街道歩き

2020/02/19

京街道歩き(第3回) 枚方宿~守口宿4

(3より続き)

堤防に戻る。

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鳥飼大橋が近づいてきた。
モノレールも見える。

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カッコいい橋だ。

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観覧車が見える。これ、どこだろう?

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ここまで見なかった船があった。

全然気づいていなかったが、寝屋川市を通り過ぎ、守口市に入っていた。
長かった堤防から降りる。

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マンホールは市の花のサツキ。

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こちらは京阪守口市駅前再開発のシンボルであるカリオンとサツキ。

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正迎寺は、西本願寺の末寺で創建は観応元年(1350年)。

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智眼地蔵尊。

ところどころ旧道が残る道を歩き、たこのきもちというたこ焼きやさんでたこ焼き6個入り(300円)を購入。ちょうど焼きたてだった。ソースとマヨネーズをかけてもらう。さすが、大阪安いなあ。

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京街道のレリーフ。

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一里塚跡のベンチでたこ焼きをいただく。
あちちち。ホントに焼きたてで口の中をやけどしそうなくらい(笑)。

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この一里塚跡のあたりが上の見附で、守口宿に入ってきた。

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国道一号線を渡った先にあるのが瓶橋の親柱。
今は川はない。橋の名前は口を守ること瓶のごとし(発言は慎重にせよ)ということからきているらしい。

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盛泉寺。教如上人が開いた東本願寺の末寺だ。内侍所奉安所阯の石碑(明治天皇が行幸された際、内侍所を設けた。一瞬だけ大阪に遷都されたことになった)、明治天皇聖蹟の石碑がある。

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難宗寺の角に石碑が4つ。
「左京 すぐ京」、「すぐ守口街道」、「御假泊所」、「御行泊所」と彫られている。

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難宗寺は真宗大谷派。枚方もそうだったが、守口も浄土真宗が盛んなのですね。盛泉寺が東御坊、こちらは西御坊と呼ばれている。

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樹齢400年以上の大銀杏。直径1.5メートル!

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右折し、駐輪場のところに本陣跡の説明板。

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向かいには「大橋平八郎ゆかりの書院」の石碑。
ここは平八郎が農民たちに出張講義をした白井家跡である。
白井孝右衛門は平八郎と師弟関係にあり、大塩平八郎の乱に荷担したかどで処刑されている。

八島交差点で左折、ゆるい坂道を上がって行く。文禄堤の上に存在した守口宿だ。文禄堤(太閤堤)は秀吉が毛利一族に築かせた淀川の堤で、27キロにも及んでいたそうだが、今はこの守口宿、八島交差点から義天寺までの1キロが残っているだけである。

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卯建、連子格子、虫籠窓のある家が残っていて、風情のある街並みだ。

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みよし写真館。昭和22年創業だそうだ。

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復元された高札場。

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本町橋(川はない)を渡ったところでこの日の街道歩きは終了。

守口市駅より京阪の準急に乗り、終点淀屋橋で地下鉄に乗り換え新大阪へ。

混雑した新大阪駅でお弁当とおみやげを買って、6時33分発ののぞみに乗り込む。

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今回のお弁当は、但馬牛牛めし弁当にするつもりが残り1つしかなく、ワタクシは近江牛おひつまぶし弁当にする(どちらも大阪のものじゃないね)。

おひつまぶし弁当は、下半分は白飯に牛でそのまま食べ、上半分は味付きご飯で、牛の上にたれをかけ、わさびをつけてひつまぶし風に食べる。
ビールにあいますね~
ビールは黒ラベルだが、引退する700系新幹線デザインだった。

東京到着は9時3分。帰宅は10時すぎだった。約4万歩。

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今回のおみやげ。昆布の詰め合わせと大阪地酒のみくらべセット。

次回最終回は、昼過ぎには高麗橋に到着できると思うので、大阪城などを観光して帰ります。

(完)

マップはこちらを使っています。

2020/02/18

京街道歩き(第3回) 枚方宿~守口宿3

(2より続き)

そろそろお昼時。街道沿いにはお店がないので光善寺駅の方に向かい、湧喜屋という御寿司やさんに入る。

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頼んだのは御寿司御膳。
寿司10巻の他に、お豆さん、トコブシ・たけのこ・かぼちゃの炊き合わせ、お吸い物。

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プラス茶碗蒸しがついたのでありました。

おなかいっぱいになり、街道に戻る。

3_20200217222801拝所。
蹉跎(さた)神社の遥拝所である。菅原道真が筑紫大宰府配流の旅の途中で、立ち寄った場所。道真の息子達は全国各地に配流され、妻も娘も同行が許されなかった。娘の苅谷姫は父を追ってここ(蹉跎神社)まで来たが、道真はすでに去った後で、姫は蹉跎(あしずり)して悲しんだという。

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その先に大きな栃の木があった。

川が近づいてきた。

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松ヶ鼻地蔵尊。
この先で土手に上がる。
実に7キロ近く堤防を歩くことになる。

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この頃にはすっかり晴れ(暑い!)景色がとてもよかった。

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木屋揚水機場を過ぎる。

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その先には赤井堤記念碑がある。
明治18年に起きた洪水は、大阪市内の大半が浸水する被害をもたらし、赤井堤も含めて多くの堤が決壊した。その時の惨状が漢文で刻まれているのだそうだ。

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水生生物センターの裏手に見えるのが、二十箇用水普通水利組合碑。
文禄堤ができて、洪水は防げるようになったが、堤の南に流れていた淀川分流が絶たれ、周辺の村では農業用水が取水できなくなり、設けられた組合である。

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茨田堤(まんだのつつみ)碑。
日本書紀、仁徳天皇11年に記述があるとのこと。古いですね~

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段倉があった。
水害への備えなのですね。

ここでちょっと寄り道。

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しようと思ったら黒猫がじーっと見ていた。

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太間天満宮。

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衫子絶間跡の碑がある。
堤の築造は難工事で、二ヵ所の「絶間」という場所に人柱を出すことになり、武蔵強頸(むさしのこわくび)と茨田連衫子(まんだのむらじころもこ)の二人が選ばれた。強頸は犠牲となったが、衫子は、機転をきかせて助かったという伝説が残っている。

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夫婦狛犬かな?浅草寺で見たのと似ている気がする。

戻って堤防をずんずん歩く。

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鳥飼仁和寺大橋をくぐる。

その先でまたまた寄り道。

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仁和寺氏神社。
御祭神は菅原道真など。

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ということで、なで牛が。

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猫も!

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ここで、枚方で買ったどら焼きを食べて休憩。

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堤防に戻り少し進んで、佐太天神宮に寄る。
道真が太宰府にながされた際に舟をつないだ場所。ここで赦免の沙汰を待ったことから佐太と呼ぶようになったという説もあるらしい。


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ここにも猫。暖かいと猫にたくさん会えていいなあ。

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本殿。

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紙本著色天神縁起絵巻。

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佐太戎社。戎像も見える。

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来迎寺。

その先に佐太陣屋跡がある。
加納藩の陣屋という。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています。

2020/02/17

京街道歩き(第3回) 枚方宿~守口宿2

(1より続き)

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鍵屋資料館に寄る。

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鍵が描かれてますね。

江戸時代には大阪と伏見を結ぶ三十石船に乗降する人のための船宿として賑わい、その後は平成9年まで高級料亭旅館として営業していた。解体、復元工事ののち平成13年に資料館として開館している。

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まずは別棟の方へ。こちらが資料館になっており、入場料200円。
昭和3年の建物。

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くわらんか茶碗などの展示。
くらわんか舟(三十石船の乗客に飲食物を売っていた小舟)で使用されたことからこう呼ばれる。
くらわんかというのは、飯くらわんかいと河内弁で飲食物を売りつけていた、その口上のことなんですね。

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鍵屋の模型。結構広い。

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文政13年(1830年)、紀州藩の武士が枚方に泊まった際に供された食事。たけのこ、わらび、くわい、鶏卵、ふき、ほうれん草、鰤あんかけ、はまぐりの汁、ご飯。

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広重の絵。

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くらわんか舟の再現。

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2階に上がってみると、63畳の大広間があった。

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窓からは淀川が見える。

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おひな様の展示。

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主屋(文化8年(1811年)の町屋建築)も見学。
船待ちと煮売屋の特徴を備える。

たっぷり見学して再び歩きスタート。

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お隣の建物もいい感じ。

西見附で宿を出る。
ケンペル、シーボルト、アーネスト・サトウなど外国人も多く訪れたのだそう。

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淀川沿いに出ると明治18年の洪水碑があった。

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向かいには郵便屋の渡し跡の碑が。明治時代、対岸に鉄道が開通し、淀川左岸の郵便物を渡し船で右岸の高槻に運んだのだそうだ。

このあとうっかり道を間違い戻る。
旧道をしばらく行くと、光善寺があった。出口御坊。

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このあたりは蓮如上人にゆかりがある。ということで像もあった。
なかなか立派なお寺だ。

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地蔵。

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蓮如は病んでいた虫歯がここで抜け落ち、「夏はきのふけふ秋きりの一葉おちて身にしみてしる なむあみだぶつ」と詠み、境内に自筆の歌碑があった。

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しばらく行くと「親鸞聖人 蓮如上人御田地」の碑があり、奥には蓮如上人の腰掛け石がある。上人がここで講話をしたのだそう。

(3へ続く)

マップはこちらを使っています。

2020/02/16

京街道歩き(第3回) 枚方宿~守口宿1

前週に続いての京街道歩き。
前週は雪も舞い、とても寒くて耳にしもやけができかかったので、慌てて耳が隠れる帽子を買ったのだが、この日は暖かくなる予報で(実際かなり暖かった)結局出番なし。いや、暖かい方がうれしいけれど・・・

いつもの通り4時半起きで6時16分ののぞみに乗り京都着8時26分。近鉄に乗り換え、丹波橋で京阪の特急に乗り換え、枚方市駅到着は9時11分。20分過ぎ、歩き始める。どんよりと曇っていたが幸い雨はやんでいた。

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駅前には案内図があってわかりやすい。
枚方宿は結構力を入れている感じ。

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枚方橋跡を通り過ぎ(今は暗渠となった安居川にかかっていた橋)、宗左の辻を曲がる。製油業を営んでいた角野宗左の屋敷があったことからこう呼ばれるようだ。
道標があり、磐船街道が分岐している。

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ピオルネという商業施設を通りすぎた先に岡本町公園があり、京街道と枚方宿の説明版があった。
第2日曜日は五六市があるそう。東海道の56番目の宿場であることから命名されたようですね。

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明治の創業だという北村みそ本家の隣、呼人堂でどら焼き(あかつき)をおやつ用に購入する。

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嘉永7(1854)年の妙見宮常夜燈。能勢町にある妙見山山頂付近にある宮らしい。

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高札場跡の先に、くわらんかギャラリー。
江戸時代(享保)から続く塩やさんの塩熊商店の建物だそうだ。

ベトナムから徳川吉宗に献上された象も享保15(1730)年にこの宿に泊まっているらしい。

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三矢公園がある場所にかつて本陣があった。

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入り口には明治天皇御晝餐所の碑がある。
向かいには塩熊の看板のあるお店があった。塩やさんではなさそう?

京阪の踏切を渡りちょっと寄り道。

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願生坊。
真宗大谷派の寺院で、東本願寺の別院とされた後、願生坊の名が与えられた。

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この道に「万年寺山周道」のプレートが埋め込まれていた。
ということで道を上がっていく。

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意賀見(おがみ)神社の鳥居を右手に見つつ、まずは御茶屋御殿跡へ。
秀吉が家臣の枚方城主・本多政康の娘・乙御前のために茶屋御殿を建てたことから、ここ万年寺山は御殿山と言われている。

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ここから淀川が見える。もっと天気がよかったら遠くの山まで見渡せたんだろうなあ。

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神社の境内には梅園がある(意賀見梅林)。
廃仏毀釈以前は奈良時代に創建された万年寺があったそうだ。
古墳もあったらしい。

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すでにだいぶ咲いていた。
3月にいつも梅祭りが行われているようなのだけど、今年は暖冬だったからその頃にはもう終わっちゃってるかも?

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意賀見神社。

さて、街道に戻り、浄念寺へ。
こちらは西本願寺が本寺兼帯所として特別な扱いをし、地元の人々は、願生坊を東御坊、浄念寺を西御坊と呼んでいたという。

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山門が工事中だったので、脇から入って本堂を撮影。

このお寺の前は枡形になっていた。

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その先に問屋役人だった木南善衛門家(屋号は田葉粉屋)がある。宿最大の町屋で明治時代に再建されたものという。
立派なお宅だ。

(2へ続く)

マップはこちらを使っています。

2020/02/12

京街道歩き(第2回) 淀宿~枚方宿4

(3より続き)

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旧京街道の標柱。京街道ではあまりこうした標柱がない気がする・・・

道の突き当たりにくずはモール(ショッピングモール)があったので休憩する。

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おやつは走井餅老舗で買った鳩もなかだ。
自分であんこを詰めて食べるタイプで、皮がぱりぱりでうれしい。

京阪の線路の向こうに渡り、線路沿いに歩く。
国道歩きはつまらないが、途中から旧道に入る。

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そこにあった地蔵堂。

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船橋川(激流で橋が流され船橋になったのが川の名前の由来)を渡った先に、地蔵堂、戊辰戦争の供養塔、八幡宮の道標がある。
この向かいあたりに一里塚があったらしい。
京と大阪の中間地点。

このあとは、牧野駅まで京阪に沿った道を歩く。

牧野駅まで来たところでちょっと寄り道。

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牧野公園にある阿弖流為母禮(アテルイモレ)の首塚。
坂上田村麻呂がこの地で蝦夷の首長阿弖流為と副将母禮を処刑した地だという。

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その奥にある片埜神社。

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赤鬼のお面があったが、絵馬にも赤鬼が描かれている。

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本殿は慶長2年、豊臣秀吉の命で片桐且元が再興したもので、重要文化財。

街道に戻り進む。

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京都と大阪と刻まれた常夜燈。
ここに片埜神社の一の鳥居があったとのこと。右側におかれていたのが壊れた鳥居かな?

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猫発見。この日はかなり寒かったのだが、出会えた!

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國道第二号路線の道標。
高麗橋まで六里!

そこを左折して寄り道。

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渚の院跡。
文徳天皇の第一皇子、惟喬親王は権力争いに破れ、ここに別荘を建て隠遁した。同じく権力争いに破れた在原業平と親交があったという。
渚の院跡には観音寺が建立されたものの、神仏分離で廃寺となっている。梵鐘が残るのみだ。

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天之川集会所の前の地蔵堂。
この先が一里塚跡だが、何もない(多分)。

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天の川を鵲橋で渡る。

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淀川に合流する天野川は、川の流れが美しく、古くから天上の銀河とみなされ、いつしかこの川に橋が架かった時、天の川のかささぎの群れが集まって橋となり、牽牛と織姫との橋渡しをするという七夕伝説にちなんでかささぎ橋と呼ばれるようになったという。

いよいよ枚方宿に入ってきた。

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東見附跡。石柱があった。

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問屋役人の家。
小野平右衛門(屋号=八幡屋)で、江戸中期より、村年寄りと問屋役人を勤めた。現在の建物は幕末のものだそうだ。出格子や漆喰塗の連なる虫籠窓が見られる。
道路は着色されていて、わかりやすい。

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さて、枚方市駅に到着した。この日の歩きはここで終了。

京阪で東福寺へ、JRに乗り換え京都へ。
駅弁とおみやげ(しば漬けとビール)前回と同じく18時48分発ののぞみに乗る。

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今回のお弁当は、京都舞妓はん弁当。いろいろ詰まっていて(デザートはお団子と生八つ橋!)豪華。ビールは黄桜の京都麦酒ブラウンエール。

東京都着は21時3分。
帰宅は10時過ぎだった。

45403歩。今回も結構歩きました。

(完)

マップはこちらを使っています。

2020/02/11

京街道歩き(第2回) 淀宿~枚方宿3

(2より続き)

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エジソン記念碑。
八幡の竹を使っての白熱電球の長時間点灯、実用化に成功した世界の発明王エジソンを記念した碑。
ここの竹だったんですね・・・はじめて知りました。

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なぜかボーイスカウト像。

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給水塔の涌峯塔。

最後に展望台にも行ってみる。

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いい眺め。

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谷崎潤一郎の碑もあった。

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帰りのケーブルはあかねの方だった。

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街道歩きを再開したところで、八幡市のマンホール発見。
市の花、さつき。

木津川沿いの堤防の下の道を歩く。

途中、大きな楠の木があるとのことだったのだが・・・
ない!切られてしまったのか・・・と思ったが、どうやら移植されたらしいですね。

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本来あったはずの向かいに二宮忠八飛行機工作所跡。ここで飛行機の製造を試みたのだ。

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八幡宮常夜燈。

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右八まん宮と彫られた道標を通り過ぎ、右折した先に柳谷渡し道標があった。対岸の山崎と橋本、京街道と西国街道を結ぶ渡し。

橋本は昭和33年まで遊郭としてにぎわった街だそうだ。

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おもむきのある道である。

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小金川樋門のところまできて、踏切を過ぎてしまったことに気づき戻る。
そのまま進むのがどうやら街道のようなのだが、危なそうなので、線路の東側を歩くことにする。

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久修園院。
行基が開いたお寺。
元禄時代につくられたという天球儀と地球儀、見てみたかったなあ・・・

このあたりの道はよくわからず、Google先生の力を借りて進む。

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楠葉台場跡史跡公園。鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が最終的に集結した場所だ。

久親恩寺を通り過ぎ、ようやく本来の街道に合流する。
と、道が黄色に着色されていてわかりやすい。

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マンホール発見!枚方市のマンホールだ。
つまり、いつの間にか大阪府に入っていたのだ・・・

デザインは、枚方市の花である菊と、広重の浮世絵にも描かれた淀川を下る三十石船。
今はもう開催されていないそうだが、長らく枚方では大菊人形展が開催されていたそうだ。

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長福寺。

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道標を兼ねた供養塔がある。小さなお地蔵様たちがかわいい。

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この小僧さんはどういうシチュエーションなんだろう?
掃除している最中にうっかり木魚?を枕に寝てしまい、そこにねずみがやってきた・・・ということかな?

(4に続く)

マップはこちらを使っています。

2020/02/10

京街道歩き(第2回) 淀宿~枚方宿2

(1より続き)

八幡市に入ってきた。

石清水八幡宮に寄るつもりではあったが、お昼を先にするか後にするかと考えて、早めのお昼の方がいいと思い、先にお昼にすることに。

その前に頓宮殿へ。

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一の鳥居。

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鳥羽伏見の戦いで消失したのち、現在の社殿は大正4年に建てられたもの。

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裏の門。

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門には菊の御紋がある。

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安居橋を渡る。太鼓橋だ。

飛行神社に寄ってみる。
ライト兄弟に先んじて飛行機の開発にあたった二宮忠八が創建した神社。

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F104戦闘機のエンジン。

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大阪湾から漁網にかかり揚げられた零式戦闘機のプロペラ。

頓宮前まで戻り、やわた走井餅老舗で昼食。

雪が強く降ってきて寒かったので(晴れてはいたのだが)、陽のあたる窓側に座る。

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頼んだのは、走井うどんと赤飯膳。走井餅つき!

うどんは暖まるし、餅も入っていて、しかも赤飯もあったので、炭水化物たっぷりで、歩いている時に最適なお食事。
走井餅もついに食べられてうれしい。

東海道を歩いているときに大津で発祥の地があったが、本家は廃業して、こちらに引き継がれたということなのですね。

おなかがいっぱいになったところで、おやつに鳩もなかを買って出発。雪はやんでいた。

八幡宮には歩いてもいけるのだが、時間短縮のため、ケーブルに乗る。
毎時15分と45分で、乗客がいると0分と30分にも動くということで、12時ちょうどに乗る。200円。

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昨年車両がリニューアルされたとのことで、行きは黄色いこがね号に乗る。

3分で到着。

降りて歩き始めると、今回もありました~

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着色したお地蔵様。

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竹が。八幡市は竹の産地なんですね。

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南総門。

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本殿(国宝)。黄金の雨樋や、目貫きの猿、流れ左三つ巴紋、瑞籬欄間彫刻が見られなかったのは残念だ。

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鳩が見える。鳩ははちまんさんのおつかいなのだそうだ。

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楠木正成のクスノキ。

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信長塀が続く。

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西総門(重文)。

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住吉社(重文)。

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北総門(重文)

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水若宮社(重文)。

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瓦は鬼。

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鬼門封じ。鬼門を封じるため、本殿の石垣が斜めに切り取られている。

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おがたまの木。一円玉の裏に描かれているのがこれなのだそうだ。

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葉っぱが確かにそうかも・・・

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ちょうどアオジがいたので撮影。

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東総門(重文)。

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灯篭が並ぶ。

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これは撮らずにはいられない(笑)。

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こちらにも灯篭が並んでいる。

(3に続く)

マップはこちらを使っています。

2020/02/09

京街道歩き(第2回) 淀宿~枚方宿1

京街道歩き2回目。
直前まで京都の天気は晴れ一時雪と出ていたし、気温も低そうなので大丈夫かなとは思ったが、雪マークは消えたので出かけることにした。

いつもの通り4時半起きで、6時16分ののぞみに乗る。
朝ご飯を食べて寝る。

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はっと気づいて外を見ると雪!関ヶ原は雪景色だった。寒そうな景色だ。

関ヶ原を過ぎると雪はなくなり、京都に着いた時は少し日も差していた。
近鉄に乗り換え、さらに丹波橋で京阪に乗り換え、前回の終わり、淀駅着9時3分。歩き始める。曇っていて寒い。

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駅前には水車のモニュメントがある。
徳川秀忠は、元和5年(1619)伏見城の廃城に伴い、寛永2年(1625)松平定綱に命じて淀城を築城。周囲に二重三重の濠を廻らし、直径8mもある水車が城の西南と北の二か所に取り付けられていたそうである。

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高架下に三宅安兵衛(京都の呉服商として一代をなした人物)が建てた道標がある。東一口(いもあらい)の安養寺に参詣者を導くための道標だが(写ってない方に書かれていたが)、これいもあらいとは読めないな~
淀三川に囲まれ、出口が西側の一か所で、「一口」という漢字があてられた。入り口に祀られた稲荷が疱瘡を洗う(なおす)ので、「ひとくちのいもあらい」これが「ひとくち=いもあらい」となったという。

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與杼神社に寄る。
桂川右岸に水上運輸の守護神が祀られていたものが、河川敷の拡幅工事でここに移転してきている。

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拝殿は重要文化財。

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稲葉神社。春日局が寄進した稲葉正成を祀る神社。

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淀城址公園には石垣が残っている。
一番新しい淀城の石垣である(はじめのは妙教寺のあたりの古城、2番目は秀吉が茶々に与えた城、最後は秀忠が作らせた城)。

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「唐人雁木跡碑」、「淀小橋旧址碑」、「淀城故址碑」もあった。街道沿いのはレプリカなのかな?

商店街の和菓子屋さんで、美豆のしずくというお菓子があると聞き、いってみたのだが、なんとお休み・・・残念である。

いよいよ本格的に街道歩きスタート。

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駅を越えて右折、少しいった角に大専寺があり、戊辰戦争の東軍戦死者埋骨地碑がある。このあたりは激戦地だったようで、なので淀宿は遺構はほとんど何も残っていないのですね。
そういえば、前回の歩きの最後の方にもこうした碑があったっけ。

道はさらに数度曲がる。枡形になっている。

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孫橋を渡り淀宿を出る。渡って川沿いに歩くとお寺が3つあり、その真ん中のお寺、長円寺に「鳥羽伏見の戦い 幕府軍野戦病院の地碑」や榎本武揚書の「戊辰役東軍戦死者の碑」がある。鳥羽伏見の戦いの時に幕府軍の野戦病院となったところだそうだ。

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八幡市の飛び地を通り、宇治川の方に行ってみると、穀物の貯蔵庫である浜納屋があった。

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向かいは木田醤油店。
ご近所の方によれば、先代が亡くなられてもう営業はしていないとか。

街道に戻り進む。

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ロウバイがまだ咲いている。

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またまた寄り道。涼森神社。
菅原道真が太宰府に向かう途中に寄り、鈴を寄進したことからこの名前になった・・・他にも説があるらしいが。

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戦国時代には美豆城が築かれたということで、石碑があった。

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京阪線の高架、京滋バイパスをくぐり、御幸橋を渡る。

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まずは宇治川。

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中間地点にさくらであい館があり、展望塔に上ってみた。

ちょうどここは琵琶湖から流れ出る宇治川、三重県から流れ出る木津川、京都府北部から流れ出る桂川が合流し、淀川へと合流する地点なのである。

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晴れていたらもっといい景色だっただろう。
あいにくと、少し前から雪が舞い始め、曇ってしまっていた。

ちょっとだけ休憩し、また歩き始める。雪は少し小降りになったようだ(その後も降ったりやんだり、時にあられが降ったり・・・晴れたり曇ったり、不思議なお天気の一日だった)。

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続いて木津川を渡る。

(2に続く)

マップはこちらを使っています。

2020/02/05

日光街道歩き(第1回) 日本橋~千住宿4

(3より続き)

千住大橋公園の奥から階段を降りると橋詰テラス。

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与謝蕪村筆「奥の細道図屏風」。

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河番付と橋番付なるものがおもしろい。

ここでちょっと休憩。

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仲見世通りで買った人形焼きを食べる。
久々だなあ、食べたの。おいしい。

公園に戻り、奥の細道矢立初めの地碑を見て、奥の橋戸稲荷神社へ。

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ここは狛狐なんですね。左側は親子だ。

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本殿扉の内側には伊豆長八のこて絵があるそうだが、公開されるのは年3回。これはレプリカだ。
え?2月3日には公開される???なんと2日後ではないですか・・・

街道に戻ったが、うっかり道を左に行ってしまい(正しくは右に入っていく)戻る。

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矢立初の芭蕉像を見つつ、細い道へ入っていく。

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元やっちゃ場南詰の解説板。
多くの問屋のセリ声がやっちゃいやっちゃいと聞こえてくる場所(市場)ということから言われるようになったとのこと。

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このあと、次々と屋号札が出てくる。なかなかに力を入れてますね、千住宿。

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千住宿歴史プチテラス(元地漉紙問屋横山家から寄贈された土蔵をギャラリーとして使用)を見学していこう・・・と思っていたが、4時でしまっており、残念・・・
この前に芭蕉句碑があった。

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その斜め前には街道町並み絵図があった。

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「旧日光道中」「是より西へ大師道」と刻まれた道標。
大師というのは西新井大師なのか・・・

 

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河原稲荷神社の狛犬は足立区最大ということで、確かに大きい!

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まだまだ屋号札や、解説板が続く。

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旧街道っぽい道ですね。

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源長寺。
将軍鷹狩りの際に「御膳所」となり、日光門跡日光参拝や勅使下向の際は脇本陣を勤めたそうである。

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一里塚跡。
実は通り過ぎてしまい戻って撮影。高札場跡の標柱はうっかり見逃してしまった・・・

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信金前に芭蕉の像があったが、なんとチェンソーで作ったものだそう!

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千住宿問屋場・貫目改所跡を通り過ぎ、森鴎外の旧居跡を見にいこうと思ったら・・・
なんと、建設工事中で、鴎外碑は足立区が保管し、完成時に戻るそう。

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金蔵寺には、天保8年(1837)に起こった大飢饉の餓死者の供養塔があった。
千住宿の遊女の供養碑もあるとのことだったが、見つからず。

千住宿本陣跡の解説板を見て(標柱もあったらしいがこれまた見逃す)、千住本氷川神社へ。

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芭蕉の句碑がある。

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旧社殿はかなり古い。

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本殿。
ラジオ体操発祥の地の碑もあったけれど、なんだか4カ所も名乗りをあげているところがあるようで・・・ホントのところどこなんだろう?

ここで街道歩き終了。北千住駅に向かう。
商店街(結構長い・・・合計すると1.7キロくらいあるらしい・・・商店街が続き、活気がある)には千住宿にちなんだタイルが埋め込まれていて3種類あった。

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これはその一つ。

北千住駅より、常磐線・上野東京ラインで東京駅に出て、中央線に乗り継ぎ、国分寺着は6時過ぎ。

さ、庄やで打ち上げだ!と思ったら満席で、坐和民へ。

帰宅は8時すぎだった。

約33200歩。いろいろと寄り道が多かったので、案外歩きました。
次回はいつになるかわかりませんがまた歩きます!

(完)

 

 

 

 

 

2020/02/04

日光街道歩き(第1回) 日本橋~千住宿3

(2より続き)

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少し進んで、山谷堀公園には猪牙舟の浮世絵が。
この舟は船首が細長くとがっている。てっきり、これが猪の牙に似ているからこの名前がつけられたのかと思っていたが、長吉という人が考案したので、それがなまってちょきぶねになったという説もあるそうだ。
山谷堀を通って吉原に遊びにこの舟に乗っていったそうだ。

今戸神社にも寄る。
源頼義・義家父子が、勅令によって奥州の夷賊安部貞任・宗任の討伐の折、京都の石清水八幡を勧請したのが始まりと云われている。

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御神木のイチョウは絵馬で囲われていた。

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沖田総司終焉之碑があった。
治療のかいなく、この地にで没したとのこと。
今戸焼き発祥之地の碑もある。

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招き猫発祥の地と言われ(豪徳寺じゃないの?)、猫があちこちに。

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リアル猫がいるの見えます?

街道に戻り、進んで左折。

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春慶院には高尾太夫の墓があった。
仙台藩主伊達綱宗の意に沿わなかったため、惨殺された吉原の遊女である。

続いて、楽しみにしていた東禅寺へ。

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江戸六地蔵の一つがあるのである。これで品川(東海道)、新宿御苑(甲州街道)に続いて3つめだ。

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こちらのご夫婦はどなた?と思ったら、木村屋総本店開業者の木村安兵衛と妻ブナだそうだ。

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駿馬塚。
義家が陸奥へ向かう際、此の地で愛馬 「青海原」 が絶命し、これを葬った所と伝えられる。

泪橋(小塚原刑場に引き立てられる罪人と身内の者がここで泪の別れをしたという)交差点を通り過ぎ、南千住駅高架を通り過ぎたところに、小塚原刑場跡がある。

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ここにあるのが首切地蔵。刑死者を弔うため造立された。
江戸六地蔵なみに大きなお地蔵さんだ。
まわりにはたくさんの石仏がある。

すぐ先に回向院。

 

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吉田松陰のお墓。

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腕の喜三郎、高橋お伝、鼠小僧の墓もある。

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杉田玄白の解体新書の扉絵がついた観臓記念碑。
刑場で解体を見て、解体新書を翻訳したという。

千住大橋の手前で大きく寄り道。

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円通寺である。
坂上田村麻呂が創建したお寺だが、観音様が派手派手しい(笑)。

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弾痕が残っている寛永寺の黒門。

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四八首塚、七重の塔、三代将軍家光鷹見の松。

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彰義隊士の墓。
1868年、寛永寺に集結した彰義隊は新政府との激戦の末敗走。横たわる隊士の遺体を見た和尚が、遺骸を火葬にして葬った。これが縁で寛永寺の黒門がここに移されたのだという。

街道に戻り、素戔嗚神社。

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松尾芭蕉の碑。「行く春や 鳥啼き 魚の目は泪」。

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銀杏のまわりにも絵馬がたくさんかけられていたが、こちらにもいっぱい!

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小塚の中の奇岩を 「瑞光石」 と言い、この小塚から 「小塚原」 の地名となったという。

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左から如意輪観音が刻まれた庚申塔、聖観音が刻まれた庚申塔、青金剛と刻まれた庚申塔。

誓願寺。
昔、家康が腰掛けたという榎があったという。

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今はないのかな?お庭は立派だったが。

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古い庚申塔。

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千住大橋を渡る。家康が隅田川に架けた最初の橋(現在の橋は昭和2年建設されたもの)。いよいよ千住宿だ。
 

(4へ続く)

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