街道歩き

2024/06/06

山手線一周(第8回) 田端駅~上野駅1

久々の山手線一周歩き。

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普段の通勤と同じ時間に出て、田端ならば本来なら新宿乗り換えの方が早く着くのだけど、余計に寝ていきたいということで、神田廻りで田端へ。
歩きはじめは10時10分。

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まずは田端文士村記念館へ。
ここは入りたかったのだが、展示替えの為、休館。残念である。
仕方なく?、文士村散策をすることとする。
明治末期から昭和にかけてこのあたりに多くの文士や芸術家が住んだ。

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芥川龍之介旧居跡。
説明板の数はそう多くはない。

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東覚寺の赤紙仁王様。
自分の体の具合の悪い箇所とおなじところに赤紙を貼って、病気の身代わりを祈願する。

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祈願成就した際には草鞋を奉納するそうだ。

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不動明王。

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本堂。

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ピンクと白の花が咲いているシモツケ。源平シモツケという品種らしい。

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小杉放庵宅跡。
小杉宅には村山槐多が同居したいた。
近くには田河水泡宅があり、小林秀雄が同居していた。
直木三十五、竹久夢二、岡倉天心、萩原朔太郎も住んでいたことがあるそう。

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お墓には入れなかったが、正岡子規、板谷波山の墓がある大覚寺。

田端駅まで戻ってきて、線路沿いの一段高くなった道を進んで次の駅、西日暮里へと向かう。

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するとスカイツリーが見えてきた。
案外近く見える。

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西日暮里駅。

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駅から坂を上がった高台にある西日暮里公園。
かつてここには、太田道灌の砦に荷を運んでいた舟人が目印にしたという舟繋松があり、荒川(現隅田川)、筑波・日光山を望むことができる景勝地として、多くの人びとが訪れた。青雲寺の境内の一部だったが、明治7年、この一帯が旧加賀藩前田家に売却され、同家墓地となるが、昭和47年に国許の金沢改葬され、翌年、跡地にこの公園が開設されたそうだ。
このあたりは本来は道灌山ではないが(現在では漠然と道灌山と呼ばれることもあるそう)、道灌山は虫聴きの名所だったそうである。

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浄光寺。眺望にすぐれた諏訪台上にあって、特に雪景色がすばらしいことから雪見寺ともよばれた。

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ここには江戸東部六地蔵の一つがある。
これまで見てきた江戸六地蔵は座像だったが、この六地蔵は立像だそうだ。

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座像もあり。

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庚申塔などもある。

(2へ続く)

2024/05/04

中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋6

(5より続き)

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ちょっと寄り道。浄心坂を下って行くと八百屋お七の墓のある円乗寺がある。少々疲れていたこともあってお墓までたどりつけず入口で退散。
再び坂を上がって街道に復帰する。

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東大農正門前、日光御成道との追分にある高崎屋に、追分一里塚跡(1里目)の説明板がある。
高崎屋は江戸時代から続く酒屋で、両替商をかねていた。

ここからは延々と東大キャンパスに沿って歩く。

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正門。

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赤門。
いやー広いなあ。

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神田明神に寄ってみる。天平2年(730)創建。

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随神門の欄間彫刻。

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大国主命のお話が描かれているようだ。

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拝殿。

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獅子山。

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御神馬のあかりちゃん。

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神田川を昌平橋で渡れば、あと少し。

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神田駅を越えて、コレドも見えてきた。

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三越。

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そして、日本橋到着!

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4時50分前だった。
中山道ゴールにして、五街道制覇!

東京駅まで歩き、地元の寿司屋さんにて乾杯!

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瓶ビール、白ワイン。さわらの炙り刺し、白魚とごぼうの卵とじ、春の焼き野菜、季節の握り。

帰宅は7時半すぎ。
約57300歩。

2017年4月に東海道を歩き始めて7年。
東海道、甲州街道、日光街道、奥州街道、中山道の順に完歩。
中山道は東海道の次に歩き始めたのですが、コロナなどいろいろなことがあり最後にゴールすることとなりました。
この間に、京街道、五日市街道、姫街道、佐屋街道なども完歩。

中山道は山あり谷あり、峠をいくつも越えました。距離も長かったですし、交通も不便なところがあり、2回は逆向きに歩くこととなりました。
でも、今となっては楽しい思い出ばかりです。

まだまだ歩きたいところもあるので、これからもチャレンジしたいと思います!

(完)

※マップは、風人社さんの「ホントに歩く中山道」を使用しました。

2024/05/03

中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋5

(4より続き)

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亀の子束子の西尾商店は石造り。明治40年創業。

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大正大学前にあったのは種子地蔵。
板橋区清水~滝野川~巣鴨にかけては種子屋街道と呼ばれた。
滝野川では牛蒡や人参の栽培が盛んで、旅人の中に自国で栽培したいと種をほしがる人がいて、農家が副業として種子を販売するようになり、種子屋が並ぶようになったとのこと。
日本農林社の前と大正大学に説明板がいろいろとあった。

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そして、大正大学にはなぜかさざえ堂が!
時間があれば登ってみたかったところだ。

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延命地蔵、馬頭観音などを見つつ、庚申塚へ。

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お猿さん。

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狛猿ですかね。

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巣鴨地蔵通商店街に入ってきた。

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巣鴨地域文化創造館には、すがもんのお尻!がある。
正面からちゃんと見たことないけれども・・・

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とげ抜き地蔵尊。
ここまでは先日、山手線一周歩きできているので、ささーっと通り過ぎる。

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真性寺の江戸六地蔵も一応撮影。

巣鴨駅ちかくで、国道17号に合流。
染井吉野発祥祈念碑があった。江戸末期、駒込の植木やさんが売り出したのだそう。染井霊園の桜は綺麗だろうなあ。

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徳川慶喜巣鴨屋敷跡地の碑。
明治30年から4年ほど住んだそう。

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またまた通った福音館書店。ぐりとぐらじゃなくなっている・・・

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東洋大学。

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大圓寺。

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ここにはほうろく地蔵尊がある。
放火の罪によって火あぶりの刑に処せられた八百屋お七を供養するために建立されたと伝えられる地蔵尊で、たくさんの焙烙が積み重ねられている。

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庚申塔。三面に一猿ずつが彫られたタイプ。

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こちらも庚申塔。

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お庭では牡丹が満開。

(6へ続く)

※マップは、風人社さんの「ホントに歩く中山道」を使用しました。

2024/05/02

中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋4

(3より続き)

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さて、板橋宿に入ってきた。
板橋宿は上宿、板橋からを仲宿、平尾宿続く。本陣1、脇本陣3、旅籠54。飯盛旅籠でにぎわったという。

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石神井川にかかる板橋。地名の由来になった橋だが、現在はコンクリート造り。

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往時は太鼓橋だったとのこと。

仲宿に入って道は緩やかに上っていく。

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文殊院。
板橋宿本陣を勤めた飯田家の菩提寺で、ご本尊の文珠菩薩坐像は寛文年間作だそう(見ることはできない)。

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閻魔堂の閻魔様。

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子ノ権現は足腰の神様。木槌が置いてあるけれど、これでさするのかな?

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本陣跡の石柱。

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板五米店到着。大正3年に建てられた。道路側に下屋庇のある土蔵造りの町家で、煉瓦の袖卯建がある。
現在は、カフェを営んでおり、ここでお昼にすることにした。

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頼んだのは、平日限定の板五定食。
本日の主菜(銀鮭の西京焼き)、ぜんまいの煮物、味噌、お漬物、味噌汁、フルーツ豆かん、リンゴジュース。

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このうさぎはいったいなんだろう?
と思ったらラッピーというらしい。商店街のマスコットキャラクターかな?

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逆側にもいました・・・

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路地を少し入ったところに平尾脇本陣跡の石柱がある。
板橋宿の問屋、脇本陣、平尾の名主を務めたのが豊田家で、近藤勇は処刑されるまで、この家に幽閉されていた。

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観明寺。山門は加賀藩江戸下屋敷から移築されたもの。

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八重桜が満開だ。

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稲荷神社も加賀藩江戸下屋敷にあったもの。

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山門脇にある青面金剛庚申塔は、寛文元年(1661)建立。

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板橋駅東口前には近藤勇、土方歳三の墓がある。元隊士の永倉新八がこの供養塔を建てた(永倉の墓もここにあり)。

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近藤勇は、板橋で処刑後、首は京都に送られ、胴体は板橋に埋葬された。
このあたりに平尾一里塚があったようだが(2里目)、何もなかった。

(5へ続く)

※マップは、風人社さんの「ホントに歩く中山道」を使用しました。

2024/05/01

中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋3

(2より続き)

少し進むと戸田市に入った。

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戸田市のマンホール。
上に市の木のモクセイ、下に市の花サクラソウ、真ん中には戸田漕艇場のレガッタの風景が描かれている。

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これは戸田の渡しの風景かな。

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タイルもある。

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菖蒲川を川岸橋で渡る。欄干にとだばしの花火(板橋区と戸田市の同時開催の花火大会)がデザインされている。

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川の風景。

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コミュニティバスの停留所があったが、この女の子は??
どうやら、tocoちゃんというらしい。戸田市コミュニティばすの戸とコをあわせた名前なのだそうだ。

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水神社にお詣りしてから、戸田橋へと向かう。

江戸時代は、防衛のため荒川に橋を架けることができず、渡し船で渡った。明治8年、戸田橋が架けられると渡しは廃止。現在の橋は4代目だ。

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橋を渡っている途中で、とうとう、東京都に入った!板橋区である。

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続いて新河岸川を志村橋で渡る。

しばらく国道17号を歩いてきたが、旧道に入って緑道でプチ休憩。
朝食は5時過ぎだったし、歩きはじめて4時間以上たっておなかもちょっと減ってきたので、コンビニでたけのこの里を買って食べる。

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国道を渡った先はまた旧道で、清水坂にさしかかる。
日本橋から出発して、最初の難所だったそうだがそんなに大変ではない。
坂の途中には間の宿があり、名主屋敷や立場茶屋があり、戸田の渡しが増水で利用できない時の待機場所ともなった。

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再び国道に合流した先に、志村の一里塚がある(3里目)。

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両塚残っている。
都内で両塚残るのは、ここと西ヶ原(日光御成道)だけだそう。

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南蔵院。
八代将軍吉宗が荒川で鷹狩をした際に、御善所になったところ。

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菊桃がちょうど満開だ。

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お地蔵様。

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こちらは承応2年(1653)建立の庚申地蔵。

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本堂。まだ、しだれ桜が少し残っている。

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縁切り榎。
男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う際に、この榎の樹皮を削ぎ取り煎じ、ひそかに飲ませるとその願いが成就するとされ、庶民の信仰を集めた。自販機で絵馬?を売っていて、書き込んでいる人たちがいたけれど、何の縁切りをしたいのだろう・・・

(4へ続く)

※マップは、風人社さんの「ホントに歩く中山道」を使用しました。

2024/04/29

中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋2

(1より続き)

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神社を出てすぐのところに、日蓮聖人駒つなぎの欅なるものがあった(現在は切り株のみが残る)。
日蓮上人が佐渡に流される途中、この地でケヤキに馬をつなぎ難産の女性の安産祈祷したという。

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関元屋。
材木商、よろず商いとして、近年は米穀商を営んだ。現在の建物は大正5年頃の建築だそう。

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こちらの井戸は「お助け井戸」と呼ばれ、関東大震災、東京大空襲で逃げてきた人々の喉を潤したそうである。

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すぐ先に、馬!
と思ったらさすがに本物じゃありませんでした笑

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焼米坂を下る。
江戸時代、名物やき米・・・炒った米を中山道を通る旅人に売る茶店が数件あり、この名がついた。

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国道17号を渡り、外環自動車道をくぐった先に一里塚の碑がある(5里目)。隣には弁財天が祀られている。このあたりは湿地が多く、村人たちは大変難儀をしたため、弁財天を安置して守り神とし旅人の安泰も願った。

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見沼用水分流の笹目用水を栄橋(境橋)で渡って蕨市に入る。
蕨市は日本でもっとも面積が小さい市だが、日本でもっとも人口密度が高いとのこと。

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蕨市のマンホール。市の花、サツキのデザイン。

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国道17号の向こうに冠木門風のモニュメントが見えてきた。蕨宿である。道路は舗装されている。
蕨宿は、京都から江戸に入る場合に戸田の渡しの手前にり、川が増水すると川止めとなり、この宿に逗留せざるをえなかったため比較的大きな宿場だったそう。本陣2、脇本陣1、旅篭23。

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すぐそばにふれあい広場があり、冠木門が。上木戸跡。

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壁画。

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半鐘櫓のモニュメント。

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宿内には古い建物も多い。

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中山道の浮世絵が描かれたタイルが道に埋め込まれている。
あれ?なんか一つ飛ばし?と思ったら、道の向こう側に半分あるのだった。さすがに全部は撮影できないので半分だけ。
これまで歩いてきた宿が思い出され、感慨深い。

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こんなマンホールも。
市のマスコットキャラクター、わらじろうが描かれている。鳩らしい。

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本陣跡。
和宮や明治天皇の休息場所となった。
現在、ここには歴史民俗資料館があるが、残念ながら開館前。

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分館も開館前・・・お庭が素敵そうだたのだけど。

タイルをひたすら撮影して進む。

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通ってきた浦和宿。

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次は板橋宿だった・・・

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ということで、向こう側に渡って蕨宿を撮る。

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そして日本橋!

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と見てきたところで、また冠木門風モニュメントが。ここが江戸方の木戸跡だ。

(3へ続く)

※マップは、風人社さんの「ホントに歩く中山道」を使用しました。

中山道六十九次歩き(第34回) 北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋1

久々の中山道歩き。
日本橋までの距離は微妙で、一回で行けそうではあるけれど、ムリはしないことにして行けるところまで行こうということに。

でも日本橋まで行くことを一応想定して早く出ることにする。

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5時43分発の電車に乗り、北浦和駅着6時29分。
6時40分歩き始める。

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街道に復帰したところで浦和レッズのキャラクター、レディアがあったが、道の向こう側で背中しか見えない・・・

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と思ったらこちら側にもありました。

跨線橋、浦和橋を渡った先に、浦和一里塚(6里目)があったそうだが、特になにもなし。

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成就院。六地蔵石幢が見える。

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頭痛除観世音。

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延命地蔵尊。

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お隣は慈恵稲荷神社で、毎月二と七の日に開かれたため(2日・7日・12日・17日・22日・27日)、「二・七市場」と呼ばれる市場跡である。秀吉の小田原攻めに際し、この地を占領した浅井長政が許可したのがはじまりという。月に6回開かれたことから六斎市と呼ばれ、終戦まで賑わったそうだ。

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市神様石祠の手前に「御免毎月二七市場定杭」碑がある。

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おいなりさんの前にある庚申塔は「富士山、大山、引又道」と彫られた道標でもある。

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稲荷。

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少し進んだ市場通りには、かぼちゃやさつまいもを売る農婦の像がある。

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さらに進んで少し中に入ると仲町公園があり、明治天皇行在所址の碑があるが、ここが本陣跡である。

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浦和宿の南の入口を通り過ぎた先に、鰻屋さんの満寿屋がある。創業明治21年とのことだが、今は新しい建物だ。

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斜め向かいの青山茶舗は浦和の大火をくぐり抜けた建物でせがい造り。国登録有形文化財。

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調(つき)神社到着。
調 は調物(貢物)を納めるための倉が古代建てられたことに由来するそう。
つきは月に通じることから狛犬ではなく狛ウサギがいる。
そして、調の搬入に邪魔だったので鳥居がないらしい。

この神社、ウサギさんだらけ。

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手水舎。

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ここにも。

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神池にも。ウサギの口から水がでている。
入口には鳥居はないけれど、ここには両部鳥居があった。

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神楽殿。

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よくよく見ると、奉納されているお酒は兎田ワイナリーのワインだ。

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拝殿。

(2へ続く)

※マップは、風人社さんの「ホントに歩く中山道」を使用しました。

2023/11/23

中山道六十九次歩き(第33回) 上尾宿~大宮宿~北浦和5

(4より続き)

参道途中で中山道に戻ることにする。

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またまたあった庚申塔。邪鬼がかわいいなあ。宝暦10年(1760)建立。

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大宮区役所兼図書館のガラス張りの建物の向かいにある山丸公園(ここにあった山丸製糸工場からのネーミング)には、蒸気機関車があった。横浜~旭川~釧路~川越線、大宮で使われたものだそう。

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ん???このポストに乗っているのはどうやらさいたま市のPRキャラクター、つなが竜ヌゥらしい。見沼田んぼの主の子孫らしい。見沼=ヌゥなんですと。

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中山道に戻る途中の小道に塩地蔵がある。
病に倒れた父親を二人の娘が、お地蔵様のお告げに従って塩断ちをしたところ、父の病が全快したところから、塩を供えて願をかけるようになった、ということで、塩が袋ごと置いてありましたね。

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お隣には子育て地蔵。

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街道沿いにはこんな説明板が。

この先で大宮宿を出る。
大宮宿は本陣1、脇本陣9、旅籠25であった。脇本陣の数が多かったんですね。

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氷川神社一の鳥居。

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武蔵国一宮と刻まれた社標がある。
このあたりにかつて一里塚があったようだが(7里目)、正確な位置はわからないようだ。この日はの一里塚は全滅。

広いショッピングモール、コクーンシティが見えてきた。
片倉製糸の工場跡ということでコクーンなんですね。かつて、大宮には多くの製糸工場があり、生糸の生産地として発展していったようだ。

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さいたま新都心駅(このあたりはビルだらけですね)を通り過ぎた先にお女郎地蔵と火の玉不動があった。
美しい旅籠の女郎が材木屋の若旦那と恋仲になったが、悪漢が割って入り旅籠に火をつけると脅し、進退窮まった女郎はついに高台橋から身投げをしてしまう。これを哀れに思った町人が地蔵を建立した(右)。
高台橋のあたりを毎夜火の玉が飛んでいるので、ある男が火の玉に斬りつけてみると不動明王と名乗る男が「剣を斬り落とされた」と言い残して姿を消した(左)。

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4時を過ぎて少しずつあたりは暗くなってきた。雲がきれいだ。

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一本杉の仇討ち跡。
千葉周作の門弟宮本佐内は同門の河西祐之助の腕前を嫉妬し、徒党を組み勝負を挑むが討たれてしまい、佐内の子鹿太郎がここで文久4年(1864)正月父の仇を討った。これを最後に仇討ちは禁止となったのだそうだ。

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これは当時の杉じゃないのかな?

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正徳4年(1714)造立の青面金剛像庚申塔。いやはやこの日もたくさん庚申塔を見たなあ。

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違ったデザインのマンホール。
デザインされたモチーフは同じかな。

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こちらはサクラソウのみ。

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最後に廓信寺に寄る。

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参道口にはサツマイモの女王紅赤(通称金時)発祥の地の説明板がある。この地の農家の主婦山田いちさんが紅赤を発見したのだそうだ。

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仁王門。

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残念ながら時間が遅かったのか、中には入れず・・・
どうやらこの山門の脇に河西祐之助の墓があったようなのだが見逃してしまった。残念。

ゴールの北浦和駅へ向かう。
4時43分の京浜東北線に乗り、順調に乗り換えて地元駅到着5時半前。

駅ビルの鮨屋さんで乾杯!

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寒ぶりの刺身、じゃこ天、揚げ茄子とトロロのネギ味噌焼き、あん肝ポン酢、握り寿司(いくら、甘エビ)
お酒は瓶ビール(キリン一番搾り)と白ワイン。

帰宅は7時過ぎだった。約35100歩。

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おみやげは、お漬物2種と、(川越に行ったわけじゃないけど)くらづくり本舗の栗の菓(ロールケーキ)。

中山道はまた少しお休み。
もう少しで完歩です。

(完)

マップはこちらを使っています

2023/11/22

中山道六十九次歩き(第33回) 上尾宿~大宮宿~北浦和4

(3より続き)

小動物園にも行ってみる。

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兎さんがお出迎え。

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リスザルは動きが激しくて撮りづらい。

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ブラウンケナガテナガザル。
尻尾も長いんだな。

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シロフクロウ。

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アネハヅル。

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ガン。

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タンチョウヅル。

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クビワベッカリーってイノシシみたいだ。

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とっても人なつっこいブチハイエナ。

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フラミンゴ。ずっと水を飲んでる。片足で。

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ヤギさん、寝てるような笑っているような?

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アナホリフクロウ。

無料なんだけれど結構充実してました。

神社に戻る。

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さざれ石を見て・・・

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三の鳥居を出る。

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明治天皇と氷川神社御観察の絵巻。

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行幸絵巻。

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明治天皇はこの中かな。

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参道はとても長い。2キロあまり。

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二の鳥居は明治神宮から移設されたもの。狛犬はここにありました。

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少し紅葉している。

(5へ続く)

マップはこちらを使っています

2023/11/21

中山道六十九次歩き(第33回) 上尾宿~大宮宿~北浦和3

(2より続き)

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向かいに宗像神社。

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神橋が見える。

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亀の置物がありますね。

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フユザクラだろうか。

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紅葉にはちょっと早いようだ。

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奉納された酒樽の数々。
埼玉県のお酒もまだまだ飲んだことがないのがあるなあ・・・

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お隣は額殿。
お、秩父の兎田ワイナリーの樽が奉納されていますね。

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神楽殿。

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夫婦楠、大きい。

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神橋のむこうに楼門。

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橋からは宗像神社が見える。

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立派な楼門。

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舞殿。

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拝殿。

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御嶽神社などの境内社を見てから、大宮公園へ。
せっかくなので行ってみようと。
大宮公園は明治18年、氷川公園の名称で誕生した県営公園の中では最も長い歴史を持つ公園。その後、日本の公園の父、林学博士の本多静六により整備され、漱石や子規なども訪れたという。

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日本庭園がある。

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ちょうどツワブキが満開。

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鴨さんたちが歩いている。

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ミニ滝もあり。

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少し紅葉も。

(4へ続く)

マップはこちらを使っています

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