街道歩き

2022/12/02

中山道六十九次歩き(第28回) 安中駅~板鼻宿~高碕宿~倉賀野宿5

(4より続き)

やがて人通りも少なくなってくる。

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愛宕神社の鳥居。
上に鳩がとまっている!と思うと本物ではないという・・・よくできてますね。

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拝殿。
和田城(後の高崎城)の鎮守神として和田六郎兵衛義信が、京都市嵯峨の愛宕神社の御分霊を祭祀創建したもの。

このあたりで、高碕宿を出る。

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高碕アリーナを横目にみつつ、先を進む。

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達磨が見えてきた!
と思ったら、だるま弁当を作っているたかべん=高碕弁当の工場である。ずっと食べてないなあ・・・

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少し進むと古墳が見えてきた。
浅間山古墳である。墳丘全長171.5mの前方後円墳とのことだが、全容が見えない。大きな古墳のようだ。

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その先に松並木があるが、あらたに植えられたものだ。

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左道通行の道標(昭和7年)が見えるが、その頃もまだ残っていた杉と松並木と中央分離帯として左右一方通行として建てられたもの。

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倉賀野一里塚跡の説明板を通り過ぎ、安楽寺に寄る。

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異形板碑があった。
通常の板碑より厚みがあり、将棋の駒型をしている。鎌倉末期から南北朝前半のものと推定されている。

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本堂。

見学をしていると、住職の方が資料をいろいろともって来てくださり、ちょっとした説明をうけつつ、さらに見てまわる。

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本堂の裏は古墳(7世紀末頃、直径20メートル、高さ4メートルの円墳)となっている。

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勝軍地蔵尊堂。鎧を着ているお地蔵さんだそうだが見られない(前のお地蔵さんではないとのこと)。

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二十二夜堂の中には如意輪観音がいくつか。

残念ながら鼠供養塔は見逃してしまった・・・

倉賀野神社入り口あたりが倉賀野宿の上木戸。
倉賀野宿は、烏川を利用した舟運搬の河岸があった。日光例幣使街道の分岐点として、大名の宿泊や日光東照宮へ派遣される例弊使などで賑わいを見せた宿だったが、例幣使はガラが悪く恐喝まがいの行為が目に余り宿は相当迷惑したらしい・・・本陣1、脇本陣2、旅籠32。

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倉賀野神社に寄る。

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拝殿の彫刻。

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本殿。こちらも彫刻が見事だ。

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末社(10社)。

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庚申塔群。

街道に戻る。

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高札場跡兼上町問屋跡。

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脇本陣の一つ(須賀庄兵衛家)は石碑のみだが、もう一つの脇本陣(須賀喜太郎家)は明治の建物が残っている。

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裏手に回ると薬医門が残る。

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勅使河原本陣跡は薬局の敷地内。石碑のみ。

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双体道祖神もあった。

ここで歩き終了。倉賀野駅へと向かう。
ギリギリで4時の電車に間に合い、高崎線、埼京線、武蔵野線、中央線を乗り継ぎ、地元到着は6時過ぎ。

いつものお店で飲む。

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お通しは蟹味噌かまぼこ、なすの鰹味噌がけ。あらの刺身、あずきハタの煮付け、あん肝ポン酢、下仁田ねぎの焼き浸し。
お酒は、瓶ビールのあとは尾瀬の雪どけ。

帰宅は8時前だった。

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今回のおみやげ。

約42700歩。
次回は本庄まで歩きたいですね。

(完)

マップはこちらを使っています

2022/12/01

中山道六十九次歩き(第28回) 安中駅~板鼻宿~高碕宿~倉賀野宿4

(3より続き)


若宮八幡宮は源頼義・義家父子が奥州征伐の戦勝祈願で建立した伝えられている。

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赤い随身門がある。

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右大臣。

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左大臣。

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拝殿。

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土俵の柱は陰陽五行の色なのだそうだ。

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八坂神社前にある道標には、正面に「草津温泉 かわなか・かわらゆ温泉・はとのゆ」、左側面に「左中仙道 安中・松井田・横川」、右側面に「従是 神山三里・三ノ倉五り半・大戸九り半」と刻まれている。

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石神社。昔はしゃもじを寄進したそう。

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境内には明和9年の道祖神がある。

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君が代の手前に萬日堂がある。
昔、永観律師が不断念仏を思い立ち、本尊をめぐって行道念仏中つい眠くなって立ち止まっていたところ、本尊が 「永観遅いぞ」 と、後ろを振り向いて声をかけられた・・・ということで見かえり阿弥陀が安置されているという。

土手に上がってみると・・・

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榛名山が大きく見えた!

地下道をくぐり橋を渡る。

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高碕市役所が見える。

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からの榛名山。

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渡った先に君が代橋親柱。
この橋の名の由来は、明治11年(1878)明治天皇が北陸東海行幸の時、馬車で木橋を渡られたことを記念したものという。昭和52年に橋が架け替えられている。

しばらく進んで中山道は常盤町交差点で直角に曲がる。

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その角にあるのが山田文庫。
日本家屋を改装した木造の和風図書館。高碕倉庫社長夫妻んの私邸だった。

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曲がった先に岡醤油店。明治期の醤油工場。レンガの煙突が見える。虫籠窓が残る。

ここから道は上がっていく。赤坂である。

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長松寺。
高碕城に幽閉された家光の弟忠長が自刃した書院が移築されているそうだ。

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本堂。

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恵徳禅寺の参道には高碕の地名の由来が描いてあった。
高碕に転封された井伊直政が和田を松ヶ崎に名称をかようと和尚に相談したところ、「松は枯れる事があるが高さには限りがない、その意をとって高崎は如何か」 と進言し、高碕になったそうである。
高碕宿は中山道随一の宿場町として、また物資の集散地・商業のまちとして大いに賑わったが、城下町なので大名達は遠慮して、本陣、脇本陣はなく旅籠が15軒があったのみだった。

鉢の木七富久という和菓子店に寄り、鉢の木というお菓子を買う。
謡曲鉢の木にちなんだお菓子で、とても上品なお菓子だ。

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山田家(現在は漆器店)は明治15年頃の建物。

その先、本町3丁目交差点で中山道は右に曲がっていく。

大きな通りを進み、スズラン百貨店に寄るべく、連雀町を右に曲がる。

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と、ベンチがアート!!

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いろいろあった。楽しい。

一時過ぎ、ようやくスズラン百貨店の中のスパゲティのお店で、昼食を。高碕はパスタの町なんですね。

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この日食べたのは、モンテマーレ・トマト(手打ちフェトチーネ)。結構麺の量が多く、おなかがいっぱいになった。
体がちと重いが出発する。

百貨店を出るとすぐそこが高碕城址公園。

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東門と

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乾櫓が移築再現されている。

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お堀もある。

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市庁舎の前の通りから街道に戻る。

(5へ続く)

マップはこちらを使っています

2022/11/30

中山道六十九次歩き(第28回) 安中駅~板鼻宿~高碕宿~倉賀野宿3

(2より続き)

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だるまいし。まあ見ようによっては達磨かなあ。

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洗心亭は、ナチ政権から逃れて日本にやってきた建築家ブルーノ・タウトが住んだ家である。
結構小さい。

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招福の鐘はついていただけますよと声をかけてもらい、せっかくなのでついてみる。
意外と難しいものである。

帰りは階段を降りる。上りだったら結構大変だったかも?

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総門は意外と新しい。摩伽羅が上に乗っている。

さて街道に戻って先を進む。

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達磨やさん(その後もいくつか見る)。ここ大門屋は創業100年。

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皇大神宮。

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射水神(いずみかみ)は大正9年の少林山の地滑りを伝えるもの。

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逆側にあるのが洪水記念之碑は明治43年の洪水被害の碑。

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藤塚一里塚(28里目)。群馬県で唯一残っている一里塚。

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向かい側には富士浅間神社がある。

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神社から降りたところで、高碕のマンホール発見。
高碕祭りの山車と花火がデザインされている。
そういえば、その後山車庫をいくつか見たのだった。

その先の交差点で、中山道は旧道に入る。

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上州櫓造りの家。このあたりも養蚕が盛んだったのだろうか。

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金ケ崎不動尊は、街道に背を向けているのでうっかり通りすぎそう・・

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文政6年(1823)の庚申塔と明和元年(1764)の道祖神。

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中にはちゃんと不動明王がいる。

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湯沢のお地蔵様。茶屋本陣を営んでいた飯野家が建立。

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その茶屋本陣は斜め前にある。せっかくなので見学していくことにする。

ボランティアガイドの方に説明していただく。時間が許せば是非解説をお願いしたいですね。

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上段の間。

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欄間。

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次の間。
茶屋本陣は主屋と接続する離れ座敷として増築されたものである。

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廊下も畳敷きで、ふすまも風情あり。背景は金か銀だったものがくすんでしまったそうだ。

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住まいの間には立派な神棚がある。

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お庭もよい。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています

2022/11/29

中山道六十九次歩き(第28回) 安中駅~板鼻宿~高碕宿~倉賀野宿2

(1より続き)

ちょっとより道。長傳寺に寄る。

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山門は赤門。

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本堂。日光東照宮の造営に関わった者の彫刻があると描いてあったが、どこにあったのだろう?

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墓地の前にずらりと並んだ庚申塔(このあとも庚申塔をたくさん見ることになる)。

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二十二夜塔というのはあまり見ないかな?
と思ったら、群馬、埼玉ではよくあるらしい。

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板鼻二丁目交差点に道標があった。
正面は「やはたみち」(上野国一宮八幡宮)、右側面には「はるな、くさつ、河原湯、かねこ、沢たり、志ぶ川、みち」と彫られている。

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踏切を渡って進むと左手に庚申塔と地蔵尊、寒念仏塔。

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そのすぐ先に大きな双体道祖神があった。男性が杯を女性がひょうたんを持っている。このあたりが宿の江戸見附。

その先で国道に合流する。国道だと途端に面白みがなくなる・・・

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だいぶ進むと、かねつ橋供養塔があった。
板鼻宿の念仏講中が寒念仏供養で得た報謝金によって石橋を改修したものを、 その後破損したため享和二(1802)年、木嶋七郎左衛門がさらに改修し、その近くに供養記念塔を建てた、のだそうだ。
このあたりは寒念仏供養が多かったのだろうか。寒そう・・・

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高碕市に入る。達磨と観音!

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八幡八幡宮の大きな赤い鳥居があるが、ちょっと距離があるのでパス。

ここで寄り道。久々に達磨寺に行ってみる。

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鼻高橋を渡って向こう岸に行くのだが、橋にも達磨がいてさすが!

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で、橋から振り返るとまたまた浅間山が大きく見えていた。

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達磨寺到着。

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自販機も達磨!

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階段を上がっていく。

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本堂(霊符堂)。

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とにかく達磨だらけ!

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ん?達磨じゃないのも混じってる?

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本堂から振り返ると榛名山が見える。

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達磨堂の中には全国の達磨とか、玩具とかとにかく達磨づくしでとても楽しいのだけど、残念ながら撮影は禁止なんである。

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観音堂は茅葺き。

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ここから階段で降りていくと、途中に百庚申があった。

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百とあったけれど、実際は130ほどあるらしい。

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圧巻である。

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降りてから観音堂を見る。紅葉が美しい。

(3へ続く)

マップはこちらを使っています

2022/11/28

中山道六十九次歩き(第28回) 安中駅~板鼻宿~高碕宿~倉賀野宿1

約1ヶ月ぶりの中山道歩き。
前回は碓氷峠越えだったが、横川~安中まではすでにその前に歩いていたので、今回は安中駅からスタートである。

最近よく乗っている大宮駅6時53分発のはくたかで高碕へ。
早速、富士山が見えてご機嫌である。

高碕着7時17分、30分の信越本線に乗り換え、前回のゴール安中駅到着7時42分。
気温もまだ低く寒いので、ネックウォーマーをする。

前回、天気が悪くて山が見えなかった久芳橋に行ってみると・・・

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おお、今回はお天気がよく、雪をかぶった浅間山がきれいに見える。

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そして、妙義山と荒船山も・・・

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杉のレリーフのあるところから降りて少しだけ碓氷川沿いに進む。

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なんだかクリームのような浅間山だ。

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寛政10年の三面八臂寒念仏供養塔。。
このあたりに昔、仮土橋がかかっていたらしい。

蚕養神、道祖神のところで右に曲がると中宿(安中宿と板鼻宿の中間)で、静かな通りだ。

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進むと、庚申塔道標がある。
正面には「庚申塔」、左側面には「従是 一宮・大日 街道
」、右側面には「享和二壬戌九月吉日」と刻まれている。上野国一宮へ向かう道のようだ。

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公民館敷地にある中里一里塚跡(29里目)を通り過ぎ、川に突き当たる前(昔はこの先が渡し場だった)に右折、橋を渡る前に諏訪神社に寄る。

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ここには明治天皇御小休所腰掛石がある。
明治11年、北陸東海御巡幸の際、座った石だそうだ。

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庚申塔、御嶽山座生大権現。

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本殿と石祠群。

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ここでまた碓氷川を鷹之巣橋で渡るのだが、向こう岸にレンガでできた橋の台が見える。
当初、碓氷川は徒渡りだったが、しばしば川留めとなった。明和2年(1765)仮土橋が、明治16年には木橋が架けられた。その時に橋台である。

橋を渡る途中振り返ってみると・・・

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妙義山がきれいに見えた。

渡り終えて旧道に入る。

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鷹巣神社、依田六郎城址(依田六郎は武田信玄の家臣?)の石柱がある。聖徳太子塔、石灯籠などもある。
石橋も奥にあって、県道ができたたため、神社の入り口だけが残されているということらしい。

板鼻宿に入ってきた。
碓氷川の渡し場は、増水で川留めとなることが多く、旅人が宿に逗留するために宿場は繁盛した。又高崎宿が城下町で泊まるものが少ないこともあっての宿に泊まる旅人が多かったようだ。本陣1、脇本陣1、旅籠54。

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板鼻堰用水路。
板鼻地区から始まる全長約15キロの用水路のことで、農業用水路として今から約400年前に造られたもの。水がとても豊富。
かつては鯉の養殖が盛んだった。

ちょっと寄り道、大乗院を通って南窓寺へ。

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大乗院の階段の脇には庚申塔と青面塔があるが、青面塔には向かい合わせになった2匹の猿。2猿は日光街道の最後の方でも見たっけ。

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南窓寺は県道を越えて階段を上がったところにある。

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本堂。

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小野良佐栄重の墓。
伊能忠敬の測量に同行した人物で、寛政9年(1797)には板鼻に戻って和算塾を開き、多くの弟子を育てたとのこと。

街道に戻る。

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八坂神社跡は高札場だったところ。

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青面金剛、猿田彦大神、双体道祖神が並ぶ。
群馬に入っても結構双体道祖神があったりする。

向かいの板鼻公園はかつて牛宿があったところだそうだ。

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公民館前に「中仙道板鼻宿」碑がある(海音寺潮五郎)。
ここが本陣跡である。

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裏に和宮資料館があるが、これは本陣の書院の2部屋だけ移築し保存したもので、和宮が宿泊した部屋とのこと。
残念ながらまだ開館前だったので、中は見学できなかった。

(2へ続く)

マップはこちらを使っています

2022/11/18

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋6

(5より続き)

さああと少し。

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日光物産商会の建物は国登録有形文化財である。
明治36年、金谷ホテルの土産店として創業している。

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ちょうどきたバスはとてもレトロ!

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橋の手前右側に天海大僧正像。
天海は、徳川家に仕え、家康が亡くなると遺言を守り、久能山から遺骨を日光に移して、東照宮の創建に尽くした日光山中興の恩人という。

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左側には板垣退助像。
戊辰戦争の時、彼は新政府軍の将として日光廟に立てこもった旧幕府軍を説得し、社寺を兵火から守ったのだそうだ。

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そして、ついに神橋が見えた!

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日光街道のゴール!!
水の色も紅葉も美しい。
さあ、駅に引き返そう。

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少し予定より早く到着できたので、帰り道観音寺に寄る。

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上に上がると、鉢石宿のまっすぐな街並みが見える。

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享和3年(1803)の草木塚供養塔。

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如意輪観音十九夜塔や鳥獣供養之塔など。

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五輪塔など。

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弘化4年(1847)再建の観音寺本堂。

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向こうの山も紅葉してますね。

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旧日光市庁舎。
外国人旅行者を対象したホテルとして大正時代に建てられましたが、ホテルとしては使われず、寮や市役所として利用されてきた。2018年新市庁舎に市役所の機能は移り、今年、旧日光市役所記念公園として整備された。
天守閣風の入母屋造である。

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湯沢屋で酒まんじゅうを買い・・・(これはおみやげ)

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東武日光駅前で、ゆばまんじゅうを買う。お茶をいただいて休憩。甘さ控えめでおいしい。

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JR日光駅到着。
大正元年に完成した洋館である。

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駅の中もちょっとレトロ。

東武の駅の方が圧倒的に人が多いが、ワタクシとしてはこちらの方が便利。ただ1時間に1本しかないので・・・

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5時19分の日光線に乗り、宇都宮駅到着は6時。
6時37分のやまびこに乗り、大宮着7時3分。

大宮で予定していたのより1本早い電車に乗ることができ、地元駅到着は8時前。いやーこの電車に乗れてよかった。でないと人身事故で電車がとまってしまったところだった・・・

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駅ビルで季節にぎり(サワラ柚子塩がおいしかった!)とビールで乾杯!!

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おみやげは、日光誉、たまり漬、綿半の一口羊羹、湯沢屋の酒まんじゅう。

約41300歩。

最後の方はバスを使用したが、ほとんどは電車に沿っての歩きだったので、交通の便はよく、気軽に歩けます。国道沿いが多く、見所が少なめの回もあったけれど、最後の杉並木は圧巻でした。

次回街道歩きは中山道の予定だけど、そのうち奥州街道も歩こうかな。

(完)

2022/11/17

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋5

(4より続き)

薬師堂から少し進むと国道119号線に合流する。
このあとしばらく、歩道がない区間もあってちょっと怖い。

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常夜燈があった。
生岡山王と刻まれている。寛政3年(1791)建立。

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生岡神社参道口を過ぎると、大きな杉がたくさん見えてくるが、こちらが並木太郎と呼ばれる杉(またもや、説明板がなくなっていたが、多分これだと思う)。
一番大きく美しい杉だという。幹回り5メートル以上、高さは40メートル弱。

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銀杏杉。根が銀杏の葉の形をしていることから呼ばれる。

杉並木がいったん終わる。

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ちょっと通り過ぎてしまい戻って撮影したのが、明治天皇七里御小休所跡碑。明治9年東北巡幸の帰途の休息場所となった。

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志度淵川に架かる筋違橋(川と街道が筋違い交わる)の手前に地蔵堂がある。

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筋違地蔵=麻疹地蔵といわれ、願をかけて筋違橋の橋下をくぐると麻疹が軽く済むと言われていたそうだ。

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再び杉並木へ。砂利道だ。

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抜けて、JR日光線の高架をくぐると、最後の杉並木。

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これにて長かった杉並木も終わりである。

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東武日光駅までくると急に人が多くなり、観光地だなあと思う。

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昭和28年から15年間運行されていた路面電車の展示があった。
この駅のあたりが、鉢石宿の木戸門だったところだ。
鉢石宿は、日光参詣が盛んになると発展した宿で、本陣2、脇本陣0、旅籠19。

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道はぐんぐん上がっていく。

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景観に配慮して、お店なども色を控えめにしたりしてるが、消防署もなんだか趣きがあったりして。

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龍蔵寺。
源頼朝の忠臣畠山重忠の子重慶が庵を建てたのが始まり。鎌倉幕府に謀反を企てたと誤解され首を斬られた重慶を弔うために寺が建てられたという。

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二十三夜尊の地蔵。

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裏に抜けるとあるのが稲荷神社。

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西行戻石なるものがある。
西行がこの巨石の上の少年にどこへ行くのか訪ねると、「冬萌きて夏枯れ草を刈りに行く」と、少年が麦刈の事を歌で答えたのに驚き、この地での歌比べは無理と悟り、男体山を遥拝して引き返したとの言い伝えがあるそうだ。

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西行歌碑。
「ながむながむ 散りなむことを きみも思へ くろ髪山に 花さきにけり」

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拝殿。

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二匹の猿が向かい合った庚申塔。

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このあたりはやはりこういうタイプの庚申塔なんですね。

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これは五輪塔が刻まれているのかな?

街道に戻って進む。

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山もずいぶんと近くなってきた。
残念ながら、本陣などは残っておらず、標柱などもない。

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地名の由来となった鉢石。
うーん、でも鉢を伏せた形?そうかな~

(6へ続く)

2022/11/16

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋4

(3より続き)

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ここの杉並木は水路が左右にあり、とてもよい雰囲気だ。

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高龗神社。

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たかお神社と読む。この字ははじめて見た気がする。
高龗神は水や雨を司る神様のようだ。
栃木県には結構この名前の神社があるらしく、今市のあたりでも15ほどあるようだ。

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手前は嘉永7年(1854)の常夜燈。

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神社のすぐ先にある石仏石塔群。
一番左は寛保3年(1743)の如意輪十九夜供養塔。

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このあたりの杉はどれも背が高く大きい。

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石垣の上に杉が植えられていて、車道は一段上にある。
瀬川一里塚(34里目)は見逃してしまった・・・
車道側に案内板があるらしいのだが・・・

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杉並木が途切れるところを右折すると古民家があった。
江戸時代名主だった旧江連家で、天保元年(1830)に建てられたものを移築した。

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その向こうに見えるのは、そばやさんの報徳庵だが、これは二宮尊徳の報徳仕法農家を復元したものである。

 

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旧江連家内部。

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庭。

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ここもまた紅葉がきれいだ。

街道に戻る。

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今市に入ってきてから、こういう思いやりベンチがたくさん置いてあって助かる。
日光仮面がここにも!

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杉並木がまた始まり、始まってすぐのところに大日如来堂がある。
境内には石造物がいろいろ。

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享和4年(1804)の十九夜塔の如意輪観音。

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左から寛保元年(1741)の十九夜塔の如意輪観音、延宝3年(1675)の石仏、弁財天、寛延3年(1750)の如意輪観音。

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気づくと、猫がこちらを見ていた。

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お堂の斜め前にあるのが、七本杉跡。
七本の杉の根がくっついて一株になったものだが、明治35年の暴風雨、大正3年の強風により折れ、その後老朽化が進み、昭和43年切られてしまった。切り株だけでも相当大きいことがわかる。

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この区間は土の道で車も通らず、快適に歩くことができる。杉もどれも立派である。

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この瘤はなんだろう?

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砲弾打込杉なるものがあった。
明治戊辰の役に、官軍が日光に拠る幕府軍を攻撃した際、西軍が発砲した砲弾が杉の木に当たり、幹が損傷している。

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薬師堂。
青雲山竜蔵寺という寺があったと云われているところ。

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お堂の入り口に石の釣り鐘が置いてある。
お金がなく、金属製の釣鐘を造ることが出来ないため石の釣鐘を造ったが、重みで竜頭が壊れ、ここに放置されているらしい。

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如意輪観音十九夜塔がずらりと並ぶ。

(5へ続く)

2022/11/15

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋3

(2より続き)

如来寺にも寄る。
三代将軍家光が東照宮造営のために御殿を建設しここに逗留したところで、二宮尊徳の葬儀もここで行われた。

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山門。

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化け桜。樹齢200年以上。

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観音堂。

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本堂。

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地蔵堂。鎌倉時代に二位の禅尼(北条政子)が、安達盛長に日光山へ奉納するため運ばせた途中、此の地で車が動かなくなったという地蔵菩薩立像(車止め地蔵)が安置されている。ガラスが反射して中の撮影はできず。

戊辰役戦死者供養塔があるとのことだったが見つけられなかった。

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街道に戻ったところで、日光仮面(!)の汚水桝の蓋を発見。
日光仮面、メタボな中年ヒーローですって(笑)
どうりでずんぐりむっくりなわけですね。

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今年3月をもって閉場となった今市宿市縁ひろばは脇本陣跡。

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明治天皇御小休之蹟碑があった。

浄泉寺に寄る。家光移葬の折りに棺が安置されたところだが、天明2年(1782)の大火で焼失し、現在は薬師堂だけが残る。

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薬師堂。

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庚申塔など。

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2匹の猿が向かい合っている庚申塔。この後もこの庚申塔を見ることとなる。

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奥にあるのはそば喰い稲荷。
二宮尊徳の子弥太郎が文久2年(1862)に寄進したが、戦乱に遭い消滅、その後、弥太郎の子金之亟・延之輔等によって復興した。金之亟の妹が夜泣きするので、そばを献上し、祈願したら直ちに治ったことから「そば喰稲荷」と云われるようになったのだそう。

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すぐ先にまた杉並木が出現するのだが、その角にあるのが瀧尾神社。天応2年(782)の創建、今市宿の総鎮守である。

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天保7年(1836)の狛犬。

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叶願橋の石碑が建つ神橋を渡る。

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拝殿。

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天皇陛下即位十年記念の恵比寿神・弁財天・大黒神があった。

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またまた杉並木街道を行く。

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堰のあるところを曲がっていくと・・・

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トーテムポールのようなものが?

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水車が見える。紅葉がきれいだ。

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朝鮮通信使今市客館跡碑。江戸幕府に最初の朝鮮通信使が来日して400年になるのを記念して造られた。

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水車は重連水車で、直径4m50㎝、幅80㎝。

(4へ続く)

2022/11/14

日光街道歩き(第12回) 水無~今市宿~鉢石宿~神橋2

(1より続き)

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先を進むと、第一接合井があった。ここはだいぶ新しい感じだ。

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七本桜の交差点を越えて、また杉並木に入る。

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東武日光線の下をくぐる。
しばらく進んで小倉歩道橋を越えると、国道119号線に合流、そこにあるのが追分地蔵尊である。

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日光例幣使街道との追分にあることから、追分地蔵尊の名がある。

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二十三夜尊とくさ地蔵尊の覆屋がある。

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くさ地蔵様。

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追分地蔵尊、大きい!高さ2.9m・肩幅1.4m。
なんでも石工が、大谷川の中に眠る安山岩石にのみを当て削りだしたときに(背中にのみの跡があるらしい)、何か血のような赤いものが出てきたので、これはただごとでないということで、全体を掘り起こしてみると地蔵尊だった。 早速、村人達を呼び寄せて今市の地に運んだところこの三角の道筋で急にこの地蔵動かなくなってしまった。
ところが、如来寺に移したところ、お地蔵様の泣き声が聞こえる様になり、村人達は「このお地蔵様は日光の含満ヶ渕の親地蔵で、洪水で流されて来たのだろう」と、日光の見える元の追分に戻し、日光に向けてここに安置した、そうである。

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左右に小さなお地蔵様が並んでいる。

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こちらは例幣使街道の杉並木だ。いつかここも歩いてみたい。

さて、今市宿に入ってきた。
今市宿は例幣使街道と会津西街道の追分であり、大いににぎわった。本陣1、脇本陣1、旅籠21。

まずは道の駅 「日光街道ニコニコ本陣」に寄る。
ここにあるそばやさんでお昼を食べることにしていたのだが、まだ11時前。
ということで、おみやげを先に物色。そうこうしているうちに11時近くになり、開店までお店の前で待つ。

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頼んだのは、ゆば入りちたけそば。
ちたけは栃木県でよく食べられるきのこらしいのが、多分食べたのははじめて。茄子と炒めて食べることが多いと聞いていたが、このおそばもそうだった。独特の香りでおいしい。

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ついつい道の駅に突進してしまったが、通りを挟んだ向かい側には日光誉を醸す酒蔵、渡邊佐平商店がある(おみやげには、純米吟醸を買った)。

すぐ先の鹿沼信金のところが本陣跡らしいが、特に標柱などはなさそうだ。

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報徳二宮神社に寄る。

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拝殿。

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二宮金次郎の像。

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よくよく見ると、拝殿の前にも二宮金次郎が!

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裏手には、二宮尊徳のお墓がある。尊徳は安政3年(1856)報徳役所にて七十歳で亡くなっている。
二宮尊徳は墓を造らないよう遺言したが、是非建てるべきとの声があり、未亡人の意思を伺って建立したとのことである。

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手水舎に花が飾られていてきれいだ。

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ここにも。

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これ、ハートに見えますね。

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ペット長寿祈願なんてあるよと写真を撮っていたら・・・

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向こうに猫がいた。

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あちらにも。

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うなりあう猫たち。背中がハート!


(3へ続く)

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