(第3回) 蒲原~由比3

(2から続く)

そろそろお昼。
諸々の見学は後回しにすることにして、おもしろ宿場館の2階のパノラマテラス海の庭でお昼ご飯にすることにした。

Photo_10
あれ?去年きた時は弥次さんも喜多さんもいた気がするのだけれど、今年は弥次さんだけ?どうしたんだろう。
眺めがとてもよい。薩埵峠もかなり近くに見えている。
Photo_11

Photo_12
頼んだのは赤富士丼。生桜えびのまわりに揚げ桜えびがこれでもかというくらいにのっている。海藻サラダ、みそ汁、漬け物つき。
桜えびがおいしい。新鮮。
この3回の東海道歩きで、もう1年分以上の桜えびを食べたなあ。堪能したなあ。

しかし、結構ボリュームがあり、重い体で再び歩きを開始。
少し戻って、先ほど飛ばしてしまった慈徳寺へ。ここをとばすわけにはいかない。なぜって女子厄除石段があるから。

Photo_13
そして、由比本陣公園。
ここは去年の夏も来ているのだが、相変わらず馬の水呑場には亀がびっしり。なんでこんなにいるんだか・・・
Photo_14

東海道広重美術館を見学する。
今回やっていた展覧会は「浮世絵と広告」。
なるほど、こういう目で見たことはあまりなかったけれど、浮世絵は広告の意味合いもあったわけで・・・
お店の宣伝、商品の宣伝。東海道五十三次でも描かれている版元の宣伝。
こういう隠れたものを見つける楽しみってのもあるんですね。
そして、今回はじめて知ったのが、いろいろな絵に広重のヒロの字を菱形にかたどった模様が描かれているということ。
今度から注目して探してみよう。
常設展示も一通り見ておしまい。

外のベンチに座ってオレンジを食べて休憩。
明治天皇が休憩した座敷を再現した御幸亭は外から眺め、由比宿交流館も一瞬除く。
由比缶詰所が売る高級ツナ缶ホワイトシップが置いてあるということで、一瞬買おうかなと思ったのだけど、結構大きな缶詰で重そうなので断念した。

Photo_15
公園の前には正雪紺屋。
由比正雪はここの生まれらしい。

脇本陣、明治の郵便局だったという平野宅を通りすぎ、正法寺へ(公園の隣)。
ここには由比語源の碑がある。
ユヒは組合とか協同、交換の意味に使用され、農業や漁業の仲間同志の労働的な常套語だったという。

Photo_23
国登録有形文化財の清水銀行の建物を撮影、そのすぐ先が西木戸、西枡形跡で、くいっと道は曲がり、由比宿を出る。

2017/05/22

東海道五十三次歩き(第3回) 蒲原~由比2

(1から続く)

地元のおばさまと出会っておしゃべりしながら進む。
高札場跡を通り過ぎ、おばさまとは旧五十嵐歯科医院の前でお別れ。
ここを見学したくて、登山したようなもの。9時半にならないと開かないのだ。

Photo_3
ここは外観は洋風建築なのに中は和風。
見学の方はお声をおかけ下さいというので、ごめんくださいというと、ボランティアガイドの方が出てきてくれた。NPO法人が管理してるんですね。

靴を脱いで上がる。
五月人形とつるし雛、めずらしや全部木で出来てる蓄音機もあった。もう部品が手に入らず今は聞くことができないらしい。電話室もあった。

この時、また訪問者(年配の男性二人組)がきたのだが、清水まで歩くので急いでいるというので上がらずに行ってしまった。せっかくなのにね。

Photo_4

Photo_5
次の間にいくと欄間が素晴らしい。広重の近江八景。
美の壺で放映されて、近々再放送があるというから是非見なければ・・・

Photo_6
庭を見ると井戸が。
二階の診療室まで水をくみ上げていたという。

Photo_7
Photo_8
二階に上がると欄間は東海道。
襖絵がきらびやかで美しい。と思ったら、逆の側から見ると墨絵なのだった。
と見てくると、洋館であることを忘れますね。

61
ここを出て斜め前の志田邸の写真を撮り、美しい格子戸の家、増田家も撮り、左折すると西木戸。ここで蒲原の宿もおしまい。

蒲原宿を出てしばらく歩くと秋葉道の道標。
貞心寺があり、その駐車場に塗装工事殉職者供養碑があった。
蒲原では優秀な塗装技能者が多くいたとのこと。そうなのか。

このあたり、桜えびとかしらすとかを売る店がたくさんあり、このまま帰るんだったら生を買うよね。まだまだ道中長いのでムリですが。

Photo_9
蒲原駅を通り過ぎたところに小さな稲荷社が。
中をのぞいてみると、おお!生のあげが供えてある。

東名をくぐり神沢川を渡ったところに酒蔵が!
神沢川酒造場である。
お店にお邪魔すると、82歳というおばあちゃまがいらしたのだが、いや~お若い。お話も楽しい。

母親にワンカップ2つを買ってもらい(広重の薩埵峠のラベル)、お店を後にする。

ほどなく地蔵堂があり、すぐそばに一里塚跡(39里)。
いよいよ由比宿だ。

入り口は枡型になっている。
これは蒲原でもそうでしたね。

御七里役所跡の碑と説明板がある。
紀州徳川家の飛脚の役所跡だが、いやー昔の飛脚ってすごいなあ。健脚だなあ。
特急便はなんと4日で着いたとか。

2017/05/21

東海道五十三次歩き(第3回) 蒲原~由比1

東海道歩き3回目。
前週に引き続き、歩く。今回は美術館に行ったりするので一区間のみの予定。

前回と同じ新幹線に乗ることにしたが、6時前は指定席券売機が1台のみしか使えないので、さらに早く家を出ることにした。
結果、さらに1本早い電車に乗ることができ、東京駅での乗りかえも余裕。
6時56分のこだまである。
残念ながらこの日の天気は曇り、午後からは雨という予報と前日見ていたので富士山は難しそう・・・
と思ったら、天気予報は変わり、静岡は晴れ間も出そうな?
むむむ、ならばもうちょっと日焼けどめをしっかりぬってくればよかった。なにしろ、まだ腕は剥けているのだ。

乗り込んで早速ソーセージロール、バナナ、野菜ジュースで朝ご飯。

1時間弱で三島に到着、東海道線に乗りかえ、沼津でまた乗りかえ、前回のゴールだった新蒲原駅へ。8時34分着。早速歩き始める。

前回は蒲原宿を見学する途中で時間切れだったのでその続きからとなるが、地図を見ると蒲原城址があり、そこに登ってみようかという話になっていた。
しかし、研究の結果、どうやら結構道が少し荒れていそう、ということで、地元では桜の名所として知られているらしい御殿山の方に登ってみることに。

八坂神社のところから登山道がはじまる。
登り始めてしばらくは、野仏がたくさんおかれていてテンションが上がりますね~
なんでもかんばら野仏の会の方たちが自ら彫った野仏を置いた(平成8年)・・・ということらしいのだけれど、いや~なごみます。かわいい!
Photo_12
Photo_13
Photo_14

Photo_15
しばらく行くと赤いつり橋があり(さくらつり橋・・・それほど揺れはしない)、ぐいぐいと登っていく。
どうやら桜の季節しか人が行かないのか、草はボウボウ、蜘蛛の巣もはっていたり・・・でも静かな道でなかなかよろしい。

Photo_16
御殿山広場に出て、さらに登ろうとしたところ、くまんばちがブンブン飛んでいる。危ない危ない。エアーサロンパスをシュッシュとしつつ、なんとか突破、狼煙場に到着。
物見台があったので、せっかく上がってみたのに・・・
なんと、木が邪魔して薩埵峠が見えない!
きっと見えるに違いないと、この山に登ってきたのになあ。

トボトボと降りて、展望台から富士山の方を眺めてもダメ。
新蒲原に到着する前に一瞬、見えたのだけど・・・
トマトを食べて休憩してから、行きとは違う道を通ってみたらもしかして薩埵峠が見えるかも?ということで進む。

6
そしたら、見えました!やっと。
ちょいぼんやりしているけれど、遙か向こうに・・・
富士川の方を見ればピンク色に染まっている。これはもしかして桜えびを干しているのかな?
Photo_18

そこから元の道に戻るつもりがあれれ?
違った道に出てしまい、降りたところは正八幡神社だった。

2017/05/17

東海道五十三次歩き(第2回) 吉原~蒲原4

そこからは急坂(新坂)を下っていき、降りきって道が右に折れてわりとすぐのところに一里塚跡(38里)。家と家にはさまれて窮屈そうだ。

その先、竹藪を上がっていくところに北条信三郎(最後の蒲原城主で、信玄により落城自害した)の墓があるとのことだったので登りはじめたのだが・・・

Photo_13
ぎゃあああ。へび!
全然動かないので死んでるのかと思ったけれど、そのうちゆっくりと動きはじめた。アオダイショウなんだろうけれど、噛まれたらやなので、結局このお墓はあきらめて退散。

Photo_14
ついに、蒲原宿へ。
東木戸到着である。
ここにある常夜灯は、この日見た常夜灯の中で一番趣があった。やはり全部が古いまま残っているタイプがいいですね。

Photo_15
過ぎるとすぐにダイナミックな新日本金属の4本の導水管が見える。
富士川上流で水を取り入れ、この工場の電力を発電しているとのこと。

蒲原宿は江戸時代の風情を残す街並みが続き、いろいろと見どころが多い。
歩いていると写真スポットがたくさん。

まずは木屋江戸資料館。
残念ながら予約しないと中は見学できないのだが、めずらしい構造の土蔵がある。意外と要予約とか土日しか開いていないとかも多いのですね。

Photo_16

5
竜雲時、馬頭観音、なまこ壁のある佐野屋、塗り家造りの吉田家と続き、ひょいと左に曲がると夜の雪祈念碑がある。
温暖なこの地をなぜ広重が雪の風景として描いたのか、謎である。

Photo_18

Photo_19
街道に戻って、旅籠和泉屋(鈴木家)、本陣跡(佐藤家)を外から眺めたところでそろそろ時間切れ。
新蒲原駅へと向かうことにした。

しばらく電車がこないので、ベンチでのんびり休憩、5時27分の電車に乗り、三島で下車。今回も前回とおなじこだまだが、乗りかえ時間はたっぷりあったので先頭に並んで待つ。
6時23分発のこだまに乗車。先頭に並んでいたので座席は並びで確保できたが、ギリギリだと席を見つけるのが大変だったかも・・・というくらいに前回より混んでいた。

東京駅で乗りかえ、最寄り駅に着いて、庄やへゴー!
生ビール飲みたかったんだよね。
ということで、生ビール2杯と、東海フェアということで鶏ちゃん焼きと浜松餃子、あとは焼き茄子を食べて終了。

気付くと、腕が真っ赤になっており・・・
ヒリヒリ。いやー暑い日でしたから。

この日の歩数は家を出て帰るまで46800歩強。22キロ弱くらいでしょうか。今回もよく歩きました。

次回は蒲原~由比を予定しています。
(完)

2017/05/16

東海道五十三次歩き(第2回) 吉原~蒲原3

ちっちゃな常夜灯を右に入ると旧道で、再び県道に戻ったところのセブンイレブンで休憩。お約束のアイスクリーム!
母親は大好きなアイスバー、ワタクシはこれまた大好きなジャイアントコーンのメロン味。うーん、ちょっと甘いかなあ。フツーのジャイアントコーンの方がいいかも?といいつつ、新製品が出るとついついそっちを食べちゃうのである。
この時間帯が一番暑い時だったので、アイスでほっと一息つく。

Photo_7
やがて富士川にかかる緑色の橋が見えてきたが、そのすぐ手前右に水神社が。
水量の多い富士川。この神社で安全を祈ったらしい。
この神社内には、富士山道の道標、富士川渡船場跡の碑、馬頭観音などがある。

Photo_8

3_2
富士川は川幅も結構あるが、水量もなかなか。
しかし、なんといっても富士山の眺めが素晴らしい!
頂上付近にちょっぴり雲がかかっていたが、きれいに見ることができて大満足。

橋を渡って右に少し行くと渡船上がり場の常夜灯と住倉了以の碑がある。
了以は家康に命により富士川水道を作った人である。

Photo_9
坂を上がっていくと、そこは間の宿岩淵。
身延道道標、常夜灯のある光栄寺の前を通りすぎて少し行くと、小林本陣常盤邸がある。
小休本陣で、土日は公開されているようだが、平日は要予約ということで中は残念ながら見られなかった。そして、あとから知ったのだが、この常盤家、女優の常盤貴子の父親の実家なんだそうである!へええ!!

Photo_10
その後、新豊院に寄る。
六地蔵や、お掃除小僧さん?、火伏地蔵などなど、ワタクシ的にはツボなお寺。山門も立派だ。常夜灯もある。

道がかくっと右に折れるところに一里塚(37里目)。
そこから脇にちょっと入ると茅葺きの家が見えて、そこが富士川民俗資料館とのことだったが、ここも土日しかやっていないため入れなかった。

持っていたペットボトルの麦茶がほぼなくなり、ノドもからから。
コンビニでもないかと思ったものの、この道沿いにはなさそうで・・・
富士川駅に近づいたところで下っていこうかと思ったものの、だいぶロスになりそうだったのであきらめ、少し先にある酒屋ならばきっと自販機があるはず!と進む。

常夜灯の撮影は怠りなく(笑)、酒屋さんに到着。やったあ!自販機があった!
ようやく水を買ってほっと一息つく。生き返りました・・・

このあたりを歩いていると、小学生の見守りをしているおじいさんたちが方々にいて挨拶したりしていたのだが、東名をくぐる直前にも蒲原はくぐって左ですよと教えてもらった。

少々坂道を上がりつつ、東名をくぐってすぐのところに不動明王石柱・薬師如来石柱。
橋をわたって左に見えてきたのが和洋菓子のお店ツル家さん。
かつて岩淵一里塚あたりの茶店で出されていたという栗の粉餅は、いったん途絶えてしまっていたのだが、このお店で再現された・・・

Photo_11
と聞いていたのでお店をのぞいてみるとありましたありました!
ということで2つ購入。
すぐに食べるつもりが・・・見守りのおじいさんずやら工事の人やらがいてなかなか食べられず・・・

秋葉常夜灯(中に神様がいる!)を撮影、少し下って新幹線をくぐり、またまた秋葉常夜灯をパチリ、明治天皇御駐輦之跡を通過する。
富士川橋を渡る手前でも明治天皇御小休所跡があったようなのだが見過ごしてしまっていた・・・

ここから道は上り坂。
東名高速道路が見えてくる。
登り切ったところに陸橋があり、そこで先ほどのお菓子を食べることにした。

柔らかいお餅のまわりに栗の粉がまぶしてあり、中の餡子には栗が混ざっている。昔は中には栗がなかった模様。ほどよい甘さで、大変おいしゅうございました。これからも名物があったら買ってみよう。

Photo_12
そして陸橋を渡る。
陸橋からはうっすら富士山が見えたのだけれど、よく写らなかった。残念。
(続く)

2017/05/15

東海道五十三次歩き(第2回) 吉原~蒲原2

このあたりは日産の部品メーカー、ジヤトコの工場やら社宅やら関連施設がたくさんあり、そこを抜けたところに東木戸跡がある。新吉原宿のはじまりである。

ほどなく岳南電車(以前は岳南鉄道だったが平成25年より分社化され岳南電車)の吉原本町駅が見えてくる。手前で左に入ると陽徳寺。祈ると眼病が治ったという身代わり地蔵が並ぶ。
駅に戻ると、踏切のカンカンカンという音が聞こえてきた。
この日ここを通ったのは10時台だが、10時台は電車2本しかないから、見られたのはラッキー。オレンジ色の電車1両でかわいらしい。

ここから吉原商店街が続く。昔ながらの商店街。
本陣などの跡はマップで確認できるのみ。
Photo
天神社は宿移転の時にここを中心に町割りが行われたとのことだが、入るとすぐに狛犬ではなくて牛さんが迎えてくれる。

Photo_2
鯛屋旅館は清水次郎長の定宿だったところで(この宿が出来たときからあったことになる)、中もきっと趣があるんだろうなあ。

そして、ちょっと早いが名物つけナポリタンを発祥のお店、アドニスでと思っていたが・・・
なんとこの日が定休日。
他にもつけナポリタンが食べられるところはないかちょっとだけウロウロしてみたが、まだ11時半前なので難しそう。
ということで残念だが諦めることにした。

Photo_3
なぜかしゃちほこがついている(獅子もいる)大雲寺を見学してから、吉原宿を出た(小潤井川にかかる四軒橋が西木戸跡)。ここは村山古道との分岐点でもあり、村山古道は富士登山道へと続いていく。

旧道は道路の拡張でなくなってしまっており、大通りを渡って右折してすぐまた旧道へと入る。

村人のために磔刑になった名主を祀った青嶋八幡宮神社(通称磔八幡)・・・解説版が漫画仕立てでわかりやすい・・・を見て、そろそろお昼ご飯。このあたりなら回転寿司かファミレスが何軒かありそうなのでどうしようかなあと思っていたところ、目に飛び込んできたのがゆず庵というお店。
なんか松花堂ランチがおいしそう!
ということでノーチェックだったこのお店でお昼にすることに決定。
何年か前の地図を見るとかっぱ寿司があったところ。
豊橋に本社がある飲食チェーンの1ブランドらしく、しゃぶしゃぶとお寿司の食べ放題がウリのようだったが、ゆっくりご飯を食べている余裕もないので、初志貫徹松花堂ランチを注文。

Photo_4
いやはや、意外とボリューミー!
あさりと筍の土瓶蒸し、しらすと桜海老の三色ちらし、海藻と揚げじゃこの豆冨、揚げ桜海老のぶっかけとろろうどん、駿河湾産桜海老クリームコロッケ、サラダ、牛すき、もずく酢、茶碗蒸し。
桜海老やしらすがちらほら入っているのがうれしい。
つけナポリタンは残念だったけれど、結果オーライ。
ただ、小食のワタクシにはちと量が多く、ご飯を少し残してしまった。

この日はとても暑く、せっかくお店で涼んだものの、すぐにアチアチに。
潤井川のすぐ手前、旧道に入ったところで、ガガガ・・・ん?なんだなんだ?と思ったら、ワタクシの靴のゴム底がはがれてしまった!
川にかかる富安橋まではヒモで縛ってがんばったがやはりムリ。
ということで仕方なくゴム底なしでこの後歩くことになった。左右の高さが違ってしまい、歩きづらかったが徐々になれ、次第に気にならなくなった。しかし、夕方歩き終わってみると、右足の裏がじんじんと痛んでいたのだった。

Photo_5
気を取り直して再び歩き始め、民家の塀にひょいと現れた袂の賽神(村の入り口の守護神)を撮影する。なんか味わいがありますね。

Photo_6
少し進んで富士フィランセ前に間宿本市場の碑があった。
近くに鶴芝の碑。昔茶屋があったところだが、この日初の猫発見!なかなかの面構えである。このあと出会った猫はなかなかの美猫だった。

その先の道路のところで東海道は分断されてしまっているので迂回。
7_2
そこにあったのが、疱守稲荷神社なのだが、不思議な帽子?とかぶった神様?が座っている。いったいこれってなんなんだろう?ちなみにお宮に白石がたくさん
置かれているのだが、これを一つ借りたらば、お礼として2つお返しするそうである。今もやっている人がいるのかな?

再び旧道に入り、昔の身延線の線路跡を通り過ぎたところで一里塚跡の碑。35番目の一里塚である。

ほどなく富士本町のアーケード商店街(左に行くと富士駅)を渡り、道祖神を撮影、フジホワイトホテルのあるところが旧松永邸。
といっても松永さんがどなたか存じ上げず・・・
ホテル前にある解説版によれば、スルガの大地主とのことで、今は富士市のふるさと村に移築されているとのこと。

高札場跡を通り、柚木駅の手前の天白神社に寄る。
道祖神や庚申塔などがあるが、ワタクシ的にポイントが高かった道祖神はそのだいぶ手前の稲荷神社の双体道祖神だった。その斜め前には秋葉常夜灯があった。
この後、常夜灯がたくさん出現。いったい何枚写真を撮ったことか・・・

柚木駅で身延線の線路をくぐる。
橋下の交差点で左に行くのが東海道だが右に行くと雁堤がある。
今回はいかなかったが、護国神社には、築堤のために人柱となった千人目の旅人の僧侶が祀られている。
(続く)

2017/05/14

東海道五十三次歩き(第2回) 吉原~蒲原1

東海道歩き2回目。
今回の予定は吉原から蒲原までだが、どこまで行くかはその日になってみないとわからない・・・

前回と同様5時20分に起床し、6時前だが前回よりほんのちょっと早く出発。結果、前よりも早い電車に乗ることができ、東京駅でちょっと慌ただしかったが、1本早い6時56分のこだまに乗ることができた。富士山が見える側の席も確保でき、早速、パン、バナナ、ヨーグルトドリンクの朝ご飯。とても眠いが、あっという間に三島に到着してしまうので睡眠を確保することはできなかった。

新幹線の中からも富士山がちらりと見えてはいたが、やや雲が多い。
三島の駅のホームからは曇っていてまったく見えず、この日は富士山はダメなのか・・・

東海道線に乗りかえ、沼津行きだったので、沼津でまた乗りかえ、前回のゴール、新吉原駅まで行く。
歩き始めは8時半。前より早い。
そして、駅を出てみると、下の方に雲はかかっているものの、富士山が見えた!前回よりだいぶ雪が少なくなっている。
1
本来ならばこのまま北上し、新吉原に向かうところだが、田子の浦港を見ようということでまた南側へ。
駅近くの木之元神社(神社自体には上がっていかなかったが)の前にちょっとおもしろいマンホールがある。
2
描かれているのは、富士山と水が吹き出している六角井戸。
富士山からの神聖な水がわき出る井戸だったが、道路の下になってしまうことからマンホールとして残されている、ということらしく、「なるべく踏まないように」との注意書きもある。

3
ちょっと寄り道、富士と港の見える公園へと向かう。
六地蔵が祀られた地蔵堂、妙法寺を通り公園へ。
阿字神社入り口とある。
前回、生け贄になったお阿字のことを悲しんで身投げした6人の巫女を祀った六王子神社を訪ねたが、ここはお阿字自身が祀られている・・・のだが、六王子神社の方がはるかに立派だった。
4
ここには、見附跡もあり、元々ここに吉原宿あったことがわかる(その後、元吉原→中吉原→新吉原へと移転)。

5
仏舎利塔を通り過ぎた先に田子の浦港が見えるが、今や油槽所が並び、港にはタンカーが並んでいて、すっかり面影はない。昔は砂浜だったらしいのだが。
対岸にはやはり公園があり、そこには山部赤人の「田子の浦ゆ・・・」の碑があるそうだ。

そこで引き返し駅へと向かう。
さて、ここからがこの日の東海道歩きのスタートである。

というところだったが、沼川にかかる川合橋を渡ったところで、うっかり左斜めの道に入らず直進してしまい新幹線の線路をくぐってしまった。
というところで気づき、慌てて修正。
あとから地図を見たら、そう難しい道ではなく、なんでここで直進したのか謎なのだが、そのときはしっかりと地図を見ていなかったのだろう。ここで10分以上のロス。

軌道修正したところであらためて富士由比バイパスと新幹線の線路をくぐり、細い道へと入っていく。もう少し行くと2箇所しかない1箇所の左富士が見えるはずだが、まだ正面からちょっとだけ右に見えている。頂上が少し見えるだけで、なんとか左富士の地点では見えてほしいのだが・・・

6
左富士神社(鉄下駄や、つい最近できた一里塚の碑がある)にお参りしたあと、ちょっと左の道に入って、中吉原宿遺跡発掘調査の説明板を見にいく。今はこのあたりに宿があったことはまったくわからない。

7
再び東海道に戻り、左富士名残の松のところから富士山を見ると・・・頭がちょっとだけ見えるだけ。ここに工場がなければねぇ。この付近が広重が絵を描いた場所とのことである。オレンジを食べて少々休憩する。

道はまたカーブしていて次第に富士山はまた右側に移動していく。
馬頭観音をすぎ(この日は馬頭観音をいくつも見た)、少し行くと立派な平家越の碑がある。この付近に陣を張った平家軍が近くの沼から水鳥が飛び立つ音を源氏の夜襲と勘違い、敗走したという地である。
(続く)

2017/04/26

東海道五十三次歩き 沼津~原~吉原4

(沼津~原~吉原3より続く)
1
斜め向かいの酒屋の裏にある延命地蔵尊は遠目でみるだけにし、駅前まで行ってみる。駅に富士山が浮き上がって見える。

水分を補給したということもあるが、吉原まであと一駅と思うと俄然元気が出てきてのろくなっていた歩みが少しだけスピードアップ!無理そうだったら東田子の浦で帰ろうと思っていたが、まだまだいけそうなのでがんばることにした。

富士山はきれいな姿を現しており、下に雲がたなびいて、これまたいい感じである。

Photo_21
柏原本陣跡の標柱を通り過ぎ、立圓寺に到着。
1979年台風で海岸に打ち上げられたインドネシアの船ゲラティック号の赤い錨が置かれており、この時なくなった船員の慰霊碑もあった。
少し薄暗くなってきたが、向こうに富士山が見えている。

この寺を出て、2つ常夜灯が見られるはずだったのだが・・・
おしゃべりしていたせいなのか、うっかり見過ごしてしまった。ちょっと過ぎたところで振り返っても見えず・・・もう戻る気力はなかったのでパス。昭和放水路を渡る。
Photo_23

Photo_22
渡ったところに増田平四郎の像と碑。
この人も浮島沼の干拓に力を尽くした人らしい。このあたりからは、~新田という地名が続く。

33番目の一里塚跡を通過、仁藤春耕の道しるべ第1号なるものが。
なんとか役場へ○○里と書いてあるようなのだが、よく見えない(須津村役場へ一里 吉永村役場へ三一町だそう)。自費で120基の道しるべを建てた人らしい。

Photo_24
米之宮神社、淡嶋神社を通過(めんどくさくなり写真も撮らなくなっていた)、庚申魂と彫られた石を発見、続いて庚申堂を撮影する。

大野新田を開いた高橋庄右衛門の子孫勇吉が私財をなげうってつくった堀割は、天文の知識にすぐれていた勇吉にちなんで天文堀と呼ばれた・・・という天文堀顕彰碑を見て、稲荷神社は階段をだいぶ上がらなければならないようだったのでカット(ここらへんはだいぶ飛ばしてます)、いよいよ津波で移転する前(吉原宿は津波被害で2度も移転している)の吉原・・・元吉原へと入ってきた。

Photo_25
最後の見どころとなるのが毘沙門天。
上がっていくと、派手派手しいなあ。いろんなものが混じってる感じ。目が覚める(笑)。
ここは高崎や深大寺と並んでだるま市が有名なところで、その時期には大変賑わうらしいけれど、もう5時をすぎて時間外、売店も閉まっていたこともあり、非常に静かだった。だるまのお守りなんかがあったら欲しいなあ。
お参りすると足の痛みがとれるくつ石なるものがあるらしかったのだが、残念ながらどこにあるかわからず。

Photo_26
富士市に8つもあるという愛鷹神社がここにもあり、でも階段昇っていかなきゃならないよ~やめようかな~と思ったのだが、登ると製紙工場群が見られるというので俄然やる気が出てよいしょよいしょと登る。
この錆びた感じがおもしろいですねぇ。向こうに、雲をまとった富士山が。いやはや、何枚富士山の写真を撮ったことか!

そのすぐ先に海老坂薬師堂なるものがあったようなのだが、気付かず通過。もうこうなると戻る気力はなく、踏切を越えて吉原駅へ到着。
電車がすぐに来そうだったので、素早く帰りの切符を購入、5時50分の沼津行きに乗り込み、沼津で乗りかえ三島へ。

と、降りたところで、こだまがくるとのアナウンスで、急いで新幹線のホームへと向かう(この乗りかえ、やっぱり距離があるね)。
ホームに上がるって猛ダッシュ!
のかいあって、6時23分のこだまに無事乗ることができ、席も確保することができた(その後爆睡)。

東京駅で乗りかえ、最寄り駅を降りて駅ビルで五目あんかけ麺と、生ビール!
歩いたあとのビールのおいしいこと~ぷはーっ。
昼のみならず、夕食も母親におごってもらっちゃいました。すみませんねぇ。

いやはや、よく歩いた一日でした。
家を出てから帰るまで約49400歩。23キロ以上歩いたことに。
さすがに足の指の付け根が痛くなりました。

次回は吉原の駅から歩きます。

2017/04/25

東海道五十三次歩き 沼津~原~吉原3

(沼津~原~吉原2より続く)
さらに進んで原駅の入り口に到着。
当初の予定ではこのあたりで昼食をとる予定だったが、いやーここまでがんばらなくてよかったな。通過したのは2時近く。絶対もうお店がしまってた・・・

すぐそばに高嶋酒造という酒蔵が。
なんでも白隠正宗というお酒を造っているそうで、ホントは欲しかったのだが、まだまだ旅は続くので、ここで荷物を増やすと辛い・・・ということで泣く泣くあきらめ、蛇口から一口水をいただくだけとした。

ちょうどその反対側に西木戸跡が。
原宿もここでおしまいである。

このあたりも富士山がキレイに見えるところだが、むむむ、少し雲が出てきてしまった・・・このまま見えなくなってしまうのだろうか?

Photo_15
暑さがピークの頃でノドも乾いてきたところで、浅間神社(いったいいくつあるんだ?)の木陰で休憩。この神社のまわりをひたする回っているおばあさんがいて気になる(笑)。

ちょっと休憩して再び歩き始める。
アイスを食べてクールダウンしよう!
ということでローソンにより、お手洗いも借りる。
ワタクシはパルムを、母親はあずきバー。

鋭気を養ったのち、放水路を渡り、一里塚跡を見る。32番目の一里塚だがプレートが残るのみ。この頃には富士山はすっかり雲に覆われてしまった。
このあたりは見どころが少なめなので、是非とも美しい富士山を見たかったところなのだが・・・

踏切を渡り、海辺にあるという要石神社に行ってみようと思ったのだが・・・
穴あき石興味あったのになあ。海沿いの道路はびゅんびゅんトラックが通っていてとても通るのが大変そうだったので、残念ながらあきらめ、東海道へと引き返す。

そして見えてきたのは浅間神社。いや~もう飽きたよ、浅間神社(笑)。はじめの頃はじっくり見学していたものの、この頃にはあ、またか、とちらっと見るだけになってしまった。

Photo_16
しかし!
続いてはお楽しみの大通寺。
門の脇にスルガ銀行創業者の碑があったりするが、なんといっても楽しいのは羅漢像がたくさんあること。
寝てたり、酒を飲んでたり、だらけていたり・・・とってもユーモラス。
3
Photo_17

続いては愛鷹浅間神社・・・ではなく、そのすぐそばにある桃里改称記念碑。昔鈴木助兵衛親子の新田開発で助兵衛新田と名付けられていたものの、明治に桃里(桃がたくさん栽培されていたとか)を改称されたという。
線路の向こうには助兵衛の碑もあるようだったが、このころには結構疲れて、しかも吉原まで辿りつけるか不安になってきていたところだったので、行くのはカットした。他にも線路の向こうの地蔵尊とかもあったけれど、これもカット。

踏切を渡り、再び線路の南側に出る。
渡ってすぐのところに、植田三十郎の墓があった。この人は、干拓を試みるも失敗、その後別の人が成功させるが植田新田と名付けられたという。この付近は新田開発で名を残した人がたくさんいるんですね。

八幡宮を通過したところで、富士市に入る。

Photo_19
細い道を入っていくと山神社の鳥居。線路の向こうのこんもりした丘の上に社殿が、と思うとまたもや古墳なのであった。すぐ先にももう一つ古墳があったようだし、このあたり古墳多し?
この頃には、雲がまた飛んで、富士山が顔を出していた。うれしい!
Photo_18

原と吉原の間の宿、柏原の宿野標柱(原と吉原の間は12キロほどあり中間で休憩するための宿ができたらしい)を通り過ぎたところで持っていた水がなくなってしまったので、セブンイレブンで購入、椅子があったのでちょっぴり休憩する。

Photo_20
東田子の浦駅に近づいたところで現れたのが六王子神社。
くじ引きで大蛇の生け贄になったおあじのことを悲しんで仲間の巫女6人が浮島沼に身を投げ、その亡骸が祀られた神社という(おあじ自身は阿字神社に祀られる)。小さな神社だが、龍の彫り物がなかなか・・・
(沼津~原~吉原4に続く)

twitter

google


  • Google

    WWW
    ブログ内

amzon