街道歩き

2018/10/11

東海道五十三次歩き(第29回) 関~土山4

(3より続き)

1
このあと左側に旧道跡があるが今は通れなくなっているため、猪鼻の交差点(若宮社標のあるところ)で右折し、旧道へと復帰する。

2
その前にちょっと寄り道。
火頭古神社へ。

3
本殿は国登録有形文化財とのことだが、これじゃなくて、この覆屋の中に建っているのが本殿なんですね・・・

4
猪鼻村に入ってきた。
東海道は色がついていてわかりやすい。
昔は立場があり、草餅や強飯が名物だったらしい。

5
屋号札をかけた家が多く見られる。

6
旅籠中屋跡には、明治天皇聖蹟碑などが建つ。

7
坂を登って国道1号線に合流、再び旧道に入ったところに榎島神社。
ご神木の椎の木は樹齢400年くらいとのことだ。

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かわいらしい双体道祖神を過ぎ、工場を抜けた先に蟹坂古戦場跡の碑。

9
攻めてきた北畠勢を破り、甲賀への侵入を阻止した戦場跡である。
蟹ヶ坂という地名は旅人を食べる巨大な蟹がいたことに由来するそうだ。

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飛び出し坊やたち。
手作り感満載(笑)。

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海道橋の手前に高札場跡。高札が復元されている。

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現在の海道橋(旧田村橋)は2005年に当時の板橋を復元したものである。
安永4(1775)年に田村川に橋が架けられる前は、もう少し下流を徒歩で渡っていたが、大水で流されて亡くなる旅人も多かったので、田村橋が架けられたという。

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広重の土山の画に描かれているのも、雨の中を田村橋を渡る大名行列である。

井上士郎の句碑もあった。

東海道は田村神社のところで左折するが、神社に寄ってみる。

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二の鳥居は青銅製だ。

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拝殿にお参りして引き返そうとしたところ、おや?まだ奥がある。

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奥にあるのが本殿であった。

街道に復帰、一の鳥居をくぐった先に道の駅あいの土山が見えてきた。
ここからバスに乗って貴生川に出る。

ちょうど4時20分のバスが来ていたのだが、生徒さんでいっぱい。30分後のバスに乗ることにして、おみやげをみる。

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買ったのは、名物土山茶、あいの土山というワンカップ、そしてかにが坂飴。
蟹ヶ坂の伝説(旅人を食べる大きな蟹に通りかかった僧侶が往生要集を説いたところ悪行を悔い、甲羅が8つに割れて往生した。村人は塚を築き、割れた甲羅を模した飴を作って厄除けにした)にちなんだ飴である。

無料で提供されているお茶をいただき、50分のバスに乗る。
乗客は我々の他は1名(途中もう1名乗ってきたがほぼ貸し切り状態)。

30分ほどで貴生川の駅に到着。

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駅にはかわいい忍者(甲賀忍者ですね)の絵が。

5時33分の草津線(京都直通)に乗り、6時半すぎに京都着。
今回からは京都から帰ることになる。

駅弁とビールを買い、7時5分の新幹線に乗り込む。

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今回の駅弁は京寿司。押し寿司、笹寿司など、さば、えび、小鯛、鮭、かにのお寿司。これはおいしい!
ビールは黄桜酒造が造っている、京都麦酒ペールエール。
ご当地ビールがあるとうれしい。

9時23分東京着。
帰宅は11時過ぎだった。

約37100歩。雨の中まずまず歩きました。
次回は11月下旬を予定しています。
だんだん、日が短くなるのが悩みですね・・・

(完)

マップはこちらを使っています。
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2018/10/10

東海道五十三次歩き(第29回) 関~土山3

(2より続き)

1_3
急に開けたなと思うと、もうそこが鈴鹿峠だった。
箱根と並び称される難所、とのことだったけれど、箱根の方が何倍も大変だったと思う。

当時は茶屋が建ち並んで賑わっていたというが、今は静かなものだ。
現在でもこれらの茶屋の石垣が残っていると説明板にあったが、常夜灯のあたりの石垣もそうなのかな?

ちょっと寄り道。鏡岩を見にいくことにする。

2_3
途中、田村神社旧跡の石柱がある。このあとの土山に田村神社はあるのだが、坂上田村麻呂を祀った神社で、明治時代に片山神社に合祀されたようだ。

3_4
倒木を乗り越えながらさらに進むと鏡岩が見えてきた。
標柱に、硅岩が断層によってこすられ、名のとおり露出面につやが出たものであるとあった。昔、山賊が山道をくる旅人の姿をこの岩に写して襲ったと言われ、鬼の姿見とも言われているそうだ。

4_3
岩の上に乗ると下の国道がよく見える。

再び街道に戻る。
ここからは平坦な道が続く。

5_3
林を抜けると領界石があり、「左三重県伊勢の国・右滋賀県近江の国」 と書かれている。とうとう、近江の国に入ったのだ!

6_3
土山の名物はお茶と聞いていたが、早速茶畑が広がっている。

7_3
万人講常夜燈が見えてきた。大きい!
金比羅参りの講中が道中お安全を祈願して建立したもので、高さ5.44メートル、重さ38トンの自然石の常夜灯である。

ちょうど東屋があったので、ここで第2回のお昼ご飯にすることにする。ちょうど2時だった。
舞茸おこわおにぎり、ゆで卵、ミニトマト。

20分ほど休憩し出発。ここからはまた傘を差して進む。

8_3
早速甲賀市のマンホール発見。
旧土山町のデザインのようだ。
町の木の杉、町の鳥のキジ、町の花のお茶の模様。

国道が見えてきた。

9_3
滋賀県甲賀市の標識も見える。

通りの向こうに名残松が見えるはずだったのだが見えない。
どうやら今は切られて切り株が残っているだけのようだ。

10_4
地下道で向こう側に渡り少し歩くと、石灯籠と半分埋まった鳥居があった。
なぜ埋まっているのだろう?

再び国道の左側に渡り,見えてきたのが熊野神社の鳥居。

11_3
参道にはずらっと灯籠が並んでいる。
前回もそういえば、灯籠が並ぶ神社に行ったのだった。

12_3
しばらく歩くと十楽寺がある。
工事中なので入るのを躊躇していたら、どうぞどうぞと言われ、遠慮なく入らせてもらう。

さらに本堂のあたりでウロウロしていたら、工事の方に、どうぞ中に入って下さいと言われ、入ってみると・・・

13_3
木像の阿弥陀如来座像があった。甲賀三大仏の1つで日本最大級の大きさの阿弥陀如来座像だそうである。確かに大きい!

14_3
すぐ先に山中城址の石柱。

その先で、右手に旧道が残る。

15_3
入ってすぐのところにポケットパークがあり、またもや鈴鹿馬子唄碑や石灯籠がある。

16_3
滋賀県は飛び出し坊やの発祥地。
ということで、ちょっと変わった飛び出し坊や。これってなんのキャラだったっけ?

地蔵堂を通り過ぎ、しばらく行くと新名神高速道路をくぐる。

17_3
そこにあったのは第二名神起工の地碑。

反対側に山中一里塚公園(109里目)。

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またまた馬子唄碑があり、馬子と馬の石像もあった。

19_2
櫟野観音道(大原道)道標もある。「いちゐのくわんおん道」と刻まれている。東海道から櫟野村(甲賀町大字檪野)方面へ向かう道があったということである。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています。
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2018/10/09

東海道五十三次歩き(第29回) 関~土山2

(1より続き)

1_2
馬子唄会館の向かいは鈴鹿峠自然の家。
昭和13年に建てられた坂下尋常高等小学校の校舎で、国登録有形文化財に指定されている。

2_2
その後も東海道五十三次の標柱が並んでいる。思えばずいぶんと歩いてきたものだ。

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鈴鹿馬子唄発祥之地碑。

4_2
少し先の河原谷橋を渡ると、いよいよ坂下宿だ。

坂下宿は本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48と非常に賑わった宿だった。しかし、関西本線が通ると通行者が激減し衰えてしまった。

5_2
今は本陣も脇本陣も標柱が残るのみである。
この松屋本陣跡の他、大竹屋本陣跡、梅屋本陣跡がある。

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法安寺。

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庫裡の玄関は、松屋本陣の玄関を移築したものだそうだ。
坂下宿唯一の遺構である。

8_2
小竹夜脇本陣跡を過ぎ、先に進むとあるのが金蔵寺跡。今は石垣が残るのみだが、江戸時代初期には将軍家の御殿が設けられ、上洛途中の家康や家光が休息したところという。

9_2
その脇に地蔵堂があり、身代地蔵尊が祀られているが、右側のお地蔵様は板を突き抜けていた。

10_3
やがて老人の像2体が見えてきたが、誰がなんのために建てたものなのかよくわからない。

11_2
すぐ先に岩屋十一面観音菩薩碑がある。
扉を開けて中に入ってみたが、上までは登らず。

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地蔵の他、馬頭観音もあった。

13_2
いったん国道1号線に合流するが、右手の細い道へと入っていく。鈴鹿峠の入口で片山神社の社標がある。

左手に地蔵堂を見つつ進むが、このあたりは古町と呼ばれ、慶安3(1650)年の大洪水で壊滅するまではここに坂下宿があった。

14_2
とうとう、道は舗装道路でなくなった。
ここで、傘はたたみ、フードをかぶってストックを持つ。それほどの雨ではないので、レインウェアのズボンはやめておいた。
すべらないようゆっくり登っていく。

15_2
片山神社。
平成11年社殿が焼失してしまったという。

16_2
鈴鹿流薙刀術発祥之地碑のところで道は折れ、いよいよ急な上り坂に。

17_2
常夜灯が4基並ぶ。

18_2
ぐいぐい登った先で国道1号線の高架をくぐり、広場を抜けてさらに階段を上がる。

19
芭蕉の句碑があった。「ほっしんの初に越ゆる鈴鹿山」と刻まれている。

20_2
台風の影響だろうか、方々に倒木がある。すごい台風だったんですね・・・

(3へ続く)

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2018/10/08

東海道五十三次歩き(第29回) 関~土山1

前週に続いての東海道歩き。

天気予報ではどうやら雨。
鈴鹿峠を越えることだし、どうしようか迷ったのだが、きっちり装備していけばなんとかなるだろうと思い、決行することにした。
ゴアテックスのレインウェア、ザックカバー、マップケースをリュックにつめ、リュックの中身はビニール袋に、機器類はジップロックに入れて準備万端!

新幹線は7時10分発。
前日朝に予約したのだが、今回は2列席の方はとれず、3列席の通路から2席。

朝ご飯を食べ、うつらうつらしているうちに名古屋着。8時47分。
9時6分の関西本線に乗り換え、亀山着10時6分。ここまで雨は降っていなかったが、ポツリポツリと降り始めたようだ。

1
亀山発加茂行きの電車に乗り換えようとしたら、ラッピング列車。
京都のお茶の宣伝のようだ。
やはり1両編成だった。

10時14分発、ようやく20分に関駅到着。

もしタクシーがいたら、前回のおしまい、西の追分まで乗ろうと思ったいたがおらず、たいした距離ではないから、呼んで待っているよりは歩いた方が早い。
ということで早速歩き始める。このときは雨はやんでいたが、まもなく降り始めた。それでもそうたいしたことはなかったので、西の追分の休憩所まではフードをかぶって歩く。

駅からまっすぐ歩くと百五銀行のところに出る。

2
角の家の瓦は細工瓦で虎がついている。前回は気づかなかった。

3
素敵な街並みを進む。

4
前回撮り忘れてしまった高札場(再現)。

5
そして同じく撮り忘れた会津屋。
もともとは山田屋という旅籠で、仇討ちで有名な小萬が育ったところ。仇討ち本懐後もなくなるまで奉公したという。現在はお食事処になっている。

6
前回は急ぎ足で通り過ぎてしまった観音院。
戦国末期に焼失、江戸時代にこの地に再興。観音山に西国三十三カ所の霊場を開いたという。

前回のゴール、西の追分に到着。
ここには休憩施設があり、座敷にあがって休憩することができる。
雨なので、屋根のあるところじゃないと食べるのは大変。ということで、まだ11時前ではあるが、昼食用のおにぎりのうち1個(大好きな筋子)、母親が持参したきゅうりの漬け物、ミニトマトを食べる。

出発する頃には傘をさした方がいいくらいに降りはじめていたので、マップをマップケースに入れて、傘をさして歩きはじめる。

7
追分には題目塔がある。
「ひたりハいか やまとみち」と書かれており、大和、伊賀への道が分岐している。

やがて道は国道1号線に合流。

8
少し進むと駐車場の中に大きな石が。転び石といって、昔、山から落ちてきてうなり声をあげ、何度片付けても転がり落ちてきたという石だそうだ。

9
市瀬橋のところで旧道に入り、鈴鹿川に沿って歩いていく。
先日の台風の影響か、かなり水量が多くなっていた。

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屋根に金の家紋がついた家があったが、関宿の川北本陣と同じ家紋とのこと。

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前回の時と違うマンホール発見。これも旧関町のマンホールのようで、旧関町の花のシャクナゲ、町の鳥のキジ、町の獣の鹿、町の木の杉が描かれている。

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その先で国道を渡り、常夜灯のある西願寺を通り過ぎ、再び道は国道に合流する。

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やがて筆捨山が見えてきた。

筆捨山バス亭付近でわずかに残った旧道に入る。入口に筆捨山の解説板があった。

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元々岩根山と言われていた山だが、狩野元信がこの山を描きはじめたものの、翌日描き残した分を続けようとしたところ、雲や霞がたちこめ書き足すことができずあきらめて筆を投げ捨ててしまった・・・という。
広重の坂下宿の画は筆捨山を描いたものだ。

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国道に戻り、鈴鹿川を右手に見ながら進む。

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一里塚址の碑があった。107里目だ。

すぐ先で旧道へ。
その後、道はゆるやかに上がっていく。

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杉並木の中を歩き、沓掛集落を通り過ぎる。

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ん?なんだと思ったら、東海道五十三次の標柱が並んでいる。その坂道を上がっていくとドーム?のような建物が。これが鈴鹿馬子唄会館である。

中に入ると、馬子唄や坂下宿の展示がされていた。

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馬も。馬子唄を流していただいたので、ちょいと休憩する。
残念ながら、坂は照る照るとはいかず、相変わらず雨が降っている。

21
入口の脇に杖(まごの杖)が置いてあった。鈴鹿峠を越えた先、万人講常夜灯のところに返納すればいいらしい。
この杖のことは知っていたのだけど、もしなかったら困るなと思い、ストック持参できたのである。

(2へ続く)

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2018/10/03

東海道五十三次歩き(第28回) 井田川~亀山宿~関宿4

(4より続き)

1_3
旅籠玉屋歴史資料館。

まずは土蔵へ。
撮影禁止だったが、広重の版画の展示がある。

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宿の方に戻る。

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2階の展示。

4_3
1階、離れは身分の高い人たちがとまったところと思われ、さすがに立派である。

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離れからの庭もいい感じだ。

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お隣石垣屋もおもむきのある建物だが、ここは今は宿泊施設(元は築120年の肥料商の建物)。
寝袋持参ならなんと2500円!

ちょっとだけ道を戻り、百六里庭(眺関亭)へ。
2階からは関宿の家並みが見える。

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東方面の眺め。

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西方面(鈴鹿峠方面)の眺め。

再び西を目指す。
時刻は4時近く。5時3分の電車に乗らねばならないため、どこまで行けるか・・・

福蔵寺。
このお寺は信長の三男信孝が信長の冥福を祈るため建立しようとしたが、秀吉に自害させられ、家臣が首を持ち帰り、菩提寺としたもの。

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墓石はわからないとのことで供養塔が建てられていた。

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また、敵討ちで有名な関の小萬のお墓もある。
碑は写真に撮ったのだが、お墓は撮りそびれてしまった・・・

すぐ先にあるのが地蔵院。
日本最古の地蔵菩薩があるとのことだ。行基が天然痘から人々を救うためこの地に地蔵菩薩を安置したと伝えられている。

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地蔵院本堂、鐘楼、愛染堂は国の重要文化財である。

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本堂にはおびんずる様。

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脱衣婆。

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一休さんの座像も。

地蔵院の前の建物は会津屋さん(旧山田屋)で、小萬が生まれ育ち、無事敵討ちをした後、なくなるまで奉公したところだそうだ。

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この時点で4時5分すぎ。急いで歩けば、西の追分のバス亭で関駅行きのバスに間に合うかもと思い、ペースアップする。

途中、ようやく見たかった漆喰彫刻を発見。

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鶴。

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亀。
関宿のはじめの方でイラスト案内図をゲットできていれば(玉屋でいただいた)、他の彫刻も発見できただろうが、残念だ・・・

かなりがんばって歩いたので、余裕でバスに間に合い、西の追分から乗り込む。一日4便の最終バスだ。

10分足らずで駅に到着。

時間があるので、道の駅に寄ってみる。
定休日で買えなかった深川屋の銘菓、関の戸を無事発見、購入する。

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志ら玉と関の戸。

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関駅は無人駅。
切符をどうすればいいのかと思ったら、どうやら整理券方式らしいことが駅に書かれている。

そして、やってきた電車は一両編成で、後ろからのって整理券をとる方式だった。

6分ほどで亀山到着。関西本線はこの駅でJR東海と西日本がわかれており、乗り換えることになる。

料金は電車内で払うのかと思ったら、最寄り駅までお持ち下さいとのアナウンスがあったので、亀山駅の駅員さんに尋ねてみたところ、いったん外に出てお売りしますとのことで、改札の外に出て名古屋までの切符を購入。

亀山始発の名古屋行き普通列車に乗り込む。
さすがにくたびれてぐーぐー眠る。

名古屋着は6時40分。
名古屋から新幹線に乗るのは今回が最後。
是非食べたいと思っていたひつまぶし巻きは売り切れ・・・ホームに見にいってもなく、仕方なく名古屋コーチンとりめし(とビール)を購入。
7時12分ののぞみに乗る。
この日は木曜日。前々回、前回と金曜日でホームも大混雑、ほぼ満席状態だったが、今回は少々空きがあるようだった。

22_2
早速、ビールを飲む(名古屋仕様で、しゃちほこの上に信長、秀吉、家康がのっているというシュールなデザイン)。

23
お弁当はこれにして大正解。
いろいろな鶏がのっていて(つくねもあり)、ご飯の味付けもよくおいしかった。

8時53分東京着。
帰宅は10時すぎだった。

今回は少なめの約34500歩。
だんだん、電車に乗ってる時間が長くなるだけ、歩数は少なくなりますね。

次回は鈴鹿峠を越えます。
今回はじめて靴擦れをおこしてしまったので、次回は対策をとりたいと思います。

(完)

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2018/10/02

東海道五十三次歩き(第28回) 井田川~亀山宿~関宿3

(2より続き)

1_2
昼寝観音(西日本で観音様を巡ってお参りする33カ所の寺を決める会議が開かれた時、落針の観音様は昼寝をして会議に行かなかったので、33ヶ所の寺に選ばれなかった)を過ぎた先で、アゲハを撮影したあと、跨線橋で関西本線の線路を渡る。

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このあとまっすぐな道が続く。桜の季節はいいでしょうね。

3_2
このまっすぐな道は大岡寺畷といい、鈴鹿川に沿って2キロも続く。

4_2
広重の絵が描かれた名阪国道の高架をくぐり、ふと川を見るとなんと野生の鹿が!まさか鹿に遭遇するとは・・・

踏切で再び関西本線を越え、歩道橋で国道1号線を渡った先に関宿の看板があり、旧道へと入る。

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そこにあるのが、関の小萬のもたれ松。
今あるのは松ではないようだが・・・
仇討ちで有名な小萬が若者とのたわむれを避けるために隠れた松があったそうだ。

6_2
鳥居が見えてきた。
ここが関宿の東追分、入口である。
鳥居を曲がると伊勢へ通じる道となる。

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ここには一里塚址や、大きな常夜灯もあった。

8_2

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関宿の街並みはすばらしい。
東追分から西追分まで1.8キロもあるそうで、江戸から明治にかけて建てられた古い家が200軒あまりも残っているそうで、どこを切り取っても絵になる美しさ。思わずバシバシ写真を撮ってしまう。
電線も埋めてあるんですね。

10_3
御馳走場跡を右折、関神社の参道に山車庫がある。
関の山という言葉の語源となった関の山車がしまわれている。
家々の軒先をかすめ人混みをかきわけて山車が巡行する様子から、この上はない、精一杯という意味の関の山という言葉ができたという。

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この街では銀行までもがおもむきのある建物だ。

12_2

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延命寺の門は、川北本陣の門を移築したもの。

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端光寺にある柿は、権現柿といって、家康が食べたと伝わる。ちょうど柿がなっていた。

15_2
関のマンホール発見。
亀山市になる前の旧関町のイメージキャラクター「アスレ」だそう。肩にとまっているのはキジ、笠につけているのはシャクナゲとのこと。
アスレはお地蔵様と旅人をモチーフとして生まれたらしいけれど、アスレってそもそもどういう意味なんだろう・・・

関まちなみ資料館に寄ってみる。この先の関宿旅籠玉屋歴史資料館共通券は300円だ。

16_2
入ったところにマンホールにあったアスレが。

17_2
江戸末期に建築された町屋建築で、なかなかに立派。

18_2
箱階段も登ることができる。

19_2
2階にはジオラマも!そして関の街並みの移り変わりの写真展示もおもしろかった。

20_2
明治時代の自転車もあった。
ちょっと乗りにくそうだ。

21_2
川北本陣跡、問屋場跡、山車庫、伊藤本陣跡を見て、玉屋へと向かう。

(4へ続く)

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2018/10/01

東海道五十三次歩き(第28回) 井田川~亀山宿~関宿2

(1より続き)

1
趣のある街並みを進み、ちょっと寄り道。亀山城址に行ってみることにする。

2
途中にあったのが、石井兄弟敵討碑。
元禄14(1701)年、このあたりの石坂門外で兄の敵である赤堀水之助を討ち取ったことを記念した碑。当時元禄曽我と言われ賞賛されたそうである。

亀山城は信長に追放されるまで関氏の城だったが、その後めまぐるしく城主が変わり、最終的には石川家で明治維新を迎えた。
現在では多門櫓と石垣、土塁、堀の一部が残されているのみである。

3

4
多門櫓は土日祝日は中が見学できるそうだが、この日は木曜なので残念ながら見られない。

5
亀山神社、大久保神官家棟門などをちらりと見学、元に戻ろうとしたところ・・・

6
なぜかSLの展示が。

東海道に復帰、亀山宿の碑のところから坂道を上がる。

7
問屋場跡を通り過ぎ、先に進むと旧舘屋住宅(枡屋)がある(土日祝日公開)。
幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた枡屋。主屋は明治6年築だそう。

8
蔵も立派だ。

9
少し戻って飯沼慾斎生家跡(植物学の基礎を拓くなど、近代科学草創期の代表的な自然科学者・・・城趾に生誕碑もあった)を確認後、道を折れて青木門跡(家康が繁茂する青木を見て感激、おお青木と言ったことに由来)を見て、加藤家屋敷跡を見る。

10_2

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土蔵と長屋門がとても立派だ。
ここもまた土日祝日のみ見られるのであった。亀山は平日くるといろいろと見られないのですね。残念。

東海道に戻り、またまた道は曲がる。

西の丸外堀跡の先が京口門跡である。

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今は京口坂橋が架けられたため、坂道を登る道はなくなってしまったが、昔は坂の下から見上げると門や番所が見えたという。広重の亀山宿はここからの眺めを描いている。

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京口坂橋から見る竜川はきれいだ。

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坂を下った先にあるお寺が照光寺。入口には広重の亀山宿の絵がある。

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ここには、石井兄弟に討たれた赤堀水之助の碑や、またまた谷口一族が寄進した題目塔があった。

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森家住宅は今はアンティークショップ兼カフェになっている。
黒い漆喰の壁が見える。
この日はお店はお休みだった。

慈恩寺に一瞬寄ってみる。

18
青面金剛と三猿を見たかったからだ。

19
その先の野村一里塚(105里目)はとても立派。残っているのは北側のみだが、非常にめずらしいことに椋の木なのだった。樹齢400年。
ちょうど彼岸花が咲いていて、きれいでしたね。

田園の中を歩いていく。
大庄屋打田権四郎昌克屋敷跡を通り過ぎ、ちょっと寄り道。

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善性寺の山門はめずらしや、槇の木でできていてキレイにかりこまれている。Hという字に見えなくもない。

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本堂前にはソテツがあった。

街道に戻り、再び寄り道。
布気皇舘太神社。

22
参道がかなり長いが、ずっと石灯籠が並んでいるのである。
多分56くらいはあったはずだ。

(3へ続く)


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2018/09/30

東海道五十三次歩き(第28回) 井田川~亀山宿~関宿1

9月初め以来の東海道歩き。
今回も天気がぎりぎりまでわからず、結局、到着した頃には雨はやむか、小雨になっているだろうと踏んで出かけることにした。

前回より10分遅く、4時40分起床。
出るときはそれなりに雨が降っていた。

新幹線は東京発6時30分。今回も行き帰りとも指定席を予約。
早速朝食を食べてあとはうつらうつら・・・

名古屋着は8時11分。26分発の関西本線に乗り換える。
このときはまだ雨が降っていた。

さらにうつらうつら・・・
桑名での信号だか踏切確認のため、少々電車は遅れていて、井田川に着いたのは9時50分近くだった。
まだ重い雲がたちこめているものの、幸い雨はやんでいる。

前回最後に見た駅前の日本武尊像を再び見つつ、歩きスタート。

1
すぐに二宮金次郎が見えてきた。
旧井田川小学校跡だ。

ここはもう亀山市。

2
早速亀山のマンホール発見。亀山城多門櫓と市の花の花しょうぶが描かれている。

3

4
歩道橋で国道1号線を渡るのだが、歩道橋のタイルには亀さんの上にローソクが!亀山市といえばローソクということだろうか。

5
椋川を渡る時、ふと右側を見ると山並みがせまっている。ずいぶんと山に近づいたものだ。

6
亀山バイパスを越えた先に谷口法悦題目塔。
京の日蓮宗の篤信者である谷口法悦という人が一族とともに17世紀終わり頃、各地の街道筋や追分などに題目塔というこうした塔を造ったという。

7
少し先に和田道標。鉄の枠で補強されている。
三重県内で東海道最古の道標とのこと。従是神戸白子若松道と書かれていて、亀山城下から亀山領若松港へいたる重要な分岐点だったそうだ。

8
続いて通称「シャングリさん」が。
通行人による悪疫から子供を守るために祀られたもの。
途中で折れてしまったと思われる灯籠や、道標の一部もあった。

9
石上寺。

10
聖観世音菩薩、弘法大師像、水子地蔵尊、仁王護国般若経石塚の他、たくさんの石仏があるなあと思ったら、三重四国八十八箇所霊場石仏だったようだ。

11
そのすぐ先に和田一里塚跡。
昭和59年の道路拡幅までは塚の一部がのこされていたそうだが、現在のは復元である。

国道306号線を越えると工場が見えてきた。
これが亀山ローソクの工場だ。カメヤマローソクは全国第1位でシェア50%。職場にカメヤマローソクがあるのだが、知らなかったなあ。

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バス亭も亀山ローソク前、会社のマークも亀だ。

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能褒野神社鳥居を通り過ぎてすぐのところに露心庵跡(説明板があるのみ)。
織田信長の命で神戸正武が亀山城を攻撃したが、関万鉄斎がわずが13騎で撃退。その時の戦死者を弔うため関氏一門の露心が建てた庵だという。
ここが亀山宿の入口だ。

巡見道の説明板もあった。
巡見使が通った道で、ここから分岐して北上、菰野を経て最終的には中山道とつながるそうだ。

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亀山宿に入って、趣のある建物が増えてきたが、屋号札が掛かっていておもしろい。

江戸門口跡の説明板のところで道は右へと曲がる。
その後も何回か曲がり、枡形になっている。

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まだ11時10分、ちょっと早いが曲がってすぐの元祖肉の水炊きのお店むかいにてお昼にすることに。

本来はお肉のお店なんだろうけれど、ここは亀山のB級グルメ、亀山名物みそ焼きうどん(サラダ付)を注文。

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おお!
鉄板にのってやってきた!じゅうじゅう言っている。
しっかりとした味噌味なのだが、下に卵が敷かれていて一緒にからめながら食べるとマイルドに。お肉はさすが!牛肉。おいしいですねぇ。
みそ焼きうどんを出すお店はたくさんあるようだが、たいていは豚肉だとご主人が言っていた。

おなかがいっぱいになったところで出発。
お昼のあとはちょっと歩みがのろくなってしまう。

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この日もところどころで飛び出しぼうやを見たが、これははじめてかな?

19
山門が立派な福泉寺を通り過ぎる。
寛政7(1795)年築造の立派な門だ。

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樋口本陣跡を通り過ぎ、高札場跡、亀山城大手門跡のところで道は左に折れる。

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遍照寺に寄ってみる。鐘楼門をくぐると下り坂で、下に本堂がある。

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弘法大師、地蔵菩薩のとなりにあるのは千手観音!

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弘法堂の扉を開いてのぞいてみると、弘法大師様が21体も!
六地蔵もあった。

(2へ続く)

マップはこちらを使っています。
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2018/09/12

東海道五十三次歩き(第27回) 南日永~石薬師宿~庄野宿~井田川4

(3より続き)

ようやく旧道に入ったところに庄野宿の標柱と案内板がたっている。
いよいよ庄野宿だ。

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この宿もまた静かでいい感じだ。
連子格子の建物が続く。

2_2
左手に見えてきた建物が庄野宿資料館。
油問屋だった旧小林家の住宅の主屋の一部を昔の姿に復元している。

せっかくなので見学。
簡単な解説をしていいただいて、あとは自分たちで見てまわる。
本物の高札が5枚もある。字はもうあまり判別できなくなっているが、大きい方の高札は結構な大きさだ。
何が書かれているかについての解説の紙があったのでいただく。

その他、宿の資料や日用品などの展示を見て、次に進む。

3_2
問屋場跡、本陣跡、高札場跡、脇本陣跡、郷会所跡。
すべて解説板か碑が残るのみである。

4_2
本陣跡のところには津までの距離が書かれた新しい道路道標もあった。

川俣神社。
鈴鹿川沿いにはいくつもこの名の神社があるあらしく、庄野宿にはそのうちの3つがある。川の合流・分流点で、治水を祈る目的で建立したものらしい。

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まず一つ目の川俣神社には、大きなスダジイの木がある。三重県天然記念物。高さ11メートル、幹周り5メートルもあるそうだ。

そのすぐ先に庄野宿の標柱があり、このあたりで宿はおしまい。

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鈴鹿市に入ってだいぶたつのに、全然マンホールがないなあと話していたら、ようやく発見!トンボのデザインだ。

ファミマで買ったクーリッシュを食べながら進む。

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高札場があったという場所を左折、いぼとり地蔵にお参りする。
いぼや眼病に効くそうだ。

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すぐ先に、神戸領の領界石、その向かいに女人堤防の碑がある。

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鈴鹿川と安楽川の合流点で、度重なる氾濫で甚大な被害を被っていた部落民が何度となく堤防建設を願い出るが許されず、男子が禁を犯して打ち首なると部落の自活に影響が出るとして、女性200人で堤防を築いた。打ち首になるところ、すんでのところで許された・・・そうである。

このあと、街道は安楽川沿いに進む。

またまた川俣神社が見えてきた。

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ここには中冨田一里塚碑、亀山藩領界石、常夜灯がある。

常念寺をちらっと見学(明知33年建てられ、昭和19年の地震により倒壊した鐘楼の4本の柱礎石があった)、安楽川を渡る手前にはまたまた川俣神社が。
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昔(昭和10年)の泉橋の親柱や、織田信長の三男で神戸城主織田信孝が愛飲したという井戸跡の碑があった。

江戸時代には土橋がかかっていたらしいが、今はないので和泉橋を渡る。

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遠くに山並みが見える。

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渡った先の公民館にもまた古い和泉橋の親柱があり、その先に道標が2つあったが、1つは埋まっていた!
「右のゝぼり道」と書かれているようだ。
のゝぼりとは野登で、川の上流にある鶏足山野登寺(秀吉の焼き討ちにあった)へ続く道である。

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斜め向かいに地蔵堂があったが、祀られていたのは、如意輪観音かな?

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少し進んだ先の高台には、明治天皇小休止跡碑、そしてまたまた和泉橋の親柱、観音堂跡。

このあたりから坂を一気に下り、田んぼの間を進み、井田川踏切を渡って、駅到着。

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駅前には日本武尊像があった。

4時41分の電車、もしダメなら5時29分のに乗ろうと考えていたが、予定より早く到着。4時29分の電車に乗ることができた。

19_2
が、井田川駅は無人駅。
券売機もなくどうするのかな~と思いつつ乗り込んだが、出発してすぐに車掌さんがまわってきたので、名古屋までの切符を買う。ワンマンの場合はどうするんでしょう??

さすがにくたびれ、爆睡。
名古屋には5時半過ぎ到着。

5時29分になってしまったことを想定して、新幹線の指定を7時16分でとっていたので、一応もう少し早いのがとれないかチャレンジしてみたのだが・・・
たった10分前のが、しかも3列の方の席しかなく、結局元の通りに乗ることに。結果的にはゆっくりできてよかったのだが。

時間があるのでエスカの、岐阜に行った際に入ったお店ではない方のきしめんやさん、きしめん亭に入る。

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暑かったので冷たいのがいいかな~と一瞬思ったのだが、冷たいのはビールがあるからよしとして(笑)、鍋焼ききしめんを注文。これで正解。おいしくいただいた。

ゆっくり食事をして、まだ時間があるので、エスカの中のおみやげやさんをのぞき、我が家にはみそおでんを購入。きしめんやさんで隣の人たちが食べていたおでんがおいしそうだったのと、まるやという文字を見たらこれは買わねばという気持ちになったのだった。

最後にホームの売店で、桑名で買いそびれて残念に思っていた安永餅(2個入り)とミニしるこサンドを購入、新幹線に乗り込む。

東京駅には8時56分着。
帰宅は10時すぎだった。

約41700歩。まずまず歩きました。
次回は9月末を予定しています。

今回のおみやげ。
21

(完)

マップはこちらを使っています。
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ホントに歩く東海道 第12集 桑名~庄野(井田川)(ウォークマップ)

2018/09/11

東海道五十三次歩き(第27回) 南日永~石薬師宿~庄野宿~井田川3

(2より続き)

1
元旅籠があったという家の壁に石薬師宿の江戸時代の軒並図が陶板で作られていた。

2
斜め前の2軒の家に小澤本陣跡の説明板。
小澤本陣のまわりに高い松の木があり、別名松本陣とも言われたそうだ。

3
国産初のタイムレコーダーを作った天野修一の記念館を通り過ぎた先に石薬師文庫がある。信綱が石薬師村に寄贈したもので、現在は毎週土曜に開館しているようだ。

4
お隣に佐佐木信綱資料館があり、せっかくなので入ってみた(無料)。
家系図を見始めたところで、資料館の方にご説明しましょうかといっていただいたのでお願いした。

ワタクシ的には佐々木幸綱先生の祖父・・・というイメージしかなかったのだけど、万葉集を編集した方だったんですね。
それよりも!そうだ!ワタクシが卒業した中学高校の校歌を作詞した方なのだった。なんとねぇ。いい校歌なのだ。
なんか、ぐっと親しみがわいてきましたね。

5
生家も見学。

6

7
立派な住まいですね。

庭には卯の花がたくさん植えられているが、残念ながら花のシーズンではなく、見ることはできなかった。

通りを渡った先に常福寺。

8
入口のところに信綱の父、弘綱の記念碑がある。ここは佐々木家の菩提寺で弘綱の墓もあるそうだ。

9
境内は保育園になっていた。

かるたを見ながら先を進む。

10
国道の上を通る瑠璃光橋を渡ると石薬師寺の裏門がある。

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石畳を降りていく。風情のあるお寺だ。紅葉の季節はきれいでしょうね。

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不動明王、観音菩薩、お地蔵さんなどが並ぶが・・・
一番見たかったのはコレ!

13

14
百度石の上のお地蔵様。
かわいい~

15
趣のあるお寺だった。

さらにちょっと寄り道。

16
御曹子社へ。
源頼朝の弟、蒲冠者範頼を祀った神社である。武道、学問に優れた人物だったので、それらの願望成就の神様だという。しっかりお参りする(笑)。

17
さらにちょっと先にあるのが範頼ゆかりの蒲桜。
範頼が平家追討のため西へ向かう途中、鞭にしていた桜の枝を地面に逆さにさしたところ、芽を出してこの桜になったと言われているそうだ。

18
街道に復帰、かるたを撮影しながら進み、蒲川を渡ると、石薬師の一里塚が。かるたも最後の50番がある。
ここで石薬師宿はおしまい。

庄野宿へと向かう。

19
関西本線のガードをくぐると、田んぼが拡がっており、しろさぎ、あおさぎがたくさんいた。

20
ちょうど電車(関西本線)もやってきた。2両編成だ。

国道1号線のガードをくぐって少し行くと国道に合流。
庄野宿まではひたすら国道を歩く。やっぱり国道歩きはつまらない・・・

(4へ続く)

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