街道歩き

2018/05/27

東海道五十三次歩き(第23回) 美合~新安城(岡崎宿)1

3週連続の東海道歩き。
今回は美合から。

5時前に起きて(さすがに眠い)5時半すぎの電車に乗り、6時33分のこだまに乗る。
途中、小田原の手前ではうっすら見えていた富士山だが、その後は雲に隠れてしまった。

1
豊橋到着。駅に市のマスコットキャラクター、トヨッキーなるものがあった。
豊橋の鬼→トヨッキーだそうで、鬼祭(前々回安久美神戸神明社で赤鬼を見たっけ。)の赤鬼をロボット風にアレンジしたものとか。

名鉄の急行に乗り換え、前回のゴール美合駅に到着。
歩きはじめは9時15分。

曇っていた方が涼しくていいなと思っていたが、バッチリ晴れている。
暑くなりそうな予感・・・

まずはじめに地蔵寺に寄る。

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六地蔵、聖観音菩薩、子育地蔵尊や・・・

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鯖大師!最近、鯖大師も気になる・・・

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一枚岩に陽刻された地蔵菩薩。

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本堂前の抱き地蔵尊がとてもかわいらしい。水掛け地蔵もあった。

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三面の馬頭観音があると聞いてきたのだが、どこ?
見つからないなあと思ったら入口の脇にありました!

東海道に戻り、山瀬川を高橋で渡る。
その先の太平川にはかつて堰のあたりに橋がかかっていたそうだが今はなく、直進できない。国道をその区間だけ通ることになる。

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ふと川辺を見ると、馬が三頭!
なんでも4月に行われる家康行列のための馬らしい。

国道を渡って旧道は続く。

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文化4年の常夜灯を過ぎ(岡崎も常夜灯が多いな)、つくで道の道標を見る。
つくでとは新城市の作手で、そこへ至る道しるべである。

その先の郵便局のところで右折、西大平藩陣屋跡へ。

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あの大岡越前守忠相は将軍吉宗の口添えで72歳の時に1万石の大名となった。
ここはその陣屋で、大岡家は廃藩置県まで7代にわたって領地をおさめたという。
ただ、大岡家は江戸に常駐する定府大名で、家臣の多くは江戸に住んでいて、この陣屋に詰めていたのはわずかな人数だったとのことだ。
大岡越前というと、ワタクシ的には生まれ育った茅ヶ崎の大岡越前祭のイメージなんですけどね。

話が横にそれてしまったが・・・
このお屋敷、かなり立派なお屋敷だったと思われる。

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復元された井戸の他、大岡稲荷社もあった。
大岡越前は領地に近い豊川稲荷の本尊を厚く信仰し、この陣屋内に大岡稲荷として社殿を建立したという。今ある社殿は平成14年に再築されたものだそうだが。

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この近くで岡崎市の別バージョンのマンホール発見。
岡崎城と乙川の五万石船である。

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街道に戻り少し進んだ先にわりと新しめの常夜灯があった。昭和9年のものという。

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隣に地蔵堂があって、お地蔵様+三面六臂の馬頭観音を発見。この日はもう見ることはないと思っていたのでうれしい。

そして、振り向くと・・・

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向かい側には大平一里塚があった(80里)。
常夜灯と地蔵堂がある側は昭和3年の道路改修の際になくなってしまい、こちら側だけが残る。榎は昭和28年の台風で倒れてしまい、新たに植えられたものということだ。

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少し先で国道に合流、松並木がポツポツとある。
高速のインターをくぐり、筋違橋を渡り、再び国道からは離れる。

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文政13年の常夜灯を過ぎた先に、冠木門があった。
岡崎城下の入口で二十七曲が始まる。
東海道は元々乙川の南を通っていたが、城下に移されたとのことである。

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こんなに曲がると迷うんじゃないかと心配になるが、大丈夫。要所要所でこのような標柱がたっているので迷わない。
上に草履がのっているのがおもしろい。

はじめの角で、おばあさんが駆け寄ってきて、すぐ先にある根石原観音堂などが載っているリーフレットを下さった。
なんでも、昨年だか亡くなっただんなさん(90を越える)が、病気もせずに理想的な最期だったのは、毎日観音堂にお参りしていたおかげだと聞いた。

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その角にあったのが、不思議なモニュメント。

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もちろん!ちゃんと根石原観音堂にお参りする。
悪病の流行に心を悩まされた元明天皇の命により、行基が観音様を彫り、そのうちの2体がここに祀られている。はやり病も治まったという。
また、家康の長男信康も初陣の折、この観音像に祈願したところ軍功をあげたとのことだ。

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曲がった先に、常夜灯の上の宝珠が小屋?に納められている。
寛政2年に建てられ、空襲でも残ったが、痛みがはげしくなり宝珠のみ保存したそうだ。

2へ続く

マップはこちらを使っています。
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ホントに歩く東海道 第10集 御油(小田渕)~岡崎(新安城) (ウォークマップ)

2018/05/23

東海道五十三次歩き(第22回) 国府~美合(御油・赤坂・藤川宿)4

(3より続き)

降りたところにちょうど名鉄の舞木検査場が見える。

1_3
再び旧道に入ると、そこに東棒鼻があった。
広重が藤川宿の絵に描いている通りに再現されている。

2_3
そこから本当は直進し、鉤の手に曲がるのだが(曲手)、右に見えたむらさき麦の畑に気をとられ、うっかりそちらの道を行ってしまう。
いやーホントに紫色だ!

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曲がった先はまっすぐな道で、格子造りの家がぽつぽつと残る。旧街道らしい雰囲気だ。

明星院に寄ろうと左に入ったところで・・・

4_3
この日はじめての猫に遭遇。
おばあさんとお散歩する猫で、聞くと結構なお年の猫だそう。かわいい!
(このお寺では他に2匹の猫に遭遇)

このお寺には残念ながら見られないが、片目不動尊がある。
家康に放たれた矢を見知らぬ武士が身代わりとなって受け、片目をつぶしたままいなくなった。のちに明星院を訪れたところ、祀られていた不動尊がそのときの武士にそっくりで片目が潰れていたという。

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役行者さまもいた。

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称名寺には三十三所観音菩薩があり、またまた馬頭観音を発見したが、十一面観音がたくさんあった。

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問屋場跡を通り、公園になっている森川家本陣跡へ。
バナナを食べて少々休憩。

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ここには高札場が再現されている他、むらさき麦が栽培されている。
なんか石垣が見えるね、なんだろうという話をしていたのだが、降りてみればよかった!
当時の石垣が残されていたのだった。残念!

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お隣は橘屋脇本陣跡。
門は享保4年に建てられたもので、中の建物は藤川宿資料館になっている。
中には宿の説明の他、ジオラマ、高札などがある。
自分で電気をつけて、見終わったら消すのだが、前に来た人が消し忘れたようで、電気がつけっぱなしになっていた(ちゃんと消しましたよ)。

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藤川小学校の先に西棒鼻。
ここで藤川宿を出るのだが、右折し駅を越えて道の駅藤川宿に寄ってみることにする。

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越えた向こうに大きな家康の像があった。

歩くのをここで終了すればたくさんおみやげを買ってもいいのだが・・・
まだ4時半すぎでもう一駅、美合まで歩いた方が急行がとまる駅なので次回が便利ということで歩くことにしたので、たくさんは買えない。
ということでオカザえもんビールのみ購入した。

東海道に復帰、西棒鼻の斜め向かいの十王堂に寄る。

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手前左が閻魔様かな?

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ここにはむらさき麦の畑の風景を詠んだ芭蕉句碑もあったが(「爰(ここ)も三河 むらさき麦の かきつはた」)、この近辺で一番大きな句碑とのことだ。  

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藤川宿の一里塚跡(79里目)を過ぎ、吉良道(脇街道。潮の道としても利用された)の道標の先、踏切を渡ると、藤川の松並木が出現する。
1キロほどの間に90本あまりの黒松が植えられているという。
思ったより立派で、なかなかの風情だ。
御油といい勝負!

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国道への合流地点手前に大きな灯籠と小さな灯籠があり、またまた楽しくない国道歩きに入る。

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岡崎市の別バージョンのマンホール発見。
岡崎城と岡崎公園の桜、三河花火のデザインである。

18_3
阿弥陀寺のお寺自体は立て直ししている最中のようだったが、門の手前の馬頭観音は撮影できた。
返す返すも、関川神社の馬頭観音を撮りそびれたのが残念だ。

19_3
その後旧道に入ると、少し松が残っており、やがて美合駅に到着。
今回の東海道歩きはこれにて終了。

美合駅から準急豊川稲荷行きに乗って本宿で急行豊橋行きに乗り換える。
豊橋で新幹線の切符を買い、駅弁とおみやげのヤマサちくわを買って前週と同じひかりに乗る。

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今回の駅弁は「吉田伝説」という幕の内。
飯田線開業80周年を記念して販売された駅弁らしい。飯田線には乗っていないけど買ってしまった(笑)。

稲荷寿司に太巻き、じゃこご飯、メヒカリの唐揚げ、サワラの西京焼き、海老の天ぷら、鶏ささみ竜田揚げ、しそだんご串、しんじょう、しそはペン、玉子焼、うずら卵の燻製、ゼリーなど。なかなかにおいしかった。
ビールは前回と同じ、一番搾り名古屋づくり。

あともう一回、豊橋で駅弁を買うことになりそうだけど、また別のお弁当が買えるといいなあ。

東京駅で中央線に乗り換え、帰宅は9時半前。
約43000歩だった。

こちらがおみやげ。
21_2

次回は美合から歩きます。

(完)

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2018/05/22

東海道五十三次歩き(第22回) 国府~美合(御油・赤坂・藤川宿)3

(2より続き)

安政6年の常夜灯、聖観世音菩薩を祀る観音堂、地蔵菩薩を祀る地蔵堂を通りすぎた先でとうとう国道1号線に合流した。
これから先、2キロは国道を歩かねばならない。
空気は悪いし、暑いしで、とにかく黙々と歩く。
唯一の楽しみは、国道のすぐ脇を走る名鉄の車両を見ること。

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赤系、白系、銀色系とあるが、白でも銀色でもどこかに赤が入っている。

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岡崎市に入ってすぐ、本宿村の説明板があり、冠木門をくぐる。
本宿は赤坂宿と藤川宿の中間にあり、立場として繁盛した場所である。

もう少し進むと道標と説明板があり、ようやく旧道へと入る。ほっとする。

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と、岡崎市のマンホール発見!
岡崎城とやはぎはしがデザインされている。

連子格子の旧家の向かい側に法蔵寺がある。

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入ってすぐのところに御草紙掛松。
幼少期の家康が手習いの紙を干したという松だが、現在の松は四代目という。

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鉢地川にかかった赤い来迎橋を渡り、地蔵菩薩を見て石段を上がる。常夜灯は文政11年のものとのこと。石段の脇には日本武尊に因んだ賀勝水という井戸もある。
立派な鐘楼門をくぐった左には行基が植えたと言われるイヌマキと家康公お手植えのヤマザクラがあった。

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六角堂の横を通り、少し上がったところにあるのが近藤勇の首塚。

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京都で晒された首を同士が盗み、近藤が敬慕していた和尚の転任先のこのお寺に埋葬したという。隣に立派な胸像もある。

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松平家(家康の長女亀姫、異母兄弟忠政など)及び三方ヶ原合戦で死んだ者たちの墓、東照宮(江戸初期からあるそう)を見て、下る。

本宿陣屋跡と代官屋敷(現在は富田病院。代官食は富田家が世襲した)の説明板を過ぎ、本宿村道路元標、寛政13年の秋葉山常夜灯の先に本宿一里塚跡(78里目)。

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さらに進むと、長屋門が見えてきた。
医師の宇津野龍碩氏邸跡である。当時としては画期的な種痘を施した蘭方医だそうだ。

ちょうど持っていた麦茶が終わりそうだったところにコンビニが現れた。
座るところもあったので、アイスと冷たいものを買って休憩。
この日は曇りの予報だったのだが、ほぼ太陽が出ていて予想以上に気温が上がってアチアチになっていたのでアイスがとてもおいしい。

復活して出発する。
本宿を出たところで、再び国道1号線に合流。またしばらく黙々と歩く。

1キロちょっとで再び旧道へ。

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名電山中駅を過ぎた先で跨線橋を渡り、興円寺へ行ってみる。

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ここでまたまた馬頭観音(これは三面六臂)に出会う。

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地蔵菩薩、六地蔵尊の他、不動明王も発見!

松の木が少し残る中を通り、国道にまたまた合流。
ちょっと街道をはずれて山中八幡宮に行ってみることにした。

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入口に御開運御見隠山碑があり、突き当たりに巨大な常夜灯が。
これは目立ちますね。天保4年のものとのことだ。

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周りに広がるのは麦畑。藤川宿が近づいて畑は麦畑になった。

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山中八幡宮の鳥居をくぐると大きなクスノキがあり、神門の手前で左に折れると、三河一向一揆に破れ逃げてきた家康が隠れたという狭い洞窟がある。

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洞窟から鳩が出てきたため、人がいるところに鳩がいるわけはないと追っ手が通りすぎ、家康は助かったという。

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本殿の裏にまわり、奥宮神籬(ご神木がある)の先を下って国道へと降りたのだが、道は結構急で滑りそうになった。こういう時はストックがほしい。
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(4へ続く)

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2018/05/21

東海道五十三次歩き(第22回) 国府~美合(御油・赤坂・藤川宿)2

(1より続き)

松並木が終わり、橋を渡ると、赤坂の東見附跡。
御油宿と赤坂宿の間はわずか1.7キロで、もっと短い。確かにあっという間だった。

御油も赤坂もいい感じの建物が並ぶ。

1
関川神社にある芭蕉の句碑にある「夏の月 御油よりいでて赤坂や」は、夏の夜の短さと二つの宿の短さをかけた句である。

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樹齢800年以上という大きなクスノキもあったが、がーん・・・
ここにも馬頭観音があったのか!見落としてしまった・・・残念(その後4つ遭遇)。

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問屋場跡に復元されている高札場を撮影、少し先を左に入ったところの浄泉寺へ。

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ここには広重の赤坂宿の絵にも描かれているソテツがある。旅籠の清須屋から移植されたものという。

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百観音もあり、馬頭観音も発見!

2015年廃業した江戸時代の旅籠大橋屋は、来年一般公開予定とのこと。

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すぐ先のお休処よらまいかんに一瞬寄って休憩する。

裏にある音羽生涯学習館の2階に赤坂宿場資料館がある。
受付で記帳し、開けてもらう。

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浮世絵、駕籠、高札の展示の他、宮路山(途中でこの山に登るという人たちにあった)の自然に関する展示、昆虫の展示、また赤坂の舞台に関する展示など。

学習館を出、赤坂陣屋跡(代官所跡)を過ぎ、杉森八幡社に寄る。

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樹齢1000年という夫婦楠がある。根株が一本化し、二本に成長していることから夫婦楠と呼ばれている。

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またここには、赤坂の舞台がある。
年一回歌舞伎の公演が行われ、公演の際には小屋がけと呼ばれる竹のドーム屋根がついた伝統的な観客席が再現されるという。

鳥居のすぐ先に西見附跡があり、赤坂宿を出る。

十王堂跡、弘法大師の祠、常夜灯を過ぎる。

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このあたりは山が見え、田畑が広がって歩いていて楽しい。
蛙も鳴いていた。

毘沙門天の標柱、一里山庚申道の道標を通り過ぎ、ちょっと国道の方へ。

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ヤマサちくわ音羽インター店にて昼食である。

前週、豊橋駅で時間がなくてヤマサのちくわを買いそびれてしまい、是非ともちくわを食べたい!と思っていたので、頼んだのは、暖かいちくわうどん(いなりつき)である。

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関西風のうどんで、なんといってもちくわがおいしい!
かなり気温も上がってきていたので、冷たいうどんもいいかなと一瞬思ったけれど、やはり暖かい方がちくわにはあう。

しかし外は暑い。ということで半袖Tシャツ1枚になった(結果、腕が焼けた。日焼け止めは塗っていたのだけど)。

街道に戻ってわりとすぐに長沢一里塚跡。77里目である。

その先の長沢小学校の前に長沢城跡の説明板がある。
城跡はちょっと行きづらそうなので行くのをあきらめる。
この小学校敷地内には家光上洛の際の休憩所として長沢御殿が作られたものの、一度も使用されることなく取り壊されたらしい。

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右に折れて観音堂にある長沢の三尊種子板碑を見にいく。
文字は結構よく見えるが、梵字は読めず・・・
なんと1300年のものらしい。

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国道がすぐそばに見え、次第に合流地点が近づきつつあったが、田んぼが広がりいい風景だ。

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寛政10年の常夜灯を過ぎた先で、新たなマンホール発見!
広重の赤坂宿の絵である。

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そして、このあたりも連子格子の古い家が並ぶ。

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右手に観音堂跡。

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奥に聖観世音菩薩がいらっしゃるが、ワタクシが注目するのはやはり馬頭観音!
前回の歩きから三面八臂か六臂の馬頭観音をよく見る気がする。

(3へ続く)

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2018/05/20

東海道五十三次歩き(第22回) 国府~美合(御油・赤坂・藤川宿)1

前週に続いての東海道歩き。今回のスタートは名鉄の国府駅である。
前回から一本早いこだまになったのだが、今回は6時56分東京発のにすることに。
早いのに乗ってしまうと、御油の松並木資料館があいていない時間に通過してしまいそうだったからだ。

このこだまは駅に着くたびに何分か停車するので、2時間10分以上かけてようやく豊橋到着。十分眠れたのでいいのだけれど。
すぐに名鉄の特急がきて慌てて乗る。
国府到着は9時22分で、9時半前には歩き始めた。

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まず立ち寄ったのは国府観音。

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西国三十三所観音菩薩や・・・

3
一面六臂の青面金剛の庚申塔などもあり・・・(これ好き!)

4
が、なんといってもおびんずる様(なでぼとけ)である。
自分の病気のある部分と同じところを撫でて願をかけるとよくなる、あらしい。お釈迦様のお弟子さんで、病に苦しむ人を助ける仏となったという。

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ちょうどこの日は人形供養の日だったようで、たくさんの人形が集められていた。

芭蕉句碑は撮影し忘れたまま出発。

東海道に戻り、見えてきたのが大社神社だ。

6
ここの石垣は、近くにあった田沼陣屋(行かなかったが近くの高膳寺付近のようだ)の石垣を移築したものだそう。
田沼意次がこの地に関係あったんですねぇ。知らなかった。

すぐ先、がましん(蒲郡信金・・・キャラクターはカエル!)のところに御油一里塚跡の碑がある。76里目だ。

7
次の交差点が、姫街道追分。見付(磐田)でもこれと同じような看板を見たっけ。
是非そのうち姫街道も歩いてみたいものだ。

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秋葉常夜灯、秋葉山三尺坊大権現道の道標、國幣小社砥鹿神社道是ヨリ凡二里丗町の道標もあった。

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左折したところには豊川社道の道標(豊川稲荷への道)があった。

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八面神社への「従是神社道」道標を通り過ぎ、昭和10年に改築されたとある御油橋をわたる。

いよいよ御油宿だ。

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若宮八幡社の先、曲尺手の角に「花・ベルツゆかりの地」の説明板があった。
明治政府がドイツから招いた医師ベルツの妻となりドイツに渡った(のちに帰国)花の父親の生家のあった場所とのこと。国際結婚の先駆けだったんですね。

説明板の斜め向かいに高札場跡。
少し進むと問屋場跡。

道を再び曲がる前に松並木資料館に寄った。

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資料館の前に大きな松の根が展示してある。
樹齢約380年。家康が東海道に松を植えた最初のものらしい。でかい!

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松の木肌は亀甲型。三河黒松の一大特徴とのこと。

中の展示は、浮世絵やジオラマなど。またまた手筒花火もあった。

街道に戻り、おふくというお菓子やさんに寄る。
お目当ての黒松もなかを購入、先を進む。

そろそろ本陣跡があるはず・・・

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が、イチビキの工場に気をとられてうっかり通り過ぎてしまい、戻る。
イチビキ、こちらでも味噌製品は売ってはいるけれど、買ったことがあるのは鍋の素くらいかなあ。イチビキは1722年大津屋の屋号で味噌と醤油の醸造を始めたとのことで、結構古い会社だったんですね。

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工場は蔵っぽい作りだ。

御油宿は強引な客引きで有名で(広重の絵に描かれている)、飯盛女もたくさんいたという。

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飯盛女の墓があるということで東林寺に寄り、5つ並んでる墓らしいと聞いていたのでこれだ!と写真を撮ったのだが、違っていたようだ・・・がっかり・・・
ちなみにこのお寺は家康が二度立ち寄っているとのことだ。

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今の季節、ちょうどツバメの子育ての時期で、あちらこちらに巣があった。
ちょうどいい軒先がたくさんあるんですね。

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さて、御油の松並木がはじまった。
御油から赤坂まで約600メートルの間に約300本の松が植えられている。
元は600本以上あったという。
舞阪もそうだが、こうした松並木を維持するのは大変でしょうね。

松並木の途中に御油松並木公園があったので、少々休憩。
先ほど買った黒松もなかをいただく。

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まつぽっくりの形がいいですね。皮がぱりっとしていておいしい。最中は皮が命!

(2へ続く)

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ホントに歩く東海道 第10集 御油(小田渕)~岡崎(新安城) (ウォークマップ)

2018/05/16

東海道五十三次歩き(第21回) 二川~国府4

(3より続き)

1_4
豊川放水路を渡ると工場が続く中、子だが橋の碑があった。
1000年前、兎足神社(このあと行った)には人身御供があり、春の大祭の初日にこの街道を最初に通る若い女性を生け贄にする習慣があった。ある年、故郷に帰る若い女性が通り、ふと見ると我が子だったが、子だがやむを得んと生け贄にした、という悲しい橋だという(今は橋はない)。

2_4
すすき?がきれいな草地を過ぎ、兎足神社へ。

3_4

4_4
お賽銭箱にもうさぎさんがいるが、張り子のうさぎさん(御神輿?)も置いてある。

5_4
飯田線の小坂井踏切を渡った先に秋葉神社。

6_4
明光寺には、地境争いの五輪塔がある。
野川の川筋のことについてたびたび争いがあり、その地境に五輪塔があって両方で奪いあったため、ここに下の部分が、上の部分は相手の方にあるとのこと。

7_4
またミニ八十八カ所巡り?も。

8_4
またまた三面の馬頭観音発見!

9_4
伊奈村立場茶屋(俗称:茶屋本陣跡)。
吉田宿と御油宿の中間にあたり茶屋が設けられたので、このあたりの地名が茶屋となったという。
芭蕉の句碑と鳥巣の句碑がある。

迦具土神社、伊奈一里塚跡(75里目)を通り過ぎ、速須佐之男神社へ。

10_3
なぜか、境内に二宮金次郎の像があった。どうしてここに?

佐奈川にかかる左奈橋を渡った先のローソンで冷たい飲み物を買ってプチ休憩。
名鉄の小田渕駅に近づいていて、ここでこの日の歩きを終えようかとも思ったが、この駅は各駅停車しかとまらず、本数も一時間に2本しかないため、がんばって国府まで歩くことにした。

白川を五六橋で渡ったあたりからまた左右に工場が見えてくる。

12_4
天狗缶詰なる缶詰工場が見えてきて、聞いたことないなあと思ったら、主に業務用らしいことがわかったのだが・・・
知っているものがあった!
なんとアキバで売っているおでん缶「こてんぐ」の製造元なんですねぇ。

東三河環状線で東海道は分断されてしまっており、迂回路を行く。
すぐ先で国道1号線に合流。ひたすら歩く。

国府町藪下の交差点から再び旧道に入ると静かでほっとした。
国道を歩くのは風情もないしあまりおもしろくない。

13_4
すぐ先に半僧坊大権現の小社がのった石柱がある。
火伏せの神かな?

14_4
秋葉山常夜灯もあった。
日暮れになり、電気が点っていた。

15_4
最後に薬師瑠璃光如来を祀る薬師堂に寄って、この日の東海道歩きは終了。
国府駅へと向かう。

ちょうど豊橋行きの特急がきて、あっという間に豊橋到着。

ひかりがすぐにきそうだったので、慌ててお弁当とビールを買い込み乗車。
早速夕食タイム!

16_4
17_3
ワタクシのお弁当は壺屋浪漫、母親のは稲荷寿し(おかずと稲荷寿しを交換)。

運良くひかりに乗れてラッキーと思ったのだが・・・
なんと中央線が人身事故とか!

幸い、東京駅に着く頃には運転は再開しており、数本待って乗り込む。
帰宅は9時半すぎだった。

今回は52900歩で、思ったより歩きましたね。
次回は、国府から御油宿、赤坂宿、そして藤川宿を歩きます。

(完)

マップはこちらを使っています。
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ホントに歩く東海道 第9集 舞坂~御油(小田渕) (ウォークマップ)

2018/05/15

東海道五十三次歩き(第21回) 二川~国府3

(2より続き)

1_3
公園を出て、ハリストス正教会の建物を見る。国指定の重要文化財だ。

お隣にあるのが安久美神戸神明社。
家康公御腰掛松などもあったりするが、ここは鬼祭(国重要無形民俗文化財・2月10日11日に行われる)で有名だそう。
ちょうど神主さんがいらして、展示を見せていただいた。

2_3
赤鬼がなかなかだ。

お昼を食べるために急いで飛ばしてしまった日進院。

3_3
100体の満願石仏が圧巻。

4_3
今の気持ちとしては腰痛除かな。まあ全般的に無病息災、身体健固を祈りたいですね。

5_3
お隣にあるのが元禄時代の山門を残す龍拈寺。

同じ道を戻り、先へと進む。

6_3
吉田といえば手筒花火が有名だが、フツーのお宅やお店にも置かれていて、これは観光客向け?

7_3
西惣門(復元)を通り、吉田宿を出る。

芭蕉句碑を通り過ぎ、湊明明社に寄る。御衣祭りで有名という。

8_3
奥に湊築島弁天社があり、いい風景だ。

豊橋を渡る前に吉田湊跡へ。船着き場があったところという。

9_3
大正5年の親柱が保存されていた。

10_2
高札場跡を通り、いよいよ豊橋を渡る。

11_3
向こうに吉田城の鉄櫓が見えた。

橋を渡って左折、しばらくは川沿いを行くのだが、土手になっていて川は見えない。

12_3
豊川稲荷の遙拝所があった。石灯籠には「右 御油道 左 吉田道」と彫られている。

13_3
聖眼寺には芭蕉の句碑がある。
家康が吉田城を攻略した際に本陣を置いたところだという。

14_3
お寺を出て、ちょっと行くと下地一里塚跡(74里目)があり、さらに進むと風情のある家が・・・
このあたりはこんな感じの家が並んでいる。

その先を左に曲がって水神社(吉田城主に嘆願に行く漁民を庄屋が説得した場所とのこと)を見たあと、向かったのは瓜郷遺跡。

15_3
弥生時代中期から古墳時代前期にかけての集落の跡で、昭和20年代の発掘調査で見つかった遺構をもとに復元された竪穴住居がある。

16_3
どんどん進み、豊橋魚市場を通った先で豊川市に入る。その先が豊川放水路にかかる高橋なのだが・・
それほど広くない道路で歩道がなく、渡る時ヒヤヒヤする。

(4へ続く)

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ホントに歩く東海道 第9集 舞坂~御油(小田渕) (ウォークマップ)

2018/05/14

東海道五十三次歩き(第21回) 二川~国府2

(1より続き)

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河原地蔵尊のすぐそばの寿泉寺は、山門も立派(下は石造り)だが、薬師瑠璃光如来を祀る三重塔もとても立派だ。

ようやく豊橋市の市街地に入ってきた。国道ともしばらくお別れ。

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東八町交差点の北側に大きな秋葉山常夜灯がある。
地震で倒壊、空襲にもやられて放置されていたものを2001年、再移築したものという。

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向かい側のもちや(餅菓子がおいしそうだったが、パック売りしかないように見えたのであきらめる)の前に東惣門のモニュメントがある。吉田宿の東側の入口だ。
昔は番所があって午前6時から午後10時までしか通れなかったとのことだ。

ここから道は鉤型に曲がっていく。
曲尺手である。

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曲尺手門跡の標柱もあった。

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問屋場跡の手前で豊橋の別のマンホールを発見!(前回の歩きで何種類かは見ているが。)
公会堂(国の登録有形文化財・・・通りすぎただけ)、市電、市の花のツツジがデザインされている。

札木という市電の駅がある交差点で信号待ちをしていると、何台か市電が通りすぎていったが、広告がデザインされていて、すべて柄が違う。いったいいくつパターンがあるんだろう?

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とりあえず、この日見たのは、横浜タイヤ、ヤマサちくわ、日の丸薬局、あとは・・・青っぽいのと白っぽいのを見たような?

ヤマサちくわ本店が見えたが、さすがにこの時間から買うわけにいかず・・

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鰻のお店丸よの前にあった吉田宿本陣跡碑を撮影(豊橋は戦火で街の大半が焼けてしまったため、ほとんど遺構は残されていない)、きく宗へ。200以上前から営業している菜めし田楽一筋のお店だ。

この日は是非ともお昼をこのお店で食べたいと思っていたのだが・・・
水曜が定休日ではあるが、月に一回連休があるとのことで、休みだったらどうしようと思っていた。

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でもよかった!あいていた!
できあがりまで3,40分はかかりますとのことだったが、もちろん待ちます!名物は食べなくては。

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もちろん注文したのは菜めし田楽定食である。
こんがり焼いた自家製豆腐に味噌を塗った田楽と、大根の葉を混ぜこんだ菜めし、お吸い物。

置いてあったおいしい食べ方の一例に従って食べてみる。
いったん豆腐を手前に戻してから押し、菜めしの上に置いていただく。
辛子ものっていて、時々鼻にツーンをくるが、この濃いお味噌がいいですね。お豆腐もおいしい。ヘルシー!

平日限定ということでデザート(きびだんご風)もついていた。

十分休息して再び歩き始める。

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井上靖の「しろばんば」に出てくるお菓子やさん若松園で、黄色いゼリー(小説に出てくる)を買いたいところだったが、何個セットしかないようだったので断念。

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手筒花火発祥の地という吉田神社(明治時代は百花園という花畑と料亭があったという)に寄り、横断歩道の上から吉田大橋を撮影、豊橋公園へ。
吉田城の跡地である。

元々今橋城と呼ばれていたが、戦国時代に次々と城主が変わり、今川義元の時代に改称した吉田城。
その後は家康の支配するところとなり、家臣である酒井忠次へ、秀吉が天下をとると池田輝政が城主に・・・その後も次々と変わっているのですね。

明治に入り廃城となったこのお城は地震や火事等で、広重の絵に描かれているような建物は残っていない。

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堀や石垣などはあったりするが(石垣は新しい物なのかな?)。

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昭和29年に再建されたという鉄櫓が見えてきた。
手前の木は樹齢300年以上というイスノキである。

中は資料館になっており、無料。
吉田城の歴史、城下町の紹介(豊橋は今も鍛冶町、曲尺手町、札木町、呉服町、上伝馬町、湊町、船町などの地名が残る)、浮世絵などが展示されている。

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一番上からの眺めはなかなかよく、向こうに豊橋が見えた。

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金柑丸跡に弥健神社があり、大きな神武天皇像が立っている。
そのほか、軍隊が使っていたということもあり、戦争関連の遺跡がいろいろとある。

(3へ続く)

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2018/05/13

東海道五十三次歩き(第21回) 二川~国府1

前回の東海道歩きで、日本橋から二川までがつながった。
ということで、3月後半に二川まで歩いた時の続きである。

だんだん家からは遠くなるので、さらに早い新幹線に乗ることとし、豊橋まで行って一駅、二川駅まで戻る。
歩きはじめは8時50分。

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駅前の岩屋(岩屋観音)江八丁の道標をまず撮影。
まわりなし通り貫十六丁とあり、岩尾道を行けば戻らず東海道へ合流するという意味らしい。

田原街道への道標を過ぎ、岩屋観音に登るため、火打坂を行かず、岩屋山古道を行く。

2
小渕志ちの銅像がある。
玉繭という屑繭からの製糸法に成功、製糸工場を創業した女性。
その後二川、豊橋は玉糸の町として有名になったという。三河地方の製糸業に貢献したと言われる女性だ。

岩山に立つ観音様が見えてきた。

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弘法大師堂、観音堂を見て、上がっていく。
あちこちに石仏が置かれている。

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結構な岩場を登ることになる。
鎖につかまりながら登ったが、雨が降ったらすべるだろうなあ。

ふーやっと着いた。

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結構大きな観音立像だ。そういえば、新幹線からも見えたっけ。

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眺めも大変よろしい。
この日は晴天。空がとてもキレイだ。

岩屋観音自体は、行基が岩穴に千手観音像を刻んで安置したことに始まり、観音立像は、吉田宿の大工が橋の架け替えに難儀し、観音堂で祈ったところ無事完成することができたお礼に建立したものという。
ただ、第二次世界大戦中、金属として供出されてしまい、今ある像は昭和25年に再建されたものとのことだ。

眺めを堪能したあと、反対側を下る。
やはり下りの方が大変!(翌日筋肉痛に・・・)

ここから展望台を抜けて本来の東海道へと戻ることにする。

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展望台までなんと250段ちょっとの階段。歩きやすい階段なので全然苦ではないけれど、今回もまたあったか、階段(笑)。

展望台に上ってみると・・・
これまた景色がいいですねぇ。
豊橋市街から、三河湾、うっすら知多半島なども見える(なぜか撮影は忘れる・・・)。

ちょっとぬかった道を下り、東海道に復帰。

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丈の短い松がポツンポツンと植えられている。

ここ、飯村の松並木は昭和30年代まで街道の両側に100本以上もある立派な松並木だったそうだが、道路拡幅やマツクイムシの被害によりどんどん減り、江戸時代からあった大きな黒松も2007年に伐採されてしまう(この切り株は二川宿本陣資料館にあった)。

小さな松たちはその後植樹されたものなのですね。

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旧東海道のクロマツ跡碑。
昭和33年頃の街道の写真があったが確かに立派な松並木である。

殿田橋の先で東海道は国道1号線に合流するが、ちょうど合流すところに飯村一里塚跡があった。

現在の東海道は、ところどころ国道を歩かざるをえないのだが、国道に入るとちょっと気分がしぼみますね。風情はないし、車がビュンビュン行くので空気はよくないし、見所は少ないし・・・
ま、それも含めて街道歩きを楽しまないと!

建物がプレハブで残念な七富士稲荷大明神。

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中には湯飲みがたくさんあったけれど、なんだろう?

通りから少し入って白山神社へ。

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せんきの神様が祀られている。
仙気(漢方医学で腹、腰などが痛む病気)で苦しんでいた豊川市小牧の武士が、その辺にあった石で痛む腰をなでたところ良くなったのでその石を祀ったとのこと。
ワタクシの腰痛も治るとよいのだけど・・・

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河原地蔵尊にも寄ってみる。

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6つお地蔵様が並んでいたけれど、一番左は、おや?三面ある。馬頭観音なんですね。

(2へ続く)

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2018/05/03

東海道五十三次歩き(第20回) 箱根~沼津4

(3より続き)

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またまた常夜燈があり(やはり静岡に入るとあるんですね)、その先に30番目の一里塚。

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右側の玉井寺の一里塚は江戸時代のもの、左側の宝池寺の一里塚は復元されたものだ。

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玉井寺には白隠の遺墨「三界萬霊寺」の石碑等がある。なんとも力強い字だ。

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八幡神社には、頼朝と義経が涙の対面を果たした時に座った石がある。

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そのすぐそばにある柿はねじり柿。
頼朝が柿の実を食べようとしたところ渋柿だったのでねじって捨てた。それが芽を出して2本の立派柿の木に成長したが、幹をからませねじりあっていたたため、ねじり柿と言われるようになったとのことだ。

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ということで、少し先にある和菓子のお店光来堂で「源氏双柿」というお菓子を購入した。
中に手亡餡と柿の羊羹がサンドされたスポンジ生地のお菓子でホワイトチョコでコーティングされている。上には源氏の家紋が押されていた。

千貫樋のあたりで三島市から清水町へと入っていた。

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清水町のマンホールを撮影。
柿田川(今回は時間の関係で見学できず残念)、旧柿田橋(めがね橋)、富士山がデザインされている。

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黄瀬川の手前には松並木が残る。

川を渡る手前で智方神社に寄る。

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と、この日4匹目の猫に遭遇。一日4匹は記録かも??

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鎌倉で殺された護良親王の首を、侍女が持ち帰る途中、黄瀬川の洪水に遭い、やむなくこの地に葬り、目印にクスノキを植えた。これがこの神社のはじまりという。
クスノキは樹齢600年でとても大きい。

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黄瀬川橋を渡って沼津市に入った。
橋の上からはてっぺんのごくごく一部が見えていた富士山。数分歩いているうちに少しずつ見え始めていた。

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潮音寺に寄る。
曾我兄弟の仇、工藤祐経の恋人だった亀鶴姫は、頼朝から声がかかるも断り続け、ついには黄瀬川の滝に身投げしてしまった。それを憐れんで手厚く供養すべく観音堂が建立された。亀鶴姫之石碑もある。

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すぐ先に沼津領傍示石があり、ここからは沼津藩領である。

やがて旧道は県道380号線に合流するが、再び狩野川沿いの道へと入る。
堤防が高くて川が見えない。せっかくなので堤防の上に上がってみることにした。

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川を撮影して、ふと振り向くと・・・

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ついに富士山がバッチリ見える!
この日は富士山眺望スポットがいくつもあって、朝から見えたらもっとうれしかったが、でも最後の最後に見ることができてホントにうれしい。

黒瀬橋をくぐったところで沼津宿へと入る。

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平作地蔵があった。
日本三大仇討ちの一つ、伊賀越の仇討ちの登場人物(浄瑠璃伊賀越道中双六)平作の茶屋のあったところに地蔵堂が建てられ、延命地蔵として信仰されている。
ちなみに、あとの2つは、忠臣蔵、曾我兄弟の仇討ちだそうだが、伊賀越の仇討ちのことは知らなかった。

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その先に31番目の一里塚と、玉砥石。

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2つ石があるが、今から1200~1300年前に玉類を磨くために使われた砥石という。

沼津駅に向かう前に、最後に、境内に芭蕉句碑があるという日枝神社に寄ろうと思ったのだが、だいぶ先の歩道橋を渡らないといけないことがわかり、あきらめる。

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沼津のマンホール(千本松原の松、はまゆう、駿河湾、愛鷹山、富士山と盛りだくさんなデザイン)を撮影し、駅へと向かう。

東海道歩きの1回目は沼津駅からだったので、これでようやく二川までがつながったことになる。やったね!

沼津から一駅東海道線で三島に戻り、新幹線の時間はと見ると、まさにもう出るところ。
あきらめて次のにすることにし、駅弁を買って急いで待合室で食べる。

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奥駿河の磯ちらしである。
桜えびの煎り煮、富士山サーモン、蟹身、海老、たこ、とびっこなど結構いろいろとのっていておいしかったが、もっとゆっくり食べたかったなあ・・・

急いでおみやげ(なぜかわさび漬け)と缶ビールを買い、7時20分のこだまに乗って、母親が持っていたナッツをつまみにカンパーイ!

東京で中央線に乗り換え、帰宅は9時半近く。

今回はなんと約54800歩も歩いた。
府中~藤枝の時が約54600歩だったからそれを越えたことになる。
いや~よく歩きました(下りが多かったので次の日筋肉痛に)。

次回は、二川から歩きます。

(完)

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ホントに歩く東海道 第4集 箱根関所~元吉原(36.7km) (ウォークマップ)

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