街道歩き

2026/04/29

中原街道歩き(第2回) 洗足池~東山田4

(3より続き)

武蔵中原駅到着。

ジョナサンにてお昼とする。

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マルゲリータピザ、サーモンマリネ、海老ドリア、白ワイン。

ゆっくり休んで出発。

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大戸神社。

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吉良家の領地に信濃国の戸穏大明神を勧請した。

狛犬がおもしろい!

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砲弾を抱えているのは、日露戦争の戦勝祝いに兵士たちが奉納したものだそうだ。

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川崎市のマンホールは真ん中に市の花つつじで周囲が市の木つばき。

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巌川橋を渡る。流れている川は江川。二ヶ領用水根方堀跡である。

旧道に入り、蟻山坂を上る。こやし街道とも呼ばれた中原街道、人糞を満載した荷車はこの坂を超えるは大変な難儀だったという。

車道に出てわたりまた旧道。

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天照皇大神、青面金剛、地蔵尊、西国百番供養塔など。

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横浜市に入った。

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早くもハナミズキが満開である。

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モッコウバラも満開。

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芝桜。

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鎌田堂。かつて、鎌田兵衛正清の館があった。

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石仏いろいろ。

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お堂にはお地蔵様二体。

その後は旧道歩きが続く。

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横浜市のマンホールはベイブリッジ。

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のちめ不動。文久2年(1864)、のちめの住人が八王子からお不動様を背負って帰り この地に祀って七世代にわたり守ってきたのだそうだ。

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ここはまだまだ桜が満開であった。

県道に出たところで、地下鉄グリーンラインの東山田駅に向かい、街道歩き終了。
東急目黒線、南武線を乗り継いで帰宅。5時過ぎだった。

約28000歩。

(完)

2026/04/28

中原街道歩き(第2回) 洗足池~東山田3

(2より続き)

街道に戻る。

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武蔵小杉のタワマンが見える。

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道をかぎ型に曲がって、バス停の奥にあったのが、小杉駅供養塔道標。よくよく見ないとわからないけれど、台座には「東江戸・西中原 道」と書いてあるそうだ。

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少し先にあったのが油屋の庚申塔で、これまた読みづらいのだが、「東江戸道 西大山道 南大師道」と書いてあるそう。川崎大師への道が分岐する。

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二ヶ領用水を神地橋で渡る。

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桜は葉桜になりつつあった。

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泉沢寺の門前には日ロ戦役記念碑がある。

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お寺は戦国時代、豪族・吉良氏の菩提寺として延徳3年(1491)に旧多摩郡烏山に創建されたのが始まりで、火災により焼失したため天文19年(1550)にこの地へ移転してきた。

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お地蔵様など。

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旧中原村役場跡。

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このあたりから歩道にタイルが埋め込まれていて、かつてあったお店などが分かるようになっている。

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庚申塔や馬頭観音、地蔵など。

(4へ続く)

2026/04/27

中原街道歩き(第2回) 洗足池~東山田2

(1より続き)

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今は丸子の渡しはないので、丸子橋へと向かう。橋の交差点に、昭和9年の旧丸子橋親柱があった。

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丸子橋を渡る。

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ちょうど新幹線が通っていくところだった。

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橋を渡って、土手に降りると丸子の渡しの碑がある。

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土手を下って、丸子橋交差点を渡った先の丸子橋公園にも親柱があった。

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東急線のガードをくぐって少し行ったところに、原家の陣屋門があった。
原家は肥料問屋から家業をおこした小杉陣屋町の豪商だった。母屋は多摩区の民家園に移築されているが、この陣屋門は当時のものだそうだ。
中はマンションになっている。

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その先に安藤家長屋門があったはずなのだが見過ごしてしまい(あちこち工事だったからか)、続いてあったのは旧石橋醤油店。
明治3年創業でだが本格的に始めたのは大正時代。キッコー文山という醤油を作っていたが昭和26年に操業を終了。

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イのマークが見える。

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当時お店の前におかれていた石橋の一部分。かつて水路がはりめぐされて土橋や木橋がかけられていたのだったが、増水でたびたびダメになったので、江戸中期には石橋がかけられるようになったのだそうだ。

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時間の関係で小杉御殿の御主殿跡と陣屋跡はパスすることにし、寄ったのは西明寺。小杉御殿跡である。

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懐かしや二宮金次郎。

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仁王門。

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緑が美しい季節だ。

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本堂。

この日は4月8日、花まつり。

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ということで、甘茶をいただく。
もちろんお釈迦様にはちゃんと甘茶をかけました。

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観音堂。

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仁王門の裏。

(3へ続く)

2026/04/26

中原街道歩き(第2回) 洗足池~東山田1

3月に続いての中原街道歩き(4/8)。
朝は寒くて薄いセーターとゴアテックスを着て出たけれど、午後は暑くなって長袖1枚になったのでした。

前回洗足池から帰ったコースを逆に行くより、南武線経由の方が座れそうなので、立川から南武線、武蔵溝ノ口で乗換え、東急大井町線、旗の台で池上線に乗り換えて洗足池へ。旗の台駅は木材でできていてびっくり!

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中央線も南武線も遅れていて、洗足池出発が15分ほど遅れた。

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少し進むと庚申塚碑がある。延宝6年(1678)建立。九品仏への道標だそうだ。

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吞川に架かっている石川橋の手前に石橋供養塔。南無妙法蓮華経と彫られているようなのだが、よく見えない。安永3年(1774)、雪ケ谷村の住人が石橋の安泰を祈って建てたもの。

桜坂にさしかかる。

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かつては急坂の難所だったが、切通し改修された。

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途中、桜橋がかかっており、そこからの景色はなかなかよい。

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桜はだいぶ散ってしまっていたけれど。
ついつい、福山雅治の歌を口ずさんでしまいますね。

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先に進んで東光院の脇を流れる水路は六郷用水の跡である。
家康が命じて作らせた灌漑用水である。

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なんともう藤が咲き始めていた。

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水車の模型がある。ジャバラと呼ばれる羽根を足で踏んで回転させ、田に水を揚げていたもの。

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ハナモモだろうか。

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カルガモがいたが・・・

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それより亀がたくさん!

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数えたら20匹もいたのだった。

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東急多摩川線の踏切を渡り、土手に上がると多摩川が見えた。向こうにみえるのは丸子橋である。

(2へ続く)

2026/03/28

中原街道歩き(第1回) 桜田門~洗足池4

(3より続き)

その先、通りを渡ると短い区間旧道が残っているがすぐにまた都道に合流。

皀(さいかち)坂を上がり、洗足坂を下る。

ちょっと寄り道。

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勝海舟別邸(洗足軒)跡。
勝海舟が西郷隆盛との会見に赴く途中、洗足池畔の茶屋で休息し、洗足池の自然に感嘆、明治24年に洗足軒と命名した別邸を建築したのだそう。

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妙福寺。

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ここに日蓮上人袈裟掛けの松がある。弘安5年(1282)、日蓮上人が身延山から常陸国に向かう途中で千束池の畔で休息、傍らの松に袈裟を掛け池の水で足を洗った。ここから千束池を洗足池と称するようになったのだそうだ。現在の松は三代目。

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向かいにある馬頭観音は天保11年(1840)造立。台座が写っていないが、道標になっているとのこと。

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勝海舟夫妻の墓所。
このあたりが気に入った勝海舟は生前墓所をしたのだという。

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池のほとりに出ると、桜が咲き始めていた。これはソメイヨシノかな?

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池をぐるっとまわる。

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厳島神社(洗足池弁財天)。

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名馬・池月之像。
治承4年(1180)、源頼の鎌倉入り直前に千束池近くに宿営したある夜、どこからともなく現れた一頭の駿馬を家来が捕えて頼朝に献上したが、馬は逞しくその青毛は池に移る月光のごとく美しかったという。

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池のオナガガモ。

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キンクロハジロがたくさん。

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オオバンもいた。

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一周したきたところに中原街道改修記念碑があった。
この先、急坂が多く大変だったことから大正時代に改修工事が行われた。

これにて街道歩き終了。
洗足池駅から乗り継いで帰宅。5時過ぎだった。

約30800歩。

(完)

2026/03/27

中原街道歩き(第1回) 桜田門~洗足池3

(2より続き)

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少し進むと高輪消防署二本榎出張所があるが、昭和8年に建てられたもの。

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光福寺にはたくさんの石仏があるが、有名なのはこちら。

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ゆうれい地蔵である。本当に幽霊みたい!

その先で道は国道1号に再び合流。

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坂を下がっていく途中のビルの中にあるのが雉子神社。
三代将軍家光が鷹狩の際、白い雉が神社に入ったので「雉子の宮」とするように命じたと伝わる。

五反田に出た。

サイゼリヤでお昼とする。7組待ちだったけれど、わりとすぐに案内される。

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白ワインデカンタ、野菜ときのこのピザ、パルマ風スパゲティ、ミルクジェラート。

首都高の高架下を通って旧道に入る。

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坂道を少し上がるとあったのが享保12年(1727)に建立された子別れ地蔵。
このあたりは火葬場(桐ケ谷)に続く道筋で、子に先立たれた親が子の亡骸をっ見送った場所だったという。

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続いて旧中原街道供養塔群(一)。
地蔵菩薩、馬頭観音、聖観音など。

さらに旧中原街道供養塔群(二)。

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庚申塔。延宝元年(1673)、宝暦4年(1754)のもの。

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その他は供養塔など。

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銀杏の木が大きい!

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屋根の上に突き出ている。

やがて都道に合流。

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バーミヤンの横の道を入っていくと平塚の碑がある。
源義光が奥州からの帰途、この地で夜盗に襲われ多数の配下を失い、その霊を祀った塚が平塚でこのあたりの地名となる。

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しばらく歩くと旗の台一丁目石造庚申供養塔がある。
青面金剛、三猿、日月がほられていないタイプ。

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向かいには札場の跡碑があった。高札場跡である。

(4へ続く)

2026/03/22

中原街道歩き(第1回) 桜田門~洗足池2

(1より続き)

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赤羽橋を渡ると赤羽橋親柱があった。大正15年架けられた橋の親柱。

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江戸府内でただ一か所だったという春日神社。

聖坂を上がっていく。

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途中の亀塚稲荷神社。
昔月の岬(現在の三田台町)に出没した亀が一夜のうちに石と化し、里人この亀の霊を祀り祠を設けたのち、太田道灌がこの地に物見台(燈台)を置くにあたってこの祠を守護神として社を創立したという。

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ここには種子板碑がある。
文永3年(1266)、正和2年(1313)、延文6年(1361)の造立のもの。

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坂を上がりきったところにある亀塚公園。

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亀塚は古墳だという。

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上には亀山碑がある。
上野国沼田城主岐頼熙が亀が石になったという伝説に興味を持ち、由来を伝えるためこの碑を建立。

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この公園で咲いていた桜は神代曙。

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高松宮邸を過ぎた先の高輪一丁目アパート前に大石良雄等自刃の跡の碑ががあった。奥に大石良雄外16人忠烈の跡があるそうだが、今回はパス。

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承教寺山門前に不思議な動物が。
件といって、半人半牛なのだそう。

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二本榎碑。
このあたりに榎の大木が2本あったのでかつては二本榎という地名だったのだそう。

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仁王門。

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地蔵堂。真ん中のお地蔵様の台座は六地蔵だろうか?

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本堂前に英一蝶のお墓があった。

(3へ続く)

2026/03/21

中原街道歩き(第1回) 桜田門~洗足池1

昨年6月に鎌倉街道を歩き始めたが、街道歩きは中断。
また歩くことができるようになったが、できれば近場がいいなと思っていたところに、風人社さんからウォークマップ「ホントに歩く中原街道」が出版されて、中原街道を歩いてみようということになった。

桜田門を10時スタート。

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左に見えるのが外桜田門(高麗門)、右に見えるのが内桜田門(桔梗門)である。

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米沢藩上杉家の江戸屋敷跡に司法省の建物として明治28年(1895)に完成し、現在は法務省図書館の旧法務省本館、裁判所等を通り過ぎて進む。

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桜が咲いている。なにざくらだろう?

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虎ノ門駅8番出口にあるのが虎のブロンズ像。わりと小さめ。
虎ノ門という地名は江戸城を守った白虎に由来するらしい。

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文部科学省横の石垣。
外堀歩きの時も見た。

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霞が関ビルディングの前の階段に年表が描かれている。
前からあったかなあ?

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交差点から少し歩くとビルの谷間に鳥居がある。
金刀比羅宮である。

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銅製の鳥居には龍、亀など。社殿は権現作りで、昭和26年再建。

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このあたり、虎ノ門ヒルズをはじめ、ビルウォッチングが楽しめる。

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神谷町を過ぎて街道は左に曲がっていくが、そこから見えるのが雁木坂。
敷石がV字型の雁の飛行隊形に似ていることからこう呼ばれているらしい。

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飯倉交差点からは東京タワーが見える。

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角のノアビルは下がレンガでおもしろい。フィジー大使館などが入っているそう。

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熊野神社、飯倉公園(赤羽接遇所跡。安政6年(1859)に設けられた外国人のための宿舎兼応接所で、シーボルトも宿泊している)を見て、赤羽橋交差点から振り返るとまたまた東京タワーが見えた。

(2へ続く)

2025/06/19

鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡5

(4より続き)

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先に進むと、日吉神社が見えてきた。
平良文が延長年間(923~940に京都より日吉山王大権現を勧請し宅内守護神としたのが始まりという。

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階段の下には石仏石塔が。

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一番左の庚申塔は道標を兼ねており、「左かま具ら道 右 観世音道」と刻まれている。

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双体道祖神もあった。このあたりも多いのだろうか。

ここで左折、県道に合流する。

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最後に寄ったのが慈眼寺。
1533(天文2)年、玉縄城の三代城主であった北条左衛門大夫綱成の創建。

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不動明王。

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小僧さんたち。

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四脚門。彫刻が素晴らしい。

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平氏満のお墓。武士かと思いきや、旅籠の隠居で遊行上人に和歌集を献上した人物だそう。

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入ると寄り木があった。
モチノキ4株、タブノキ3株、スダジイ1株の3種類が根本でくっついて成長した寄り木で、樹齢は300年以上なのだそう。複雑に絡み合っている。

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大きい!

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本堂。

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内部。

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梵鐘は吊り下げられていなかった。

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少し歩いたところにバス停があって、ここで歩き終了。
藤沢駅までバスに乗り、東海道線、中央線を乗り継いで地元駅へ。

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ワインで乾杯!

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おみやげは鳩サブレーでした。

約29600歩。
鎌倉街道もなかなかおもしろそうです。

2025/06/18

鎌倉街道歩き 鶴岡八幡宮~藤沢藤が岡4

(3より続き)

街道に戻る。日野俊基の墓の脇を下って行く。
うっかりS字坂の方に行ってしまって慌てて戻る。

さらに下って行き、大慶寺へ。
弘安年間(1278~87)創建で、関東十刹に列せられる大寺院である。

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山門は茅葺きだ。

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本堂。

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ロウバイの実があった。

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すぐ先でモノレールをくぐる。
右に少し行くと州崎古戦場跡碑があるらしかったが、カット。新田義貞軍と北条軍が激しい戦を行った場所だ。

先に進んで、右手の坂道へ。登り切ると下り坂に。

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途中の双体道祖神。

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やがて泉光院の門前に出た。1639(寛永16)年創建。

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本堂。

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いぼとり地蔵がある。左右は弘法大師さま。

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馬頭観音など。

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六地蔵。

神鋼橋で柏尾川を渡ると藤沢市に入った。

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藤沢市のマンホール。藤の花のデザイン。

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クロマツのデザインのもの。

神戸製鋼の工場のフェンスに沿って歩くと、兜松の案内板が。

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後三年の役に参戦、活躍した鎌倉権五郎景正が戦勝のお礼参りの記念に岩山の松の根元に兜を埋め、のちに人々が兜松と呼ぶようになった。
事前予約すれば、中に入って見学できるらしい。

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鎌倉古道(上の道)の石柱を左手に見て直進、少し上がっていくと、古道が残っている。

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気持ちのよい道だ。
が、蚊に刺された・・・

東海道線の線路脇に出た。

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大船方面に少し歩くと地下道があり、線路の向こう側にでる。

湘南ヘルスイノベーションパークiPark(旧武田薬品工業湘南研究所)沿いに進み、右折、坂道を上がっていく。
このあたりはかつて海で、どこを彫っても貝殻が出てくるため貝殻坂と呼ばれているどうだ。

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村岡城址公園でプチ休憩。
坂東八平氏の祖、平良文(平将門の叔父)の居城だったところだ。地名をとって村岡五郎とも名乗った。

(5へ続く)

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