街道歩き

2018/02/21

東海道五十三次歩き(第14回) 戸塚~茅ヶ崎4

(3より続き)

ほどなく四ッ谷交差点で、国道1号線へと入っていく。

1_4
大山道への分岐入り口でもあり、一の鳥居と、不動堂がある。

2_4
この中の不動尊、炎めらめらでなかなかにインパクトがある。

一里塚跡を通り過ぎ、二ツ家稲荷神社へ。
またまた庚申塔(供養塔)!いったい、いくつ見たことやら・・・

そして、とうとう茅ヶ崎市へ。

3_3
茅ヶ崎に入ったとたん、松並木が続いている。

4_4
マンホールはさすが茅ヶ崎!烏帽子岩である。

5_4
上正寺に入っていこうとすると、白猫が!
この日は暖かいというのにここまで一匹も猫に出会えず・・・
ようやく出会った猫は、向こうの方からわざわざ歩いてきてポースをとってくれた。撮影がおわるとふいとまた向こうに行ってしまい・・・なんていい猫(笑)。

6_4
山門の横には親鸞聖人の像があり、中に入ると上野の寛永寺から移設されたという大きな石灯籠があった。
7_4

千住院に寄り(四国八十八ヶ所お砂踏みあり)、牡丹餅立場跡を通る。。
このあたりに牡丹餅茶屋があったようだ。藤沢と平塚の宿の間は、三里半と距離があるので、4つも立場(四谷、牡丹餅、南湖、八幡)があったのである。ここにはまた七里役所もあったという。七里役所・・・由比や丸子、金谷でも見たっけ。

海前寺到着。
ここにも寛永寺から移設された石灯籠があると聞いたので、はてどれだろうと巡ったところ・・・
本堂の前に2つ、外にも1つ立派な石灯籠があるが、寛永寺からとは書いていない。誰々が奉献したという説明書きはあるのだが・・・

8_49_510_2
結局全部そうなんですね。
寛永寺の家康の墓所に多くの大名が大きな石灯籠を寄進したが、戊辰の上野戦争で寺が炎上、明治に入ってお寺が縮小された際に、近辺のお寺に分けられたものとのことだ。

11_2
本村の大きなタブノキを撮影し、八王子神社に寄る。

12_2
またまた庚申塔!なかなか愛嬌おあるお猿さんたちが並んでいるが、ワタクシが一番気に入ったのはこれですね。
13_2

14
最後に茅ヶ崎一里塚(14番目の一里塚)を撮影し、この日の東海道歩きは終了。5時半近くだった。

駅を越えて南口へ。
茅ヶ崎に住む叔母がお寿司やさんを予約してくれていたので、落ち合い、ちょっと早めの夕食を。

151617
ビールで乾杯。
お刺身の盛り合わせとお寿司をいただく。
しらすっぽいけれど、色が違うし・・・と思ったら、しらすの沖漬けだった。今は漁の季節じゃないですもんね。
さすがお魚は新鮮でおいしい。
本当は日本酒か白ワインもいただきたかったところだけれど、道中長いのでぐっと我慢(笑)。

7時すぎにお店を出て、相模線~横浜線経由で帰宅(このルートだとずっと座れてうれしい)。9時15分。
約41,500歩。まずまずよく歩きました。
庚申塔と石灯籠の旅・・・

次回こそ、新居まで歩けるか??

(完)


2018/02/20

東海道五十三次歩き(第14回) 戸塚~茅ヶ崎3

(2より続き)

1_3
さらに奥に入っていくと、長生院があり、小栗判官と照手姫の墓がある。
実在の人物(浄瑠璃や歌舞伎になっている)ではないけれど、モデルはいるんですね。
このお寺の説明によれば、小栗城主判官満重は足利持氏に攻められて落城、子の判官助重が家臣10名と逃げ延びる途中、毒殺されかけ(家臣は殺されてしまう)たが、照手姫によって難を逃れ、その後再興、照手姫を妻に迎えた・・・ということらしい。
家臣、父の墓、照手姫の墓、名馬鬼鹿毛の墓!なんてのもあった。
歌舞伎や浄瑠璃ではこれとは違うストーリーな気がするが、いつか見てみなければ・・・

東門の脇の敵御方供養塔(上杉禅秀が鎌倉公方の足利持氏に対して起こした戦乱で戦死した人や軍馬などを敵味方区別なく弔った)を見て、遊行寺を後にする。ホントはもっとゆっくり見学したいところだったが、先は長いので・・・

門を出たところに藤沢広小路の説明板。
三大広小路のうちの1つで、あとは上野、名古屋だそうだ。
この広小路の一角にたつふじさわ宿交流館により、地図などをもらう。平成28年にできたそうで、建物の前には高札場が復元されている。
2_3

3_2
遊行寺橋を渡り、右折。左折すると江ノ島へ続く道となる。

4_3
この道路には電柱がなく、従ってトランスボックスが並んでいるのだが、それがラッピングされている。我々が歩いたところは明治から昭和にかけてのこのあたりの風景写真のラッピングだったが、他の場所では浮世絵や江戸時代の絵地図などもあったようだ。いい試みですね。

5_3
このあたりにあったマンホールの柄はふじの花だった。どうやら藤沢市のマンホールは汚水用のふたが市の木の黒松、雨水用のふたが市の花ふじのうようだ。

蒔田本陣跡を通りすぎたあとは、いくつかお寺が続く。
妙善寺、常光寺、荘厳寺、永勝寺。

6_3
永勝寺には旅籠小松屋の墓域に、40弱の飯盛女の墓が並ぶ。

源義経首洗井戸跡(平泉で討たれた義経の首は腰越で首実検後海に捨てられ、それが境川を遡って漂着したのを里人が井戸で洗って清めた、という)を過ぎ、小田急線の線路を伊勢山橋で渡ると、藤沢宿の京見附である。

その先、ほんのちょっとだけ東海道は細い道に入るがすぐにまた県道へ合流、引地橋を渡る。川にはオオバンがたくさんいた。

7_3
すぐ先におしゃれ地蔵。地蔵と言われているが双体道祖神である。
女性の願い事なら何でもかなえてくれるとのことで、満願した際にはおしろいを塗ってお礼をすることからおしゃれ地蔵と名付けられたらしい。
ちゃんと、おしろいと口紅が塗られていました!

向かいにある養命寺で少々休憩。

8_3
またまた庚申塔があったが、首のない弘法大師?や石仏が並んでいたのはなんだろう??

9_3
メルシャンの工場を通り過ぎる。試飲とかあったらなあ(笑)。
正門の前に七面地蔵があったが、どこが七面なんだろう?身代わり地蔵尊とのことなんだが・・・

このあたりの地名は城南町。この城とは大庭城のことで、中世の山城(大庭影親の城)である。それにちなんだお菓子、大庭城最中を丸寿という和菓子やさんで購入。
9_4

いやはや、この日、最中は3種目だ(笑)。リュックの中で最中の皮がつぶれないかヒヤヒヤ(少しつぶれた・・・)。

Photo
名もない稲荷社の石段を登ると、ちっちゃなお狐さんが!狐さんじたいはそう古いものではなさそうだったが、台座は結構古そうである。

(4に続く)

2018/02/19

東海道五十三次歩き(第14回) 戸塚~茅ヶ崎2

(1より続き)

浅間神社への道を上っていく。
入り口に庚申塔が3基あったが、2基は見ざるしかついてない??

1_2

2_2
左右、立派なスダジイが連なるが、あれが一番立派じゃない?と見た先に、なんとリス!こんなところで見られるとは。ささーっと駆け上がっていってしまったが、なんとか写真に収めることができた。

続いて大運寺に寄る。
六地蔵、二宮金次郎の像(なぜ?)、背の高いお地蔵さんなどがあったが、一番おもしろかったのは、将棋を指すお坊さん!である。
3
4_2
門の脇にいたお掃除小僧さんはあったかそうなマフラーをしていた(笑)。

42
原宿交差点のすぐそばにある亀福という和菓子やさんで、古民家をモチーフにした東海道原宿もなかと、原宿松並木を購入。

5_2
そしてほどなく現れた黄色い立派な洋館が、戸塚崎陽軒。
中も素敵!
イタリアンと中華があったが、やはり中華の嘉宮の方に入る。我々はリュックにズボンという出で立ちでなんかそぐわない気もしなくはない(笑)。
頼んだのは10食限定のランチプレート。まだ残っていてよかった!(到着11時45分)

6_2
まずは寒さわら入りのサラダ。
7_2
そして、麻婆なすあんかけご飯、コーンスープ、とんぶり入りシュウマイ、青パパイヤのお漬け物。
8_2
デザートは、プーアール茶黒蜜がかかった揚げパン入りプリン。プリン好きなワタクシとしては大変うれしい。
おいしい昼食だった。

12時40分出発。再び歩き始める。
左側に寄っておかないと、バイパスの方に入ってしまうというので、早めに歩道橋を渡ったのが失敗、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなったが(苦笑)、なんとか立て直す。地図の1ページ先を見てしまっていたよ・・・

諏訪神社。神社はまあフツーなのだが、この奥に昔あった影取池がこの近くの地名影取の由来となったという。この先の地名は鉄砲宿で、これには蛇と池と鉄砲の名人が登場するお話が由来になっているのだ(ちょい長くなるのでお話は省略!)。

バイパスを離れ旧道(といってもそれなりに広いが)を入っていく。
いよいよ藤沢市だ。
昔はこのあたりにみごとな松並木があったそうだが、1960年代に松食い虫にやられて大半が枯れてしまったという。残念ですね。
東海道松並木跡の碑があった。
マンホールは松の木である。
9_2

遊行寺坂を下る。
一里塚を通りすぎ、あれれ?江戸見附があったはずなのに通りすぎてしまった?
慌てて戻って写真を撮る。

下りきったところで右に折れる。

10
総門からいろは坂を上っていく。上った先には樹齢650~700年と言われる大銀杏の木があり、今は葉は全部落ちてしまっていたけれど、秋はキレイでしょうねぇ。
11

12
本殿の左側に一遍上人像があり、その奥に、変わった慰霊碑?と思ったら、犬猫慰霊塔だった。
13

(3に続く)

2018/02/18

東海道五十三次歩き(第14回) 戸塚~茅ヶ崎1

久々の東海道歩き。
1月に新居を歩こうと思ってはいたのだが、予定していた日はあまりに寒く断念。今年の冬はホント寒いですね。
そして、2月15日。新居より神奈川の方が暖かそうということで、前回の続きから歩くこととした。

8時過ぎに出発、いちいち電車が遅れていて、なのでかえって早い電車に乗れたりして、予定より早く戸塚駅に到着。9時45分には歩き始めた。

はじめに寄ったのは清源院。家康の側室お万の方が出家して創ったお寺である。
芭蕉の句碑とこのあたりで心中した人の句碑、心中句碑があった。
1

2
内田本陣跡、脇本陣跡(撮り忘れ)、澤邊本陣跡と続く。澤邊家が今もある。
この本陣跡には明治天皇戸塚行在所の石碑もあった。明治天皇の石碑ってどこいってもあるな~(笑)。
その奥には羽黒神社があり、梅がだいぶ咲いていた。
3_4

ここで通りを渡り、吉田屋という和菓子やさんに寄る。
ワンマン道最中を買うため。
戸塚の開かずの踏切に腹をたて、横浜新道を作らせた吉田首相にちなんだ最中で、つぶあんと白あんがあり、タイヤの形をしている。
32

再び道路を渡り、海蔵院へ。
4
六地蔵が迎えてくれるが、奥に進むと小さいお地蔵さんたちがたくさんおかれていてかわいいのだった。

続いて八坂神社へ。
7月14日に女装した男たちが五色の札をまき、人々はこれを拾って貼る、というお札まきが有名な神社らしい。
そしてここにも明治天皇の碑が(ありすぎ)。

5
石段の下には水準点があった。

6
交差点にあるかまくら道の道標を通り過ぎ、冨塚八幡宮に到着。長い石段を登る。

7
庚申塔も何基かあったが、裏には塚があって冨塚之碑があるという。この塚が戸塚という地名の由来だそう。少し登ってみたが、一番上まで行くのは断念。

上方見附跡を通り、次第に道は上り坂になる。地名も大坂だ。

8
途中、庚申塔群があった。意外と猿がきれいに残っている。
その少し先に(国道側だが)、箱根駅伝の戸塚中継場がある。

大坂では昔、松並木から富士山が眺められたというが、昭和初期に頂上を削り、下は土盛りしてなだらかな坂にしたという。
前回歩いた権太坂よりはだいぶ楽だったような?

この説明板の手前で東海道は国道1号線と合流している。

9
お軽勘平戸塚山中道行の場の碑があった。
ワタクシは歌舞伎や浄瑠璃は全然知らないのだが、名前は聞いたことがありますね(仮名手本忠臣蔵)。

このあと、道は下っていく。
江戸から11番目の一里塚(原宿一里塚)を通り過ぎ(旅人のための茶屋があったことから原宿と呼ばれるようになった)、道を渡る。国道は信号があっても人は渡ることができず、歩道橋で渡るしかないので大変だ。

(2に続く)

2017/12/06

東海道五十三次歩き(第13回) 神奈川~戸塚4

3より続き

一瞬迷いそうになったが、ここから焼餅坂を下っていく。
この坂にあった茶屋で焼き餅が売られていたことからついた名前で、別名牡丹餅坂というらしい。

2_3
9番目の一里塚が現れた。品濃一里塚である。
両側ともほぼ昔の形のままに残っている一里塚は神奈川県内でもここだけということだが、静岡にもあったかな~まだこんな完全な形で現存している一里塚には出会ってなかった気がする。
右側の塚は一里塚公園となっており、庚申塔もあった。
1_3

3_3
ほどなく、東戸塚駅前のオーロラシティに到着。久々に休憩する。
静岡の手前で入ったお店と同じかな~イオン系だし・・・タピオカスイーツのお店でタピオカドリンクを飲む。
マンゴーカルピスと抹茶ミルク。
のどがからからに渇いていたので一気に飲んだ・・・と言いたいところだけれど、タピオカが残っちゃって最後吸うのが大変だった(笑)

もう4時すぎ。
4時半には日暮れでもうだいぶ暗くなってきていたのでどうしようか迷ったが、がんばって戸塚駅まで歩くことにする。今回は前回の反省を踏まえてちゃんとミニライトももってきたことだし。

4_3
果樹園を横目に見つつ進むと、おお!またまた富士山と大山が。夕日がきれいだ。

歩道橋で環状2号線を渡り、旧道を進む。

5_3
国道1号線を渡って細い道に入ると、今度は富士山が真正面に・・そして、一瞬ではあるが、左富士が見えたのだった。左富士、ここでも見えるのか!という発見。

ここからは国道1号線にくっついたり離れたり。
道路沿いには山崎パン、森紙業(暗い中でマップみて森永製菓かと思ったら違った(笑))、ポーラと大きな工場が続く。

6_2
これでもかと、ポーラの工場の脇に最後の富士山が見えたのだった。

王子神社に行ってみることにした。
しかし、道にほとんど電灯もなく暗い。境内はもっと暗い。

7_3
撮影してみたら、ぼんやり。なんか怖いなあ。ホントは明るい時に来たかったところだがやむをえない。
この神社の本殿には護良親王(建武の新政を成功させたが足利尊氏と対立し直義に殺害された)の首が葬られていると伝えられている。

その後、東海道は不動坂の交差点から旧道へと入っていくのだが・・・
うーん、暗くて益田家のモチノキあお見逃してしまった。残念。

横道に入ったところに、護良親王の首を洗ったという首洗い井戸があるとのことで、行きかけたのだけど、道がわからず断念。

8_3
戻ってすぐのところにレンガ造りの土蔵が。
ハム製造を行ったイギリス人カーティスの使用人だった斎藤角次が日本人初のハム製造を始め、鎌倉ハムと言われた。ここがその倉庫だそうである。

その先でやや迷いかけたが、再び国道1号線に合流、やっと明るくなってほっとする。暗くなるとこういう道の方が安心ですね。ホントは国道を歩くのはうれしくないのだけど。

9_3
フォルクスの前に江戸方見附跡の石碑があり、続いて吉田一里塚跡。
暗いと撮影するのも大変だ。
ちなみに、戸塚区のマンホールは昔の風景の中を駅伝選手が走っていておもしろい。
10_2

11_2
12_2
吉田大橋の欄干には広重の絵があり、片側の2枚のみ撮影。
この橋の手前が鎌倉道で東海道との分岐点だったという。

いよいよ戸塚駅到着。
かつては開かずの踏切だったが、数年前にできたという大踏切デッキをわたって西口までいって終了。午後6時。

東海道線、中央線を乗り継ぎ、地元に戻っていつものように庄やで乾杯!
生ビール2杯。お通しはは肉豆腐。その他、砂丘らっきょう、鮪とアボカドのわさび醤油、かにつめクリームフライ、鶏だんご鍋。おなかいっぱいになりました。

約39200歩。スタートが遅かったわりにはまずまず歩きました。

次回は、1月新居まで行く予定です。

(完)


2017/12/05

東海道五十三次歩き(第13回) 神奈川~戸塚3

2より続き

いよいよ保土ヶ谷宿の中心へ。
そのまま道なりに進めばよかったのが、うっかり保土ケ谷駅の方へと入り込んでしまい、東海道に戻った時には、うっかり助郷会所跡と問屋場跡を通り過ぎてしまい・・・
出たところは高札場跡だったが、戻るのめんどくさいし、まいっかとなった。
1_2

写真を撮っていると前のお店の方が声をかけて下さり、保土ケ谷宿のマップをいただく。

2_2
保土ヶ谷宿お休み処(この日はお休みのようだった)の前に4基の道標がある。
円海之道、かなさわ・かまくら道、杉田道、富岡山芋大明神社の道の道標である。

JRの踏切を渡ると国道1号線にぶつかる。

3_2
4_2
正面の家が保土ヶ谷宿本陣だったところだ。現在も子孫の方がすんでいて、塀の中に通用門が残っている。
この先800メートル近くは今井川に沿う形で国道を進む。

5_2
脇本陣跡、旅籠屋(本金子屋)跡、茶屋本陣跡と続き、8番目の一里塚跡と上方見附跡がある。松並木も続く。これらは再現されたもの。
6

7_2
その先に外川神社があり、ここは羽黒山の外川仙人大権現の分霊を祀るところだそうだ。

今出川にはコガモの群れがいた。
その先で再び国道へ合流し、また離れる。正直国道を離れるとほっとしますね。

樹源寺というお寺があった。
上がっていくと、紅葉が美しいこと!ちょうど見頃である。
お庭はよく手入れされていて、すばらしかった。思わずたくさん写真を撮ってしまう。
8_2
9_2

さらに進むと旧元町橋跡。
今井川にかかっていた橋だが、鉄道工事で流れが変えられたという(少し先に現在の橋があった)。

11
手前にちょっと入ったところに帝釈天があり、手水鉢に三猿が!
ちょっと見えにくくはなっているが、左から見ざる言わざる聞かざるである。

10
おいなりさんを通り過ぎ、いよいよ権太坂へとさしかかる。
江戸から西へと向かう旅人がはじめて経験するきつい上り坂で、それなりに長い。
この坂の名前の由来は諸説あるらしいけれど、旅人が道ばたのおじいさんにこの坂の名前を聞いたところ、自分の名前を聞かれたと勘違いし、権太を答えたからという説がおもしろくていいですね。

上がりきったところで、おお!
富士山と大山が見えた。うっすらとではあるけれど。やっぱり富士山が見えるとうれしいものですね。

下ってきて栗山というお菓子やさんへ入る(水曜だけど定休じゃなかった!)。

12
購入したのはおじぞうさん最中。小倉と白あんを買って後日食べたが、餅入りで好きなタイプ。おじぞうさんもかわいい。

13
その後ちょっと寄り道して投込塚の碑を見学。
権太坂では行き倒れる旅人や馬がいて、投げ込まれた死体が1961年の宅地造成で発掘され、改葬の上、ここに供養碑が建てられたという。京都から江戸へ向かう旅人や馬が行き倒れたのだろうか。

東海道に戻って境木立場跡。

14
その先に境木地蔵尊があった(これが最中になったわけですね)。
鎌倉、腰越に打ち上げられた地蔵が、牛車で江戸に運ばれる途中ここで動かなくなり、近隣の人が祀った。それ以来、参詣人が増えて賑わったという。
ここはまたちょうど武蔵国と相模国の国境でもあり、境内にあったケヤキの木が目印となって境木という地名になったということだ。

4へ続く

2017/12/04

東海道五十三次歩き(第13回) 神奈川~戸塚2

1より続き

旧道に入るところにトンネルがあった。かつての東急東横線のトンネルで、今は地下化されたたため緑道になっているということである。

ここから神奈川台の坂を上がっていく。

すぐのところに大綱金刀比羅神社。かつてこの神社の前には7つ目の一里塚が置かれていた。

1
境内にはなぜか大きな天狗の木彫りの顔が。
ちょっと調べてみたら、以前天狗の腰掛け松を言われた松のご神木があったが、大きくなりすぎたため伐採して天狗の彫刻をしたとのこと。この場所、天狗伝説のあったところなのですね。

2
さらに坂を上がっていくと、料亭の田中家が見えてきた。
広重の絵に描かれている旅籠さくらやを引き継いで1863年創業した料亭で、坂本龍馬の妻、おりょうが仲居として働いていたという。おりょう、英語が話せたのだそうだ。
このあたりはかつて見晴らしがよく、たくさんの茶屋があったとのことである。

3
さらに上がったところに、神奈川台関門跡。
鶴見橋にもあった関門跡は、外国人が殺傷される事件が続いたたための対策として作られた関門の跡である。

この先で坂は下りはじめ、高速道路が見えるあたりで道は2手に分かれるが我々は静かな方の道を選択して進む。
合流したすぐ先に浅間神社。
一瞬入り口がわからなかったが、アパートの脇の細い道を上がっていくのだった。
4

本殿のある丘は袖すり山と呼ばれたという。すぐそばに海が迫ってすれ違うのに袖がふれあうほとだったことにちなむという。遠くにランドマークが見える。
境内西側の崖には富士山に通じていると伝えられる富士の人穴が昔はあったというが、今は見られない。

5
八王子道との追分を過ぎた先に商店街が見えてきた。

6
有名な洪福寺松原商店街である。平日なのでさすがに超混み混みというわけではなかったが、そこまで静かな道だったのが、急に人がたくさんいてびっくりである。
食品をいろいろと売るお店で、ルヴァンのチーズサンドをじーっと見ていたら、母親が買ってくれた(笑)。すみませんねぇ。おつまみに食べます、今度。

時刻は12時半。そろそろお昼にしたい時間。この商店街にはあまり食べるところはなく、目をつけていたお寿司やさんは激混みでなくなくあきらめ、もう少し進んだ先のファミレスまでいくことにした。

松原商店街を抜けた先はシルクロード天王町商店街。ぐんと人が減って静かになる。
ここにあるのが保土ケ谷宿江戸方見附跡である。

すぐ先に橘樹神社。もとは牛頭天王と呼ばれていた神社で、このあたりの天王町という町名はここに由来するとのことだ。
7
境内には神田不動尊と呼ばれる不動明王や古い庚申塔があった。

この神社の脇から出るとそこにジョナサンが!
本当は別のファミレスにと思っていたのだけど、ちょうどいいやということでここでお昼にすることとした。

注文したのはランチセレクトコース。
スープ、ドリンクバーつきでおかわり自由と言うことで、ワタクシはジンジャーエールと、掛川茶を(掛川は最近いったばかりだし)。
ワタクシは一日分の緑黄色野菜が摂れるドリアと、母親は水牛モッツァレラのマルゲリータを。サラダつき。
デザートはアサイーヨーグウトボウルをチョイスした。

わりとお料理がゆっくりめに出てきたため、ここで1時間くらいたってしまい、少々あせる。
しかし、ゆっくり休んだことにより、その後2時間以上休みなしで歩くことができたので結果的にはよかったのかもしれない。

8
帷子橋を渡り、相鉄線の天王寺駅をくぐった先の広場に復元された帷子橋跡があった。
かつてはこの場所を帷子川が流れていたが、暴れ川であったこの川は暴れ川でたびたび水害をおこしていたので、市が川をまっすぐにしたのだという。

9
少し進んだ先に香象院。
なぜか門前に大きな釜が!?
これは元々本堂に置かれていた天水桶(屋根に降った雨をためておいて火事の時に使う)で、戦時中も火事や炊き出しに使えると供出を免れ、本堂の再建にあたって門前に移動したとのことである。いや~目立ちます。

3へ続く

2017/12/03

東海道五十三次歩き(第13回) 神奈川~戸塚1

約一ヶ月ぶりの東海道歩き。
新居まで歩く予定だったのだが・・・
諸々事情があり、近場を歩くことになった。
8月に大森から東神奈川まで歩いたので、その続きである。

ゆっくり出発、東神奈川の駅から歩き始めたのは10時20分。
まだ少々寒い。

1
はじめに立ち寄ったのは金蔵院。平安末期に創られたという古いお寺。
家康御手折の梅がある。

2
すぐ裏手に熊野神社があるが、道沿いには松並木が続いていて街道らしい雰囲気だ。
これって再現したものなんでしょうか?

熊野神社は元々金蔵院の境内にあったのが、神仏分離で分かれたものという。
ここでびっくりだったのは、狛犬が大きいこと!こんなに大きいのは初めて見たかも?
34

ご神木の銀杏は樹齢400年とかで大きかったが、上の方はまるで雷に打たれたみたいに割れていた。季節柄、ぎんなんが落ちて臭い(笑)。

5
神奈川地区センターの前には高札場が再現されている。

6
センターの中にはワタクシの大好きなジオラマがあった。神奈川宿を再現したものだが、街道の横はすぐ海。
広重の絵でもすぐそこは海ですもんね。今は全然海は見えないけれど。

センターの前でツアーの東海道歩きの人たちが(すごい大人数)説明を聞いているのを尻目にこちらはどんどん進む。

センターの斜め前のお寺は成佛寺。
アメリカ人宣教師の宿舎となったところで、ヘボン(ローマ字で有名な)もここに滞在していたという。

7
滝の川にぶつかったところで右に折れ、京急をくぐったところにあるのが慶運寺。フランス領事館だったところだ。
浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったという観音像があるお寺ということで、亀さんが随所にいる。浦島伝説って各地にあるんだなあ。別名浦島寺と呼ばれるお寺であった。

本来の東海道へと戻る。国道15号線である。角に本陣跡があった。
滝の川を渡って、再び右へ。川にはオオバンやキンクロハジロが。
浄龍寺はイギリス領事館があったところ、そして宗興寺はヘボンが診療所を開いたところで、記念碑があった。
8
このあたり、西に向かって上り坂になっているが、権現山と言われていたところ。
毎時にかけて削り取られ、埋め立てに使われたそう。

国道に戻り、すぐに宮前商店街へと入っていく。静かな商店街である。
州崎大神は高台にある。源頼朝が安房国一宮安房神社の霊を移して祀ったことに始まるという。江戸名所図会を見てわかるように、すぐ下は海で船着き場があったのである。

9_2
普門寺へ向かう道でこの日最初で最後の猫に出会う。
なかなかにふてぶてしいお顔(笑)。近づいてもまったく動じなかった。

さて普門寺はイギリス士官の宿舎にあてられたところ、すぐそばの甚行寺はフランス公使館にあてられたところ。
甚行寺は新しいお寺だった。関東大震災で倒壊焼失、昭和20年の横浜大空襲で再び全焼、この建物は昭和46年のものとのこと。銀杏の木は立派だった。これは残ったものなのだろう。
9

青木橋で京急、JRを越える。
すぐそばに横浜駅のあたりが見えた。だんだん気温が上がってきて、セーターを脱ぐ。

渡ってすぐ、高台に見えるのが本覚寺。
ハリスがアメリカ領事館にと決めたお寺だが、領事館時代に山門が白いペンキで塗られてしまったという。確かに少し白い部分が残っているような?
10

11
なかなかに立派なお寺。
境内には塗装業者合同慰霊碑がある。白いペンキで塗ったというのが日本初のペンキ塗装なんですって。
12

生麦事件で負傷したイギリス人が逃げ込み、ヘボンの手当を受けた場所でもある。

2へ続く

2017/12/02

東海道歩きグッズあれこれ

今週水曜日、東海道歩きをしてきたところですが・・・

前回、雨が結構降って足はぐしょぐしょ、マップはよれよれ、リュックもぬれぬれ・・・
という反省を踏まえ、かつこれから寒くなるということで、好日山荘に買い物に行った。

1712021
まず購入したのは、ゴアッテクス使用の靴、冬用の暖かいズボン、マップケース。

1712022
そして、後日、前の買い物でもらった6000円の金券を使って、新しいリュックカバー(前のはボロボロ)、ネックウォーマー。

よし、これで万全!
と思ったら、当日はいいお天気で、季節はずれの暖かさ(笑)
歓迎すべきことなのだけど、買ったもので使ったのはネックウォーマーのみ。それも歩きはじめてすぐに暑くなりとってしまった。

まあ、今度活躍することでしょう!

2017/11/01

東海道五十三次歩き(第12回) 見付~浜松4

3より続き

外に出ると、このあたりもさすがに雨はやんだようである。
時刻は3時半。
できれば、浜松の次の駅高塚まで行っておきたいと思っていたが、時間はかなり微妙。
何せ、日の入りの時刻が早くなってきているので、高塚に着く頃には日は暮れてしまっているだろう。かといって、ここで終わらせるにはまだ早く中途半端だし・・・
迷ったが、次回を楽にするため、がんばって歩くことにした。

大手門跡まで戻ってきて直進する。
ここからは、6つの本陣跡、問屋場跡、高札場跡、中番所跡などが続くが、いずれも駒札があるのみ。このあたりは戦災で焼失してしまったらしい。
その中の佐藤本陣は、なんと225坪。大きいですねぇ。
1_4

2_4
その向かいにある大きな鳥居は五社神社。
かつては国宝の社殿で立派だったらしいが、ここもまた戦災で焼失してしまっている。ということで鳥居のみ写真を撮って進む。

浜納豆のお店(これまた買いそびれた)のところを右折、ここに西番所跡があるはずなのだが見当たらず・・・
しかし、ここで浜松宿は終了である。

3_4
少し進むと、子育て地蔵尊があった。
戦災で顔の一部が欠けてしまったことから首なし地蔵とも言われているらしい。

東海道は、ここから左の細い道に入るのだが・・・
うっかり直進してしまい、慌てて元に戻る。先を急いでる時に限って間違える、というのはよくあるパターンだ(笑)。まったくもう・・・

4_4
小学校の隣に掘留ぽっぽ道があり、機関車があった。
かつて、JR浜松工場までの引き込み線として使っていたところで、この機関車は、大正7年に作られた軽便機関車。なるほど、それでちっちゃいわけだ!

5_4
東海道線をくぐるとまっすぐな道が続く。
八丁畷である。
比叡山の僧兵たちが鴨江寺を襲撃した際、鴨江寺の僧が鎧を着て戦ったといういわれのある鎧橋を越えた先に、八丁畷の案内版があった。

若林一里塚跡を通りすぎ、八丁畷が終わったところで道は右に曲がる。
その角に道路にむかいあって建つのが二つ御堂である。
藤原秀衡が京で病気になったことを聞いた妾がこの地で秀衡の訃報を聞き、秀衡の菩提を弔ったが、自分もここで亡くなってしまった。しかし、秀衡は実際は病気から回復し、帰国途中に妾のためにお堂を建てた。

6_4
南側のお堂が妾の建てた薬師堂で明治天皇野立所祈念碑がある。

7_4
北側のお堂が秀衡の建てた阿弥陀堂で、高札場跡、馬頭観音がある。

この先、松並木があるが、やはり片側のみ。
次第に日も暮れてきた。

8_4
ふと振り返ると美しい虹が!
しかも二重の虹が出ていた。

9_3
そして、先に進むときれいな夕陽。
いやはや、この日は雨が降ってテンション下がり気味だったが、一気にテンションアップ!
この景色を見られただけでも歩いたかいがあったというものだ。

昭和22年まで人工の池があり水神を祀っていたというみたらし池跡を通り過ぎ、その先に明かりの灯った常夜灯が。

10_4
秋葉常夜燈籠である。ちゃんと今でも照らしているのですね。暗くなってきたところだったので、これあってよかったかも~
ちなみにここの常夜灯は木造屋形の鞘堂である。

11_2
GUの駐車場の角に領地境界の標柱があった。
浜松領と堀江領の境界である。
帰宅して気付いたのだが、ここを曲がったところにある餃子やさんで、以前浜松にきた際、浜松餃子を食べたのだった。おいしかったな~

少し進むと、堀江領境界石があり、さらに進むと高札場跡と秋葉燈籠跡が。
もうこの時間には日がとっぷりと暮れて、マップも明かりがないと見えない状態。冬はペンライトが必要ですね。今度から持っていこう。

そろそろ高塚駅が近いはずなのだが、どこを曲がればよいかわからない。
ようやくここじゃないかというところを曲がってみると・・・
ああ、よかった駅に向かう道だった。

駅で切符を買い、5時52分の東海道線に乗り、浜松駅へと戻る。
新幹線はちょうどひかりがあったのだが、もうあまり時間がない!
慌ててトイレに行き、お弁当とビールを買い、急いでホームへ。
ふー、ぎりぎりセーフ。

12_3
とりあえず空いている席に座り、静岡駅で2席の席へと移って、お弁当(&ビール)タイム!
ホントは、家康くん弁当が欲しかったのだが売り切れで、今回は赤飯弁当。
おかずはまあフツーだけれど、お赤飯は大好きなのでうれしい。わさび漬けも入っている。
前回までは静岡限定ビールがあったのだが、浜松駅では見つけられなかった。もうここまでくるとないのか、もうちょっと探せばあったのか・・・
また、時間がなかったため、おみやげも買えなかったのも残念だ。次回は是非ゆっくり見よう。

東京駅には7時40分着、自宅に着いたのは9時ちょっと前だった。
約48000歩。

次回は11月末。
新居まで歩く予定です。

(完)

より以前の記事一覧

twitter

google


  • Google

    WWW
    ブログ内

amzon